第144話 「自尊心」

僕が王都での潜入から帰還し、2ヶ月ほどが経過した。その間、何事もなかった。水面下での動きを探ろうとしても、本当に何の動きもない。一度王都を陥れたものの、そこから続く動きがないことに疑念を抱かずにはいられなかった。

 しかし、結局師は何も言われなかった。僕の方から聞き出そうという気は起きず、ただ居城で出くわす際に、師から何か切り出されるのではないかと考えていたのだが……。

 師からは、単に無視された。小言すらなかった。僕に対する扱いは、それこそ”目”を任されることも各軍の下につくこともない、そのへんの有象無象と大差ない。そのことが屈辱だった。

 帰ってきて以来、周りの視線がずっと気になった。一定の成果を挙げて帰ってきたものの、そこから先がないことに焦りはある。このままでは、内心馬鹿にしてきた連中と同様に、ただこの城の中でくすぶり続け、機を見ては人間の領地に繰り出して下らない憂さ晴らしに勤しむ……そんな風になってしまうのではないか。

 結局の所、あの策は師の考えあってのものであり、僕はその線をなぞったに過ぎない……そんな声が、下の連中の間で囁かれているようだ。妬みやっかみだと思ってあしらいつつも、実のところ師の反応を待つばかりの自分自身に気づいて、そんな自分に嫌悪した。

 僕の方から動かなくては。



 城の中では、魔人の誰もが自室を持っている。ただ、部屋が物語る主の格というものは厳然としてあり、最上部にある魔人の五星を筆頭に、その下の幹部連中、目の担当と続いていく。最下層の何の役目もないただの魔人にあてがわれているのは、安宿程度の一室だ。

 今僕が訪れた部屋は、目の担当をしている連中と同程度の格で、かなり広く優美な装飾が施されている。僕よりも少し格上というころだ。

 そして、この部屋の主は一度の実戦経験もない。仲間内では”王子”と呼ばれているが、口の悪い連中は”お飾り”と呼んでいる。あながち間違った表現でもないと、当の本人は笑いながら蔑称を受け入れているが。

 そんな彼に、僕は今度フラウゼ王国の王都周辺を襲撃する計画を伝えた。

「なるほど、そちらの考えはわかった」彼は言った。「余剰戦力を結集して、強襲しようと」

「ああ。君も参加しないか」と僕が提案すると、彼は顔を歪ませる。


「誰かの下について戦う気はない」

「……そのうち、自分の戦いができると?」

「私の名を冠する戦いが必要になるからこそ、私はここに置かれているんだろう?」


 いずれ使われるだけの旗印に過ぎないことを自覚しながらも、彼は淡々と言いきった。その言葉に自嘲の響きはない。利用されることを是とするような姿勢や焦りのなさを見せる、そんな彼の態度がまるで僕とは対照的なように感じられて、気がつくと僕は奥歯を強く噛み合わせていた。

「私を上においてもらえるならば一考するが」と彼は笑いながら話しかけてくる。僕は、黙って首を横に振った。すると彼は、そのままの笑顔で僕の作戦について問いかけてきた。


 実のところ具体的な作戦なんて無い。そう正直に答えると、彼は目を丸くして何の返事もできなくなった。その様子を見て少し快感を覚えつつ、僕は考えの続きを伝えた。

 今から詳細な策を練ったところで、この城でくすぶってるような連中がそれを遂行するとは思えない。うまく行かなくなって、途中で瓦解するだろう。それよりは、攻めのタイミングだけ示し合わせて、後は野放図に暴れさせたほうがずっといい。

 前の潜入作戦と襲撃は、周到に用意された準備があってこそのものだった。あの事件の後でこちらから行動を起こしたのならば、どれだけ短慮な仕掛けであっても、相手は深読みせざるを得ないはずだ。そうして相手の判断が遅れている間に強襲し、頃合いを見計らって帰還すれば、次の黒い月への牽制にもなる。

 黙って僕の考えを聞いていた彼は、僕の話が一段落すると真顔で問いかけてきた。


「確実に全員が帰還できるというわけじゃないだろう? 上の許可を得ないまま動くならば、門もさほどの精度では使えない。そうなると、緊急の備えがないわけだが」

「別に構わないだろう」


 彼は唖然とした。そんな彼に、僕は言葉を続けていく。ここで大した役目も負わされず、不遇をかこつだけの連中がいくら消えようが、上は気にも留めないだろう。それに、今から誘う連中が「もしかしたら相手次第では帰れなくなるかも」などという謙虚な考えをできるわけもない。機会さえあれば他よりもうまくやってみせると、そう息巻いているような連中だ。帰還の算段は、気が済むまで暴れまわって、落ち着いてからやればそれでいい。たとえその時、何人か減っていようが。

