第170話 「帰ってからも本番①」

 12月19日6時。本営の大広場で俺達遠征組は、正規兵のみなさんから見送られる形で出立することになった。兵の方には笑顔だけど眠そうな方もチラホラおられる。まだまだ正規の就寝時間なんだろうけど、それでもとこうして来てくださっているようだ。厳密に言えば軍規や命令違反なんだろうけど、上長の方々は黙認しているように見える。

 監視部隊の隊長さんが俺達に向けた、礼の言葉は短いものだった。長くなるものと思っていたので、少し拍子抜けだ。それから、各班に分かれて世話になった方への挨拶の時間が取られた。きっと、このために隊長挨拶が短くなったんだろう。

 最後の挨拶タイムになると、ラッドさんがササッと俺達の班のところへやってきた。そして彼は「あっちでも頑張ってください、こっちは俺達がどうにかするんで」と歯を見せて笑いながら言った。それから、俺達班員はそれぞれ彼と握手を交わしていく。冬の朝っぱらだけど、握った手は温かかった。


 短いような長いような滞在だったけど、実りは多い遠征だった。みんなにとっての実りは、貴重な経験を得られたことや、ここの方々と縁を結べたことだろう。それに、追加報酬も。

 魔獣を倒したときの硬貨の扱いを巡っては、前日にひと悶着があった。俺達遠征組が倒した分は、一度まとめてから各自に配分するというのがもともとの取り決めだ。

 しかし、実際に盆地で戦ってみると、ここの方の引率に頼りっぱなしだった。兵の方がそう主張したことはないけど、俺達の方はみんなそう思っている。だから、配分の何割かをこちらの軍資に充てたほうがいいんじゃないか、そういう提言がたびたび個別にギルド側の裏方の耳に届いていた。

 とはいっても、もともとの約定を破ってまで金品をいただくのは忍びないと、監視部隊の方々は及び腰だった。一方で冒険者側としても、世話になっておきながら戦利品をまるごといただくのは申し訳ないし、前線で働く方々から施しを受けているようでみっともないという思いもあった。

 そんな戦果の譲り合いがあって、結局は頭割りをすることで話がついた。巡視に向かった班の構成比で、遠征側と監視部隊の取り分を分けようということだ。それでも一人あたり結構な稼ぎになって、今腰につけている小物入れは、ずっしりとした重みがある。


 だいたいみんな、満足の行く遠征だった。しかし、一部例外がいる。この遠征ですっかり打ち解けた、工廠リーダーのウォーレンは、少し未練がましそうな視線を宙に向けている。

 彼は、王都に帰ってからの実験のため、瘴気を持ち帰りたいと発言していた。実は俺も水たまリングポンドリングとかで持ち帰れないかと思ってはいたものの、発言まではしなかった。

 そんな彼の熱意や豪胆なところは、被験者のタフガイ達や殿下が大いに認めるところだったけど、さすがに色々危ないので許可は下りなかった。何かあったら殿下が責任を負うことになるし、そしてプロジェクト自体も頓挫しかねない。実験や研究の精度のため、瘴気を持ち帰るのは理にかなった判断ではあるが、無くてもなんとかしようということで話がついたわけだ。

 その場では納得して提言を取り下げたウォーレンだったけど、こうして瘴気を眺めているあたり、やっぱり思うところはあるんだろう。そんな彼の方に視線をやっていると、手が届かない空を眺めるのを止めた彼と視線が合い、彼は肩をすくめて笑った。


 各自の留別の挨拶が済み、いよいよ出立の時がやってきた。隊長の号令のもと、兵のみなさんが一糸乱れぬ動きで列を組んで直立不動の姿勢をとった。眠そうにしていた方も、さすがにこのときばかりは他の方と同様のキリッとした顔つきになっている。

 そんなみなさんの視線を背に受けながら、俺達は盆地を後にした。


 王都への帰途、特に出来事というものはなかった。ただ、清浄な空のもとへ戻った、その実感を得た瞬間は強く印象に残った。薄く赤紫に染まった日常に慣れすぎたせいか、青々とした空の光、地を覆う緑は目に痛いくらいだ。そして、その時振り返った盆地は、相変わらずの異世界だったけど、来た当初よりもずっと現実との地続き感を覚えた。

