第159話 「盆地での戦い①」

 12月4日6時。宿のご主人の声で叩き起こされた俺達は、身支度して通りに出た。用意してきた防寒具を着込んでいるものの、寒いものは寒い。みんなでガタガタ震えながら、体を前に縮め気味にして食堂へ進んでいく。

 早朝の寒さが身にしみたけど、戸を開けて入った食堂の中は暖かで、元気の良い店員さん達が眠気も飛んでいくような声で迎えてくれた。

 それからテーブルに付くと、すぐに朝食が出てきた。店員さんいわく、動きづらくなるといけないからということで軽めだそうだけど、どうやらこの店基準での軽めらしい。パンにサラダにスープ、デザートに果物と、立派な一揃いの朝食だ。強いて言えば肉がないなと思ったものの、もったりして少し辛めのスープの中には細切れの鶏肉が入っていて、実際には十分ボリューミーだった。


 かなり満足の行く朝食をとってから、少し名残惜しさを覚えながら食堂を後にすると、再び冬の朝の寒気が俺達を待ち構えていた。ただ、たぶんスープのおかげか芯からポカポカ温まる感じがあって、起きた直後に比べればずっと楽に感じられる。

 朝食後、町の中央の広場で点呼を終えると、俺達は盆地へ出発した。門のところでは、こんな寒い中でも体を震わせもせずにビシッと立っている門衛さんが、俺達に敬礼をして送り出してくれた。それに対し、俺達も礼を返そうとする。しかし、寒さにやられて少し体を震わせると、門衛さんはニッコリ笑った。


 盆地までの道中、朝早くで寒さはキツイながらも、みんな結構元気で普通に会話できていた。まぁ、会話の大半は寒さへの愚痴だったけども。

 そうやって話しながら進んでいくと、例の盆地から赤紫の瘴気が染み出しているのが見え始めた。しかし、昨日よりも場の空気は重たくはならなかった。あんな瘴気だまりが目と鼻の先にありながら、平然としていて王都の心配までしてみせる、あの町の住人のたくましさに触発されたんだと思う。張り詰めたような緊張感はあるけども、空気は昨日よりずっと前向きだった。

 瘴気を前にちょっと言葉少なになりながらも行進を続け、監視部隊の拠点にたどり着いた。赤紫の空気の中に映える白い門を通って拠点の中に立ち入ると、石の壁に囲われた中には石造りの建物が幾つも立っていた。建物の背は低いし、テントのようなものも散見されるけど、決してその場しのぎではない、確固たる拠点だ。

 そして、拠点の中心部、少し広いところで俺達を指揮官の方が出迎えてくださった。位の高い軍人の方なんだろうけど、俺達の先頭に殿下がおられるからか、かなり緊張されているようだ。指揮官の方は、少し硬くなりながらも俺たちに向けて歓迎の言葉を下さった。


「ようこそ、アムゼーム盆地へ。まずは、このような地へ加勢に来てくれた、君達の勇敢さに礼を言いたい」


 彼がそう言って俺たちに向けて頭を下げるのに合わせ、俺たちも礼を返す。それから、少し微笑んだ彼が話し出す。


「この地は他とは何かと勝手が違う。君達にもそれぞれに仕事の流儀はあるだろうが、まずは我々の言葉に耳を傾け、この地でのやり方に慣れてほしい。その上で、君達一人一人がその経験や才覚を活かし、活躍してくれることを期待する」


 そんな挨拶の後、さっそく俺たちをいくつかの班に分け、それぞれの班に案内係の兵をつけて盆地のオリエンテーションをすることに。

 班分けも結局は宿の分け方と同じになった。どの班も連携を取れるほどの深い仲ではないけど、まずはここに慣れることに集中しようというのがギルド側の運営代表の意見だ。


「いつものグループで固めると、いつものやり方に固執しかねないからさ。まずは、ここに慣れないとね」


 ネリーがそう言うと、みんな反論せずにその意見を認めた。依頼や受付を通し、ここのほぼ全員と関わり合いのある彼女ならではだ。王都の暗い雰囲気を払拭するためにと、自身の結婚式をダシにした豪胆さにも一目置かれているのかもしれない。


 そうして宿ごとに班分けするとすぐに案内の方がやってきた。明るい茶髪、服は結構着崩していて、ほんの少し心配になったものの、彼は低姿勢で礼儀正しく俺たちに接してくれた。

「ここに務めてそこそこなんですけど、説明が悪かったらスミマセン」と、正規兵にしてはちょっと口調も崩れた感じだけど。

 それから、盆地内側に続く門を通って、入り口よりも少し濃い目に感じられる赤紫の霞の中に、俺達は足を踏み入れていく。


「あの、大丈夫なんですか」とさっそく飛んだ質問に、案内係さん――「ラッドでいいです」だそうだ――が朗らかな表情で「大丈夫です」と答えた。

 続いて、彼はまず瘴気というものについて講釈を始めてくれた。俺は閣下から少しは教えていただいていたけど、だからって別に詳しいわけでもないから黙って聞くことにする。

 瘴気とは赤紫のマナの別名だ。虹の七色のマナからあふれる形で存在する赤紫のマナは、人類に害をなすものということで特別に瘴気と呼ばれている。

 瘴気が濃い場所では、一般人では立つこともままならなくなる。高位のマナを持っていれば多少はマシになるものの、普段と変わりなく動けるのは赤や紫のマナを持つ者だけだ。そのことから、赤紫のマナについてはよくわかっていない部分は多いものの、力としては赤や紫と同格だと考えられている。

