第160話 「盆地での戦い②」
難儀な戦場での俺達の役回りについて、疑問に思い始めてからほどなくして、ラッドさんは行進を手で制した。そして前方の地面を指差し、俺達に何か見えるか問いかける。
数秒間、目を凝らして前方を観察すると、地面の凸凹が微妙にずれているというか、不自然に見える箇所があった。それも複数。
彼にそのことを告げると、「怪しいところに
「威力の方は?」
「問題ないっス」
言われるがまま、地面に違和感を覚えた箇所に矢を放つと、異様な地面に着弾したと思った瞬間、乾いた音を立てて地面が爆ぜた。そして、薄っぺらな焦げ茶の地表が千切れて宙に舞ったかと思うと、その切れ端が赤紫のマナに還元されて霧散していく。
「
一通り倒し終わっただろうか。緊張した面持ちで俺達が地面に視線を向けていると、ラッドさんは「もう大丈夫ス」と言って歩を進めつつ、溝這いの説明に入った。
あの魔獣は、地面に擬態するのが一番の能力だ。土だろうと岩だろうと草だろうと、地表の色や模様に合わせる能力に加え、名前が示す通りに地面の凸凹を埋めるように地形へ追従する柔軟さもある。そこまで聞くと不定形の魔獣っぽいんだけど、実際には蛇に近い見た目だそうだ。ただ、その体がメチャクチャ柔らかいだけで。
不用意に獲物が近づいたところで、急激に体を筒状に膨らませ、空気を尻から出して推進し、飛びかかって巻き付いてくるというのが連中の攻撃方法だ。1人でいるときにそうやって攻撃されると、まず助からないぐらいには危険らしい。
「落ち着いて刺せば殺せるんスけどね。1人の時に締められるとマジ危険ス」
「仲間がいてもびっくりですよ。見分け方とかあるんですか?」
「凸凹が多いところでは用心するぐらいスね」
溝這いが一番危険になるのは、他の動きのある魔獣と一緒にいる時だそうだ。そういう時、注意が散漫になって対処しきれず、ものすごく危険になる。だから、溝這いだけに集中できる時に排除できれば、それにこしたことはない。
ちなみに、あの魔獣はこの盆地以外でほとんど目撃報告がない。あったとしても瘴気が濃い土地に限定されるそうで、地形に合わせて見た目を変えるのに多大なマナを使うんじゃないかと考えられている。
溝這いの群れを始末した後、地面の様子が急に気になりだした。それは俺だけじゃなくって、みんなも同じようだ。今までよりも少し歩幅が小刻みになって、顔も地面の方に向いている。
そんな俺達の変化に気づいたラッドさんは、「見えたら言うんで、大丈夫っス」と少しニヤニヤしながら言った。
それからも、ラッドさんの説明を交えつつ、魔獣の群れに出くわしては先制攻撃を仕掛けて撃退していく。
瘴気が濃い場所を避けて行かなければならない都合上、人間が立ち入って戦闘できる場所はどうしても限定される。そこで、どこでなら戦えるか、大きな群れに気づかれはしないか。経験と相談しつつ状況を判断しなければならない。その判断は、当然ラッドさん任せだ。当然……なんだけど、任せっきりであることに少し不甲斐なさを感じないでもない。
「順調スね」と彼は言ったけど、俺達でも対処できるような小型の魔物の小集団を見繕っていることは、疑いようのない感じがする。
そしてついに、仲間の1人が「俺達って役に立ってるんですか?」と、聞きたくても聞けずにいた言葉を発した。すると、ラッドさんは一瞬真顔になってから、少し小馬鹿にしたような笑みを浮かべてフッと息を吐いた。
「まだまだ若いっスね」と笑いながら、ラッドさんは俺達の役回りについて話し出す。
実のところ、この盆地に足りていないのは魔獣の群れへの攻撃役だ。攻撃を仕掛けるべきかどうかの判断はかなり重要ではあるものの、その役は班に1人ベテランの兵が入れば事足りる。つまり、盆地には不慣れではあるものの戦闘経験は十分な冒険者数名に、ラッドさんみたいな案内兼指揮役がいれば、班としては十分な働きができる。
