第168話 「机上の才媛①」

 僕は今、居城の地下にある、いくつもの巨大な部屋――通称、大回廊――の一室にいる。

 部屋の中央には、砂を盛ってかたどったアムゼーム盆地があり、白い砂の表土にはうっすら赤紫の文様が走っている。その盆地を模した器を満たすように瘴気が立ち込め、赤紫の雲の中を時折濃い色の雷光が走った。真っ暗で広大な石造りの地下室で、それらの光だけが唯一の灯りとなって、あたりを妖しく照らしている。

 その盆地を取り囲むようにして、魔人が十数人足を組み、瞑目して座っている。額に汗をにじませるものもいて、緊張感に満ちた雰囲気だ。その中には、十代に行くかどうかというぐらいの、幼い見た目の魔人も何人かいた。

 視界に入った、幼い魔人に言いようのない不快感を覚えていると、傍らにいる同胞が「デュラン」と僕を呼んで話しかけてきた。


「首尾はどうなんだ?」

「減りが早くなっているようだが、それ以上のことは不明だ。外縁部を張らせている者から、追加の連絡はない」

「外縁部ね。もう少し内に行かせたらどうだ?」

「捕虜になって無駄死にするだけだ」


 僕の言葉を、同朋は鼻で笑った。死なせても構わないと言いたげな、彼の冷笑を僕は無視した。しかし、僕の興味なさげな態度を気にも留めず、彼はなおも話しかけてくる。


「内側にはあんなにも魔獣がいるのに、情報はわからんってのもな~」

「数のために犠牲にしているものもあるということだ」

「単に力量が足りてないんじゃないか?」


 この場で魔獣の維持に励む、同朋の皆に聞こえるような声で彼は言い放った。静寂を破った彼の放言をほんのかすかに石壁が反射し、その反響が止むと、一層場が静まり返ったような感覚に陥った。

 死霊術ネクロマンシーのグレイ。一つの術系統を冠にしてその名を呼ばれるほど卓絶した力量を持つ彼は、術の代償に徳性を捧げたのかと思わせるほど、色々なものを欠いていた。僕ら魔人が他者の性格をどうこう言うのも思い上がった話ではあるが、それでもだ。精神操作に通暁したカナリアと並び、彼は魔人の中でも忌み嫌われる双璧の一人だった。


「力量不足というのであれば、あの幼いのを引かせたらどうだ?」

「はぁ? いや、使えるところで使ってやらんと。それに、兵力不足は実感してるんだろ?」


 実のところ、王都へプレッシャーを掛けるのに、兵力の量をどうすべきかは思うところがあった。多いほうが望ましくはある。しかし、頭数を揃えるためだけに用意した連中に、歩調を乱される可能性は無視できない。

 誘いやすいのは、役目も与えられずにくすぶっている、程度が低い連中だ。しかし、すべての手駒がそればかりというわけにもいかない。ならばと、もう少しまともな兵に声をかけるも、すでに五星の幕下に配されている者からは、なかなか色よい返事を得られなかった。

 五星のうち、軍師様と皇子様は静観するお考えのようだった。魔人の正規軍とでも呼ぶべき、まっとうな将兵を率いるお二方からの協力を得られないということもあり、寄せ集めになるのは避けられない。

 豪商様は、魔獣の使役に関して快諾してくださった。これは予想通りだ。閣下は配下を僕の手勢に回せないことを詫びられたけど、閣下のお仕事は魔人全体の兵站担当であるから、それは致し方ない。

 大師様からは、完全に無視された。僕の方から話したことはないが、大師様が動きを掴んでいないはずはない。それでも、捨て置かれた。

 そして……聖女様はグレイを目付に、それ以外の”名無し”を十数人供出された。まるで使いっぱしりに適当な銭を握らせるようにして。そうやっていただいた中には、目の前の幼い魔人が含まれていた。

 彼ら幼少の魔人に対しては、後方から魔獣の補充をさせる程度の役割しか考えていない。それでも、彼らを使役することには、我ながら嫌悪感を禁じ得ない。


「ちっこいのは後方支援、それで前線の負担を減らせれば、人道的だろ?」


 幼少の魔人に対し思うところがある僕に、グレイは軽口を叩いてきた。その人道的とか言う表現を鼻で笑ってから、僕は彼に尋ねた。


「なぜ、聖女様は協力してくださるんだ?」

「人死がほしいからさ」


 無表情で言い放つ彼に、腹の底から冷える何かを感じた。そんな怖気を引きつった笑みで押し殺し、僕はその真意を問いかけた。


「魔人も、無尽蔵に抱え込めるわけじゃないからな。居城のキャパとかあるし。だったら、魔人も人間も一緒くたにぶっ殺して、兵の入れ替え……じゃないな、淘汰を進めたいんだ」


 彼がよく見せる嘲笑的な表情でなく、特に感情を見せない顔から、そんな言葉を聞いたのがなんとも空恐ろしかった。そして……彼の口から語られたものが聖女様のお考えの代弁だとしたら、この先少しまずいことになるかもしれない。

 そうして一人で慄然していると、無関心なのかそうでないのかよくわからない態度で彼は僕に聞いてきた。


「いつ攻めるんだ?」

「それは……」



 12月14日、沈みゆく夕日の茜と立ち込める瘴気の赤紫が混ざり合う頃、アムゼーム盆地監視陣地本営の中央大兵舎の大会議室に、ちょっとした人だかりができていた。冬も本格的になってきた夕刻、寒気は部屋の中にまで及んでいたが、それを押し返すほどに部屋の中は熱気に満ちている。

