第143話 「新体制へ」

 10月27日18時、マリーさんからの呼び出しを受け、俺は今お屋敷の居間にいる。

 お屋敷への道中でマリーさんから、閣下が11月から最前線に赴任されると聞かされた。今日の呼び出しは挨拶のためらしい。

 挨拶といっても、別に今生の別れとか、そういうわけじゃない。そもそも今までだって、閣下はお屋敷や王都、最前線を忙しなく行き来されていた。その比重が、少し最前線に寄る程度のことだそうだ。それでも、遠くの地で、もしかしたらという心配はある。

 今、応接室ではお嬢様が閣下とお話されているところだ。待っている間、何を話されるのか、何を話せばいいのか、気が気じゃなかった。そんな中、いつもとほとんど変わらない様子の奥様が「あの人、結構おおげさだから」と笑って、俺の緊張をほぐしてくださった。テーブルの対面のマリーさんも、視線が合うと柔らかな笑みを返してくれる。

 こちらのお2人は、すでにお話を済まされたそうだ。さすがに内容に立ち入るようなまねは謹んだけど、見た所そこまでの深刻さは感じられなかった。生まれ育ちの違いがあって、すでに色々な覚悟を済まされている、それだけのことかもしれないけど。

 待つ間、お2人から温泉での研修について根掘り葉掘り聞かれた。まぁ、お嬢様が言わないわけ無いだろうから、それを聞かされていれば俺にも聞くのは当然の流れだった。「どうだった」と聞かれて、「何を」と聞いても、にこやかな笑顔で受け流されるだけだった。やましい気持ちはなかったと思うけど、ゼロだと言い切れるわけはない。そんな俺の沈黙が答えになったのか、割と早い段階で勘弁してもらえた。


 そんな調子で談笑していると、お嬢様が居間に来られた。表情に暗い感じはない。いつもの、落ちついた表情をされている。結構長いこと話されていたように思うので、とりあえずキツい感じではなかったようで安心した。

「次はリッツ君ね、行ってらっしゃいな」と奥様に送り出され、閣下が待っておられる応接室へ向かう。前にあの部屋を使ったのは、魔法庁からの釈放後だけだったはずだ。あまり良い思い出ではないだけに、部屋に入る前から強いプレッシャーを感じる。

 戸の前に立ち、深く息を吸い込んでから3回ノックすると、中から「どうぞ」と声がした。静かにドアを開けると、中におられた閣下は、お会いするのは久しぶりだったけど元気そうに見えた。

 閣下に促され、柔らかくてしっとりしたソファに座る。すると、まずは11月からの新体制について話された。

 主だった人材の入れ替わりとして、王太子殿下が最前線総指揮権を王弟殿下に委譲し、王都で政務に就かれることに。また、王弟殿下の補佐として閣下が最前線へ赴かれることになる。

 続いて、魔法庁では長官が、例の件の調査が一段落した頃合いということで引責辞任される。その後継として長官にはエトワルド侯爵が就任される。侯爵様とは、授与式で直にお会いしている。あの時、「困ったら頼れ」的なことを言われた記憶があるけど、もしかしたらこの就任のことを前提としたお言葉だったのかもしれない。

 俺の今までを考えると、魔法庁とは因縁浅からぬ仲だけに、侯爵様がどういうお方なのかはすごく気になった。直接何かお会いするいうことはたぶん無いだろうけど、ありえないわけでもなさそうだし。

 そんな俺の思いを閣下は既に察してくださっていたようで、俺が問うより先に侯爵様のことを教えてくださるおつもりのようだ。「エトワルド候とは、実は人材登用で互いに協力をし合う仲でね……」と、閣下は少し声を潜めるように言われた。

 何でも、エトワルド侯爵家は王都の土地管理から人材登用で代々強い影響力を持っていて、現当主も人材と官職のマッチングにおける名手と名高い。

 ただ、そんな侯爵様は土地管理のお役目のため、中々領地から離れられない。そのせいで、すでに知られた人材については辣腕を振るうことができるものの、発掘となると思うように動けないとのことだ。

