第162話 「腐土竜討伐戦②」

 誰かが倒れた。そう感じたのとほぼ同時に、すぐ側で別の誰かがそちらへ駆けていったのがわかった。敵から距離を取りつつ振り向く。すると、少し離れたところで倒れ、腰を抜かして身をこわばらせている女の子と、その傍らにお嬢様がいた。

 そして、腐土竜モールドラゴンは緩慢な動きでその2人に首を向けた。首周りの爛れた表皮に亀裂が入り、その奥からは赤紫の怪しい閃光が走る。

 倒れた子を起こして一緒に逃げるのは間に合わない。そう判断したのか、お嬢様は即座に紫の色の光盾シールドを自分たちの前に、そして同じ色の半透明の球体を、倒れた子の周りに展開した。

 それから何秒もしないうちに竜の口が赤紫の光を放ち、首から暗褐色の腐った肉片をボトボト地面に滴り落としながら、2人に向けて瘴気のブレスを吐いた。目に見える熱波のような吐息は、あっという間に2人のもとに到達して彼女たちを飲み込んだ。塗りつぶしたような赤紫に覆われて、向こうの様子がほとんどわからない。それくらい濃い瘴気の中、バチバチと激しい音を立てて紫の稲光が踊っている。

 瘴気の波が過ぎ去ると……2人は無事だった。固唾を飲んで見守っていた仲間たちから、雄叫びのような歓声が上がる。

 そして、倒れていた子は我に返ったかのように身を起こして、お嬢様に支えられながら俺達の方へ向かってきた。さすがに表情は冴えない。優しくいたわるように彼女を見つめるお嬢様だったけど、当の本人の顔にはうろたえる感じや恥じらい、申し訳無さと言った感情が強く浮かんでいた。お嬢様に優しく手を引かれ、殿下の前に2人でやってきたけど、そのまま何も言えないでいる。

 腐土竜の方も気になって、俺は奴に視線をやった。俺たちの今いる距離は、どうもブレスの射程外のようだ。攻撃のために持ち上げていた首も、今では地面に這いつくばるようにしている。時折、威圧じみた自己主張をするように地響きを立てながら少しずつ前進してくるあたり、俺達を標的と認識しているのは変わりないようだ。


「すまない」と殿下の声が聞こえ、驚いてそちらに振り向いた。殿下が、例の子に向けて頭を下げている。頭を下げられた本人は、事態を飲み込めていないのか完全に硬直し、それから慌てふためき頭を下げ返す。

 そんな彼女に、殿下は申し訳無さそうな微笑みを向け、お言葉を続けられた。


「戦果を焦るあまり、軽率な判断をしてしまった。もう少し慎重に挑むべきだったのだろう……恐ろしい思いをさせてしまったね」


 そのお言葉に、女の子は瞳を潤ませた。うつむき、体を小さく震わせる彼女の手を、お嬢様が優しく取った。そして、あいも変わらず断続的な地響きが鳴り響く。

「さて」殿下は腐土竜に顔を向けて仰った。「君達……じゃないな。私達ならやれると豪語してこの場に来たわけだが、どうしようか。ここの正規の兵に任せるというのも手だが」


 落ち着いた口調だったけど、殿下の微笑みには少し挑発的なところもあった。俺達に対する煽りと受け取った仲間の1人が「やりましょう! いえ、やらせてください!」と大声で願い出た。それに続いて、みんなも声を上げて戦意を表明する。


「そうか、ありがとう。では私達で奴を始末しよう。距離は先程よりも長めに取って戦うんだ。増々長期戦になってしまうけど、それは我慢してほしい」


 それからフォーメーションを組み直し、前よりも更に遠巻きに、扇も少し広げて配置についた。少し開けたほうが、いざというときの退避で散開しやすいからだ。

 それぞれが位置についてから、再度攻勢をかける。致命の命クリティカルミッションが示す弱点に魔力の矢マナボルトが殺到し、そこで一度攻撃をやめて様子を見る。こちらの攻撃に対し、奴は首を動かさなかった。威嚇するようにゆっくりした動きで翼を持ち上げるものの、羽ばたきは俺達との間の空間に、曖昧な赤紫の濃淡を作り出すだけで、それもすぐに元の霞に戻った。

