第205話 「助言」

 2月10日昼頃。王都から南東へ2時間ほど進み、私は目的地にたどり着いた。手入れの行き届いた広い庭に、白亜の邸宅。アスファレート伯爵のお屋敷だ。

 門に近づくと、私の来訪に気づいた門衛の方が恭しく頭を下げた。近づき、来意を告げると、奥に詰めていた方がお屋敷の方に走っていく。それから程なくして、使用人の方がやってきた。背が高い壮年の男性で、所作は洗練されているけど、表情にはわずかな緊張が見て取れた。彼に従い、私は敷地に足を踏み入れる。


 早逝された先代から家督を継がれた、まだ年若い伯爵閣下は、軍事や政治に携わることがなく、主に芸術に力を注がれている。たとえば、若い芸術家のパトロンになったり、劇団や楽隊を支援したり。

 そんな閣下に対して、役立たず呼ばわりする貴族の方もおられるけど、我が家とは良好な関係を築いている。お父様が人材発掘を好まれたり、お母様が学芸を重視されているからだと思う。

 それに、少し放埒なところがあるけど審美眼の方は確かで、閣下が管理するこちらの邸宅で国賓を招くことも多い。そういうところが、閣下を批判する方々の癪に障っているのかもしれないけど。


 庭を通ってエントランスに着くと、すでに閣下がおられた。柔和な顔立ちで会釈をされ、私はすぐに頭を垂れた。


「長らくご無沙汰にしておりました」

「お互い会議には出てるけど……席が離れてるし、そういう場でもないからね」


 閣下は国防関係の会議に出席されている。特に発言されることはないけど……去年の秋、閣下が国防会議において渦中の人になる出来事が起きた。それが、私が訪れた理由でもある。

 視線が合うと、閣下はすぐに真面目な顔になって、「彼に会うんだね」と問われた。「はい」と私が答えると、閣下は何も言わずに手を振り、私に付いてくるように促された。


 去年の11月、ユリウス・フェルディオン殿が王国領内に訪れた。魔人たちの頂点の一角を占めていたという大人物だ。その彼が、今ではこちらの世話になっている。

 彼が国内に来たのは墓参りが目的だったそうで、その場に居合わせた巡視隊の機転で身柄を……確保というべきなのか、保護というべきなのかは良くわからない。。

 彼の言によれば、魔人の国から放逐されたらしい。ただ、言葉通りに受け取れない部分もある。彼が使う魔法の1つに、虚言を発したものを焼き尽くすというものがあって、彼が”証言”する際には例外なくその魔法を使ってもらっていた。その魔法の効果自体は、重罪人で検証して確認できたそうだけど、術者に対しては自由に制御できるんじゃないかと見る向きもある。つまり、魔法を操って真偽を織り交ぜられるんじゃないかって。そのあたりの解釈や判断は、まだ確定していない。

 彼をどう扱うのかについても、まだ決めきれてない部分が多い。なんとかして向こう側の情報を引っ張り出そうという方もいれば、いざというとき外交の一手にという方もいるし、降将に対して相応の名誉ある扱いをと言う声も。

 ただ、この先どうするにしても、とりあえずの居住先は必要ということで、白羽の矢が立ったのがこちらの邸宅だった。


「他国からの賓客には違いないからね」と閣下は笑う。しかし、彼がいる部屋に近づくにつれ、閣下の笑顔は少しずつ陰り、真剣味を帯びていく。


「なぜ我が家で預かっているか、わかるかな?」

「それは……国の頂点にあった者に対して、遇するに相応しい家格をお持ちだからではないのですか?」

「そう言ってもらえると嬉しいけど、格で言えばもっと貴い家もあるじゃないか」

「……では、なぜですか?」

「特に遺恨がないからさ」


 一瞬、頭を殴りつけられたかのような衝撃が走った。いつの間にか、私も閣下も歩を止めている。先を行かれていた閣下が私に向き直って、言葉を続けられた。


「私だって、魔人全般に対する嫌悪や敵愾心は持ち合わせているよ。でも、実際に戦う貴女方ほどには、憎しみを抱くことができない。国政に携わる貴族も、私よりはずっと君たちの側にいるだろう」


 どう答えればいいのか、私にはわからなかった。でも、閣下が言われたことは真実だと思う。軍事も政治も、魔人の存在とは向き合わざるを得ない。でも、閣下は……。

 こういうことで閣下を爪弾きにするのは、何かが違うと私は思う。でも、ご本人が一番、ご自身の立場について批判的に捉えられているように感じる。肯定するのも否定するのも安易に感じてしまって、私はただ黙ることしかできなかった。そんな私に、閣下は寂しげに笑って語られた。


「他の家だと、もしかすると手が滑るかもしれないからね。あくまで、保留中の案件として、今は穏当に住まわせたい。だから、当家で預かっているんだ」

「……心得ました」


 もしかしたら、私に対して釘を刺されたのかもしれない。彼に対して直接の恨みはないけれど、つい最近魔人と戦って、強く感情を揺さぶられたばかりだから。そんなことを思って顔を曇らせると、さっきから一転して明るい笑顔になった閣下が仰った。


「ああ、ごめん。別に君に対する含みはないんだ。そういう過誤が起きるとは思ってないよ。結構話せる奴だしね」

「……彼とは、閣下も直接お話を?」

「一応、客だからね。毎日話してるよ」


 それから私達は、彼がいる部屋へ向かいながら、彼についての言葉を交わした。

 彼についての話は、私もいくらか知っている。歴史上の存在だし、文芸上でも題材になるような人物だ。閣下が直に話して確認された所によれば、後世に伝わっている通りで間違いない。つまり、魔人の国と人間の国での和平を目的とした政略婚の当事者で、成婚はされたものの政治的には破局し……奥方を喪っている。


