第207話 「転移の基礎」

 ジョンさんの協力のおかげで、俺の金策の方はどうにかなった。会ってから3日後には換金成功の報をいただき、その翌日には直に会って資金をいただけた。

 さすがに無駄な出費は控えなければならないけど、とりあえず当座をやり過ごす程度の金額はある。直近の懸念事項が片付いた今、次のステップに移ることにしよう。



 5月18日、夜。広くて誰もいない場所ということで、俺は住宅街から少し離れた神社を見繕った。念のため、周辺を歩きまわって気配がないことを確認する。はたから見ると、俺の方が不審者かもしれない。

 そうして誰もいないことを確認した上で、俺は例の青い鈴を鳴らした。鳴らした後も、緊張で手が小さく震えるのがわかる。前に呼んだ時は、あの人はかなり薄い感じで、苦しそうだった。それに、あの時からさほど時間が経過していない中で、回数制限の話もある。果たして来れるかどうか、心配だった。

 ただ、そんな心配は杞憂に終わった。木々の間を冷たい風が走り抜け、例の人が姿を表す。意外だったのは、すぐに現れたことだけじゃなかった。俺に見せたその姿は、以前のような儚い感じじゃなくて、実体はないけどハッキリそこにあるとわかる、それぐらいの濃さがある。

 なんにせよ、無事会えたのは良かった。以前と違う様子には少し驚いたけど。でも、それは彼女の方も同じようだった。俺の姿を見て、少し驚いているように見える。そういえば、あの時と違う服を着ている。

 でも、そんなことはおいておいて、聞くべきことがあった。


「あの、済みません」

「……ええ、何かしら?」

「どのように呼べばいいですか?」


 すると彼女は、一瞬ぽかんとした表情になり、その後少し驚いたような顔になり、それから視線を伏せた。全体的に青白い発光体のような彼女だけど、思わず頬に桜色を幻視するくらい表情豊かだ。そして、少し間を開けた後、彼女はかなり照れくさそうに言った。


「フィオリア・エルミナスよ。フィオでいいわ」

「フィオさん、ですね」

「ええ、こんなに遅れてごめんなさい……リッツ君」


 彼女は俺の本名を知っている。でも、いくらか迷ってから、あちらでの偽名で呼んだ。それで良かった、そう思う。

 名前の他にも、聞かなければならないことはある。会える回数だ。しかし、尋ねてみると予想外の答えが帰ってきた。


「回数は、気にしなくていいわ」

「えっ?」

「顕現にもリスクはあるけど……そうも言ってられないから。あなたがこちらにいる間は、呼べばきっとすぐに現れるわ」


 リスクという表現には、引っかかるものがある。何か無理させてるんじゃないかと思ったけど、俺の顔を見て彼女は優しく微笑んで首を横に振った。心配しなくてもいい、そう言っているようだ。回数のことを気にしなくてもいいという点に関して言えば、心強いのは間違いない。そう伝えると、彼女はにっこり笑った。


 ただ、和やかに話していられる場合でもない。こちらである程度生活をする算段がついたから、これからに向けての話をしなければならない。


「そうね……リッツ君はこちらで後、どれぐらい生活できそう?」

「金策無視なら、1ヶ月強ってとこです」

「わかったわ」


 俺の軍資金の話が終わると、彼女は早速あちらに戻るための手立てについて話しだした。

 まずは、転移についての講釈からだ。転移というのは、離れた2点間をつないで移動するための魔法の総称だ。転移にも色々な形態があって、据え置きの転移門を用いるものもあれば、術者がその場で門をこしらえる転移もある。

 しかし、形態が違っていても大きな共通点はある。それは、転移の難易度を決める要素だ。転移の難易度には大きくわけて3つの要素が関わってくる。

 1つ目は、出発点である入り口と、目的地である出口付近の、空間の頑健さ。出入り口となる門は、言ってしまえば空間に開けた穴のようなもので、空間がしっかりしているとその分穴を開けにくい。この空間の強度を、膜が薄い・厚いとも表現するようだ。魔人や魔獣の出没点である目は安定して膜が薄く、黒い月の夜はあの世界全体で膜が薄くなるらしい。


