第157話 「アムゼーム盆地」
12月1日6時前。まだまだあたりが薄暗いなか、王都の西門前には大勢の人間が集まっていた。頬を斬りつけるような冷たい風が吹き付けてくるけど、少し汗ばむ感じがするくらいに場には熱気が満ちている。
名簿を片手に持ったネリーとギルドの事務員さんが、遠征に参加する冒険者が揃ったことを確認すると、彼女たちは顔を見合わせてから少し固い表情でうなずいた。事情を察した仲間たちが、励ましたり囃し立てたり。
それから彼女たち2人は、ギルド側の準備が整ったという報告に向かった。その先には殿下がおられる。報告に際し、2人がひざまずこうとしたのが見えた。それを手と言葉で制している殿下の姿も。
短い間――彼女たちにとっては長く感じられたかもだけど――言葉をかわしたかと思うと、2人はこちらへ小走りでやってきた。その表情は少し固めだけど、笑顔だった。
仲間が聞くより先に、ネリーが口を開く。
「頼りにしてるって、仰せになられて」
「まぁ、ギルド側の面倒までは見られないもんな」
「そりゃーね」
国とギルドは協力関係にある。並び立つ感じで存在しているわけで、いくら殿下といえどもギルド側の運営に干渉というのは難しい。頼りにしているというのはそういう意味なんだろうけど、直接お言葉をいただけたというのは格別なんだろう。報告に向かった2人は、緊張している感じはあるけど報告前よりも気力が満ちている感じがした。
出発は予定通り6時きっかりになるだろう。それまでいくらか時間がある。仲間と話をしつつ、集まった顔ぶれを眺め回した。
主力になるのは俺達冒険者で、30人ぐらいいる。男女比は2:1ってところか。次に大きい勢力が衛兵隊だ。彼らも戦うんだろうかと聞いてみた所、盆地での監視部隊との入れ替えのための人員らしい。定期的な入れ替えはもちろんやっているものの、今回は異常が起こりつつある先触れの間に、疲弊した人員を取り替えたいとのことだ。
魔法庁と工廠は、それぞれ数人程度の集まりになっている。見知った顔が半分以上だ。瘴気の中での行動に関する検証とか、他にも何らかの諸用のため彼らが駆り出されている。彼らが何をするのか気になるけど、実は事前に口頭で、彼らに協力するように言われていた。だから、たぶん遅かれ早かれ彼らの任務に触れることにはなるだろう。
全体の統括は、殿下とその側近が2人。側近といっても、かなり表情や動きには固いものがあって、お側で動くのに慣れてない感じに見える。それと、かなり若い。なんだか、将来有望な新入社員が、いきなり役員秘書に付けられたみたいな感じだ。
彼らだけじゃない。全体的に、この場にいる人員は、大半が若者と言っていいぐらいの年齢だ。例外は衛兵隊で、他の集団よりは少し平均年齢が上っぽい感じだ。
若手ばかりというのに気づいたのは、俺だけじゃなかった。誰かが「みんな若くね?」と指摘する。
「寒いし遠出だし、若いやつじゃないとキツイんだろ」
「そんだけか?」
「あとは、やる気か? 若いやつのほうが積極的だとか。知らんけど」
年齢層の偏りは、気にする者もいればそうでない者もいた。何かの原因があって自然とこうなったのか、あるいは何らかの意図があってこうしたのか。そういった疑問で場に集ったみんなの熱気が冷めるようなことはなかったけど、それでも年齢層のことは少し気にかかった。
出立の予定時刻になると、誰かが号令を取るでもなく自然と周囲が静かになった。時折吹き付けてくる冷たい風だけが音を立てて自己主張してくる。
雰囲気ができあがってから、殿下は側近にうなずき、みんなが見えるように集団の前方中央へ歩み出られた。そして、静かに語られる。
「まずは、今回の遠征に参加してくれたことに礼を。瘴気が濃い地への遠出にも関わらず、参戦してくれた諸君には大変感謝している。しかし、決して無理はしないでほしい。現場の兵も君達も、私にとっては大切な臣民だ。どうか無事に帰って、またこの場所で私の礼を聞いてくれないか」
殿下が俺達に語りかける、その声は穏やかなものだったけど、スッと心に入り込んで揺り動かすような力がある。
殿下の話が終わると、直立不動だった人の集まりが膝を折り始め、それを殿下が慌てた声で止められた。そして、殿下は俺達に微笑みを向けて仰った。