そうした班をいくつか展開し、増えた魔獣の対処を進めつつ、急な事態に備えてベテランの兵は偵察に回したり温存したり。そういう配分が、この盆地を預かる指揮官や側近の方々、そして殿下が思い描く絵だった。
「そういうわけなんで、心配しなくていいスよ。ここまでの戦闘も、すごくいい感じっス」
「だったらいいんですけど……」
「まぁ、不安なのはわかるんスけどね。でも、できることまで疑うのは良くないスよ。まずは落ち着いて、できることから確実にってことス」
そう言って俺達を励ましてくれたラッドさんも、ここに来たての頃は引け目のようなものを感じて仕方がなかったらしい。だからこその激励なんだろう。
そんな彼の言葉のおかげか、俺達は自分たちの役回りについて、いくらか自信を持てるようになった。決して、ここのベテランみたいに動けるわけではないけれど、それでも役に立てていると認められるのは嬉しかった。
数匹程度の細かな群れを掃除しつつ盆地を進んでいくと、前方に拠点の1つが見えた。
その姿を認めてから、ラッドさんが地図を取り出し、俺達全員に見えるように広げて見せてくれた。
盆地の入り口、つまり縁の山の切れ目は3箇所あって、南東の王都側、南西、北西となっている。一番大きな拠点――本営――が王都寄りのところで、残りは同程度の大きさだそうだ。
そして拠点以外に、周囲の山頂には何箇所も物見台があって、盆地内を取り囲むようになっている。
「ちょうどいい時間なんで、挨拶がてらメシに行きましょう」と言うラッドさんに従い、俺達は目の前の拠点に向かった。
そちらの拠点もメインの拠点と似たような感じで、山の斜面から伸びる壁に囲まれて、背が低い石造りの建物や、大きなテントのようなものが設営されている。
ラッドさんは、今はメインの拠点配属だけど、拠点同士での人員入れ替えなんてよくあることらしい。着くなりこちらの兵の方と軽く談笑した後、俺達のことを紹介してくれた。
どうやら、他に冒険者は来ていないようだ。紹介を受けた方は「なるほど、例の」と言って俺達に一礼した。それに返礼しつつ、俺は彼に尋ねた。
「こちらには、俺達みたいな増援とかはないんですか?」
「外とのやり取りは、あっちの本営で取りまとめてるよ。こっちも一応は拠点だし、独立した裁量もあるけど、あえて単独でってのはないな~」
「そうですか、ありがとうございます」
頭を下げて辞去すると、彼はにこやかに手を振って送り出してくれた。妙にフレンドリーだ。ラッドさんもそうだけど、あまり兵隊というか軍人ぽい感じはない。たぶん、そういう空気がここの監視部隊の特徴なんだろう。
さて……ラッドさんに案内されて着いたのは、メシの配給所だった。いわゆるミリメシってやつなんだろうか。期待と若干の恐怖を覚えながら列に並ぶと、すぐに俺達の出番が回ってきた。
配給係の方は、ちょっとふくよかというか、あまり兵には見えない感じだ。人が良さそうな笑顔の、若干丸っこい中年男性は、「見ない顔だね~」と話しかけながら器にスープを装っている。
「魔獣退治の依頼で、王都から来ました」
「へぇ! こんな不気味なところに来るなんて勇敢だねぇ! よし、サービスしよう」
彼とそんなやり取りをしてると、周りの兵の方々から「おやっさんも勇敢だな!」「俺もサービスして~」と賑やかしの声が飛んでくる。それを笑顔で無視しつつ、おやっさんは四角い盆に昼食を用意し、俺に手渡してくれた。
