第156話 「遠征前に②」
11月24日。親友たちが遠征に参加する事が判明したところで、今度は世話になっている方々のことが気になった。遠出のために、それなりの間会えなくなるわけだから、忘れないうちに各所へご挨拶に向かわないと。万一ということも……無いだろうとは思うけど、絶対じゃない。
最初に向かったのはお屋敷だ。すでにお嬢様がご報告されてるだろうから、俺の参加も知っておいでだろうとは思うけど、それに任せたんじゃ不義理という気がする。こういうことは自分の口で伝えたい。
お屋敷に着くなり、俺の姿を認めたマリーさんがすぐに用件を察してくれて、いつもの食卓へ案内しつつ奥様を呼び出しに行ってくれた。そんな彼女の察しと仕事の速さに、安心感となんだか懐かしさみたいなものを覚えた。
程なくしてやってこられた奥様と、互いに軽い挨拶を交わして、久しぶりに3人で卓を囲む形に。俺が来訪した理由はすでにご承知のようだったけど、奥様は何も言わずに俺の口から話させてくださった。
「この度、アムゼーム盆地への遠征で参加要請を承りまして、それを承諾しました。来月初めから3週間ほど王都を離れますので、今日はその挨拶にと」
「……そう、おめでとう」
奥様は柔らかく微笑んでそう仰ったあと、長いこと次の言葉を発されなかった。そのことを少し意外に思った。事前の予想では、「娘を頼むわ~」みたいな感じで、ちょっと軽いジャブをもらうかと思っていたんだけど。
勧められた茶菓子に手を付け、軽く一口ほおばると、奥様は仰った。
「いつかは、みたいに思っていたのだけれど……予想以上に早かったわね。お眼鏡に適ったことに気負いを感じるかもしれないけれど、あまり気にしない方がいいわ。ゆったり構える方が、あなたの持ち味が出ると思う」
「……ありがとうございます」
お褒めの言葉かどうか、すぐにはわからなかったけど、奥様に優しく語りかけられて胸の中が温かい感じで満たされた。マリーさんの方をチラ見すると、彼女は目を閉じて感慨深そうな、あるいは満足そうな微笑を浮かべている。
「ただ……少し寂しい感じは、あるわね」と、奥様はわずかに物憂げなお顔でそう言われた。
「3週間ですから、そんなでもないと思いますけども」
「そういうことじゃないのよ。まぁ、わからないなら気にしないでいいわ」
それから、奥様はニコッと笑った後、真面目で力のある視線を俺に向けられた。
「娘と殿下のこと、よろしくね」
「は、はいっ!」
☆
続いて挨拶に向かおうと思ったのは孤児院だ。せっかく昨日も行ってたんだから、そういう挨拶を済ませておけばと思わないでもない。
ただ、昨日とは少し事情が違う部分もある。ネリーの参加が明らかになった今、俺が知っている限りでは院長以外の先生全員が遠出することが判明したわけで、それはこども達には悪いんじゃないかという気がしている。
そう思って誰か代理を――というか、この機に正規の先生になってもらってもいいか――と思って王都を適当に散策していると、ちょうど良さそうなのが見つかった。
「おーい、ラウレース!」
「ん?」
昼飯らしきパンを頬張りながら歩いていた彼を捕まえ、この後の用事がないことを確認すると、手短に要件を伝えて彼と一緒に孤児院へ向かった。
俺が先生をやってると伝えると、彼の表情は驚きと納得が交互に行き来した。
「人に物を教えるってのは、なんか向いてそうだなって思ったけど、お前って色々と忙しすぎじゃないか? 大丈夫か?」
「週1ぐらいでこどもの相手をする程度だから、平気だって。慣れると遊びみたいなもんだし。ラウレースの方はどうだ?」
「こどもは苦手じゃないし、別にいいぞ」
それから孤児院へ向かう間、彼はふと思い出したように話しかけてくる。
「お前、俺のことはラウルでいいぞ」
「……あー、いや、ちょっと思うところがあってさ」
彼とエルウィンとは同時期に知り合っていて、ラウレース――ラウルでいいか――はもう愛称で呼んでも差し支えないかなとは思っている一方で、エルウィンを愛称で呼ばないのは彼に悪い気がして、しかし彼を愛称で呼ぶと馴れ馴れしく思われそうだとも感じていて……
そんなちょっとしたジレンマを伝えると、ラウルは声を上げて笑った。
「そんなこと気にしてたのか?」
「そんなことって言うけど、案外そういうの気にするたちなんだよ」
「気にしなくていいぞ。俺なんて、あいつのことを知った翌日にウィンって呼んでやったけど、なんとも思われてなさそうだったしな」
ラウルの気兼ねのなさは大概だと思ったけど、そんなところが相手に受け入れさせる気持ちを起こさせているのかもしれない。なんにせよ、彼固有の魅力というか強みだと思う。
それはさておき、俺も今度エルウィンに会ったらウィンと呼んでやることにした。「お前がそう呼ぶと、あいつ驚くかもな」とラウルは笑っているけど。
孤児院に着くと、俺は院長先生を呼んでもらうよう、外で遊んでいたこども達に頼んだ。すると、彼らはラウルに興味津々といった感じの、爛々とした視線を送ってから、俺の頼みどおりに院長先生を呼びに行ってくれた。