 凱旋というと大げさでも、仕事を達成したのは確かで、帰りの行進は揚々としたものだった。もっとも、俺達実験参加者は帰ってから本番みたいな感じはある。帰り道、工廠の面々は互いに議論を交わしていた。そんな彼らの顔は溌剌としていて、時折俺や魔法庁のみんなに声を掛けて意見を求めることも。

 彼らの知識にコンプレックスを感じないこともないけど、自分の思いつきを形にしてくれる彼らのことを頼もしくも感じていた。それに、彼らの話はわからないものも多いけど、尋ねれば快く教えてくれる。おかげで、帰り道ではまったく退屈しなかった。足よりも先に喉や口が疲れてしまった日は、さすがに反省したけど。



 12月21日18時ごろ、王都の西門前には俺達を迎える人だかりができていた。見送りのときよりも少し多く人がいるようにも見える。殿下のお姿を一目見よう、そういう人もいるのかもしれない。

 お迎えのみなさんに注目される中、行進の先頭に立っておられた殿下は俺達の方に向き直って、行進の疲れを感じさせない、よく通る声で仰った。


「知ってる者もいるかもしれないが、本案件は私が王都に入って最初のものでね。君達のおかげで、良いスタートを切れたよ。ありがとう」


 そんな有り難いお言葉に、日没後の寒気も和らぐようだった。

 それから、殿下はギルドの幹事にバトンタッチされ、事務的な話が始まった。

 報酬に関しては、基本額はすぐに渡せるそうだ。しかし、個々人の働きなどを元にした追加報酬や手当については、報告書の作成とそれを元にした審議を経ないと出せない。依頼の規模が大きなものだったから、最終的な報酬額の確定は少し待たせる形になるけど、それはご容赦を……とのこと。

 ギルドの裏方代表の女性は、申し訳さなそうにそう告げたものの、誰も文句は言わなかった。基本報酬でも十分な額だし、魔獣を倒した分の稼ぎは既に手元にある。

 何より、いい経験だった。瘴気が濃い地での戦闘は緊張感に満ちていて恐ろしげだったけど、これからを考えれば必要な経験だろうし、殿下のお傍で戦えたというのは得難い経験だ。


 話が済んで解散となると、さっそく稼ぎを使おうと酒場へ繰り出す連中もいれば、さっさと帰って寝たいという、傍目に見てもグロッキーな連中も。

 久々の王都で各自が思い思いの行動を取る中、俺は実験組の輪の中にいた。これから工廠へ向かうことになる。事前にそういう話はされていたものの、重大な話になるだろうと思うと身が引き締まる思いだ。

 西門をくぐり人通りがまばらな夜の街路を通って、俺達の一団は工廠の前についた。入り口のところには工廠の事務員さんがいて、「皆様お揃いです」と、かなり緊張した顔で殿下に言った。

 殿下がおられる席での話に加わることだけでも十分緊張する。それに加えて、事務員さんが“皆様”と呼ぶ会議の参加者を思ったり、普段は決して通されない工廠本館の階段を登ったり……否応なしに緊張感が高まって、心臓の鼓動もはっきりわかるぐらいに強いものになっていく。

 事務員さんの案内に従い、虹色に輝く”侵入者対策”という魔法陣を通り抜け、真っ白で無機質な廊下を進み、俺達は工廠の2階の会議室に着いた。

 先客の中には既に知っている方がいらっしゃった。最初ここの売店でお会いした工廠の所長さん、魔法庁新長官のエトワルド候、その補佐に長官補佐室次長のエリーさん。こちらのお三方に、俺の方から何か頼めるほどのコネなんてないけど、知っているというだけで不思議と自分を場違いに思う感じはなくなった。

 会議室で待たれていた方々の手元には書類があった。盆地にいた時、ある程度計画の骨子が固まった段階で、王都への伝令の方に報告書として運んでいただいたそうだ。そういう事前の手回しがあって、今こうして会議の場が設けられたわけでもある。

 会議参加者が揃ったところで、場を取り仕切る所長さんが軽く挨拶と、参加者の皆様方の紹介を始めた。知らない方々も、工廠や魔法庁の幹部で相当な立場にある。そんな方々の肩書を知らされて気後れする感じがした。

 紹介の後、さっそく話は本題に入った。すでに計画の中身は伝わっていて、衣服の形で瘴気に対抗する魔道具を作ることについては承認を出すとのことだ。

 問題は、これからの研究開発についての陳情の方だ。盆地での実験の主管として、ウォーレンが堂々と立ち上がった。

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