「その件については、あまり触れないでやってほしいな」

「それは、もちろんです」


 閣下は、彼に対して恨みがないと言うよりも、かなり思慮のある対応をされているように感じる。そういうところも、世話役としてこちらの家が選ばれた理由なのかもしれない。


 そして、いよいよ私達は彼の居室にたどりついた……実際には、部屋と呼んでいいのかわからないところだけど。廊下との壁はなく、代わりに白く塗られた鉄の棒が牢のように並んでいる。でも、色のおかげか、そこまでの閉塞感はない。

 廊下側には見張りらしき方がいる。イスに座っていた彼は、私達が来たことに気づくと立ち上がり、緊張感に満ちた顔を向けた。私達が来るまで、むしろリラックスしていたような感じだった。見張りにしては気が抜けているというより、本当に客として接遇しているだけなのかも。

 閣下は私を案内すると、中にいる彼に軽く挨拶をした後、立ち去られた。私と彼の話が立ち入ったものになるかもしれないからだ。見張りの方は、その場に留まるべきかどうか悩んでいたけど、お役目なのでいてもらうことにした。それに、一対一になるのは、少し怖い。

 見張りの方に戸を開けてもらい、私は部屋の中に入った。そして、部屋の主に顔を向ける。歴史上の存在だけど、青年にしか見えない。でも、どこか儚げな雰囲気が漂っていて、不思議な感じだった。

 私は彼に軽く頭を下げてから、入口近くのテーブルに2本の剣を置いた。それから彼と向かい合うように椅子に座り、名を名乗る。


「アイリス・フォークリッジです」

「ユリウス・フェルディオンだ」


 互いに自己紹介が済むと、先に彼が静かに言った。


「申し訳ないけど、あちらについての話はできない。言えるほどの情報を持ってないし、どちら側にも付こうとは思わない」

「はい、存じております」

「……つまり、それ以外の用で来たと」

「……はい」


 史実通りであれば、彼は人間側にも魔人側にも裏切られたように取れる。だから、どちらにも肩入れできないのだと思う。

 今回私が聞きたいのは、転移術についてだった。人間側でも転移は使われているけど限定的で、魔人の方がずっと長じている。だから頼ったわけだけど、それを私に明かすのが、人間側への肩入れと捉えられる可能性はある。そもそも、彼は私に話す義理がない。でも、賭けてみたかった。

「転移について、お聞かせ願いたいことが」と言うと、彼はわずかに訝しげな表情で尋ねてきた。


「君が使うのか?」

「いえ……私の友達が魔人に使われ、消息を……」


 言葉を絞り出すだけで、あの時のことが脳裏に蘇る。もう泣くことはなかったけど、あの時感じた無力さが握りしめた両手を震わせる。彼はポツリと「友達か」と言った。

 少しの間、私達は何も言わなかった。彼は私から視線をそらしてテーブルに伏せ、目を閉じた。それから、何か考え込むような素振りを見せ、口を開く。


「どこへ行ったのかはわかるのか?」

「いえ……」


 リッツさんが故郷にいるというのは、すでに教えてもらっている。でも、見張りの方がいる前で異世界にいると伝えるのは問題がある。聞きに来た身でありながら大切なことを隠すことに罪悪感を覚えつつ、故郷に飛ばされたらしいということだけを伝えた。

 それを聞いた彼は、「済まないけど」と切り出し、言葉を続けた。


「転移は魔人の中でも高位の術で、私は不得手なんだ。知識が及ばない部分もある」

「いえ、教えていただけるのであれば幸いです」

「わかった……転移で重要になるのは出口を定めることだが、君の友人が使われたのは、転移の対象者に出口を決めさせるものだろう」

「そのような魔法があるのですか」

「窮地に陥った他者を飛ばすために、そういう魔法があると聞いたことがある。相手の記憶の奥底に働きかけ、その原風景によって出口を定めるようだ」


 そこまで聞いた私は、これからのことを思って青ざめた。そんな私に、彼は少し切なそうな表情で話を続ける。


「君が友人の居場所を知らないのであれば、友人からこちらに向けて門をつなぐしかない」

「……では、待つことしかできないのですか?」


 彼は黙り込んだ。それが残念そうに見えて、私には意外に思ったし、彼の誠意も感じた。前進にはならなかったけど、ほんの少しは慰めになったと思う。

 そして、別の方法を考えようかと思ったところで、彼は口を開いた。


「友人が、入り口だけでも作れるのならば……」

「……どうなりますか?」

「つながってない門の間には、何もない空間が広がっていると聞いたことがある。そこに足を踏み入れることになるだろう」


 途方も無い話だった。でも、そこからが私にできることらしい。彼は話を続ける。


「何もない虚空からでも、友達に見えるように自分を示すことだ。そして、友達が近づいてくるのがわかったら、一緒に出口を開けてやるといい」

「……はい」


 そもそも常人で入り口と出口をつなげるのは至難の業で、まず無理だと考えたほうがいいらしい。入り口だけでもなんとかこじ開けて……というのが、まだ現実的な可能性という話だった。

 リッツさんの場所を正確につかめない以上、転移の主体はリッツさんにあって、私は補助役でしかない。そのことにはもどかしさを感じたけど、それでも、当座の方向性がわかったのは収穫だった。少し、前進できた気がする。

 今日教えていただけたことに礼を伝え、立ち去ろうとした私は、気になっていたことを尋ねた。


「どうして教えてくださったのですか?」

「親しい者と別れる辛さは、誰でも同じだろうと思ったんだ……健闘を祈る」

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