第145話 「墓参り①」
11月2日、昼頃。フラウゼ王国、王都衛兵隊所属の巡視第2部隊は、王都から北東にあるシュタッド自治領に近い小さな町で聞き込みを行っていた。特に何か目当てのものがあっての聞き込みというわけではなく、パトロールの一環として行っている業務だ。
先日、王太子が王都に戻ってからというもの、街道の人通りはいくらか増えた。増えた内訳は商人や武芸者、あるいは魔導師など。王太子へのお目通りを狙うのではなく、王太子へ近づこうと王都にやってきた貴族や実力者に取り入ろうという、そういう層が街道を進んでいるわけだ。
そういった人の流れ自体は、問題というわけではない。沈みがちだった王都の雰囲気を考えれば、むしろ好ましくさえある。
しかしながら、そういった人の流れに紛れ、良からぬ輩がまた王都への潜入を考えているのでないか。衛兵隊の中ではそういった懸念があって、あの襲撃以降の巡視体制を維持していた。実際、王太子が王都へ帰還してからすぐ、予想通りに街道の人通りが増した事実があり、この体制はしばらく続けざるを得ないというのが王都の防衛関係者の共通認識だ。
そういった前提があっての聞き込み業務であり、些細な情報であっても聞き逃すわけにはいかない、かなり重大な仕事となっていた。
☆
「ご協力どうも」と隊の副長が情報提供者に礼を言うと、礼を言われた青年は小さく頭を下げて去っていった。すると、すぐに別の隊員が駆け寄り、副長に問いかける。
「何かありました?」
「ちょっと妙な人物に、近くの墓場までの道のりを聞かれたんだとさ」
「墓、ですか」
副長がぼやくように答えると、寄ってきた青年の隊員は地図を取り出した。このあたりの地勢を細かに記した地図は、長年の使用と多数の書き込みでボロボロになっていて、何とか地図の体面を保てているといった感じだ。
彼が一度広げては手早く折りたたみ、持ちやすく見やすいように整えると、副長もその地図を覗き込んだ。地図には、それらしい墓はない。怪訝に思って隊員が問う。
「地図に載ってない墓ですか」
「ああ」
「その墓を目当てにした誰かが、道を訪ねたんですか? あるいは、とにかく墓なら何でもいいとか?」
「お目当ての墓があるんだと」
隊員はホッと一息ついた。そんな頭の回転の良い部下に、副長は少し助けられたような気持ちになった。
誰の墓でも良い、そんな人間が地図にも載っていない墓へ向かったというのは、何かしら犯罪に手を染めている可能性がある。例えば埋葬品を暴く、または逆に遺棄する、あるいは……9月の騒動で魔人側に
では、誰かの墓が目当てだったとして、純粋に墓参りだと断言できるかと言うと、そういうわけでもない。誰の墓でもいいというやつよりは怪しくないという程度の話で、その人物が目当ての墓で悪行をしないという保証はなかった。単に墓参りであればよいのだが、そう信じきれないのが、今の巡視の仕事だった。
「それで、道を尋ねたのはどんな感じの人なんです?」と隊員が聞くと、副長は言いよどんだ。妙な人物が道を尋ねた、そう言っていたことを思い出したのか、隊員は身構えた。
「道を尋ねたのは、なんだか身なりが良い美男子だったんだとさ」
「……どっかの貴人ですか? 供回りは? それと態度なんかは」
「単独だったそうだ。特に高圧的なところもなく、道を教えられるなり礼まで言ったそうだ」
話を聞く限りでは、何かお忍びで来ているような、しかしそれにしては身なりへの気遣いがない不思議な来訪者だ。語る副長も聞く隊員も、会話が途切れるとみるみるうちに難しそうな表情になっていく。
やがて、副長は大きなため息をついた。「みんな呼んできてくれ」と隊員に頼むと、頼まれた隊員は「了解です」と足早に駆け出していった。
☆
町から例の墓までは、1時間弱の道のりになる。といっても、直線距離であれば大したことはないが、途中に森があって、人通りの少なさから森の中に道と呼べるようなものはない。ただ、例の墓には言い伝えのようなものがあって、あの町の住人にその場所だけは知られている。
