第169話 「机上の才媛②」

 ルクシオラはまず、魔獣の増加に関して触れた。これは敵の調練目的だろうというのが彼女の考えだ。魔獣に対して魔人が細かな命令を与えられないだろうというのは、これまでの経験則から軍人には広く認識されているが、それでも出す場所やタイミングの工夫で、効果的にけしかけることはできる。

 しかし、今回の事象では、そういった兆候は見られない。単に数を増やしているだけだ。おそらく、瘴気に満ちた土地柄としてキャパシティーはまだまだあるのだろうが、魔獣を操る側の力量が出現数の制約になっている。その力の上限を各自で確かめるか、あるいは増やそうと経験を積んでいるのではないか。

 次いでの指摘は魔獣の種類について。腐土竜モールドラゴンのような大物のみならず、小物についても従来見ない魔獣の発見報告が11月以降相次いでいる。これも次なる戦いへの備えとして、連中が魔獣を繰り出す経験を積んでいるのではないかということだ。


「……以上を理由として、現在の異常は敵の調練によるものと考えます、もちろん、何らかの陽動の線もありますが……規模を鑑みるに、少し弱いかと」

「なるほど。では、本命はどうだろう?」


 王太子の問いに、ルクシオラは黙り込んだ。そんな彼女の反応に聴衆は身を固くし、しわぶき1つ発さずに次の言葉を待った。


「相手の策は読みきれませんが、私ならこう攻める……という形でよろしければ」

「そちらの方が、よほど恐ろしい話を聞けそうだね」


 静まり返っていた室内だったが、王太子の軽口に空気がほぐれ、ルクシオラも表情を崩した。そしてリラックスした表情で、彼女は恐ろしげな話を始める。

 彼女が攻め手であれば、王都には攻めない。転移門を使って機動的に攻められる魔人でも、攻城するに十分な魔獣を用意することはできないだろう。それができているならば、そもそもこの国は存続していない。内側から攻めることも考えられなくはないが、できるなら9月に王都は失陥していただろう。落ち着いた口調でそう指摘したルクシオラだったが、室内は隠しきれない動揺でざわめいた。

 一度咳払いをしてから、ルクシオラは攻め手の本題について言及した。


「魔人の小集団をいくつも用意し、王都近郊の集落を襲撃させます。兵の練度は問いません。集団も、場合によっては1人で良いでしょう」

「分散させるわけか。しかし、兵の分散は兵法の常道に反するのでは?」


 当然、ルクシオラがそういった概念を知らないはずがない。彼女にとっても想定済みの質問だったのだろう、間を置かずに彼女は「兵のぶつかり合いに主眼をおいた攻めではありません」と答えた。無言でわずかに身を乗り出した王太子を筆頭に、注がれる視線に興味の色が一層濃くなる中、彼女は意図を述べた。


「敵兵を殺すよりも、不安を助長するために兵を動かします。そうすれば、9月の襲撃と地続きになり、一貫性のある戦略になるかと」

「……なるほどね」


 例の襲撃で強く打撃を受けたのは、王都の民の安心信仰であり、彼らの心理に深く根ざした魔法庁であり、王都の安全に立脚した政治だった。それらをまた攻め立てようという。机上の話ではあるものの、自国の弱点を突こうという彼女の辛辣な発想には、その場の空気が凍てついた。

 しかし、それでも不十分かのように、彼女は厳しい攻めを緩めない。


「基本は同時に攻めますが、特別に1つ先立って集落を攻めます」

「ふむ……どういった集落を?」

「馬があるところですね。伝令に遣わして襲撃の事実を知らせ、対応の時間をいくらか与えたあとで同時襲撃を始めます」


 その意図するところに気づいたのか、王太子は無表情のまま固まった。王太子にやや遅れ、ステッドも彼女の考えのふもとあたりにはたどり着き、戦慄した。

 自身の発言で場の空気の揺れ動いたのを察したルクシオラは、王太子に問いかける。


「話の続きはいかが致しましょうか。少し危険な考えではありますが……」

「私の予想が正しければ、君の言葉は必要な指摘だよ。どうぞ」

「……単なる奇襲であれば用意の不足を責められますが、対応の時間があっての襲撃であれば、判断の遅さを責められるでしょう。その責めの方が苛烈かと思われます」


 淡々と話す彼女は、国に対する責めについて言及していながら、その実、国を責める者たちの有り様を非難しているようにステッドは感じた。

 彼女の冷徹な発言は、まだまだ続く。


「同時に襲撃されて、全てを正しく守ることは至難です。状況確認、戦力配分の決定、それらをいくら迅速に済ませたとしても、取りこぼしがあれば責めを受けるでしょう。あそこは助かったのに、どうして、と」

「……責めを煽る者もいると、考えているんじゃないか?」

「はい。それも魔人の手のものでなく、我が国の民に、そういった者がいると考えています」


 現状の王政に不満を持つものが、救われた民と救われなかった民の間の亀裂をそのまま国に向ける矛とするのは、考えたくはないものの現実としてありえる筋書きだった。そして、魔法庁の要職にまで入り込んだ者が敵である以上、国の内情は連中にとって、直接は触れないものの間接的に操れる武器になりかねない。