 そんな人だかりの中心で、盆地の監視兵の一人であるステッド・アルメイソンは、すでに殉死した駒を手に取りゆらゆら動かして、定まらない次の一手を案じていた。

 思うように進まない難局に悩んだ彼は、盤上から視線を外して戦友の様子をうかがった。正面にいて、しょっちゅう干戈を交える友人は、腕を組んでしかめっ面になっている。その盤面は、見るも無残だった。そんな有様に親近感を覚えたステッドは、次に左隣の少年に視線をやった。彼の横で端整な顔を苦悩で歪ませているのは、王太子アルトリードだ。ご尊顔から盤上に視線を移すと、ステッドと似たような旗色だった。つまり、かんばしくはない。

 そして、ステッドは対戦相手に目をやった。彼を含め、相応の実力を持つ打ち手3人を同時に相手取っている少女は、どれか1つの盤に注視するのではなく、宙の一点をただじっと見つめていた。

 相手が眼中にない……というわけではない。その場の当事者ならではの感覚で、ステッドは対戦相手ルクシオラ・イゼールが、その頭の中で3つの軍盤を1つの戦場に見立てていると直感した。その思いに至ると、宙を呆けたように見つめているように見えるその顔に、彼は何やら神秘的なものを覚えた。そして、格が違う、とも。

 そんな彼女の表情を視線が吸い込まれるように見つめてしまっていたのか、ふとした拍子で視線が合うと、ステッドは戦術をほっぽりだして女の子の顔ばかり見ていた事実に恥じらいを覚えた。そんな彼に、真剣な表情を崩したルクシオラが柔らかな口調で話しかける。

「降参していただけると、私も楽になるのですが」とのことだが、相手の力量を認めるような言葉に気遣いを覚え、それが逆に挑発的でもあった。嬉しさ半分、悔しさ半分といったところか。ステッドは若干頬を赤らめつつ、硬い笑顔で首を横に振った。


 それから何手か進んだところで――ステッド的には、局面が進んだと言うだけで、前進を意味しないが――向こうの戦友が音を上げて降参した。それに続き、少女が長い溜息をついてから「お疲れ様でした」と言葉をかけた。

 戦友の顔は、笑顔に悔しさをにじませているものの、どこか清々しさもあった。そんな彼と視線が合うと、彼は両手を合わせて何事か祈念した。ステッドには、仇討ちを祈念しているように見えたが、それは叶えられそうにない。彼が苦々しい顔で自分の盤上を指差してやると、厳しい戦局に気づいた戦友は視線をそらして口笛を吹き始め、それがますますステッドの顔を渋くさせた。

 次に王太子が白旗を上げた。別に総大将というわけでもない、挑戦者の一人に過ぎない彼だったが、それでも王族が負けた――というより、平民が王族を負かした――ことには、部屋中が驚愕と感嘆でどよめいた。


「さすがに、強いね」

「私の身分を明かされましたからには、加減できませんので」


 笑顔ではあるものの少し非難がましい物言いに、王太子は負い目を感じたのか乾いた笑い声を発したあと、軽く頭を下げて謝罪した。そこまでの対応を求めるつもりはなかったのだろう、頭を下げる王太子にルクシオラは恐縮した反応を見せた。

 軍属の人間で軍盤ウォーボードの嗜みがあれば、名軍師の家系であるイゼール家も、そのきらびやかな系図にあってなお神童の名をほしいままにするルクシオラのことも、知らぬはずがない。

 そのため、ルクソーラと名乗る少女が軍盤でその実力を見せれば、その正体は容易に察せられる。あまり身分を明かしたくない彼女ではあったが、衆人環視下での1局を――同時に3局だが――王族に頼まれては断りづらい。また口の固い軍人に対してであれば、身分を明かすことへの抵抗は少ない。そういった要素が絡み合い、彼女の中の妥協点として今回の一戦があった。


 そんなやり取りのあと、彼女が打った1手は、それまでと変わらず情け容赦のないものだった。王太子との会話でいくらか感情の揺れはあっただろうに、手筋にゆらぎは一切ない。

 それからも何手か応酬を繰り返したあと、いよいよ進退窮まったステッドは降伏した。その宣言に、ルクシオラは長く細い息を吐いてから、「お疲れ様でした」と笑顔で言った。彼女の整った顔には、いくらか疲労の色が見える。

 決着が着くと、ギャラリーが拍手してそれぞれの将を讃えた。敗戦者には、圧倒的強者に食い下がったことを。勝者には、その類稀な才覚を。

 拍手がやんで場の熱気も引き、そろそろお開きかなとステッドが思い始めたところ、王太子の一言が状況をひっくり返した。


「さて、みんな。目の前に稀代の名軍師がいるわけだけど」

「ここぞとばかりに持ち上げられますね」

「やられるのに慣れているとやってみたくなるんだよ」


 王太子のジョークに場が湧いて、それが静まり返ってから彼は続けた。


「向こうの思惑について、何か思うところはないかな」


 その言に、ステッドはハッとした。こうして設けられた遊興の場が、実は目の前の少女に一席打たせるためのものではないかと。敗者の将を踏み台にして演台から語らせて、みんなの耳に届くようにと。

 もちろん、ルクシオラに従軍経験がないだろうが、それゆえの発想というのもあるだろう。なにより、彼女の知性の輝きを特等席で目の当たりにしたステッドは、彼女がこの盆地をどう捉えているのか興味を抱かずにはいられなかった。

 引きかけた熱がまた戻るかのような雰囲気の中、関心の視線のただ中にいる少女は、静かに口を開いた。


「机上の空論であれば」

「構わないよ。真実なんて誰にもつかめないだろうからね」


 その言葉に、彼女は顔の力を少し抜いて表情を緩ませた。そして、いくらかリラックスした感じを見せながら、彼女は所見を述べていく。

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