 僕の考えに、彼は呆れつつも合点がいったようだ。


「君の案は粗暴だが、理にかなっているところもある。上は認めないだろうが」

「勝手にやる分には構わないだろう。やるなという指示もない」


 まるで子供の言い訳みたいだと、言ってから感じた僕は、目の前の彼と一緒に苦笑いした。その後、彼はただ「健闘を祈る」とだけ言った。



 壁一面に整然と書棚が並ぶ、広い執務室の中心で、カナリアと大師は机を挟んで向かい合っている。

 魔人の頂点の一角が相手ではあるが、カナリアはあまり遠慮を見せない。机に頬杖をつきながら、トロンとした目つきで師を眺めている。

「デュランが色々動き回っていますけど、どうします~?」とカナリアが甘い声で囁くように尋ねても、大師はさほど興味を惹かれなかったようで、ただ静かに首を横に振った。

 この場合の横に振る動きが、「捨て置け」なのか「許可しない」なのか、カナリアは察しがついていた。師はデュランの放置を継続する考えのようだ。


「あの子もちょっと可愛そうですよね~。あんなに1人で頑張ったのに~、こんなにみんなから軽んじられて」

「あまり心にもないことを言うな」


 師がピシャリと言い放つと、カナリアは短く舌を出した。


「でも、どうして皆様放って置かれるんです? 軍師様や皇子様は、彼に好意的だったみたいなんですけど」

「直接読みに行ったらどうだ」

「お師匠様ったら、意地悪なんだから。読みに行ったら殺されちゃいますよ~」


 カナリアの知りたがりは、今に始まったことではない。ただ、普段であれば放置しておくだけで、勝手に自分で調べて報告に来る。見せかけの態度とは裏腹に、大師から見れば手間がかからない部下だった。しかしながら、今回の案件はさすがに勝手に調べさせられるものではない。

 紙の上を走らせている手を止め、大師はいくらか考え込んだ後カナリアに問の答えを返した。


「聞いたわけではないが」

「それは、わかってます~」

「今、手を差し出したのでは、拾ってやるような形になる。彼の自尊心を慮って、慎んでいるのだろう」

「それってつまり、彼が何か自分で功績を挙げないと、拾ってもらえないってことですよね?」

「そうだ」

「そうなったら拾います?」

「状況次第だ」


 5年も配下を敵地に放り込んでおいて、帰ってくるなり切り離し、自分で手柄を上げたらまた拾ってやるかもしれない……そんな師の底意地の悪さにカナリアは苦笑いした。

 とはいえ、こういった対応を取るのにも理由はある。デュランは潜入作戦の成功を、大部分は師の功績と認める一方で、自分の貢献も大きく主張したいができずにいる。そんな彼の抑圧されたプライドを師は見抜き、指摘した。


「彼に一度自分でやらせてみて、手痛い失敗をしたならばまた拾う考えだ。そうなれば本当に忠実な手駒となるであろう」

「成功して戻ってきたら?」

「自分で策を作って動かすことの何たるかを知ったのなら、下に迎えるつもりではあるが……」

「調子に乗って、偉そうにしそ~」

「そうなれば失敗するまで繰り返させれば良い」


 彼の去就にさほど興味を示さないようで、紙に何か書き付けながら師が淡々と話す。その紙にカナリアは視線をやったが、内容まではわからなかった。

「彼の動きが、邪魔になったりはしないんですか?」とカナリアが問うと、師は「問題ない」とだけ答えた。その短い解答に、カナリアが理由をと食い下がると、師は紙から視線を上げて話し出す。


「毛色の違う攻撃を挟むのは、それが成果を挙げなかったとしても、大局的には効果的ではある」

「そうなんですか?」

「指し手が1人か複数か、そこで動揺させられるだろう。まずは国の上を揺さぶってやることだ。そうしてできた亀裂に、本命の策を打ち込んでやれば良い」

「なるほど~。では、こっちの頭数が減るかもしれないことに関しては?」

「問題ない。結局は誰の配下でもない程度の連中を出すだけだ。聖女殿はむしろ喜ぶだろう」


 下々への配慮を全く見せない師の辛辣な答えに、カナリアは「あはは」と返した。役立たずの有効利用といったところだ。頭数が減ったら減ったで調達に駆り出される羽目になるのは、カナリアとしては少し面倒な話ではあるが、自身の駒を探すには良い機会でもある。

「最後にひとつ」そうカナリアが少し改まった口調で切り出した。


「あの子が消滅したらどうします?」

「消える前にうまく使えたと思うしか無いな」


 本当に辟易するくらい、冷酷な師だった。悪意も害意もなく、ただただ冷淡に相手を使うだけなのだから、なおさらたちが悪い。

 頬杖に頭を預け、ぼんやりと視線を宙に漂わせながらカナリアはデュランのことを思った。からかい甲斐がある子だし、いなくなったらもったいないかな、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る