 また、この場でそういった話題を持ち出すこと自体、ややもすれば国の分裂の一因にもなりかねない。必要な状況確認と認めながらも、話題の危うさにはその場の皆が恐怖した。


「……それで、攻めるのはいつかな?」

「そうですね。2月頭でしょうか」


 2月という選択の理由は、ステッドもすぐに察した。黒い月の夜を3月に控える中、さらに対応の選択を迫るということだろう。

 実際、ルクシオラの意図するところはそのとおりで、一度襲撃を受けていれば警戒せざるを得ない。というより、警戒し用意しているところを国民に見せてやらねばならない。しかし、その度が過ぎれば最前線の兵をないがしろにすることになる。

 最前線にいる兵は、多くが十分な教育を受けた精兵で、政治というものへの理解もある。そんな彼らは、王都周りの防衛に関して一定の理解を示すだろうが、確実ではない。それに、最前線の兵に対する配慮という口実で国政を叩く者も出るだろう。認めたくはないものの、そちらの懸念のほうがむしろ現実味があるとさえ言えるかもしれない。

 冷静に指摘を続けるルクシオラだったが、場の空気はどんどん重たく苦しいものになっていった。社会不安に乗じようという勢力がいることは、薄々感づいていた者が多いものの、実際に口にされるとかなり厳しいものがある。

 そうやって冷え切った場の雰囲気に、王太子は深い溜め息をついた。彼が開けた箱は、思いのほか深淵に続いていたようだ。


「何か、明るい話題はないかな?」

「そうですね……」


 ここまで淀みなく暗い話題を述べた彼女が、良い話には口ごもってしまったことに、また空気が沈んだ。


「強いていえば、今お話させていただいた戦術が、かなりワーストケースに近いものだということでしょうか」

「ほう?」

「相手方の出方にも、何かしら制約はあるでしょうし、向こうにも派閥争いはあるのかもしれません。王都襲撃時の攻勢の緩さも気にかかるところです。それに、今の話は国民の良心をかなり過小に見積もっています」

「ははは。それこそ、責められかねないくらいにね」


 確かに……この場にいないからといって、現王政への反対派を悪く見積もりすぎたきらいはあったと、ステッドは素直に認めた。彼らにも彼らなりの正義や善性があって動いているのならば、敵の攻撃に乗じて動くという見立ては、本当に最低のケースだ。国の窮地に対して、皆が協力し合う可能性のほうが高い……心の奥底で楽観だと囁く声を感じながらも、ステッドは先走る不安にのさばらせるのを、もうやめさせることにした。

 ルクシオラが話した好材料は、それきりだった。容赦のない攻めをいくらか緩めた程度の、気休めみたいな話だったが、そもそも彼女の攻め筋を連中も採用するかどうか。

 彼女の読みと今後について、兵たちの小さなざわめきが室内を満たす中、ルクシオラは言った。


「今の話は決して口外されませんよう、この場の皆様にお願いいたします」

「それは勿論」

「それと……私の攻め筋を支持する材料が見つかったとしても、私が読み切ったとは思われませんように」


 あらかじめ名誉を辞退するかのような発言だ。その言葉に、自信と謙譲、そしてもっと他の深遠なものをステッドはうっすら感じ取った。

 彼女の言葉には、王太子も何かを感じ取り、考え込んだ。数秒ほど瞑目した彼は、彼女の発言の真意を尋ねた。


「私が彼らについて得られる情報は、彼ら自身で認識しているものの、ほんの一部ですから。情報を小出しにして読みを誘導する事は可能かと」

「なるほどね」

「それと……読めたと思えば、無意識のうちに相手を下においてしまうものです。そうなれば慢心で目が曇ります。私が彼らの考えを読んだというより、彼らと考えが似ていた程度に考えていただければ」

「それは……大変な不名誉なんじゃないかな」


 若干演技じみた口振りで王太子が言うと、2人の話を静かに聞いていた兵たちが声を上げて笑った。「ごもっともですな!」と同調するものも。ルクシオラも、自ら言い出した話ではあるが、御免こうむると言った感じで困ったような笑顔を見せた。

 そうやって場の雰囲気が盛り返し、話も区切りがついた所で解散となった。急な話にも関わらず、三面打ちを承諾してくれたルクシオラに礼を言った後、王太子は思い出したかのように彼女に話しかけた。


「すべてをきちんと守ることはできない、君は確かそう言ったけど」

「はい」

「絶対に不可能かな?」


 問いかけつつ、王太子はテーブルを指差した。そこにはまだ片付けが終わっていない、3人がかりで挑んだ戦場が広がっている。

 完敗を喫した連合軍の長の問いかけに、全勝した軍師は少し考え込んだ。それから、彼女は倒れた駒に優しく手を伸ばし、その身を起こしてやった。


「全てに勝つことはできますが、それでも全てを守ることは至難です、殿下」


 盤上に切ない視線を落とす彼女の振る舞いと言葉が、それを受けて心痛な面持ちをする王太子の姿が、ステッドの心に突き刺さった。


 命令であれば死地へも赴く彼ら兵は、自身を守る側だと認識しているが、上に立つ者にとっては彼らもまた守られるべき存在なのだ。

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