「述べられた礼に対して、君達のほうがさらに礼節を示したというのでは、私の立つ瀬がないじゃないか」
殿下のご挨拶が終わると、角張った動きをしている側近の方が前に出て、行進の順序や旅程について最終確認を始めた。
それも済むといよいよ出発だ。いつの間にか、城壁前にはお見送りの方々が並んでいる。中には殿下目当ての方もいるだろうけど。
殿下は、そんな見送りの方々に全身を向け、一礼した後によく通る声で「彼らをお借りします」と仰せられた。そのお言葉に、お見送りの方々の一部は両手で顔を覆ったり、深々と頭を下げたり。
ご自身の言葉に対する臣民の反応を見届けた後、殿下は向き直り「では、行こうか」と、明るい声で号令を掛けられた。
行進の順番は先頭に衛兵隊。隊の後方で彼らに囲まれるようにして、殿下と側近。それに続いて魔法庁と工廠、最後に俺達冒険者が続く。
行進を開始した直後、前方はかなり静かだった。正規の兵の方々だから、行進中にべらべらくっちゃべるような習慣はないのか、あるいは殿下がおられるからだろうか。
前の方があまりに静かなものだから、さすがに俺達も少し声を出すのに恐縮するような空気はあったけど、一言も話さずに歩きだして2,3分もするとひそひそ話が始まった。そして、それがいつもの話し声になるのには数分もかからなかった。
最初の話題は大物、
「俺らでも倒せるんかね。そのために呼ばれてるっぽいんだけど」
「数で押すみたいな話だったろ。だったらいいんじゃねーの」
呼ばれている冒険者はEからDランクが中心だけど、質よりも量でということならば、俺達でもなんとかなるんじゃないかという感じはある。
怖気づくほどじゃないけど心配に思う声は、その後もいくらか上がったけど、上の方で何とかできるという見立てがあったからこその依頼だろう。やる前から尻込みしても仕方ないということで、この話は終いになった。
続いての話題は年齢層に関してだ。出発前にも少し話題に出た件だけど気になるものがあるということで、仲間内では事情通で知られる奴が、前方の様子をうかがいながら遠慮がちに切り出す。
「実はな、王太子殿下は俺らよりも少し上の世代では、あまり良く思われていないんだとさ」
「へぇ?」
「あまり王都におられなかったからってのもあるけど……ご出生の後に良くない出来事が続いたから、なんつーか、縁起が良くないみたいな?」
良くない出来事ってのは何だろう。気になっているのは俺だけじゃないようで、みんな静かに彼の話の続きを待った。たぶん冒険者は王都の外出身が多いから、みんなもそういう事情に疎いんだろう。
事情通の彼は、再度前の方に注意を傾け、それから辺りをはばかるような小声で昔の件を話し始めた。
まず……殿下がご出生された時、王妃が亡くなられた。それから数年後、年が離れた殿下の兄君――つまり、元の王太子――が戦死されている。その頃から陛下は王城にこもりがちになり、ご政務に携わることもほとんどなくなって、下々に任せっきりになったそうだ。
殿下のご生誕前には、国の誰もが陛下を名君として仰いでいた。それが今では……そういう思いがあって、ご健在な頃の陛下を知る層にとっては、殿下は不吉な存在だと見る向きもある。もちろん全員がそうというわけじゃないけど、殿下がおられるからこその国の亀裂というものは、確かにある。
彼の説明が終わると、誰も言葉を発せなくなっていた。俺から少し離れた所で女の子達と歩くお嬢様も、痛ましく深刻な表情でうつむかれている。
そんな彼女の顔を見て、俺は遠征前にお屋敷に向かった時の、奥様の言葉を反芻した。お嬢様と殿下をよろしくってのは、別に今聞かされた件のことを差しているわけじゃないんだろうけど、無関係という気はしなかった。
それと閣下が最前線へ発たれる前にも、殿下の話し相手になって差し上げてくれ、そんな話をされた。
殿下に対して、俺が何をして差し上げられるかはわからない。俺が思っているよりもずっと、重い物を抱えておられるんだろう。でも、これまでは殿下の話し相手にということを重荷に感じていたけど、今は少しぐらい背伸びして頑張ろうか、そう思えるようになった。