その森の中の墓へ向かい、総勢8名の隊が歩いていく。歩きづらいという森の中を進むと聞いて、隊員の大多数はブーイングした。そんな隊員たちに、副長が苦笑いしつつ向き直る。
「しゃーねーだろ、コレも仕事だ」
「そっすね。でも、コレで面倒になったら大変っすね」
「隊長が腹痛で寝てるし」
「まったくだよ」
この場にいない病欠の隊長をみんなで笑いながら、隊は歩を進めていく。
目当ての森が視界に入ると、街道から続く道がないことを確認し、本当に面倒くさいルートだと一同で辟易した。
森に入る前に、周囲をあらためて確認する。近くには誰もいない。もしかしたら、目当ての人物と入れ違いになっている可能性はあった。ただ、それでも墓で墓参り以外の何かをしたのならば、その痕跡や証拠を確認することはできる。もちろん、当事者に出会えればベストだが。
「道聞かれたのっていつ頃なんスか?」
「昼前だったらしいな。俺達と入れ違いってところだ」
「だったら、長めに墓参りしてほしいスね」
「だよなぁ」
森の中は本当に誰も行き来していないようで、邪魔な枝や蔦を適宜切り払っては即席の道にして、隊は少しずつ進んでいった。もしもの時のため、少しでもマシな退路をという考えがあってのことだ。とはいえ、目当ての人物に出会いかけて見失うリスクを考えると、本当に最低限の手入れしかできないが。
そうやって隊は、自然と格闘しながら進んでいった。野生の獣などは、幸いいなかった。町でそういった獣を見かけたという報告は出ておらず、特に気にする必要はないだろうと副長は考えていた。それよりも、件の人物に出くわしてしまったときのことの方がずっと大きな問題だ。
なかなか進みが遅い行進に、気を紛らわせようと隊員が口々に会話を始めた。
「その情報提供者なんですけど、話を盛ってるだけとかは?」
「そこまで怪しくない人物だって? それでも、墓には行ったんじゃないのか?」
「あーそうだけど……いや、本当に行ったかどうかってのはわからんだろ」
確かに、聞き込みでわかったのは道を尋ねられたと言うだけで、実際に墓へ行ったのを確認したわけじゃない。もしかしたら、無駄骨に終わるかもしれない……そう考えた隊員が何名か、やれやれと言わんばかりに肩をすくめて力なく笑った。
そんな隊員を見て、副長は「外れだったら俺達が墓参りして帰りゃいいだろ」と少し投げやり気味に言った。
実際、誤報と言わないまでも、情報提供者の考えすぎだとか警戒しすぎというのは問題になっている。例の襲撃以降、王都だけでなく近隣の町村においても、見慣れないものへの警戒心は強まっていって、そういった国民の心理は「怪しい人物を見た」という報告の急増という形でわかりやすく表出していた。
仕方のないことではある。しかし……副長はため息をついた。誤報が増えれば無駄骨に終わることも増える。そして何より、人と会うことが重要な仕事の1つである巡視隊において、国民が猜疑心に苛まれているのを見せつけられるのは、決して愉快なことではなかった。
森の中は静かだった。途中で小川に出くわすと、そのせせらぎが意外なほどに大きく聞こえる。隊員の1人が「自分の墓を構えるなら、こういうトコがいいですね」と言った。
「誰もこねーぞ」
「静かな方がいいって」
「そうかぁ?」
見つけた踏み石で小川を超えつつ、墓についての談義が始まったところで、先行していた隊員の1人が少し顔を青ざめさせて戻ってきた。彼は唇に一本指を当て、それを認めた他の隊員はすぐに口を塞いだ。
それから副長が彼に歩み寄り、小声で話しかける。「例の?」「います」と短いやり取りの後、副長は目頭をつまむように指を当てた後、苦笑いする隊員たちに手で指令を下し、自身が先頭に立つよう陣形を整えた。
先行した隊員が来た方に副長が目をやると、木々の合間から少し開けた空間を彼は確認した。そしてその中に1人、墓石らしきものの前でひざまずく姿が。上下ともに黒い装いで、髪は長くクリーム色。顔は見えないが、おそらくは美男子なんだろう。