それからまもなく、ニコニコした感じの院長先生が小走りでやってきて、彼女は俺とラウルを交互に見ながら「お友達?」と聞いてきた。
「友人です。ここで先生やってくれるって言ってくれたので」
「まぁ! 私は院長のテレサです。あなたのお名前は? ファミリーネームは伏せていただいて大丈夫です」
「ラウレースです……よろしくお願いします」
「ラウレースさんですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
ラウルの方を見ると、だいぶ緊張しているようで、腰が引けている感じもある。年上というか目上の女性を相手にしているからだろう。メインはこどもの相手だから大丈夫だとは思う。
院長先生の案内で先生向けの談話室に通され、テーブルに着くと、俺は用件を話した。
「実は来月1日から3週間ほど遠出することになりまして。他の先生方も同行するので、その間の代わりにと、こちらのラウレース君に頼んだんです」
俺がそう告げると、院長先生は少しポカンとした顔で固まった後、にこやかに笑い出した。
「他の先生方も、実は代理を立ててくださってます」と言われて少し驚き、それからあの2人で一緒に話し合って代理を立てたんじゃないか、そんな予想が自然と頭の中で立った。
実際その通りで、例の説明会があったその日のうちにお嬢様とネリーがこっちに来て代理の先生を紹介したそうだ。
「ギルドで受付をされているお姉さんのジェニファーさん、ご存知でしょうか?」
「あー」
俺とラウルは同時に声を出した。受付のお姉さんたちの中でも、こども好きというか、面倒見良さそうではある。
ただ、なんとなく気にかかるものがあって彼女の仕事ぶりを尋ねてみると、院長先生は慈愛のある笑みを浮かべた。
「とっても情感豊かな先生です。読み聞かせの時、こどもたちと一緒に涙ぐんだりして」
「ああ、わかります」
結婚式の準備で裏方として彼女と関わって、そういう涙もろいところとか感受性の豊かさとかは、よくわかっていた。そういえば、魔法庁の職員とも割と早くに打ち解けていたような気がする。何にせよ、先生が不足するって心配はなさそうだ。
それから、院長先生がここのルールをラウルに説明していく。院長先生の人柄によるものか、ラウルの緊張が少しずつほぐれていっているのを見て安心した。説明に対し、ひっかかるものもない感じだったから、特に問題なさそうだ。
……と思っていたけど、院長先生の説明が一通り終わったところで、ラウルはテーブルの上に合わせた両手に視線を落とし、静かに考え事を始めた。
「何か、気になることが?」
「! いえ、そういうわけではないんですが……こういうことに興味を持っていそうな子を1人知っているので、その子も誘ってみようかと……あ、もちろん俺もがんばりますよ!」
“いきなり代理を立てたと思われかねない”と判断したんだろう、ラウルが慌てて付け足した意思表示に、院長先生が温かな視線を彼に返すと、彼は顔を赤くして少し縮こまった。他人から見れば、俺もこんな感じなのかもしれない。彼のこういうところには、強いシンパシーを覚えた。
「知り合いって、俺も知ってる人?」と問いかけると、彼はうなずいて答えた。
「シャーロットだよ……覚えてないか?」
「ん~、ああ、あの子か」
闘技場が襲撃を受けた時、彼と一緒に助けた子だ。延期になったDランク試験当日に会ったっきりだったけど、ラウルとは何か縁があったらしい……深く突っ込むのは野暮な気がするな、これ。
会った時に話した印象では、真面目で優しそうな子だった。こどもに悪い影響は与えないとは思う。ただ、たまにここの子はとんでもない質問を仕掛けて来ることもあって、そこは少し心配だった。
「とりあえず、ここで一回先生やってみて、それから誘ってみたらどうだ?」
「それもそうか……別に構いませんか?」
ラウルが問うと、院長先生は笑顔で応えた。
☆
「良くお似合いです、リッツさん」
「ここに来るたび、それ聞いてる気がしますね」
「仕事ですから」
ニコニコしている店員さんに、わざとらしく少し冷ややかな視線を送った後、2人で少し笑いあった。
孤児院の後は、エスターさんに挨拶しようと店へ向かったら、中でさっそく店員さんに捕まって「本格的に寒くなる前に」と服を勧められているところだ。
紹介されたのは薄手のトレンチコートみたいな上着だ。動いているうちに暑くなるからということで、冒険者にはあまり厚手のコートは人気がない。それに、荷物としての取り回しとか手入れも考えると、薄手の素材の方が何かと便利だそうだ。
袖を通したコートは、防寒性ということではちょっと頼りなさげな印象があったけど、自分の動きが鈍らない装着感の軽さには好印象を持った。店員さんいわく、表面からの風はきちんと防げて、こもりすぎた熱は外に追い出せるらしい。たぶん、ウィンドブレーカーみたいな感じなんだろう。