 一方、今目の前におられる閣下は、王都や最前線、時には別の地方まで飛ばされる都合で何かと人物との出会いが多い。閣下と侯爵様の協力関係を知っている者から、推挙されることもしばしばだそうで、そうやって紹介されたり自分で見出したりした人材の面倒を見ては、侯爵様にご紹介などされるそうだ。

「……私は、侯爵閣下にどのように捉えられているのでしょうか?」と、つい気になって聞いてしまった。言ってから、自分がひとかどの人物だとうぬぼれているように感じてしまい、少し身を縮めて閣下のお返事を待つ。閣下は若干困ったような笑顔だ。

「例の結婚式の件だが、あの時点でエトワルド候は入庁されていたはずでね」と閣下は言われた。つまり、あの時点で俺の動きは知られていたということだろう。


「つまり、きみの申し出に対して、認可を下した内の1人であらせられる可能性が高いな」

「それは、その」

「もはや伝え聞いた人材ではなく、関わり合いになった相手というところではないかな」


 この前の殿下の件もそうだけど、こうして侯爵様からも認識されるようになったと思うと、何か落ち着かない気持ちになる。何か、身の丈に合わないことを頼まれたらどうしよう。あの時の殿下は、単に話し相手になってほしい程度に言われた感じだけど。

 その辺りの、今後の進退に関わる疑念を閣下に正直に告白すると、閣下は楽しそうに笑われた。


「心配しなくても大丈夫だ。既に私の方から釘を刺してある」

「と言いますと?」

「自分で思いついたことをきみにやってもらうより、きみ自身の思いつきで自由にやってもらう方が面白いと言っておいたのでね。まぁ、それはそれでプレッシャーになるかもわからないが」


 要は、放っておいて眺めたほうが面白いと勧められたようだ。いずれにせよ注目されることには変わりないだろうけど、何か頼まれるよりは気楽なのは確かだ。

 それに、俺の着想などを閣下が認めてくださっている、その事がよくわかった。その上で、先んじて上の方々に働きかけてくださる、そのご厚意にはいくら感謝してもし足りない思いだ。

 しかし、どうしてここまで良くしてくださるんだろうか、そのことがふと気になった。

 俺の問いかけに対し、閣下は珍しく「あー、そうだな……」と少し言葉を濁された。腕を組み、天井を見上げて何か考え事をされた後、言葉を続けられる。


「きみに目をかける理由はいくつもあるが、そうだな……きみには一種の勝ち運のようなものを感じている」

「勝ち運、ですか」

「ああ。黒い月の夜の件がそうだし、最近で言えば闘技場の一件もそうだ。ここ一番でのきみの果敢さや閃きが、皆を触発させているんじゃないかとね。それと……」


 まだあるらしい。改まって評価していただけたことに、もう胸いっぱいという感じなんだけど……閣下は、頬を描きながら少し気弱げな素振りを見せて仰った。


「一番の理由は、娘のことだ。きみが来てから、あの森の束縛を脱して外を見ることができるようになった。ありがとう」

「そ、それは私だけの力では……」

「もちろん。マリーにも礼は言ってある。あの子には本当に長く世話になっているからね。ただ、あの子にはあの子の役目が、きみにはきみの尽力がある。それに礼を言いたい」


 胸が熱くなって、それが目頭にまで伝わって、俺は目元を袖で拭った。

 きっと、国の命がなければお屋敷を離れたりなんてなされないだろう。いくら貴族だからって、お嬢様への信頼があるからって、父親には違いないんだから。その代わりだなんてできっこないけど、それでもいくらか肩代わりできた。そう認められたのが、ただただ嬉しかった。

 感極まって、テーブルに目を伏していると、少し経ってから閣下が明るい口調で話された。


「まぁ、だからといって無茶はするものではないよ。きみは少し身の丈を超えて頑張ろうとするところがあって、そこは危なっかしく思っている」

「それは、その……仰るとおりです」

「……私にも非はあるがね。実を言うと、闘技場できみをそそのかしたのも、実はもう少し大人しい小細工程度に留めるものと思っていたんだ。それが、あそこまでやるとはね……」


 大人しい小細工というのは、たとえば視導術キネサイトで敵を撹乱したり邪魔したりとか、そういう手口を俺なりにアレンジしてやるものとお考えだったそうだ。確かに、あの王都の中では魔法を使えないという前提があるから、ローリスクで相手の動揺を誘う手にはなる。結局は、自分が気絶するような大技を使ったわけだけど。