そうやって人知れず決心した俺の背を叩くように、誰かが朗らかな声で叫んだ。
「よし、今回の依頼も成功させようぜ!」
「おー!」
女の子の一団が声を揃えて右腕を天に突き出した。
後ろの方で俺達が急にやる気を出したことに驚いたのか、衛兵隊の最後尾の方が振り向き、それから揃ってガッツポーズを取っている俺達に、微笑ましげな視線を送った。
☆
3日に渡っての行進は、1日だいたい10時間ぐらい歩く感じだ。ただ、途中で何度も何度も休憩を挟むから、そこまでの負担感はない。
行進中、進むほどに隊列は少しずつ崩れた。崩れたと言うか、組織の垣根を超えたというほうが正しいのかもしれない。ちょっとずつ、それぞれの組織の集まりがほぐれて、混ざり合っていった。
それに対し、衛兵隊の隊長さんは、事前のやり取りは重要だと考えているらしい。行進の妨げにならない範囲においては、そういった隊列の乱れは許容すると明言した。
そして……この宣言で一番自由になったのが殿下だった。特に会話で盛り上がっている所があれば、そこに何食わぬ顔で混ざっていって、何か仰るわけでもなくひたすらに耳を傾けておられた。
そんな殿下に聞かれながらの話は、やっぱりみんな気を使うようだったけど、先に聞かされた生い立ちの件もあり、気を遣いすぎるのも……そんな空気が冒険者の中にはできあがっていた。そんなわけで、みんな少し緊張しつつも、殿下がお傍におられる中で普通に会話していった。
☆
道中、2回ほどそこそこの大きさの町で宿を取り、進行して3日目の夕方前。前方に、少しなだらかな山が連なっているのが見えた。
あの向こうが……みんなそう思ったんだろう。緊張と興奮が伝播していって、急に静かになった。そんな俺達冒険者の様子を見て、衛兵隊の隊長さんと殿下が何か話し合っている。
それから、隊長さんは俺達に向き直って言った。
「ここまで歩いてきて、疲れているか?」
「はい、それなりには」
「なるほどな。あそこに登って一望しようかと思っていたが、やめにするか」
腕を組んで彼がそう言うと、先の問に答えた冒険者は首を横に振って「大丈夫です!」とものすごく元気な声で答えた。その返事のあとに、みんなの笑い声が続く。
上から眺めたいという気持ちはみんな同じようだ。互いに顔を見合わせて意思を確認し合うと、ここまで歩き続けたものの、表情には疲れを感じさせない力強さがあった。
ただ、隊長さんは俺達の意気を前にしても慎重さを崩さなかった。俺達一人一人の顔色だとか、待機姿勢をじっと見つめ、ここまでの行進後にちょっとした登山ができるかどうか検討しているようだ。
「……とりあえず大丈夫そうだが、あそこに連れて行くには条件がある」
「条件ですか?」
「余分に疲れるからな。今日は早く寝ること」
実際は寝られるかどうかわからないけど、それでも寝ろってことだろう。そんな命令に俺達が威勢よく返答をすると、彼は顔の力を抜いて微笑み、部下に指示を飛ばして隊を分けた。山登りせず事前に決めたルートを進む隊と、俺達冒険者を中心に魔法庁や工廠の職員も混ざって、一緒に登る隊だ。
隊を分けて隊長さんと殿下を先頭に進むと、程なくして山のふもとに到着した。山の高さや傾斜はさほどでもない。問題はここまで歩きづめだったってことだけど、まだ見ぬ景色への興味が体を奮い立たせた。
登るにつれ、みんなの口数が少なくなっていった。そのことを意識すると、急にあたりの雰囲気に、どこか神秘的なものを感じるようになった。山の地面はびっちり草が生えていて、こうして俺達が歩いている物見台への道は、山肌がむき出しになっている。なんでもない登山道のはずなんだけど、少し奇妙なくらい艷やかな草が夕日を受けて輝き、対象的に暗い色の土の道がすごく陰気な感じだった。
やがて、小さな山の頂上にたどり着くと、盆地の全景が目に飛び込んだ。
艶のある茜色の器の中、半透明な赤紫の霞が漂っていて、ところどころに色が濃い部分が斑点のようになっている。
寒気がするほどおどろおどろしくて、それでいて幻想的な光景だった。
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