 とりあえず、この距離なら大丈夫だろう。そんな殿下の判断のもと、咄嗟の動きにだけは注意を傾けながら、俺達は波状攻撃を続けていく。倒れていた子も、今ではお嬢様の傍について、奴にやり返している。

 奴は特に有効な反撃はしなかったけど、少しずつ距離を詰めてきているのは問題だった。ラックスと正規兵の方が、殿下のもとに馳せ参じて考えを述べる。


「扇を少し傾けて攻撃されてみてはいかがでしょうか。その傾きに合わせて奴が進路を曲げるのであれば、我々が攻撃する位置次第で、ある程度の誘導は可能かもしれません」

「なるほど。このまま前進されたのでは、少し困ったことになるしね」


 俺達の背後、結構歩いた先には瘴気が濃い場所がある。まだまだ十分な距離があるとは言え、いつ相手を倒せるかわからない状況では、先んじて手を打っておかねばならない。それに、ずっと前進されたのでは、本営に着いてしまう可能性もある。

 殿下の号令で、俺達は扇状の陣形を少し左回転させた。そちらのほうが瘴気が薄めだと、兵の方の進言があったからだ。

 そうやって移動したところで、再び攻撃をかける。ただ、相手の動きを少しでもはっきり確認したいということで、土煙が舞いやすく足元の確認に困る下肢ではなく、なるべく敵の上方を狙って攻撃することとなった。


「しかし……こうも相手の反応が遅くては、こちらの見立てが正しいかどうかも判断しづらいね」

「あの巨体で機敏に動かれるよりは」

「それは勿論」


 ぼやきにも似た殿下の声が聞こえた。確かに、こちらの行動に対して敵の反応にタイムラグが有ると、策の成否を測るのは難しい。足元を始めとして、奴の身動きの細かな部分でも見落とさないよう、俺達冒険者の中でも狩猟に長けた仲間を扇の端に配して、奴の反応を伺うことになった。

 それから数十分。攻撃を仕掛けては敵の反応を伺っていると、奴が攻撃をしている側に引かれて動いているということが確認できた。

 こうなると、次に重要なのはコース取りだ。攻勢を緩めると奴に再生の時間を許すことになり、ここまでの攻撃が無駄に終わりかねない。そのため、配置の邪魔にならないように瘴気が濃い場所を避けつつ、扇を動かして進路を誘導しなければならない。

 幸い、相手の動きがゆったりしたものであるから、誘導にはさほど苦労しない。ただ、依然としていつ倒せるのかはまだまだ不透明だ。


「殿下は、その……」

「なんだい?」

「お疲れではないのですか?」


 攻撃を開始して、かれこれ1時間は経過している。そして、最初に奴に魔法をかけてからずっと、殿下は例の魔法を切らすこと無く維持され続けている。あの巨体をすっぽり覆う規模の、赤い魔法を。

 そんな気遣う声に対し、殿下は余裕のある笑みを浮かべて答えられる。


「中々負荷のある魔法だけど……途切れると一目瞭然だろう? それはあまりにも恥ずかしいから、気を張って頑張っているんだよ」


 仰るとおり一番目立つ魔法ではある。攻撃の要になっているし、士気にも関わってくるだろう。少し飄々とした感じのお返事だったけど、いちばん重要な役回りを担われているのは間違いない。

 そしてお嬢様も。攻撃を仕掛けつつ、合間には透圏トランスフェアを作って周囲の様子を油断なく確認している。周囲の露払いを弓兵部隊が担っているとはいえ、透圏を見つめるお嬢様の真剣な眼差しには、もっと別の事態を警戒しているように見えた。