「……とはいえ、きみに自重させると持ち味が薄れるとも思うのでね、匙加減が難しいところではある。まぁ、その時その時で悔いの残らないように頑張りなさい」

「はっ、はい!」


 お話はここまでだろうか。そう思っていると、閣下は少し難しそうな顔になって切り出された。


「それと、殿下のことだが……先日会われたそうだね?」

「はい」

「何かお話を?」

「友人になってもらえないか、と」

「……なるほど。さすがに友人というのは難しいだろうが、殿下が話し相手を求められたのなら、それに答えてはもらえないか?」

「それは、私に務まるものであれば」

「それは大丈夫だ、私が保証するよ。殿下は話すのも聞くのも好まれるからね、あまり身構えなくていい」


 その頼みが最後だった。「わざわざ済まないね」とここまで足を運んだ労をねぎらわれ、こちらも頭を下げて返す。

 留別の会話にしては、殿下のための依頼が締めくくりになるっていうのが少し妙な感じだった。国命のため、お嬢様を残して最前線へ行かなければならなかったということもあるし、この伯爵家はなんだか国や王族に負い目があるように感じてしまう。しかし、さすがにそのことを問いただすような勇気はなかった。



 翌日の昼、今度はギルドから呼び出しを受けた。また例の人事異動に関するお話だろうか、そう思うと緊張する。きっと、かなり立場のある方からのお話か、あるいは難しい用件だと思われるからだ。

 ギルドに着くなり奥の応接室へ案内されると、そこにいたのは長官さんだった。魔法庁の制服じゃなくて私服だったけど、顔は覚えていたのですぐわかった。

 何か要件があってこうして呼ばれたんだろうけど、俺には見当がつかない。戸惑いつつも対面に着くと、まずは先の結婚式の件で礼を言われた。あれは結構、魔法庁の中でも反響があったらしい。


「今では、民衆への迎合だと言って戒めるグループと、禁呪の有効利用への先鞭だと言って評価するグループで、盛んに論を交わす感じだね」

「……また対立している感じですか?」

「今回のは互いに健全な関係だよ。表立ってやっているし、お互いの言い分をよく聞きながらやってるからね」


 魔法庁の過去の権力闘争というか、規制派とその周囲のあり方は、実際には暗然とした水面下での政争のようなものだった。それがこうして建設的な議論をするようになったのだから、確かに良い傾向なんだろう。俺を見る目も少し変わったらしい。


「体を張って禁呪を使う様には、感銘を受けたって子もいるね。一方で、危ないから控えさせろという職員もいて、それも正論ではある。まぁ、いずれにせよ有名人だ。前からかもしれないけどね」


 それには思わず乾いた笑いが出た。それを言うならとっ捕まったときからずっと注目の的だろう。それが見直されてきているわけだから、あまり変な方向へ逸れない限りは歓迎しても良さそうだ。

 続いて、長官さんは新しく就任される侯爵様の件を切り出してきた。かなり神妙な表情で。


「前の室長、つまり例の奴が君を捕らえるための証拠探しをしていた際に、エトワルド候が君の出自というか……君が異界から来たものだということを明かしている」

「ほ、本当ですか!?」

「驚くのも当然だけど、落ち着いて聞いてほしい。まず、奴の捜査自体は行き過ぎたものがあったけど、あの当時の状況を鑑みるに、侯爵が情報を漏らされたことは非難できない」


 伯爵家糾弾のための材料探しに対し、侯爵家が協力を阻んだとなれば、貴族社会と魔法庁の対立といった構図ができあがる可能性がある。実際、他国を巻き込みかねないところまで問題が発展したことを踏まえれば、その懸念は正しい。侯爵様が捜査に協力的だったのは、両者に早めの妥結点を見極めさせるためだったのではないかというのが長官さんの見解だ。


「いずれにせよ、あの時点では部下の統制をできていなかった私に非がある。申し訳ない」

「ああ、いえ、それはその……そもそも、異界人って当たり前の概念なんですか?」


 前から気になっていて、中々聞けずにいた質問だった。別の世から人がやってくることは、この世界ではどう受け止められているんだろう? そして、俺みたいなのが他にもいるんだろうか?

