第140話 「空を飛ぶためのハードル」

 10月25日、5時。温泉地での研修に参加する面々が、王都の西門に集合している。木枯らし吹く季節の早朝ともなると、かなり冷え込むわけで、みんなぬくぬくとした格好だ。何人かは下に水着を着ているんだろうけど。というか、俺がまさにそうしている。

 研修に参加するのは最終的に26名になった。男女比は半々程度。12対14で、ちょっと女の子が多い。その中で知っているのは、幹事役のシエラに補佐っぽいシルヴィアさん。それとお嬢様にエルウィン、あとアルフレッドさんだ。彼は最前線への報告のためまだ王都に滞在しているらしいけど、この件もやっぱり報告事項になるんだろうか。

 こういうののまとめ役に慣れていないらしいシエラが、珍しく気後れした感じで戸惑っていると、シルヴィアさんがニッコリ笑って点呼を始めた。さすがに手慣れたもので、男連中のジョークを適当に聞き流してあしらいつつ、出立の準備を粛々と進めていく。

「初めに言っておきますけど、徒歩で行きますからね!」と朝っぱらから元気な声で彼女が宣告すると、女性陣を中心に軽いブーイングが起こった。

 乗り合いの馬車は、都合がつかなかったようだ。というのも、最近は馬を巡視で使ったり非常用に待機させたりする事が多く、研修兼レクリエーションで使うのはちょっと……ということらしい。ほうきの普及に向けたスタート時点で、他からの心証を害するのは確かに良くないだろう。

 そんなわけで、笑いながら不平を垂れる女の子たちを軽くいなしながら、研修の主幹2人が出発し、俺達研修生も後に続いた。


 道中は自然と、男女できれいに別れて話しながらの行進となった。最初の話題は、やっぱり結婚式……と思いきや、先月の授与式の件になった。どうもアルフレッドさんが詳しく聞きたいらしい。このメンバー内だと、俺とエルウィンが勲二等ということで、式のことから闘技場での戦闘に関して顛末などを話した。その流れで、結局他の受勲者のことや他の戦場のことについても話し合う形になったけど。

 この件で人から褒められるのは、本当に何度目になるかわからない。周りの連中の、ちょっと軽い感じだけど素直な称賛を受けて、俺は少し照れたもののエルウィンは至って冷静だった。褒めてくれた1人が、少し訝しげな顔になって問いただす。


「どうかしたのか、ウィン」

「いや、嬉しいことは嬉しいんだが、素直に喜べない部分もある」


 彼の言に、にわかに周囲がざわついた。ただ1人、アルフレッドさんは一瞬だけ目をキラリと光らせ、エルウィンに視線を投げかけて言葉の続きを待っている。

 エルウィンに言わせれば、俺達4人の受勲については政治的な意図というか、配慮があるのではないかということだ。

 まず、ああいう場では各戦場で最低でも1人もしくは1グループが、殊勲者として勲二等を受けることになるのが定例らしい。そこであの闘技場の戦いにおける殊勲はというと、可能性が高いのはフォークリッジ伯だ。

 しかし、閣下が勲二等を得るのには少し問題がある。港の戦闘では、お嬢様が他を圧倒する働きを見せたため、勲二等を得るのは確定。そうなると、フォークリッジ伯爵家で勲二等を2つ得ることになる。それがいかに正当な評価であろうと、社会の上層でパワーバランスに歪みが生じかねないし、民心への影響も予想がつかない部分がある。

 また、もともと閣下はお屋敷や王都、最前線等をせわしなく行き来されるお方だ。そういうお方に勲章を授けるよりも、王都にとどまり続ける人間に与えてやったほうが、民衆を安心させる効果は高いだろう。

 加えて言えば、あの場での受勲者の傾向は明らかに若手が多かった。おそらく、若者を称揚することで場を盛り上げつつ同世代を刺激し、また活躍を認められるという心象を与えることで、人材の流出を防ごうという意図もあったのではないかとのことだ。

 そういうわけで、かねてから実力が知られていたお嬢様やエリーさんの勲功を称えることで、実力者が変わらず王都を守ってくれているという安心感を演出しつつ、新たな戦力としてあの場で実力を示した無名のセレナや俺達を表彰したのではないか……