班の全員の手に昼食が渡ったところで、配給所近くの大きなテントの中に入って、適当なテーブルに腰を落ち着ける。盆の上の昼食は、湯気とともに食欲をそそる香りが漂ってくるスープ、大きくて少し硬そうなパンと干し肉、そして薄い紙に包まれた直方体の何かだ。
「コレ、何です?」と工廠の子が興味津々といった感じで目を輝かせながら、直方体のブツについてラッドさんに尋ねると、彼は「デザートなんで、後がいいスよ」とだけ答えた。
そして、ラッドさんの号令で昼食が始まった。マズイかもと覚悟していた昼食だけど、蓋を開いてみれば何のことはない。パンと干し肉はちょっと硬いけど、噛めば結構いい味がするし、スープに浸して少し柔らかくすればすごく食べやすくなる。
そしてそのスープは、透明なミネストローネって感じだ。野菜の旨みや甘みがする。その中に細かくちぎった干し肉を突っ込むと、塩気や肉の旨味が加わって、それもまた美味しい。
「パンと肉は、ここの備蓄なんスけど、汁物はここで作ってもらったり、外で作ったのを運んでもらったりスね」
「ということは、あちらの方は民間の?」
「そんなとこス。近くに町があるじゃないスか。あちらの方スね」
あちらの町の方は、だいたいがこの盆地に務める兵の親族だったり友人だったり、そういう縁故のある方々だそうだ。ここで働く兵の方が心配で……ということで、あの町に住み、働くようになるというのがよくあるケースらしい。
「ところで、あの町って何か名前があるんですか?」
「ん~……ないスね。俺達が町っていうと、もうあの町しかないんで。呼び名としてそれで十分なんス」
「ラッドさん、こっちのデザートは?」
再び工廠の子が、直方体片手にラッドさんに問いかける。気がつけば、彼女のお盆からは他の昼食が消失していた。若干たじろぎながら、ラッドさんが彼女に話しかける。
「早いスね……」
「えっ? ……えへへ、工廠で働くと、みんな早飯になっちゃって」
「俺らより早いって、相当スよ」
早飯だけど、お盆に汁やパンの残骸が散っているということもなく、きれいに平らげられていた。そんな彼女の普段の食生活が気になったけど、それよりもデザートの方だ。爛々とした目の彼女が包み紙を剥くと、出てきた物体に彼女は少し怪訝な視線を向けた。
その物体に、俺はなんとなく見覚えがあった。エナジーバーというかなんというか、そんな感じのブツだ。砕いたナッツらしきものを、クリーム色の生地がまとめて直方体に整形した、そんな感じの見た目をしている。
「そのままかじるんス」とラッドさんに言われた彼女は、俺達の視線に少し顔を赤らめ、口元を手で隠しながらデザートを頬張り、一口また一口と食べ進めていく。それにしても早い。
「……ちゃんと味わってます?」という魔法庁の子の問いに、工廠の子はニヤッと笑って「なんちゃって!」と返した。口元を隠した手を取ると、エナジーバーもどきは減ってなかった。食べる振りで驚かしただけのようだ。
「もう!」とちょっと憤慨気味の笑顔をした魔法庁の子に、「めんごめんご」と聞こえてきそうなジェスチャーを返した彼女は、今度は手で隠さずに普通に頬張った。それから、無表情でバリボリ口の中を噛み砕いている。
「どうスか?」
「……これ、非売品ですか?」
ある意味ではかなりの賛辞なんだろう。口の中を始末した彼女の質問に、ラッドさんが「たぶんそうスね」と返すと、彼女は露骨にがっかりした。
その味が気になり、俺も包みを解いてバーを手にしてみる。それでわかったのは、生地が少し半透明だってことだ。粉とかクリームよりは蜜に近い。
口の中に入れると、体温でバーの表面が溶け出すような感じがあって、糖分そのものみたいな甘さと一緒に、油脂っぽいまったりとした旨味が口中に広がってく。バーを噛んでみると、ナッツに混ざってドライフルーツも入っているのがわかった。ナッツの歯切れのよい硬さに香ばしさ、ドライフルーツのぐんにゃりした感じと強い甘み、そんな食感と味を楽しんでいると、あっという間にバーは無くなった。