 瘴気は魔獣とも関係が深い。マナとして強い力を持つと思われる赤紫の瘴気は、魔獣にとっては良いエサのようだと考えられている。というのも、魔獣の生息域は他の野生動物が多いか、さもなくば瘴気が濃いからだ。特に、このアムゼーム盆地のように、ろくに野生動物がない環境で他よりも多く魔獣が存在すること、それぞれの群れがある種の縄張りを持っているように見えることも、瘴気が魔獣にとってのエサと考えられる根拠になっている。


 一般論が終わった所で、今度は盆地での実態についてだ。まず、この盆地での瘴気の濃度は、濃くない普通の部分で、黒い月の夜における”目”の周辺部よりも濃い程度。目の中心だとか、瘴気を操る魔人の目の前とか、そういう最悪のケースに比べればまだマシだけど、ある程度の悪影響はあるそうだ。ちなみに、盆地での濃い部分でも、目の中心に比べればマシな濃度らしい。そこまで聞いて俺は、メモに序列を記入した。目の中心≒魔人>盆地の濃い箇所>薄い箇所>目の周辺ってとこか。

 肝心の悪影響だけど、この盆地では濃い場所に入らなければ、そこまでの悪影響はない。ただ、魔法の使用に多少の悪影響はあるそうだ。


「悪影響って、どんな感じなんです?」

「そっすね。瘴気がボルトの威力を多少軽減したり、あるいは難しい魔法を書き損じるようになったり、すね」


 難しい魔法っていうのは、個人差があるというか主観の問題のようだ。例えば、Dランクの魔導師がCランクの魔法だとか、Dランクで苦手意識のある魔法、特に自分の色とは違う魔法をやろうとすると失敗しやすい。格下の魔法であれば問題ないだろうとは言われている。

 しかし、簡単な魔力の矢マナボルトも瘴気がクッションのような役割を果たしているらしく、他の場所よりも有効打になりづらい。そのため、ここの兵の基本装備は物理的な弓矢だ。それと、距離を詰められたときのために、最低限の備えとして長剣を携えている。ただし、剣を抜くような事態に追い込まれるのは恥と考えられている。弓1本で対処できるようになって、やっとここでは一人前だそうだ。

 セレナが名指しで呼ばれたのもそういうことだろう。冒険者の子が指摘すると、ラッドさんは少し興奮気味に言った。


「ここに来てくれるって話があって、みんな夜も眠れなかったんスよ」

「……いや、そもそもここでよく寝れるんですか?」

「慣れッスよ、慣れ」


 少し軽い感じもする彼だけど、事も無げに言ってのけるところには感服するというか、頭が下がる思いだった。


 次に盆地全体の説明を、そう彼がいいかけた所で、上空に鳥の影が見えた。「アレは」と口にした彼が慌てて自分の口を塞いで、俺達の方に顔を向けながら指差した。当ててみろってことだろう。

 赤紫に染まる空に浮かぶ鳥は、遠近感がよくわからなくなっているものの、少し大柄に見えた。その体には、なにか細い線のようなものがまとわりついているのが見え隠れしている。

 仲間の1人が「雷竜鳥エレキラプトル?」と言うと、ラッドさんはうなずいた。

「アレ、倒すんですか?」と回答者が聞くと、ラッドさんは急に真面目な顔つきになって手を空にかざし、鋭い目線を標的近辺の空に向けた。そして、空の様子を確認した後は地に目を向ける。

 彼にならって俺も霞の向こう側に視線をやった。魔獣らしきものの黒い影が小さな点々になって、赤紫の霞の中でうごめいている。だいぶ距離はあるようだ。

 確認を終えたラッドさんは、背負った弓を留め具から外し、矢筒から慣れた手付きで音も立てずに矢を一本抜き取ると、弦につがえて雷竜鳥に向けた。そして俺達に話しかける。


「外して、奴が逃げるように離脱したら放置します。こっち来たら援護頼みます」

「撃ち落としたら?」

「めでたしめでたしっスね」


 淡々と答えた彼は、その数秒後に矢を放った。遠近感が曖昧な赤紫の空間の中、宙を裂いて進んでいった矢は、標的の黒い影に飲まれるように飛んでいって、やがてその影と一緒に空から落ちた。「やった」と静かな歓声が上がる中、ラッドさんは対照的に緊張感を漂わせている。

 ややあって、彼はふぅ~と長くため息をつき、「めでたしめでたしっスね」と言った。


 それから、オリエンテーションを再開すると、彼は先の対応について話してくれた。

 この盆地では、時折ああやって群のテリトリーから離れた魔獣が現れる。典型的なのは、ああいう鳥タイプの魔獣だ。そんな孤立していて、素人考えでは手頃に見える獲物が、実は一番危険なんだとか。


「ああいう孤立した奴に攻撃すると、奴の反撃とか倒した反応で他の群れが刺激されて、ヴァーっと大事になることがあるんス」

「なるほど。だから、倒した後も慎重だったんですね」

「距離的には大丈夫だと、射つ前から判断してたんスけど、結果見るまでは緊張しますね」


 ちなみに、大事になってしまった場合は本当に様々な魔獣の群れが動き出す、大変なことになるらしい。その鎮圧には待機、休憩中の人員まで駆り出す羽目になる。

 つまり、孤立しているように見える敵も、実際には潜在的な導火線みたいなもので、奴らは見た目ほどには孤立していないというのが、ここの兵の方々の合言葉だった。


「もちろん、ほっとくと奇襲かけられることもあるんで、結局は殺らないといけないんスけど。まぁ、いつ殺るかはすごく難しいスね。やっぱり経験積むしかないス」


 ちっとも自慢げにしない彼も、やっぱりずっと経験を積んで来たんだろう。そんな彼に敬意を覚える一方、俺達にできることってあるんだろうか、そんなことが少し気になった。

 まぁ、あるからこそ呼ばれてるんだろうけど。

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