「……つまり?」

「俺達のは、いわば繰り上げ受賞ではないかと思う。それに、人数が多いほうが賑やかしいというのも、もしかしたら好ましい要素だったのかもしれない」

「あー、なんだ、勲二等の水増しみたいな?」

「そんなところだ」


 特に浮かれるでもなく、かといって冷笑的な様子も見せず、ただ淡々とエルウィンは自分の見解を語ってみせた。それまで俺達を褒めそやすような空気になっていたところに、こうして冷水をぶっかける感じになったものの、むしろみんな彼の考えに納得したり感じ入ったり、そんな空気になっていった。


「なるほどな~……でもよ、なんだかんだで受勲は嬉しいだろ?」

「ああ。ただ、名声の先取りのような感じはある。それが案外プレッシャーなんだ」


 そういうエルウィンの顔は、あまりそういう緊張とかを感じさせない落ちついたものだったけど、そんな彼でも俺みたいに落ち着かない気分になったりするんだろうか。

 そんな事を考えていると、俺に話を振られた。


「リッツはどうなんだ?」

「いや、伯爵閣下が受勲されないのには裏があるんじゃないかなとか、俺達に受勲されるのはなんか意図があるんじゃないかとは思ってたけど、エルウィンほどは考えなかったな~」

「ふーん、そういうのは苦手分野か?」

「まぁ、そうだけど……なんか、俺の得意分野とか知ってそうな口振りだなぁ」

「得意分野っていうかさ……結婚式のアレ、考えたのがリッツらしいけど、マジか?」


 予想外の問いかけだった。その話にまわりのほぼ全員が食いついた。目立った反応を見せなかったのは、すでに知っていたアルフレッドさんぐらいで、彼も怪しまれないようにするためか俺の方に注視する素振りを見せている。

 俺が結婚式の演出に関わったという話は、女の子達を中心に出回っていって、彼女持ちの男がそれを知ってまた拡散して……依頼がなくてヒマだったせいで、みんなあの結婚式に見物に来ていたそうだし、普段よりヒマな分、あの式を話題にする機会はいくらでもあったようだ。

 演出の首謀者が俺だったという件に関しては、お嬢様に直接聞いたあの2人が出処じゃなくて、魔法庁へ問い合わせた女の子たちが発信源らしい。庶務課では突っぱねられたものの、個人的なツテで職員の友人に当たって俺のことを突き止めたんだとか。

 ただ、あの式での演出に関しては、俺が考えたということよりも、俺がアレを考えてお嬢様を――つまり貴族のご令嬢を――動かしたことの方が、驚きを以って捉えられているようだ。


「お前、どうやってお願いしたんだ?」

「え? いや……どうだったっけ? なんか、面白いこと考えたから一緒にやりませんかみたいな、そんなノリだった気がする」

「マジか……」


 質問してきた彼は、唖然とした顔になった。周りの連中も大なり小なり驚いたようで、あの冷静なエルウィンまで少し呆気にとられたような顔をしているのには、こっちが驚いた。アルフレッドさんは、至って平然とした風だけど。


「恐れ多いとか、思わなかったか?」

「いや……なんていうんだろ。伯爵家で面倒を見ていただいた時期があってさ、とても良くしていただけたおかげで、そういう気後れとかみんな程はないと思う」

「そういうもんか?」

「みんなビビり過ぎなんだよ。遠慮して話しかけないより、遠慮しながら話しかけてみなよ」

「……お前さ、照れ屋で恥ずかしがりの割に、そういうところは結構太いよなぁ」


 その言葉に、周りの連中が声を上げて笑い始めた。さすがに少し恥ずかしくなって顔が赤くなると、ますますみんな笑い声を上げた。

 ただ、少し離れていた女の子のグループが、何事かと思ってこちらに向き直ったときには、みんな「なんでもねえよ」とばかりに笑ってごまかしてくれた。これまで特に親しくしてきたわけじゃなくて、ギルドや茶店でダベる程度の仲だったけど、みんな良いやつだと思う。