「こっちの世界は、どうなんでしょうか」

「かなり薄い方ね。どこもかしこも、目みたいな感じ」


 こっちの世界にあの連中がいたら、ひどいことになるところだ。


 転移の難易度に関わる2つ目の要素は、転移対象のマナの量や質量、大きさだ。重くて大きい物体ほど、転移させるのは難しくなる。それだけ、入口と出口の間に負担をかけるからだ。そして、マナの量が一番影響度が大きい。そのため、強力なマナを持つものほど、転移の難易度が増すという現象が起きている。

 その話を聞いて、俺はロケット工学を思い出した。燃料を積めば積むほど重くなって、ますます燃料が必要になるという話だ。

 転移とマナの量の関係は、あちらの世界で一種の戦争抑止力になっている。強いやつほど気軽に動けなくなるわけだから。そのため、目とか例の夜に関係なく、転移を使える魔人が相対的に脅威となっているわけでもある。


 3つ目の要素は、出口のイメージの正確さだ。でも、実際には正確さと言うより、術者が自分のイメージを正確だと信じている度合いらしい。イメージそのものや、イメージへの確信が曖昧だと、出入り口を繋げられなかったり、最悪の場合はとんでもない所に飛ばされたりする。

 この点に関しては、人間と魔人との間に決定的な差がある。人間側の術者で、思い描いたイメージが本当に正確かどうか、試す段階までやらせてもらえることはない。転移を試みれるほどの術者は貴重で、失うわけには行かないからだ。そうするくらいなら、安定して使える転移門を設置して、多少不便でも定点間移動を選ぶというのが人間側のスタンスだ。

 一方、魔人側はうまくやれて生き残ったやつを用いるという方針らしい。なので、危険な魔法だろうと誰も止めはしない。それでうまく行けばそいつが成り上がっていって、失敗すれば無視されるか、誰にも気づかれずに朽ち果てる。そして、今人間に牙を向いているのが、連中の生き残りということだ。


「……ところで、俺が食らった転移については、どう思いますか?」

「相手がこの世界を知っていたとは思えないから……受けた魔法の見た目とか、覚えてるかしら?」

「少しおぼろげですけど」


 俺はあのときのことを思い出しながら、地面にそれっぽいものを刻んでいった。

 あの時まったく、何もわからなかったわけじゃない。たぶん、走馬灯みたいな、死にかけると色々スローに見えるとかそんな感じだったんだと思う。飛ばされた時以外にも、似たような感じを覚えた経験はある。死にかけというか、周囲にものすごく濃いマナが漂っていると、なんだか冴える感じがあった。

 そんな話をしながら俺は、うろ覚えの魔法陣を書いた。もちろん、書いて魔法になるわけじゃない。文の方はさっぱりわからず、ぼんやりした器でしかない。それでも、フィオさんには何らかの手がかりになったようだ。彼女は小さくうなずき、つぶやくように言った。


「精神干渉系の様式に見える部分があるわ。たぶん、1体だけ飛ばす系統の転移で、対象に場所を決めさせる魔法ではないかしら」

「そういうのもあるんですか」


 俺が尋ねると、彼女は少し申し訳無さそうな表情になった。


「転移に関しては、いつの時代も魔人側がずっと先を行っているわ。だから、私のも憶測でしか無いの」

「……それで、対象者の俺に決めさせたって話ですけど、どう決めさせたんでしょうか?」


 フィオさんは黙った。顔をうつむかせ、だいぶ静かに考え込んでいる。あるいは、単に迷っているだけなのかもしれない。少し苦渋の滲む表情で、彼女は言った。


「古い記憶を呼び起こさせて、そこを出口にしたのかも」

「古い記憶?」

「相手の今に依存する行き先だと、その場に現れかねないし、不安定だわ。相手に決めさせるもので、一意に定まる行き先となると、一番古い記憶の……故郷だと思うわ」


 胸が痛むのを感じながら、俺は目を覚ましたときのことを思い出した。倒れていた砂場では、幼馴染とよく遊んでいた記憶がある。それで、一番古い記憶ってなると……幼馴染の子とスコップの取り合いをしていて、取られたプラスチックのスコップで叩かれて泣いたのを覚えている……ああ、今でもよく覚えてる。そのときの恨みはあったけど、その後もよく遊んだ子だったから。きっと、今も元気だろう。