 ラックスや兵の方が立案したルートに従い、扇を傾けながら攻勢を続けて数時間が経過した。その間、奴からまともな反撃は来なかった。しかし、最初に攻撃をかけたときにはみんな大丈夫と思っていて、そこにブレスで反撃を受けたという事実がある。決して油断はできない。

 相手の反応に気を配るのに加え、いつ終わるともわからない攻撃を続けていくことへの、ちょっと辟易とした感じや焦燥も確かにある。そうして正確な時間感覚がすり減っていくように感じる中、本営から伝令の方がやってきた。

 気を張っていたみんなが、一大事かと思って彼に視線を向けると、急に深刻そうな注目を浴びた伝令の彼は、若干戸惑った後に用件を告げた。


「入れ替えで昼食を取られるという話でしたが、誰も来ませんでしたので」

「ああ、すまないね。ちょっと熱を入れすぎたようだ」


 長丁場の戦いになりそうだというのは、前もってわかっていた。だから休憩も十分な時間を取れるよう、班を分けて少し早めに開始しよう。そんな計画だったようだ。伝令の方が言うには、今は11時半を少し過ぎたぐらいだそうだ。


「よし、隊を4つに分けて、順に休憩を取ろう。順番はギルドの幹事に委任する」


 殿下の命で、ネリー達ギルドの裏方組が動き出し、特に疲れてそうな者から先に休憩に回すことになった。一人一人に聞いたり顔色見たりで、早めに休憩に回すかどうか判断していくわけだ。

 俺の番になると、年上の職員さんがやってきた。「リッツ君は……大丈夫そうね」と彼女は言った。実際、いつまで続くかという心配はあるものの、疲れはそれほどでもない。結婚式の演出のため、身の丈を超える取り組みに明け暮れたおかげか、結構タフになったのかもしれない。

「大丈夫です!」と少し元気良く答えると、彼女はニッコリ笑って「無茶はしないようにね。まぁ、言ってもするかもだけど」と言って次の問診に移っていった。

 攻勢を緩めないようにとのことで、班を分けて順次休憩に行く中、殿下だけは『致命の命』を維持するためにこの場に留まり続けなければならない。それがお役目とはいえ、みんな殿下をこの場に残し続けることには、後ろ髪を引かれるような思いはあるようだ。休憩に向かう前に、誰もが殿下に頭を下げた。そんな臣民に、殿下は特に何も仰らず、ただ慈愛のある微笑みを向けられた。


 それから、若干の空腹感を覚えつつ戦闘を継続していると、休憩組の第一陣が戻ってきた。行きよりも少し人数が少ないのは、ちょっと疲労の度合いが大きかった者を本営に残しているからだそうだ。

 そして、殿下のもとにやってきた最初の休憩組は、みんな紙に包まれた直方体の物体を手にしている。例のエナジーバーだ。

「どうぞ!」と言って、休憩組代表の子が手にしたエナジーバーを差し出すと、すぐ後ろに控えた仲間も後に続いて差し出す。

 すると、殿下は珍しく少し困ったような表情になられた。「あのね」そう仰ってから殿下は一度咳払いされた。「こんなに食べたら太っちゃうじゃないか」

 そのお言葉に、みんな笑った。


「しかし、せっかくだからね……半分こしようか」代表の子が差し出したバーを手に取られた殿下は、パキッと割って彼女に返した。自分のデザートが半分になって帰ってきた彼女は、頬を少し赤らめ、目をキラキラさせてバーを見つめている。