 まぁ、今日は遊びに来たって感じの連中が多い気がするけど。



 10時間の行軍は、かなりきつかった。話題を絶やすとキツくなるからと、各々の失敗談だの武勇伝だの、飯のこだわりだの女の子のタイプだの、順繰りに語っていっては何ループもやって、ようやく目的地に着いた。

 温泉地というだけあって、遠目に見ても木々がまばらな林の中は、うっすらと白いモヤが確認できる。辺りには少しゴツゴツした岩が多く、地形自体はわりかし起伏に富むロケーションだけど、道はすごく整備されていて明らかに人の手が入っているという感じだ。

 というのも、ここの温泉地は王都から近い場所にありながら、薬効確かな霊泉も散在するというところで、保養所のような施設も幾つかある。まぁ、来るまで一苦労なんだけど。

 俺達が使わせてもらう温泉は、特に薬効に優れたものじゃなくて、ただでっかいだけの温泉で、水遊び――湯あそび?――にはちょうどいいやつだ。


 温泉に入る前に、まずは今日お世話になる保養施設へ向かう。木製の大きな屋敷のような施設の受付のところで、あらかじめ予約を取っていた集団であると告げ、まずは各自の荷物を部屋へ運び込む事に。

 案内された部屋は、少し細長い部屋に2段ベッドが4つで8人寝られるようになっている。部屋はゆとりがあるんだけど、ベッドの間隔は割と狭く、小声で密談しやすい感じだ。明らかにそういうニーズを意図した間取りなんだと思う。

 荷物を置き、次は温泉に行けるよう着替える事に。ただ、部屋に泊まる6人のうち、すでに着替えてきたのは俺を含む5人で、それにはみんなで爆笑した。水着の方は、俺と同様にサーフパンツ的な感じのやつだ。これで外に出ると思うと寒々しいけど、みんなバスローブなり上に羽織るものを持ってきている辺り、準備はしっかりしていた。セールストークのたまものかもしれない。

 着替えが終わり、準備が整ったところで施設を出て、目当ての温泉へ向かう。一応、昼――昼食は道中済ませた――になっていて日は昇っているものの、さすがにこの状況で水着になる小学生みたいなやつはいなかった。まぁ、足元はみんなサンダル揃いで寒々しいけども。


 温泉に着くと、先頭のシエラが向き直った。彼女の格好は、魔導工廠の制服だ。自分は見るのに徹して特に実演はしないのかな、と思っていたけど、どうやらそうでもないようだ。

「では、模範演技しますよ!」「ヒューヒュー!」シルヴィアさんの宣言に男どもが囃し、少し呆れ気味のシエラが温泉に裸足で入り込む……いや、足は水上に浮いている。

 そこから、彼女は水上をスタスタ歩いていく。ときおり空を歩いては、また水面に足をつけて。空歩エアロステップを使っているんだろうけど、見たところそこまですごいことをしている感じでもない。彼女が歩くたび、水面にかすかな波紋が生じているのに気づくまでは、そんなことを思っていた。

 シエラは、水面に足が接する瞬間に空歩の魔方陣を作り出していた。だから、水には沈み込まずに、ギリギリ触れる程度の高度を維持できている。誰かが震え声で「作りっぱなしで歩いてんじゃねーの」と言うと、シエラは笑顔で片足を上げて足の裏を見せた。魔法陣はない。そして、その場で軽くジャンプしてから、また水面にかすかな波紋を作った。決して水しぶきは上げない。

「この訓練は」水面を歩きながらシエラが言う。「好きなとき、すぐに空歩を作るためにやるの。そうやって空歩のコントロールを完璧にできれば、空から落ちたって怖くないから」

 彼女は、空を自由に歩くための魔法で、水面を地面みたいに歩いている。水乗りハイドライドみたいに水の上に浮くための魔法じゃなくって、空を行くための魔法なのに、完璧に水の上を歩いている。その完全な魔法のコントロールに、そして今の彼女の装いに感服した。

「とりあえず、これぐらいできないとほうきには乗せられないかなって、今は考えてるけど……」

 シエラが言うと同時に、少しヤケ気味なブーイングが巻き起こる。

 やったこと無いけど、メチャクチャハードルが高いのだけはよく分かった。

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