 目を閉じて回想していると、ごめんなさいと言う声が聞こえた。


「いえ、大丈夫です。最近、ちょっと湿っぽいだけで……」


 それでも、フィオさんは切なそうな表情をこちらに向けてきた。しかし、あまり感傷に浸っているわけにも行かないのは、彼女も承知済みのようだ。少し経つとそれまで通りの、ちょっと淡白な感じで講釈を再開した。


 転移の難易度の3つは状況に応じて変わる。しかし、人間にできる難易度に落ち着くことはない。魔人の強力なマナに、行き先のイメージに対する絶対の自信、そして競争主義による練磨が、選ばれし者による転移を可能にしている。人間側では、もっと安全な、設備の力を借りての転移しかできない。

 しかし、2点をつなぐのは不可能でも、似たようなことはできるかもしれないというのが、フィオさんの考えだ。


「入り口と出口を繋がなかった場合、間には何もない空間が広がっているわ」

「何もない空間?」

「行く必要がない空間だから、名前すら無いわ。私達は便宜上、虚空とでも呼びましょうか」


 入り口と出口をつなぐ間に虚空があっても、普通の転移では考慮されない。そのことから、虚空では距離が何の意味も持たないと考えられている。きちんとした転移であれば、間の虚空を限りなく縮められる。一方、転移が失敗すれば、どこに出口があるかもわからない。


「……危険だけど、あっちに行こうと思うのなら、虚空を渡っていかなければならないと思う。人間が独力で転移に成功した例なんて、聞いたことがないもの」

「……フィオさんは、どうしてるんですか?」

「私は……」


 かなり言い出しづらい話題らしく、彼女はだいぶ逡巡したものの、俺の好奇心には根負けしたようで、その手口を教えてくれた。

 彼女の場合、出入り口を定めたら門を開けずに、世界の膜を素通りしているらしい。その前には限りなくマナを削ぎ落とし、存在を薄くしないと通れないのだとか。なんだか、力技のトンネル効果みたいな話だ。

 それで、薄い状態で通り抜けたらまたマナを取り込む。そうやって、マナの量による問題をパスしているようだ。


「だから、まったく参考にならないというか……」

「そうですね、なんというか……」

「……何?」


 今度は俺が言いよどんだ。思いついたことをそのまま言いそうになったのをなんとかこらえたけど、言いかけた時点でアウトだ。この件を先に話させたという引け目もある。戸惑う俺に対し、興味有りげな視線を投げかけてくる彼女に負けて、俺は正直に話した。


「マナを絞ったり、あとで取り込んで戻したり……なんか乾物みたいだと」

「乾物……」

「すみません!」


 フィオさんは、見た目は妙齢の女性に見える。実際がどうなのかは知らないけど、かなり無礼なことを言ったという自責の念を感じた。しかし、彼女は笑っていた。


「初めて言われたわ……ふふ。私って、そんなに乾いてる?」

「……どっちかというと、湿っぽいです」

「もうっ」


 にこにこしながら拳を上げるフィオさんは、とてもじゃないけど乾いた感じがない。というか、やってることは超常の存在そのものなんだけど、すごく人間っぽい。


「……フィオさんって、何者なんですか?」

「そうね……言っても信じないと思うから、言わないわ。あちらへ行ったら、まずは図書館で調べてみて」


 どうやら、本に書かれている存在らしい。それが神みたいな上位存在なのか、元人間なのかはわからないけど、なんとしてもあちらへ戻って、調べてやらないと。モチベーションが上がったのが、自分でもわかった。