 それから、殿下の食べるペースのこともあるので、折を見ては貢ぎ物をしようということになった。


「殿下」

「なんだい?」

「男どもからは受け取られるのですか?」

「まさか。1人で食べたまえ」


 そのお言葉に、またみんなで笑った。



 休憩が一通り済み、盆地の中をぐるぐる回るように誘導しつつ攻撃を重ね、また数時間経過した。

 赤紫の空気に包まれた中では、外の様子はわからない。ただ、だんだん寒くなってきていることから、時間の経過はなんとなくわかる。戦闘の熱気があっても寒くなってきたことがわかるぐらいだから、相当時間が進んでいるのかもしれない。

 みんな、少しへばり気味だった。攻撃の合間、両膝に手をついて息を整える者もいる。今では疲れている者と元気な者を交互に配置し、急事に備えるフォーメーションになっている。

 敵は、まだまだ健在だった。しかし、奴を包囲する赤色の四角錐は、戦闘開始後よりもずっと出現頻度を増している。奴が自由に使えるマナを消耗してきている証拠だ。つまり、着実に奴の最後に近づいている。


 そして、今日何回やったかもわからない攻勢の後、奴の爛れた表皮にヒビが入った。そのヒビはこらえきれなくなったかのように広がっていって、その奥からは赤紫の光が見えた。しかし、煌々とした光じゃなくて、少し鈍い光だ。

 奴が終わりつつある。誰もがそう直感したのだろう、急に静かになってみんなで様子を見守ると、奴を取り囲む赤い球体の全面が明るい光を発した。全部弱点ということだろうか。

 俺の予想を追うように殿下の命が飛ぶ。


「最後のひと押しだ、全員攻撃!」


 すると、疲れてた連中も身を起こして最後の攻撃に加わった。色とりどりの魔力の矢が奴に向かい、矢に射たれた表皮が爆ぜて赤紫の煙になったかと思うと、その傷口から暗い赤紫の泥にも似た粘液がドロンと漏れ出ていく。そして、その粘液は表面に激しい泡を生じさせながら霧散していった。

 同様の反応が、奴の全身で始まった。爛れた表皮全体に亀裂が入って全身の崩壊が始まると、むき出しになった暗い赤紫の汚泥が泡立っては蒸発していく。

 一分ほど経っただろうか。みんなが静かに見守る中、奴はそうやって果てた。奴を囲んでいた赤い球体も消滅すると、最後に金色に輝く1枚の硬貨だけが残った。

「お疲れ様」と、よく通る透き通った声が聞こえると、その後に歓声が湧いた。かなり疲れ気味だったからか、長続きしないで尻すぼみな歓声になって、後に乾いた笑いが続いたけど。


 疲れよりも無事に済んだ安堵から、俺は足腰の力が抜けてその場にへたり込んだ。みんな似たような感じだ。ただ、お嬢様と殿下はずっと働き詰めだったのにも関わらず、疲れた素振りを一切見せない。

 みんなで地面にへばっているのを、暖かな視線で見つめた後、殿下は手を叩いて仰った。


「敵の後続が来ないとも限らないからね、休むのは本営に着いてからにしよう」


 確かに、大物退治の影響で何か変化があるという可能性はある。お嬢様はいつもの調子で透圏を作って状況確認をした。とりあえず、目に見える脅威はない。安全なうちに撤退するのが無難だろう。

 それから、殿下は敵がいた場所に向かい、硬貨を拾い上げてみんなに見えるように掲げられた。やりきったんだという、確かな達成感を覚えた。


 疲れはあったものの、撤収の足取りは軽かった。別働隊の働きもあってか、帰り道に他の魔獣と遭遇することもない。

 そうして揚々とした雰囲気の中本営にたどり着くと、白い壁の向こうにある盆地の外は茜色に染まっていた。そして、到着した俺達を満場の拍手が出迎える。

 しかし、戦傷の余韻に浸る間もなく、殿下とお嬢様は兵の方に呼ばれた。今後について、さっそく討議があるそうだ。その話し合いに向かう前に、殿下は俺達に向き直って言われた。

 そのお言葉は「今日はありがとう」と短いものだったけど、それがなんだか嬉しかった。

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