第142話 「王太子との出会い」

 今までの訓練でもかなりの難易度だっただけに、事も無げに告げるシエラにみんな驚いた。ただ、話の流れから、そのもう少しキツイのをやらされるという感じはない。それと、シエラはそのもう少しキツいことを、実践できるというようにも取れる。

 そういうわけで、そのもう少しキッツいのとやらに興味を惹かれた仲間たちの声を受け、シエラが実演してみせる運びになった。ただ、彼女自身は少し気が進まない感じというか、どうも及び腰だ。

 囃し立てる声と視線を背に受けながら、相変わらず滑らかな歩調で彼女は温泉の上を歩いていき、木の枝に掛けておいたカバンから何かを取り出した。それは縄の両端部に柄がついているもので、つまり縄跳びの縄だった。


「コレ、得意な人」

「あー……俺は結構得意だけど」


 シエラの呼びかけに男子が1人湯から上がり、手渡されるとさっそく縄跳びを始めた。得意かもというだけあり、彼はサンダル履きで不安定な中、はやぶさ――綾飛びの二重跳び――や三重跳びを軽々とこなしていく。

「三重は無理かな」と笑いながら、シエラが彼から縄跳びを受け取ると、彼女はリズミカルに駆け足跳びを始め、温泉に向かってきた。

「危ないから道開けてね」という彼女に言われ、ハッとして”進路上”の連中が道を開ける。「まさか」とみんな思っているんだろう。ヒュンヒュン縄が回る音とシエラのスキップ音以外、何の音もない中、全員がシエラを見守っている。

 そして、縄で跳びながらシエラが温泉に水面に空歩エアロステップで着水した。そのまま、まるで見えない浮石の上を行くかのように、駆け足跳びを続けて進んでいく。

 やがて温泉の真ん中あたり、みんなをよく見渡せる位置につくと、彼女は跳びながら器用に方向転換して綾跳びを始めた。


「コレの難しいところは、空歩を出すタイミングや大きさを間違えると、縄を巻き込んじゃってバランスが崩れること。逆に言えば、縄に邪魔されない位に空歩をコントロールできれば、もう言うことないかな」


 水面を地面と感じさせるぐらい、自然な綾跳びをしながらシエラが話す。水面に打ち付ける縄が少し飛沫を上げるものの、それ以外は不思議なくらいに静かで、玄妙な技だ。

 シエラが縄跳びを終えると、大歓声が巻き起こった。ひとしきり声がやんだところで、女の子がシエラに話しかける。


「すごいじゃん! でも、どうしてちょっと渋ってたの?」

「その、やったらドン引きされるかなって……」


 まぁ、信じられないものを見たという気はする。しかし、この場にいる連中は遊びに来た奴もいるけど、みんな少なくとも空歩を習得するまでは魔法の練習を積んできたわけで、シエラの力量やそこに至るまでの過程に思いを馳せない奴はいない。少し気後れ気味な彼女にみんなが拍手で応えると、彼女ははにかんだ笑顔を見せた。

 そして、誰かがポツリと言った。


「アイリス様も、もしかしたら?」

「ええっ!?」


 矛先を向けられたご本人が少し大きな声を上げて驚くと、ニッコリした顔のシエラが近づいていく。


「いかがです?」

「うーん」


 差し出された縄に少し尻込みしているお嬢様だったものの、期待感に満ちた視線に耐えられなくなったようで、若干まごつきながらも縄を受け取り、空歩で水面に立った。

 そして、縄を回し始めた。シエラほどのスピード感はなくって、恐る恐る回してはまたぐ感じだ。それだけでも十分だとは思う。しかし何回か跳んでコツを掴んだのか、お嬢様はちょっとずつスピードを上げていく。やがて、ちょっとゆっくり気味だけど途中で縄を止まらせること無く、滑らかに縄を回して本当に縄跳びを始めた。みんなが口々に「おおっ」「すげえ」と感嘆の声を上げる。

「さすがですね」とシエラが嬉しそうに称えると、お嬢様は満面の笑みを浮かべて跳ぶのをやめた。

 それで、縄を片手にまとめて水面を歩き始めた。が、どうもシエラの方を見ていたのと、達成感から足元の注意が散漫だったようだ。お嬢様はまとめた縄にご自分の足を引っ掛け、水面ですっ転んだ。

 たぶん、お嬢様が失敗したのは初めてだろう。失敗というか、単に不注意な感じだけど。笑って良いのか静かにしているべきか、微妙な空気になりかけたところで、女の子が何人かお嬢様の方へ寄って行った。