着心地の良さと店員さんの説明に納得し、会計を済ませる。その時になって、本来の用件を店員さん共々思い出した俺は、奥の応接室に案内された。
ソファに腰掛けて待つと、すぐにエスターさんがやってきた。ほとんど待たされなかった感じだけど、店には客足が戻ってきたようで、やっぱり忙しいだろうと思う。
長居しては悪いなと思って、手短に来意を告げると、向かいに座るエスターさんは、複雑な表情で俺を見つめてきた。嬉しいような心配しているような、そんな感じの顔だ。
「お呼びが掛かっての参戦だなんて、ご立派です」
「うーん。念の為呼んでみるか〜、ぐらいの感覚で呼ばれてる気もするんですけど」
「それでも、ですよ。名指しで呼ばれるということは、一個人として注目されているということですから」
確かに。今回の参戦要請は、何かの集まりの一員として十把一絡げに呼ばれたんじゃなくって、俺個人への要請だった。そのことが、今感じているプレッシャーの一因なんだろう。
その後、遠慮はしたものの茶菓子を出され、エスターさんの勧めもあって、ちょっとしたティータイムをご一緒した。その場の流れで、茶を運んできた店員さんも一緒に。
その時の世間話で、商売の近況を教えてもらえた。見た感じに違わず、景気は少しずつ上向いているらしい。それと……婚礼衣装の引き合いが増えたんだとか。
「リッツさんのおかげですね」と、エスターさんと店員さんに礼を言われた。元はと言うとネリーの話に乗っただけなんだけど。それでも、礼を言われるのは嬉しかったし、こういう形で自分たちの頑張りの影響を聞けたことに、なんとも言えない、暖かで満たされる感じを覚えた。
☆
日が沈んでから、買ったばかりのコートを羽織って闘技場に向かうと、相変わらず工廠のみんなと魔法庁の監視員さんがいた。
まずは、工廠のみんなに挨拶をする。俺の呼ばれ方は今まで以上にバラバラで、わざとやってるんじゃないかって感じだったけど、悪い気はしない。
当たり前だけど、工廠の中でも遠征の件は周知されていて、闘技場のことも合わせ、突発的な仕事に結構人手を取られている感じだった。
「いつもの、自分の研究に取り組めなくて、不満じゃない?」
「そーでもないんだなぁ、これが。意外と新しい発見とかあるしさ」
「だよねぇ」
新しい仕事は新しい勉強の機会と、ものすごく前向きに捉えて取り組んでいるようだ。ノリが軽いところはあるけど、こういう自分の仕事に熱心で真摯な所は立派だと思う。そう素直に伝えると、みんな少し誇らしげにふんぞり返った。
ちなみに、工廠から遠征に参加する人員は、まだ決定していないらしい。ただ、シエラは間違いなく外れるとのことだ。
「ほうきの件があるから?」
「いんや。それもあるけど、どっちかっていうと闘技場の方」
闘技場の機能回復にあたり、彼女は過去の文献などを漁って、回路の確認構造を理解する作業に回されているらしい。そういう古い文書とかの読み取りをするに際し、アタリをつけて読み込むセンスがずば抜けているそうだ。たぶん、ほうきの研究で身につけたスキルなんじゃないかとのこと。
結局、誰が参加するかわからないから、向こうで会ったらまたよろしくと言ってその場を後にした。
続いて魔法庁の監視員さんに挨拶をする。もちろん、魔法庁でも話は行っているんじゃないかと思うけど、色々聞きたいこともある。
俺が遠征の件を切り出すと、監視員さんはにわかに心配そうな表情になった。
「そこまで心配しなくても……」
「私達がいないのをいいことに、向こうで複製術を使ったりは……」
「やらんて」
すると、彼女は表情を崩してクスッと笑った。こうして禁呪絡みでジョークを飛ばされるまでになったんだから、我ながら大躍進だと思う。
魔法庁側の参加者も、まだまだ決めかねているらしい。というのも、若手を中心として積極的に参加表明があったからだ。目の前の彼女もその1人だという。「向こうで会ったらよろしく」と言うと、「きちんと見張ってあげます」とにこやかに返された。
「それと、式の事業化の件って、何かご存知ですか?」
「ええっと……内緒ですよ?」
ほとんど関係者になりつつあるからだろう、彼女はちょっと釘刺す程度の前置きをしてから、内緒話を打ち明けてくれた。
複製術による婚礼演出の事業化は、ほぼ間違いなく可決される流れになっていて、現在は実際の運用について議論や準備が始まっているところだそうだ。そこで大きな問題が見つからなければ、晴れて事業になるという。
「年明けに最初の1組を、そういう感じでの調整に入ってます」
「なるほど、縁起のいいスタートにってことですね」
「はい……ですから、絶対に帰ってきてくださいね」
少し上目遣い気味に見つめ、両手を差し出してきた彼女に、少し頬が熱くなるのを実感しつつ俺も手を伸ばすと、少し小さな手が俺の右手を包み込んだ。
本当に、仲良くなったと思う。一時は牢にぶち込まれるぐらいの人間だったってのに。
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