第206話 「半リアルの友人」
現世に戻ってから5日が経過して、今日は5月13日だ。あちらはまだ冬の真っ只中だろうけど、こちらは少し暑いくらいだった。
1年の周期が違うから、あちらとこちらで季節がズレるのは納得できる。しかし、自分の体がそれを素直に認めるという保証はない。それで、急な気温の変化に体調を崩すんじゃないかという懸念があった。実際にはなんとか適応した感じで、まずは一安心だけど。
しかし、気温に慣れてもまだまだ慣れないものはある。繁華街だ。夕方のラッシュで行き交う人々の雑踏や街の喧騒、ギラつくネオンサインは刺激的で、戻ってから最初に見たときには少しふらつくくらいだった。
今俺は、そんな繁華街で人を待っている。かつての生活圏から離れた街ではあるけど、これだけ人通りが多いと、中に知り合いがいるんじゃないかとあらぬ心配をしてしまう。幸いにして、まだ誰にも見つかってはいないようだけども。
あまりキョロキョロして周囲の様子をうかがっていても、お上りさんさんのようで、逆に目立ちかねない。なるべく平静を装うよう、気持ちを落ち着けていると、仕事帰りのサラリーマンらしき若い男性から声をかけられた。
「すみません。ここで人と待ち合わせているんですが、もしかして?」
「……リッツ・アンダーソンです」
覚悟を決めて名乗ると、彼は真顔で吹き出してから「えーっと……ジョンジョンです……あー、ジョンでいいや」と言い、握手を求めてきた。俺がそれに応えると、さっそく適当な居酒屋を目指すことに。
ジョンさんは、かつてネットでカードゲームをやってたときの友人だ。もちろん、会った理由は旧交を温めるためってわけじゃない。
俺は魔獣から得た硬貨を、どうにか質屋か何かで換金できないかと考えている。しかし、売るには身分証が必要だ。作るのは困難だろうし、取りに帰るのもリスキーだ。実家に足を近づけると言う行為が、精神的にキツイのはわかっている。だから、自分で売るのは無理だと考えた。
では、誰かに手伝ってもらってという話になる。しかし、リアルの知り合いには頼めない。それがかつての同級生であれ、バイト仲間であれ、俺が死んだことを知ってる可能性があるからだ。もし知ってれば、頼み事をするどころの話ではないし、知って無くても俺の方がかなり辛くなるのは目に見えている。
とはいえ、全く知らない方に頼むのもはばかられた。ということで、リアルではない知り合いということで、ネットの友人に依頼したわけだ。ネカフェでは非会員だとネットができないから、図書館で端末を借りてこっそりメールするような羽目になったけど、とりあえず連絡がついて会う話まではまとまった。そして今こうなっているわけだ。
ジョンさんには、換金の話をまだ伝えていない。いきなりだと怪しまれるからだ。メールの方では、長く連絡を取れなかったことを侘びた上で、少し相談に乗って欲しいと伝えただけだ。それでも彼は、数回のメールのやりとりで応諾してくれた。生活圏が近かったのが良かったんだろう。
人混みの中を進んで行って、俺達はどうということもない普通の居酒屋についた。チェーンでやってるところで、安価に色々つまんで楽しむ感じの店だ。
照明の光に満ちた店内に入ると、さっそく店員さんの元気な声が迎えてくる。席の方は、俺の要望で個室にしてもらった。
席に付くと、俺もジョンさんも最初は茶を注文した。それと、つまみを数種。2人とも酒を選ばなかったけど、別に示し合わせたわけじゃない。俺は変なことを口走らないようにとの用心からそうしたわけだけど、ジョンさんの表情からは何か迷っているような感じが見て取れる。彼も思う所あって、アルコールを避けたのだろうか。
オーダーしてからすぐ、茶とつまみがやってきて、俺達は乾杯した。ジョッキに入ったウーロン茶を一口飲むと、ジョンさんが切り出してきた。
「一年ほど音沙汰なかったけど、何かあったのか?」
「ちょっと、トラブルがありまして……」
「ふーん……一時は死亡説が出回ってたけどさ。復帰は?」