 ただ、戻れるかどうかは問題だ。俺がやらなければならないことは、入り口の門を開ける、虚空に入り込む、目的地を見つけ出して進む、あちらの出口を開ける……ざっとこれだけある。転移のプロセスをわけた分、一緒にやるよりは楽という見方もできるけど、虚空の存在が大きな不安要素となって立ちはだかった。


「まずは、一度経験してみましょうか」

「そうですね」


 案外軽い感じでフィオさんが提案してきたのを了承し、俺は虚空に足を踏み入れることにした。

 その前段階に、まずはフィオさんが入口を作る。空に刻んだ深い青色の魔法陣は、直径2メートルぐらいだ。複雑な模様のうち、器の内側の部分が回転を始め、勢いはどんどん速くなる。やがて、高速回転する部分から外側へと空間が押しやられ、外の殻にマナが集中していく。逆に内側の空間は、輪郭があやふやだ。


「こうして、内側のマナを外に寄せ、膜を薄くしつつ殻の強度を保つの。一部の魔人は、こういうことを一瞬でやってのけるわ」


 言いながらやってみせるフィオさんも、相当のものだった。実体が不確かな感じの彼女だけど、魔法を操る姿に不安は感じさせない。

 目の前の魔法陣は、それからも中心の空間を削って外に寄せていく。シールドマシンみたいな感じだ。初めて見る魔法に目を奪われていると、やがて薄くなった内側の空間から、コントラストが消えてなくなった。奥に、のっぺりした暗い灰色が広がっている。

「あれが、虚空よ」というフィオさんに目配せし、彼女がうなずいたのを受け、俺は虚空に足を踏み入れた。


 たぶん、虚空に宇宙みたいな感じをイメージしていたんだと思う。しかし、上下左右の感覚がない虚空にも、重力はあったようだ。踏み入れた足は何もない空間を踏みそこね、身を投げ出すようにして虚空に転げ落ちる。

 すると、落下が止まった。腰のあたりが頂点に来る感じで、体が曲がっている。もう落ちることがないのがわかると、口から心臓を吐きそうなほど、強い鼓動が内から押し寄せてきた。そして、少ししてから、ちょっとずつ引き戻される感じを覚え、やがて俺は完全に虚空から抜け出した。

 門の外に立っていたフィオさんは、最初にあったときの釣り竿を手にしていた。いつの間にか、俺の腰に糸をくくりつけ、落ちないように取り計らってくれていたようだ。


「先に、言ってくれても……」

「こっちの方が、危険度はわかると思ったから」


 確かに、なにもないのに重力だけはあるという、虚空の恐ろしさを肌で感じた。確かな地面があることが、ものすごくありがたく感じる。

 虚空の性質は、フィオさんでも確実にはわかってないらしい。それでも把握できている特徴として、虚空の中ではイメージが強く反映されるというものがある。行きたい出口を病的なまでにイメージできていれば、距離はほぼ0に縮む。行き先があやふやだと、どこにもたどり着けない。そして、体が無意識に重力を想定しているのなら、上下左右も距離も意味をなさない空間で、ただただ落ち続ける。


「歩くときは、空歩エアロステップを使うべきね。使えるかしら?」

「大丈夫です」

「そう……会ったのは1年ぐらい前だけど、良い先生に巡り会えたのね」


 空歩を覚えたのは、実際にはあっちについてから半年ぐらい経ってからだ。他より早く覚えた分、ちょっと無理してたってのはあるけど、覚えた頃からきちんと役立っている。先生に恵まれたってのは、間違いない。

 今回のも難題には違いないけど、今まで俺に魔法を教えてくれた方々のためにも、負けるわけには行かない。あらためてやる気と闘争心が湧いてきた俺に、フィオさんが真剣な顔で話しかけてきた。


「今日から少しずつ練習していきましょう」

「わかりました……決行日の目安は?」

「だいたい1ヶ月後の……黒い月の夜よ」

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