第212話 「宿命の戦い①」

 こちらに近づいてくる白い翼が、奴のものであることは自然と確信できた。もう、じきに接敵する。

 そこで俺は、手持ちの品で使えるものがあったことを思い出し、取り出した。白いマナが入った指輪と、マナ遮断手袋だ。それらを左手につけると、俺の方を見ていたウィルさんが、少し困り気味な渋い笑みを浮かべた。


「あまり人前では、そういうことをしないようにね」

「はい……すみません」

「いや、今はいいんだ。逆に感心しているくらいだし」


 それからウィルさんは、相変わらず笑顔だけど、表情を少し引き締め頼りがいのある感じになって言った。


「君も白色で矢を撃てるなら心強い。きっと、いい牽制になるだろうからね。奴の攻撃の合間を見計らって、余裕があれば反撃してみてくれ」

「はい!」

「やられっぱなしは癪だろうしね」

「そりゃ、もう」


 俺達は顔を見合わせて笑った。敵が近づいてくるけど、恐れはあまり感じない。不思議と高揚感があって、気持ちが前向きになっているのだと思う。

 それと、この時のための備えがあるのも、今の気持ちを支えていると思う。

 左手の装備は、俺も牽制にと考えている。いいタイミングで使えば、相手に警戒させられるだろう。指輪にはマナの使用限界があって、いつまでも使えるわけじゃない。それは相手も承知していると思う。でも、だからこそ左手に注意を引けるんじゃないか。映画で、相手に弾数を数えさせるみたいな感じで。

 本命は右手の方だ。こちらでも色選器カラーセレクタで白いマナを出せれば、状況次第では決定的な動揺を誘えるだろう。それがうまくいくかはわからないけど、イケるかもという可能性が俺を奮い立たせている。


 敵はどんどん近づいてきている。迫ってくる強力なマナの気配に、足元の草が揺られて平伏するようになった。冷たい空気が張り詰め、肌がピリピリする。

 そして、こちらへ向けてボルトがいくつか飛んできた。狙いは甘く、ご挨拶程度のものだ。足だけで十分回避できる。すると、矢が当った地面が軽くえぐられ、表土が衝撃で飛び散った。

 そうやって矢を回避しつつ上を見上げると、白い翼を生やした男が、赤紫の空に浮かんでいた。全身は淡い白光をまとっている。身命をマナに変えてかかってくるかも……という話だったけど、今の奴の状態が、まさにそれなんだと理解できた。

 俺が奴を注視していると、奴に向けて白い矢が飛んだ。ウィルさんのものだ。それを奴は、赤い光盾シールドで相殺した。これ見よがしに王族の色を使う奴に、余裕のようなものを感じる。でも、それは勘違いだった。最初の一矢を防ぐや否や、奴は俺に向けて攻撃の嵐を振らせてくる。そこに余裕や落ち着きは感じない。ただ、力任せな殺意しかない。

 自分で使えるわけじゃないけど、使われた攻撃の事はわかる。円錐状に拡散して向かってくる矢の群れは逆さ傘インレインで、魔力の矢マナボルトの発展型の魔法だ。点ではなく面での攻撃だけど、落ち着いて正対すれば、一回の光盾シールドで十分受けきれる。下手に避けようとして、着弾にタイムラグが出るのが一番まずい。

 攻撃の勢いこそ激しいものの、冷静さを保って対処したおかげで、無事に凌ぐことができた。本当にゴリ押しという感じだけど、この調子なら防御に専念すればなんとかなる。

 そうやって攻撃をさばきつつ、奴の動きに注意を向けると、奴に向かって2本の光線が飛んでいった。黄色と青色の光線だ。それを奴は空中で身を翻して回避するものの、光線は追いすがるように進路を変えて再度襲いかかる。

 避けている間も、奴は俺の方に攻撃を仕掛けてきて、全く油断できない。でも、回避に気を取られているせいか、少しだけ攻勢が弱まったような気がした。

 まとわりつく光線を光盾で相殺しようと、奴は手を構えた。そして、黄色い光線を白い光盾が食い止め、ぶつかり合ってできたマナの煙に向かって、白い矢が2本飛んでいく。俺と、ウィルさんのだ。

 奴は空中で身をよじるようにして、2本の矢をなんとか避けようとするものの、奴の翼に的中して白い羽根が宙を舞った。やがて、散った羽は白い粒子になって霧散した。一方、奴本体は無事だ。飛行能力を喪った感じはない。


「翼で飛んでるってわけじゃ……」

「翼は飾りだろう。たぶん、揚術レビテックスだ」


 Bランクの魔法に、空歩エアロステップみたいに歩くんじゃなく、空中を自由に舞い泳ぐ感じのものがあると聞いている。ものすごく消耗する魔法だから、あまり使用は推奨されない。特に戦場では。それを奴は、自由に使って見せている。翼も含め、見せびらかして威圧する意図もあるんだろうけど。