 疑問を口にした俺に対し、長官さんは即答せず考え込んだ。その考え込む姿勢は、言葉に迷っているというよりは、考えをまとめているように見える。


「実を言うと、微妙な問題だね。私は他よりも少しは魔法の深い所に詳しいつもりだけど、それでも異界人については、”理論上ありえる”ぐらいの認識なんだ。だから、君の件も話半分っていうのが正直なところだ。当事者じゃないからね」

「そうですか」

「これは言い訳じみた発言になるけど、エトワルド候は僕以上に真に受けておられないと思う。奴も同様かもしれないね。魔人側の方が、異界への理解は深そうではあるけども」


 結局の所、捜査での情報開示は相手がどう捉えるか微妙なところだ。既に俺は黒い月の夜の一件で実績を挙げていて、詳細な手口こそ割れてないものの、連中にはむしろそっちの功績で狙われている可能性のほうが高い。それと、王都で奴に射った例の魔法の矢のことも、もしかしたら……?

 俺の懸念に対し、長官さんはその時の状況を思い出しながら言った。


「あの魔法を誰が射ったのか、奴はわかっていなかったように思う。矢が近づいて、盾を構えて着弾して、それから奴が退却するまでほんの数瞬だったからね。確認する余裕はなさそうだった。断言はしないけどね」

「でしたら良いんですけど……」

「……自分でやったわけじゃないけど、アレってあまり実戦的な魔法じゃないよね?」


 そんな指摘を受けるのは初めてだ。そのように判断された理由とか見立てに興味が湧いた俺は、彼に所見を尋ねてみた。

 長官さんのダメ出しは2つあって、まず可動型で重ねるという点から始まった。あれは落ち着いたところで重ね合わせないと一つの魔法にならない。戦闘中に動きながらなんてもってのほかだ。複製の待ち時間という問題もあって、即応性はまったくない。

 続いての欠点は、マナの調達だ。マナが薄いところで複製術は使えない。あれは闘技場だからたまたまできたのかもしれないとのことだ。


「闘技場はマナが濃いんですか?」

「他よりは潤沢だと思うよ。土地柄もあるだろうし、魔法使いがやってきて自分のマナを使っては、土地に還元してくれてるからね」


 確かに、みんな足しげく通っては魔法の練習に明け暮れている。あのときみんなで使ったマナは、闘技場の土地に吸われていたわけだ。

 自分の魔法のダメ出しを受けたわけだけど、不快感はまったくない。逆に欠点を見抜かれたことへの敬意と、褒めるだけじゃなくて正当に理解してくれたことへの感謝のようなものを覚えた。


 長官さんの話は侯爵様に関してのもので終わっていたらしく、後は俺が聞きたいことで答えられる物があれば、ということになった。

 今聞いておきたいことは1つあって、結婚式の演出の事業化についてだ。

「あー、その件だけど、まだ何も動いてないんだ」と率直な感じで返事が帰ってきて、少し面食らった。そうして驚く俺に彼は表情を崩して続ける。


「エトワルド候が長官に就かれてから、あらためて俎上に載せて審議しようということになってね。新しい長官への最初の案件には相応しいかと」

「そういうことですか」

「どうなるか断言はしないけど、事業化に関しては好感触ってところだね。まぁ、君には何かしらお世話になるかと思うよ」


 仕事が増えるけど、面倒とは思わなかった。知らないところで話が動いていることには、少しモヤッとする感じがあるけど、だからといってあちらに乗り込んでというのも少し違う気がする。結局、成り行き任せということになる。


 それから世間話をした後、最後に長官さんの今後について、少し悪い気がしつつも問いかけた。すると、彼は少し申し訳無さそうな笑顔になって口を開く。


「悪いけど、内緒なんだ。また会うこともあるだろうけどね。そのときはよろしく頼むよ」

「わかりました、お元気で」

「君こそ。きっとこれから色々忙しくなるだろうからね」


 同情するような視線を投げかけられて、思わず苦笑いしてしまった。まぁ、色々忙しくなるとしても、結局は俺が色々首を突っ込んできた結果なんだから、受け入れてやり切るしか無いと思う。

 俺達は最後に、互いの息災を祈って握手した。

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