「やった、御髪みぐしが濡れた!」

「今のチョー可愛かったですよ!」

「狙ってやったなら侮れませんね」


 彼女らが笑顔でそういうと、湯から顔を上げてビショビショのお嬢様は、何も言わずニッコリ笑って両手で水鉄砲を作り、無礼者達を制裁した。負けじと無礼者達も湯をぶっかけて、楽しそうにさらなる狼藉を働いていく。

 今日の練習全体でもそうだけど、あの結婚式以来、確実に周りの女の子たちとお嬢様の距離が縮まった感じがある。誘って良かった。

そして、シエラも。魔法庁に目をつけられていた頃は、あまり人付き合いが良くなかったそうで、ちょっとつっけんどんなところもあったようだけど、今は周りのノリの良い連中に押されながらも少しずつ打ち解けていっている感じに見える。


 お嬢様がキレイにオチをつけたところで、練習は終いとなった。明日やるかどうかについては、暗くなる前に王都に帰りたいということで、朝食前の朝風呂でやりたいやつが各自の判断でやるということになった。まぁ、みんなとりあえず翌朝も温泉には行くだろう。



 夕食後、各自の部屋へ別れると、俺達の部屋では全員ベッドに潜り込んで消灯し、ランタンを1つだけ灯して談笑を始めた。

 怪談話で静かに盛り上がりだしていくらか経ったころ、戸が3回ノックされた。「おいでなすったぜ」と誰かが茶化し、戸に一番近い奴が開けにいくと……客はアルフレッドさんだった。


「お休みのところ申し訳ありませんが、リッツさんに用事がありまして」

「俺ですか?」


 彼の用件が何であれ、無視するわけにはいかないだろう。部屋の仲間に一言断ってから、俺は退出した。

 アルフレッドさんによれば、内密な話があるらしい。そのため、人目や耳を避けるということで、俺達は保養所を出て林の中を進むことになった。

 月明かりが照らす林の中は、木の間隔が結構開いているせいか意外なほど明るい。落ち葉を踏む音以外は何かの虫が鳴く声しか無い。そんな少し幻想的な雰囲気の林の中、特に会話もなく俺達は歩いていく。人目を避けるにしても、かなり用心深い彼を少し訝しく思った。

 やがて、前方に人影が見えた。お嬢様だ。彼女の方も俺達の接近に気づいたようで、こちらに頭を下げた。おそらくはアルフレッドさんに向けての一礼なんだろうけど、伯爵家ご令嬢に頭を下げさせるという彼の素性がいよいよ気になってくる。

 アルフレッドさんは、お嬢様に「透圏トランスフェアを」と短く依頼した。お嬢様はコクリと小さくうなずき、前に見たのよりもちょっと色が濃い目の透圏を作り出した。周囲には、誰もいないようだ。そして半透明な紫の半球の中心には光点が3つ。紫と青緑、そして……赤い点が。

 透圏に、手袋と水たまリングポンドリングを組み合わせたような、身分詐称が通用するとは思えない。となると、俺のそばに居られるこちらのお方は、おそらく王侯の血を引かれているということだろう。

 俺が察したことに彼も察しがついたようで、彼に顔をむけると穏やかな笑みを返された。その彼が「私が説明する」と宣言されると、お嬢様は恭しく頭を下げて俺のそばに寄ってきた。彼女の表情には緊張の色が見える。

 おそらく偽名であろうアルフレッドさんと向き合う形で俺とお嬢様が並ぶと、彼は笑顔そのままに自己紹介を始めた。


「私はフラウゼ王国王太子、アルトリード・フラウゼだ……今度は嘘ではないよ」


 そう仰られても、理解が追いつかない。自分の表情筋を一切動かせないことを自覚しつつ、軋む音が聞こえそうなくらいぎこちなくお嬢様に顔を向けると、彼女はかなり渋い苦笑いでうなずいた。本当のことのようだ。

 月光の中、光の粒子をまとうような殿下は神秘的で、神々しくも見えた。すぐそばに王太子とお嬢様がいる、この状況に頭の中が一瞬真っ白になって、すぐに疑問が幾つも湧き出した。

 当惑する俺を、殿下はただ優しげな視線で見守られている。身分を明かされてからというもの、ずっと黙されたままだ。俺から何か申し上げるべきなんだろうけど、どう切り出したものか。