糧食というか、行動食というか、なんだかスポーツ用品店でありそうな代物だ。味と手軽さに感心していると、ラッドさんがこのバーについて解説してくれた。
これの開発には若かりし頃の閣下が関与しているらしい。貴族のご友人の方々と、マシな糧食を創ろうと知恵を出し合って出来上がったのがコレなんだとか。そんな話を聞いて、伯爵家の影響力の一因を見たような気がした。
☆
昼食の後、来た道を戻るように本営の方へ向かった。既に掃除した後ではあるものの、空いた場所に別の群れが移動してきたり、あるいは発生したり、そういった可能性はあるそうだ。
ただ、そうやって彼が念押すまでもなく、みんな緊張感は切らさなかった。そんな俺達にラッドさんは、「頼もしいスね、その調子ス」と褒めてくれた。
実際、行きとは違う魔獣の群れを何度か発見した。ただ、瘴気の濃さによって連中が出せる兵力は決まっているのだろう。行きと規模はほとんど変わらない群ればかりだった。ラッドさんの指示に従い、確実に処理していく。
「ところで、ラッドさんは
「ありますよ。ここの兵は、みんな後学のためにってことで、一回は見させられたはずっス」
「……どんなでした?」
「でっかいスね」
ラッドさんたちが見たのは、遠くからだったため、大きさ以外のことはよくわからなかったそうだ。ただ、骨が折れる相手だろうというのは間違いないようで、そんなのを相手にする俺達のことをラッドさんは心配しつつも激励してくれた。
慣れない地での行動だからか、あるいは瘴気に阻まれて空がよく見えないからか、本営についてちゃんとした空が見えるようになって初めて、日が沈みかけていることに気づいた。
他の班も戻りつつある。怪我してないか心配で様子を探りに行くと、みんなも同じ気持ちだったようで、その場で簡単な安否確認会が始まった。
それで結局、誰も負傷していないことがわかって、みんな揃って胸をなでおろした。どうやら、案内係の方々のおかげのようだ。別の班の子が教えてくれた話によれば、加勢に来てくれた冒険者や、文民である魔法庁・工廠の職員に傷を負わせたのでは恥だということで、案内係の方々はかなり細心の注意を払って任務に取り組んでくださっていたそうだ。
安否確認が済んだところで、俺達の班は一度集まってラッドさんに改めて礼を言った。
「明日もよろしくお願いします!」
「えっ? いや、明日は……」
「なんですか?」
「明日は何か別命があるそうなんスけど」
別命と言うと、なんだろうか。少し嫌な予感がする。
すると、誰かが咳払いするのが聞こえた。そちらに顔を向けると、いつの間にか殿下がおられた。その場の全員が殿下の方に体を向ける。
「諸君、初日の哨戒任務お疲れ様。明日は腐土竜を倒すからそのつもりで。今日はよく休むこと」
突然の宣言に、あたりはざわつき始めた。嘘を言っているような感じはない。ならば、本当にやるんだろう。どよめく俺達に殿下は、見る者に安心感を覚えさせるような穏やかな笑みを向け、「討伐には私も参加するから安心してほしい」と仰った。
殿下が参加される。そのお言葉に、殿下のお力について興味が湧いたし、そのお力が不明ながらも心強さも感じた。それと、みっともないところは見せられないという、意地にも似た挑戦心も。
周囲のみんなも、殿下の参戦表明には大いに勇気づけられたようだ。お言葉1つで場の空気を変える、その存在感の大きさには感服した。これが王族というものなんだろう。
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