第161話 「腐土竜討伐戦①」
12月5日8時ごろ。俺達冒険者と魔法庁・工廠の職員、それに盆地の正規兵の方を数人含めた
標的の居場所は、本営から一時間弱ほどの位置にある。進んでいって、他の魔獣には出くわさなかった。俺達が無駄に消耗しないようにと、あらかじめ兵の方々が早朝に掃除してくださったそうだ。
特に何事もないまま、ただただ歩いていく。誰も話さず、土を踏む音と寒々しい風切り音だけが聞こえる。殿下がおられるから……というより、仲間がいるからだろう。怖気づいてしまう奴はいなかったけど、場の空気は重くて少し苦しい。
やがて前方の赤紫の霞の中に、暗褐色の山が見えた。山は赤紫の霞を背負っていて、それが朝の陽を受けて不気味に輝いている。
それが見え始めてからもう少し進んで、その容貌がはっきりしたところで、殿下が行進を手で止められた。目の前に標的がいる。
瘴気の影響なのか、遠近感がいまいち働かない感じはあるけど、バスを数台並べたぐらいの大きさはある。そんな暗褐色の巨体からは、ボロ布みたいになった翼がだらんと力なく地面へ伸びている。
そして、爛れたような表皮の所々で赤紫の斑点が禍々しく輝き、そこから瘴気が時折勢いよく噴出されている。まるで俺達の接近を察して威圧するかのように。
そんな恐ろしげな敵を前にして、俺達の総大将はこちらに向き直り、平然とした感じで仰る。
「意外と大きいな」
「……殿下、奴と戦われたことは?」
「これが初めてだ」
そのお言葉に、場の空気が一層緊張感に満ちた。すると俺達の心情を読まれたのか、殿下は余裕有りげに微笑まれ、「情報はある程度掴んでいる。その点は安心してほしい」と仰って、御自ら腐土竜の解説を始められた。
奴の攻撃方法は、口や斑点からの瘴気の噴出、身にまとった瘴気を翼で吹き飛ばす、尾での打撃など。そのため、近接戦闘は自殺行為だ。十分な間合いを確保し、遠距離から攻撃を重ねていくことになる。
しかし厄介なことに、この盆地の正規兵が主兵装としている物理的な矢が、奴にはほとんど効かない。あれだけ巨大な魔獣相手となると、矢は中まで届かず中途半端に刺さった後、表皮が再生する際に抜けて落ちるだけだという。
この場にセレナを始めとする弓使いがいないのも、それが原因だ。彼女たちは俺達のバックアップということで、近隣の群れに対応する班を構成している。
そんなわけで物理の矢が効かないとなると、奴の体を構成するマナに対し、こちらもマナの矢をぶつけて弱らせていくしかない。しかし、瘴気に満ちた地ということで、
また、魔力の矢で攻撃するにしても、狙うべき箇所というものがある。斑点は濃い瘴気に守られている上、こちらの攻撃に対して瘴気が吹き出して危険なので、狙うべきではない。しかし、斑点がないはずの箇所も似たような反応を示す可能性があるそうだ。つまり、斑点は見えているトラップで、見えていないトラップもある。
「ではどうすれば?」と、仲間の1人が心配そうに声を上げると、殿下は落ち着いて「大丈夫、私に任せてほしい」と返した。
まだ、お力を何も示されたわけではないけど、その一言で少しだけ、不安な雰囲気が払拭されたような気がした。
説明が一通り終わったところで、奴を扇状に取り囲んでいく。円形に包囲しないのは、奴の後半身のあたりが濃い瘴気で守られているからだ。それと、遠くに散りすぎるといざという時の連携や救助に困るという理由もある。
殿下の説明によれば、頭よりは尻のほうが御しやすいのは確かで、今の状況は相手に有利と言える。「中々頭使ってやがる」「腐ってるのにな」という愚痴みたいなつぶやきの後に、くすっという笑い声が続いた。
やがて配置が終了した。扇の外周部中心に殿下、その傍にお嬢様が控え、その脇を魔法庁・工廠の職員が固め、さらに横に俺達冒険者が並ぶというフォーメーションだ。俺は運良く扇の中央部に近い場所にいる。殿下が何をされるのか、この位置からならよく分かるかもしれない。
すると、殿下は両手の人差し指と親指を伸ばしてL字状にし、それを両手で合わせて四角になさった。そのファインダーから覗き込むように敵を見られている。「やっぱり大きいな」と気負いのない素みたいなつぶやきが聞こえた。
そして、あたりが急に暖かくなった。地面から温風が吹き上がるような感じがする。殿下の方を見ると、吹き上がる何かに髪をたなびかせ、全身は赤い光の粒子をまとっていた。
それから、殿下は数メートルほどの大きさの魔法陣を書かれた。その魔法陣に合わせて、腐土竜の足元にも同様の魔法陣ができあがり、奴をすっぽり包み込んでいる。
その魔法陣の記述は瞬く間の出来事だったんだろうと思うけど、不思議と光の線が宙を走るのがよく見えた。大きな心音がゆっくり聞こえるくらい、時の流れは緩慢に、他の感覚は澄明になっている。
間近で煌々と輝く魔法陣の、模様は複雑すぎて型としてはさっぱりだったけど、文だけは俺でも何とか認識できた。
『君仰ぐ