 対応に迷っていると、「ああ、私に話すときはフォークリッジ伯を相手にする時と似たような感じで構わないよ」と気さくに声をかけられた。有り難いご配慮だけど、いよいよ逃げ場が無くなった感もある。そして俺は、一度深く息を吸い込んでから、覚悟を決めて問いかけた。


「なぜ私に、明かされたのですか?」

「まぁ、それは当然聞くだろうね」


 どこか楽しげに返された殿下は、わずかに勿体つけるような間を持たせてから言葉を続けられた。


「君のことは伯爵から何度も聞かされていてね。一度会って見たいと思っていたんだ。それで王都に来るや、例の結婚式で君がああいうことをしているものだから、本当に驚いたよ」

「……恐縮です」


 たぶんお褒めの言葉を頂いているんだろうけど、実感がわかない。短い一言をただ発する程度の反応しか返せなかった。

 しかし、俺が少し縮こまった態度をとっているのを意に介さないかのように、殿下は仰せになる。


「今後、何かしら君に頼み事や相談を持ちかける可能性がある。その時はどうか君の知恵を貸してもらいたい」

「……ご期待に添えるよう、尽力いたします」


 えーっとだのなんだの、言い出しそうになるのをグッと飲み込み、変に謙遜したりしそうになる気持ちも押さえつけ、何とか応諾できた。

 こういう頼み事で、謙遜しないほうが良いんだろうなという気はしている。他の方々から目をかけられているのを前提として、こうして殿下からお言葉をもらえたんだろうから。そういった信望の念にはどうにか応えたいと思う。

 俺の返答に、殿下は満足されたようだ。ただ、続いてのお言葉には呆気にとられてしまった。耳が確かなら、「私の友人になってほしい」とか聞こえた。またも真っ白になった頭の中に、殿下の声が入り込んでくる。


「私の友人は、年が離れた方が多くてね……同世代の友人をと切望しているのだけれど、それもなかなか。どうだろうか?」

「わ、私のような平民ではなく、然るべき身分のお方がその座に相応しいかと存じますが」

「彼らは、王族にお仕えするようにと厳しく教育されている。友人と呼べるような間柄にはならないだろうね」


 チラっとお嬢様を見ると、うつむき加減で少しせつなそうなお顔をされている。色々と思うところはあるんだろうけど、きっと貴族という立場ゆえに、友人が少なかった自分を殿下に照らし合わせているんだろう。

 そんなお嬢様を見ていると、「どういう関係だい?」と殿下が質問をなされた。


「……こちらに流れ着いた折から、快く私の身柄を引き受けていただき、多大な恩義がございます」

「それは伯爵家との関係だろう? アイリス嬢とは?」

「それは……」


 どう答えるべきなんだろう。どう答えてほしいんだろう。どう、答えたいんだろう。質問は幾つも湧いたけど、答えは1つのように思えた。

「私にとっては、友人の1人です」俺が落ちついてそう宣言すると、地面を向いていたお嬢様が少し目を見開き、俺に向き直った。月明かりが照らす色白の顔は、頬が少し桜色になっている。真剣な顔つきだけど、喜ばれているのはよくわかった。

 お嬢様と視線が合って、少し恥ずかしくなってから殿下に顔を向けると、相変わらず余裕のあるにこやかな笑顔をこちらに向けられている。


「では、私もどうかな? たとえば、私がまたアルフレッドを名乗ったとして、その時は?」

「……その時は、喜んで務めさせていただきます」

「そうか、ありがとう」


 殿下の心の底までは推し量れないものの、俺に向けた短な感謝の言葉には、あまり何かを含む感じのない、とても素直なものを感じた。

 問答はそこまでだった。俺の返事に気を良くされたようで、殿下は微笑んで俺達に手をふると来た道を戻られていく。


 2人きりになった。お嬢様のことを友だちだと思っている、そう宣言したわけだけど、ご本人の前でそう言ったのは初めてなんじゃないかという気がする。さすがになんだかいたたまれない気持ちになって、無言でその場を去ろうとすると、背後から「リッツさん」と呼ぶ声がした。


「……なんです?」

「……いえ、なんでも無いです」


 そう言って、お嬢様は屈託のない笑顔で歩み寄ってきた。


 施設への帰り道、一緒につくとアレだから透圏で様子を探りつつ、タイミングをずらして戻ろうという話になった。

 他の話題は、空歩の訓練方法について。王都近辺でもう少し気軽にできないかとお考えのようだ。シエラのためってこともあるんだろうけど、自分や皆がもっと魔法をうまく使えるようにとひたむきなところは、やっぱりお嬢様だった。それこそ、会った最初の頃からずっと。

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