 奴が黄色い光線を防いだところで、攻撃はなおも続く。奴に青色の光線や白い矢が迫る。すると、奴は大気を揺るがすような咆哮とともに、真っ赤な泡膜バブルコートを張って迫るすべての攻撃を防いだ――いや、吹き飛ばしたように見える。

 怒声と雰囲気の変化に、警戒した俺達が様子を見ようと構えると、奴は不思議とよく通る声で叫んだ。


「故郷に帰れたんだろ! なぜ、こんな世界にまた来たんだ!」

「一度死んだ世界に戻れるかよ! それに、こんな世界にしてるのはお前らだろ! 偉そうにしやがって!」

「黙れッ! 部外者が!」

「部外者じゃない、お前の敵だ!」


 意味がつながる問答はそこまでだった。猛り狂った雄叫びとともに、奴が放つ白光がますます強くなる。

 そして、俺の方へ大波のような攻撃が殺到した。白、赤、紫といった強い色の矢の嵐が、間断なく押し寄せてくる。少しでもマナの負担を減らそうと、密度の低い方へ足を運びながら双盾ダブルシールドを構えた。

 しかし、避けた地点は矢にえぐられ、地面に足を取られそうになる。そうやって回避がままならない状態で波に捕まると、もうその場で耐えきるしかなかった。攻撃で前面の盾が割られるたび、2つ目で耐えている間に内側に再度貼り直す。そうやって防御に専念する以外に、手立てがない。


 迫ってくる攻撃の波を押し留めようと、両腕を前に伸ばし、息を呑んで光盾の再展開に精神を集中する。すると、少しずつ世界の動きが遅くなった。気がつけば、さっきよりも矢の波の動きが穏やかだ。思考が早まったのか、世界が遅くなったのかはわからない。ウィルさんの言う、おまじないだろうか?

 しかし、動きが遅くなった波から逃れようと、足に力を入れようとしても、体が思うようについてこない。ただただ思考だけが速くなっているようだ。体に力を入れようと意識しても、その力の流れをまったく感じられない。

 まるで泥みたいにもったりした時の流れの中で、思考だけはいつもどおりだった。コマ送りみたいになって、徐々に詰め寄ってくる攻撃に対して、考える以外には何もできないんだろうか?

 体は、本当に少しずつしか動かせない。でも、魔法は? 止まって見える今しがた、割られた外側の光盾の代わりに、残っている光盾の内側への再展開を試みる。

 すると、右の人差し指からマナが伸びた。でも、周囲の動きに合わせた、遅々とした歩みだ。普段だったら魔法にならずに途中で消える、そんなレベルの遅さで、俺のマナは宙を刻んでいく。

 マナの動きも、周囲と同じだった。でも、俺の中の何かが、周りに合わせた速度に抑制しているような感じがある。まるで、世界の再生速度を制限速度にしているみたいに。

 このゆっくりした世界の中で、俺の思考だけはいつもどおりだ。いや、時の流れがどうなろうと、主観の速度は等速だろう。じゃあ、魔法はどうなんだ? いつもは思い描くとおりに瞬時に描ける。その思い描く心のスピードがいつもどおりなら、いつもはマナがそれに答えてくれるのなら、他が遅くなった今だって、いつもどおりに描けてもいいじゃないか。

 全てが遅滞した世界の中で、俺は集中して、自分が思い描くイメージを宙に押し付けるようにマナを送り出した。力が入らない奥歯を噛み締め、全力でマナを押し出す。周囲の足並みに揃えようとする、俺の中の無意識な認識を押しのけるようにして。

 すると、少しずつ記述速度が速くなった。いや、速いんじゃない。まだ遅いくらいだ。もっと、いつもどおりに近づけられる。一度速度が変わったことに勇気づけられ更に集中力を注ぐと、遅くなった時間の中でも意識と魔法だけは、いつもどおりの速度で動かせるようになった。

 この状況だと攻撃をしのぐことしかできない。でも、それでも十分有用だ。押し寄せる攻撃に押されて、光盾の再展開を繰り返すうちに、俺と光盾の間が少しずつ狭まってきていた。でも、今の記述速度なら、外の世界で見れば瞬時に光盾を張り直せる。最終的に押し切られることはないはずだ。


 しかし、それは甘い見立てだった。殺到する矢の戦列に紛れるようにして、白い砲弾が迫っている。魔法同士がぶつかりあってできたマナの煙で見えづらくなっていた。矢をさばきつつ、砲弾に対処する? もう間近に迫った砲弾の対処を誤れば死にかねない。なんとか、乗り切らなければ。