「……難しいですね」
嘘は言ってない。メールアドレスは使ったけど、SNSやら当のゲームのアカウントには触れすらしていない。故人のアカウントがどうなるのかは知らないけど、変に触って問題が起きると困る。だから、ネット上にあった自分の人格も、もはや過去のものだ。
もう、リッツ・アンダーソンになって対戦できない。そう伝えると、彼は残念そうな顔になり、「まぁ、いつかは辞め時が来るよなぁ」と寂しげに言った。その言葉が、妙に刺さる。
それから静かにつまみを食べていると、「俺を呼んだ理由は?」と聞かれた。ああ、本題を言わないと。茶をグビグビやってから息を吐き、緊張をどうにか落ち着けた俺は、例の硬貨を取り出した。
「実は色々ありまして……当座の資金繰りに苦慮してます。そこで、俺の代わりにこの硬貨を換金していただければと」
すると、急に彼の顔は不信感があらわなものになった。無理もない。しかし、初めて見る硬貨に興味はあるようで、彼は俺に断ってから手に取った。
「金かな?」
「……よくわかりません」
「犯罪性は?」
「ありません」
「ふーん」
偽造とか盗難とか、そういった可能性を考えたのだろう。でも、そういうことはしていない。一番心配なのは、この世にない原素とかが使われている可能性だけど、あっちの食材は俺でも代謝できたから、大丈夫なんじゃないかとは思う。
彼は硬貨を色々な面から眺め回し、やがて息を吐いてから俺に戻した。
「出どころは知りたいな。どうも、記念硬貨とかそんな感じでもなさそうだし」
当然の質問だ。でも、嘘は通用しないだろう。初めて会うジョンさんは、全体的に温和な雰囲気はあるけど、今俺に向けている視線に油断は感じられない。それに、騙してまで頼みたくはない。かといって、「言えない」なんて言えば、この話はここまでだろう。
今、心を決めて誠意を見せるしか無い。「口を閉じて。驚かないでください」と言うと、彼は不思議そうにしつつも口をつぐんで構えてくれた。
そして俺は、指先にマナを集めて宙に文字を刻んだ。彼は黙ったままだけど、目は見開き口は半開きになっている。俺は次に、テーブルに広げたおしぼりに
「実は、魔法使いになりまして……」
「……マジか」
それから彼は、つまみをいくつか口に放り込んだ後、茶を一気に飲み干して言った。
「酔いが冷めちゃったよ」
「いや、酒じゃないですし」
☆
夜風に当たりたいというジョンさんの申し出で、俺達は居酒屋を早々と後にし、近くの公園についた。繁華街近くの公園だけど、結構広いおかげで人の密度はない。
途中のコンビニで買ったチューハイを渡され、あらためて乾杯してから口に含む。
「いや、本当に驚いたよ」
「すみません」
「別に責めてるわけじゃないけどさ……事の経緯とか、教えてもらえないか?」
まぁ、そりゃ聞くよなとは思った。少しためらう気持ちを覚えた俺に、彼は「秘密にするよ」と言って、顔の前で両手を合わせて拝むようにした。ここまで来たら話すのが誠意ってもんだろう。俺は細かいところは端折りつつ、事のあらましを告げた。いっぺん死んで、魂を釣られ、異世界に移ったこと。魔法を覚えて魔獣や魔人とやりあったこと。魔人に現世へ飛ばされたこと。そして……あちらへまた行こうとしていることを。
「にわかには信じられないけど……本当なんだよな」
「はい」
目をパチクリさせている彼は、缶チューハイを傾けて口に流し込んだ。でも、いくら飲んでも酔えないんだろう。顔はそのままだった。
「換金の件だけど、売れない可能性はあると思う」
「……未知の物質だった場合とかですね」
「そうそう。それで、売れそうだったら売ってやるよ。手数料は2割だっけ?」
「! ありがとうございます!」
了承していただけたことに感謝を伝えると、彼は「その前に」と言った。
「こっちで働く気はないのか?」
「それは……」
「悪い。言えないならいいんだ。でも、やっぱ気になってさ」