ここから見た感じでは、墓参りのようではある。が、実際にどうかはわからない。副長は人知れずため息をついた。墓参り以外の何かであれば大問題だろうし、単に墓参りであっても、目の前の彼のプライバシーに踏み入るような質問をせざるを得ないだろう。因果な仕事だ。
とはいえ迷う時間はほとんどなかった。数秒程度の間に彼は色々な覚悟を決めると、後に振り向き付いてこいのジェスチャーをしてから、墓の方へ歩んでいった。
そして、副長が森と墓を隔てる最後の線を踏み越えると、それまで墓前で膝を折っていた彼が立ち上がった。彼が隊へ向けたその整った顔には、少し陰気で湿った雰囲気が漂っている。しかし、害意や敵意のようなものはなさそうだと、副長は感じた。
「墓参りですか」と、副長は切り出したが、言ってから少しバカな質問だったと思い、後悔した。墓参りじゃないやつが素直に答えるわけないだろうし、墓参りしてるなら怪しい質問だと思うだろう。
しかしながら、そんな彼のちょっとした煩悶をよそに、質問された青年は「ああ」とだけ答えた。
「あー、すいませんね。邪魔しちゃいまして」
「いや、いいんだ。あなた方は、ここの誰かに用事が? あるいは、私に?」
青年の問いに、副長は墓場へ視線を走らせる。大半の墓石には草なり苔なりが無遠慮に生えていて――いや、寄り添っているのかもしれない――碑銘が刻まれていたとしても、風化しているのではないだろうか。
「うちの隊員は、ここの誰とも縁故はないですね。用があったのは……あーなんですかその、つまりは誰もこない墓に用があるという貴方を、少し怪しく思って様子を見に来たわけで」
「……ああ、そういうことか」
少し間を開けて青年は声を漏らした。微妙に間をずらしてくる、少しやりづらい相手だと副長は思った。ただ、やりづらいだけで悪気はないようだ。少し申し訳無さそうな表情になって青年が言う。
「怖がらせるつもりはなかったんだ」
「いや、案内した彼は怖がったわけじゃないですが、まぁちょっと怪しいなと」
副長は答えながら、腰周りの小さな荷物入れからマナペンと紙切れを取り出した。
「一応、こういうのが仕事なんで。お名前をこちらにいただけますか? それと、お持ちであれば何か身分証明になるものを」
青年は、差し出されたマナペンと紙を受け取らず、真顔になって固まった。雲行きが怪しくなったことを感じ取り、副長は無意識のうちに体に力を蓄えて即応体制を取った。他の隊員達も、相手に気取られないようにと露骨な警戒はせず、若干緊張した面持ちになって2人のやり取りを注視している。
やがて、青年はペンと紙を受け取り、ペン先に赤いマナを輝かせながら名を刻んだ。
「どうぞ」と紙とペンを差し出した彼に、副長は「ありがとうございます」と返すのがやっとだった。手袋か何か、小細工している様子はない。つまり、目の前の人物は王侯の血を引いてる。
そして、他の隊員たちも赤いマナの光を目撃したのか、そのマナの主を警戒しつつも副長の元に寄り、紙に書かれた名を見ようとした。
「ユリウス・フェルディオン」と副長が読み上げると、隊員の半分は「誰?」と返し、2人は「どちら様?」と少しだけ礼節を見せ、1人は力なくへたり込んだ。
そのへたり込んだ隊員は、物知りで重宝されている若手の1人だった。別に豪胆ではないにしろ、気弱でもない彼がそういう反応を見せたことに、場の緊張がより強まった。
副長は、そのユリウス某に視線を移す。彼は特に何するでもなく、無表情のまま立っている。こちらから動かなければ、何かしようという感じではないように思われた。
そのことを確認し、副長は「大丈夫か」と言いながら隊の知恵袋を優しく揺する。
「だ、大丈夫です」
「そりゃ良かった。で、どちら様?」
副長の問いかけに、隊員は何度か深呼吸を繰り返し、荒くなった息をどうにか整えて声を震わせながら返した。
「ユリウス・フェルディオンと言ったら、魔人六星の一角です」
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