 火砲カノンへの賢い対処方法は、自分から少し距離を開けて光盾を作るか、いっそ宙にとどまる光盾を作って逃げるというものだ。今回は使えない。

 となると、残る手段は1つ。砲弾の核を撃ち抜いて、その場で炸裂させるというものだ。狙いを外せば意味がないし、うまく当ててもこの距離では、衝撃が襲ってくるだろう。でも、何もしないよりはマシだ。

 俺は砲弾目掛けて矢を放った。魔法陣を書くまでは一瞬だったけど、できてからは周囲と同じ歩調でノロノロ進む。

 すると、意識が一瞬遠のくような感じがした。世界と思考の速度差に耐えきれなくなったかのように、現状の破局が迫ってくのを感じた。いや、やるだけやったんだ。後は、普通の時の流れで勝負するだけだ。


 その覚悟が引き金になったかのように、周囲の時の流れが通常通りに戻っていく。急に激しい心拍を感じ、強い鼓動が押し寄せる。

 砲弾の前を進む矢の1陣は、光盾が阻んで相殺した。先程よりも対応は遅くなるけど、あれの着弾までは力を尽くし、俺は光盾を張り直す。

 そして、その時がやってきた。こちらが放った矢と標的の砲弾は、俺から1mもしないぐらいの距離でかち合った。炸裂の瞬間、双盾の外側は矢の波で破られている。残る1つも、後続の矢に破られつつあって、爆風が完全にとどめになった。光盾で抑えきれなかった衝撃がこちらにまで迫ってきて……。

 俺は後方に吹き飛ばされた。体の前面を波打つように伝う痛みがある。負傷した感じはない。

 ああ、気がつけばまた、時の流れが遅くなっている。さっきのよりは少し速い感じだけど、断続的で不安定に遅くなったり戻ったり、繰り返すとおかしくなりそうだ。それに、今の痛みが長続きすると思うと、ちょっとキツい。

 でも、この状況でまた遅くなったのはありがたい。衝撃で飛ばされ、仰向きみたいになって奴の方を見る。ウィルさんの猛攻をしのぎつつ、俺に向けて追撃の構えを取ろうとしているところだ。

 俺はとっさに反撃の準備をした。どうせ攻撃を受けている間は防御でいっぱいいっぱいなんだ。こういう状況でやりかえして、どうにか潮目を変えてやらないと。俺は左手から矢を放った。

 あとは自分の心配だ。空中で方向転換なんかできないから、どうにか受け身でも取って体勢を整えないと、追撃の餌食になる。そうやって着地の時に備えて心を構えていると、背中にプヨンとした感触を覚えてびっくりした。両肩あたりからは藍色のマナが見える。いや、体が藍色のマナの塊に受け止められたようだ。おそらく、クッションのようなものをウィルさんが用意してくださったんだろう。

 背中にある何かの塊の上を、吹き飛ばされた勢いを生かして後ろ向きにグルンと回転し、どうにか両足で着地できた。すると、藍色のでっかい水まんじゅうみたいなものが目の前で霧散し、向こうの夜空では怒り狂う奴の姿が見えた。ああ、俺の矢が当たったのかもしれない。


 立ち上がろうとすると、少しふらついた。衝撃を食らっただけじゃなくて、時間を遅らせるあれのせいで消耗しているのかもしれない。でも、弱みを見せるとつけあがられるだけだ。力を込めて踏ん張り、光盾を構える。それからウィルさんに「すみません!」と言うと、彼は妙に明るい口調で答えた。

「君の方が大変な目に遭ってるからね、これくらいは!」そう言いつつ、攻撃の手を休めない彼は、追尾する光線や空中で曲がる矢をひっきりなしに繰り出し、奴を攻め立てている。

 もう、回避は諦めたのだろう。奴は避ける代わりに、離れてもくっきり見えるぐらいに濃く赤い泡膜を張っていた。その姿は、不吉な空でも一層不気味に輝く凶星だ。その星に攻撃が降り注ぎ、激しいマナのスパークが夜空を照らす。激しい攻防の反応が終わって、マナの霞が晴れると、奴は激昂した。

「どうして! どいつこいつも、僕の邪魔をする!」という奴の叫びに、今度はウィルさんが応じた。


「一人は大変だな! 手下はどうした?」

「役たたず共はみな死んだ! お前たちが殺したんだろうが!」

「はは、自分は違うとでも言いたそうじゃないか!」

「うるさい、黙れッ! そいつの次はお前だ!」

「こっち狙えよ! まったく、どこに行っても気が利かない奴だな、お前は!」


 ウィルさんの挑発には応じず、奴は再度こちらに向かって攻撃を始めた。視界の端で、ウィルさんが少し申し訳無さそうにジェスチャーするのが見える。

 奴のボルテージとともに、攻撃はますます熾烈になっていくように感じる。でも、全身を燃やすような奴の有様に、少しずつ破滅が近づいているのを直感した。こうなれば、どっちが先に潰れるかだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る