あらためて口にするのは、やっぱり辛い。でも、心の中に巣食うモヤモヤを、吐き出してしまいたいと言う気持ちもある。それを誰かに聞いてもらいたいという気持ちも。
俺は意を決し、今思っていること、感じていることを話すことにした。
「自分の墓を見た時、思ったんです。この下に、かつての自分の体があるんだ……じゃあ、今の自分は何なのかって」
彼は神妙な顔になった。俺言わんとしているところは、すでに察しているように見える。でも、自分の口で言わなければ、認めなければならない気がした。
「墓の下のが、きっとこの世にとっての本物だと思うんです。それで、今の俺はただのコピーか、悪くすれば偽物で」
「……意志がある方が本物なんじゃないか?」
「……そう、思います。でも、墓を見て、自分の中の連続性が切れちゃったんです。今までいた自分がどこかで途切れて、もしかしたら全く別の存在になったんじゃないかって。自分が自分であることを、信じきれなくなって。それで、生まれ故郷ってものが、少しわからなくなったんです」
彼は押し黙った。真剣な眼差しを地に向け、思考を巡らせているように見える。それからややあって、彼は口を開いた。
「……思考実験って知ってるか?」
「まぁ、有名なやつは」
「これって、スワンプマンとか、テセウスの船みたいな話だよな?」
「そんな感じです」
スワンプマンとテセウスの船ってのは、同一性についての思考実験だ。もし自分と完全なコピーができたとしても、世界との関係性を完全に模倣できるわけじゃない。コピーが出来上がるまでは、存在すらしなかったわけだから。では、コピーにとっての”自分”っていうのは、何を差すんだろうか? 過去の記憶があったとしても、そこに自分がいたわけじゃないのなら、記憶ってなんだ?
こういう思考実験は、大学の講義で名前を知った。知ったその夜には、なかなか寝付けなくなったのを覚えている。まさか、そういう思考実験の当事者になるとは思っても見なかった。
どちらも口をつぐむと、急にあたりが静かになった。そんな中、遠くで聞こえる喧騒が、完全に他人事なんだけど、妙に気持ちを落ち着かせてくれた。何も聞こえないと、自分の中の声で参ってしまうかもしれない。
静かになってから長いこと、ジョンさんは缶に視線を落としていた。そして、一気にあおるように飲み干し、「悪い」と静かに言った。
「なんか、気休めすら言えない感じだ……」
「いえ、聞いてもらえただけでも、楽になったと思います」
「本当か?」
「ええ、まぁ」
我ながら、あまり暗いところがなくあっさり答えたと思うけど、それでもジョンさんは少し食い入るようにして、疑いの視線を向けてくる。それから、彼は財布を取り出した。
「ネカフェでネットできないから、図書館使ったんだって?」
「はい」
「ネカフェなのにな~……ほれ」
そういって彼が手渡してきたのは、ネカフェの会員証だった。かなりペラッペラのカードで、ちょっと頼りない感じがする。無記名でも使えるらしく、結構ゆるいところのもののようだ。
「困ったら、また連絡しろよ? つっても、面倒は困るけど」
「……ありがとうございます」
「あと、そのカードは紛失した扱いにするけどさ、悪用はしないようにな」
「それは、もちろんです」
話が一通り済むと、明日も仕事だからということで、ジョンさんはすたすたと立ち去っていった。
俺は彼が見えなくなるまで頭を下げ、いなくなってからベンチに腰を下ろした。硬貨換金の依頼をできたのは大きな前進だ。換金できなければそれまでだけど、そこはもう祈るしかない。
それと、ネットでしか知らなかった方に、ここまで助けてもらえるとは思わなかった。最近のあれこれで涙腺は枯れてきたかもしれないけど、それでも胸に響くものがある。
さっきの会話を振り返りながら、俺は残っていたチューハイを飲み干し、さっそく会員証をもらったネカフェへ足を向けた。
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