“あなた方が仰ぐように、積み重ねた歴史の果てに私がいるのならば、行く手の闇を払って道を示す光になろう。それが私の宿命なのだから”みたいな文だと思う。俺が訳するのは僭越がすぎるかもしれないけど。
魔法陣ができあがるなり、殿下の眼前の魔法陣が赤い粒子になって消えたかと思うと、それまで緩やかに感じられた時の流れが急に戻り、吹き付ける暖かな風が先程までの不思議な感覚を吹き飛ばした。
殿下の目の前の魔法陣は消えたけど、腐土竜の方のはまだ健在だった。あっちが本命のようだ。魔法陣は円から身を起こして立体になり、奴を薄い赤色の透明な球が包み込む。
その球の表面を、縦横に赤い線が走って格子模様を描いていく。それから、表面の格子がところどころが他よりも濃い赤に染まり、敵の中心へ向けて赤く透明な四角錐が伸びていく。
球面から伸びた十数本の四角錐が奴に突き刺さる格好になったけど、奴は特に反応を返さない。どうやら攻撃ではないようだ。殿下が書かれた魔法の反応がひとしきり終了したところで、殿下はみんなによく通る声で言われた。
「赤いところを狙うように」との命を受けて、奴に対して魔力の矢を構えようとすると、暖かな空気が腕をふわっと持ち上げるような感じがした。敵に向けた指にも似たような感覚がある。どことなく心強さも覚える暖気が添えられた指は、一切の震えもなく正確に赤い四角錐に向いた。
そして、誰かの一射が皮切りになって、扇の中心に向けて色とりどりの矢が殺到する。どの矢も、吸い込まれるように赤い四角錐に飲まれていって、やがて矢を受けた表皮が爆ぜると、そこに突き刺さっていた四角錐は消えて無くなった。瘴気の噴出はなかった。
「ああやって、赤いところを狙えば大丈夫だ。この調子で行こう」
その言葉が号令になって、奴に突き刺さった四角錐に向かって、魔力の矢の波状攻撃が始まった。
後で教えてもらった話だけど、ここで殿下が使われた魔法は
俺ぐらいの魔法使いが知ってる魔法とはまったく格が違う魔法で、色々と勝手も違うようだ。目の前に書いた魔法陣に連動して、対象と見定めた者の足元に展開できるあたりなんか。どことなく、
攻撃の波が終わり、みんなで相手の様子をうかがうと、奴は穴あきのある翼を広げてこちらに羽ばたこうとしている。身構え、中には後に退こうとする仲間までいたけど、殿下は「大丈夫」と仰った。
果たして奴の羽ばたきは、ほんのりと他より濃い程度の瘴気が、俺達と奴の中間あたりで宙に混ざって消える程度のこけおどしに終わった。瘴気が薄い弱点を突きまくったおかげだろう。ここまでの流れと、殿下を称える小さな歓声が上がった。
球面から伸びる四角錐が減ってきた所で、球面全体に粗い波線が走り、気がつけばノイズまみれになった。それから数秒して球面の反応が落ち着くと、格子模様と四角錐が再配置された。奴の体内で瘴気の動きがあって、再生箇所が変わったということだ。奴に向けて右手を構え、魔法を維持し続けながら、殿下が仰る。
「ああやって、特に弱ったところに瘴気を送り込み、傷を癒やすとともに反撃の罠を構えているというわけだ」
「殿下の魔法がなければ、今頃……」
「足が疲れていただろうね」
軽い調子で返される殿下のお言葉に、何人か含み笑いを漏らした。
思っていたよりも大変なことにはなっていない。少なくとも、こちらの攻撃が始まった段階で、危険な反撃の徴候はない。それは何よりだ。
ただ……奴が再生を始めたということは、こちらの攻撃は有効打になっているということなんだけど、それがいつ致命打になるのか。現段階では雲を掴むような感じに思われる。本当に、長丁場になりそうだ。
こちらの攻撃が始まってから数分後、状況が変化した。扇の端っこ、前方にいる仲間から悲鳴にも似た声が上がる。
「前足が動いてます!」
「攻撃中止!」
報告に対して即座に殿下が命を下し、お嬢様が透圏を展開した。前方に赤紫の巨大な点がある以外、周囲には見るべきものが特にない。つまり、外部からの干渉や操作ではなさそうだ。
攻撃が止み、マナの霞や土煙が落ち着くと、奴が右の前足を遠目にもわかるぐらいに持ち上げているのが見えた。そして、叩きつけるように足を地に落とす。低い音とともに地面が揺れた。
「めったに動かないとは聞いていたが、ここは瘴気が多い分だけ、敵も活発なのかもしれない」
殿下が冷静に分析する間も、断続的に地響きが鳴り響いた。
「少し距離を取ろう」そう殿下が指示を出されるや否や、腐土竜を包囲する赤い光球が明滅し始め、奴の頭部とその周辺以外がすっぽり赤く覆われた。つまり、奴の頭に瘴気が集中しているということだ。
「一時退却!」
今日初めて、殿下が緊迫感を以って命を下すと、みんなフォーメーションを維持しつつも奴から離れるように駆け出した。俺も後ろを向いて距離を取ろうと走り出す。
すると、右の後ろの方で誰かが倒れる音が、確かに聞こえた。
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