第138話 「光の中の婚儀」

 10月15日、17時。闘技場のすぐそばまで来ると、あたりは人でごった返していた。人が多い割にはそこまで騒がしくなくって不思議な感じ。それに入場待ちの人の列もすごく整然としていて、係の方はやりやすそうだった。でも、表面上は静かで整っていながら、同時にそわそわした空気も満ちていて、それを意識すると余計に落ち着かない感じになっちゃう。みんなも、私と同じ気持ちなのかな。

 さすがに今バレたら恥ずかしいなって思って、魔法庁から借りた冬物のコートの、フードを目深に被り直す。それでも人とすれ違う時、視線が合う時はすっごくドキドキする。そうでなくったってドキドキする日だし。

 一般の方の入場は、闘技場の表側――王都に向いた出入り口――に限定されていて、裏方や関係者はその逆側から出入りできるようになっている。そちらへ向かって、裏口の係員の方に名乗り出ると、手を握られて祝福された。思わず涙ぐむと、「気が早いですよ~」なんて笑われちゃったけど。でも、こんな日だし仕方ないよね。

 中の回廊部分に入ると、夕暮れで茜色に染まっている外と違って、うっすらとだけど青白い光が通路を照らしている。暗くなってからでも大丈夫なようにって、工廠のみなさんが頑張ってくれたおかげで、こうして灯りの準備が整ったみたい。

 係員の方の案内に従って控室へ向かう道中、裏方のみなさんと何度もすれ違っては、握手してお互いに頭を下げて、そのたびに私は涙目になって。魔法庁の女の子なんかは、私みたく目を潤ませる子も結構いて、一緒に抱き合ったりもした。みんな、温かいなって思った。通路を照らしてくれてる、澄ました感じの青白い光も、どこか優しく思える。


 そうやって、人と会うたびに幸せな足止めを食らいながら、ようやく控室にたどり着いた。案内係の方に礼を言うと、「時間になったらまた来ます」と言われた。「次はドレス姿で、また会いましょうね」って答えると、彼女はものすごくいい笑顔で軽く頭を下げた後、すたすたと持ち場へ戻っていく。

 心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら控室に入ると、エスターさんがすすり泣いていた。悲しいんじゃなくって嬉し泣きだって言うのは一瞬でわかったけど、すごく湿っぽいのには変わりない。

「今から泣いてたら持ちませんよ~?」って笑いながら話しかけると、エスターさんは明るい笑顔で涙ぐみながら「だって~」と返してくる。そこから先は、続けるのにちょっと掛かりそうだったけど、私は向かい合うようにイスに座って言葉を待った。


「……ネリーさんの、晴れ姿を拝める日が来たって思うと、嬉しくって」

「そこまで言われると、私もすっごく嬉しいですよ」

「うふふ」


 話してからちょっと静かに見つめ合い、落ちついたエスターさんはさっそくとばかりに、とても大きなカバンを開けた。そのカバンの中で静かに横たえられたドレスを見ると、今からこれを着るんだって実感が湧いてくる。

「本当に、タダでいいんですか?」なんて今更なことを言うと、エスターさんは何も言わずとびっきりの笑顔で着付けを始めた。作業の手が進むにつれて、すんすん鼻で息する音が聞こえてくる……また泣いてるみたい。こういうところはすっごく可愛らしい人だけど、着付けを進める手は正確でスピーディーだった。やっぱりプロなんだって思わされる。

 ふわふわした気分で待っていると、あっという間に着付けが終わった。指で涙を拭ったエスターさんが、「終わりましたよ」と言うので、姿見で自分の晴れ姿を確認する。


「……この子、誰ですか?」

「んも~、ネリーさんですよ? とってもお似合いです」


 冗談交じりに聞いてみると、エスターさんは明るい声で答えた。

 鏡に写っている自分は、いつもの自分と全然違っていて、とても変な感じがする。小さい頃から山野に入っては薬草を採ったり狩りの手伝いをしてたり。そんな私が、今はこんなしっとりした感じのドレスを着ている。ドレスは純白で清楚で、私には少し不釣り合いな気もしたけど、彼は喜んでくれるかな。そう思うと、胸のあたりが温かくなった。


 着替えが済んだけど、時間までは結構あるみたい。正確な開始時刻は定められてなくって、完全に日没して準備が整ってからって聞いてる。待ち時間の間はちょっと手持ち無沙汰になるから、エスターさんに断って、私はメル君からもらった宣伝チラシに目を通す。


~~~

 王都の民よ、立ち上がれ!

 あの者共が、人の気持ちを踏みにじることを目的にあの騒動を引き起こしたのなら、私達が立ち直ろうとしない限り、戦いはまだ続いているのではないですか?

 いつまでそうやって暗い顔でメソメソして閉じこもっているつもりですか?

 さぁ、家の椅子から立って、みんなで円になって座ろう。新たな家族の門出を祝おう。

 結局の所、私達が幸せになること、人の幸せを祝うこと、それがいちばん大事なのだから。


※注意事項

 闘技場中央部分の地面に魔法陣が敷かれますが、演出のために意図的に用意されたものですので、ご安心ください。魔法庁及び冒険者ギルド並びに魔導工廠の承認済みです。

~~~


 目を通していると、またすすり泣く声が聞こえた。私は呆れ気味の笑顔を見せつつ、エスターさんにチラシを手渡す。「何度も見ました」とちょっと震え気味の声で言いながらも、エスターさんは受け取ったチラシに優しい視線を向けて読み始めた。

 注意事項の部分が、リッツがやる演出だっていうのはわかる。それが何なのかまでは誰も教えてくれなかったけど。ジェニー先輩は、「すっごく良かった!」とだけ教えてくれて、私の期待感を煽りまくってた。

 チラシを読みふけっているエスターさんを見ながら、この式に向けて動いてくれている方々のことを思った。この式に足を運んでくださる、王都のみなさんのことを思った。そして、センパイのことを――アイリスさんのことを。


 アイリスさんは、私のためにしてあげたいことがあるってことで、式には参列者じゃなくて裏方として参加されてるみたい。もしかしたら、例の演出というのに一枚噛んでるのかもしれない。何をしてくださるのか、私が聞いても「サプライズにならないからダメ」ってことで教えてくれなかったけど。

 ……でも、実は忙しくて来られないから、その方便だったのかなって。きっと本当に何かしてくださるだろうけど……それでも、もしかしたらって気持ちは、どうしても拭えなかった。

 アイリスさんが、ご自分で夫を選べない運命にあるってのは知っている。だから、「絶対に来てください」だなんて絶対に言えない。でも、式を挙げることを隠すのも嫌だった。そういう気遣いを、きっと嫌がられるだろうから。だから、「よければ」なんて控えめな誘い方しかできなかった。

 アイリスさんは、今回の式のことをどうお考えなんだろう? きっと祝ってくださるだろうけど、羨ましく思われたり……あるいは嫉妬されたりするのかな。そんな事を考えちゃう自分が嫌だったけど、でも考えずにはいられない。アイリスさんを疑う気持ちよりも、”きっと祝ってくださる”なんてイメージの方が、ずっとアイリスさんを縛り付けているように思う。

 だから、会って素直な気持ちを聞きたい。「良かった」でも、「羨ましい」でも、「嫉妬した」でも、何でもいいから。


 チラシを読むエスターさんには、私の中のわだかまりを気づかれなかったみたい。その後、また色々とお話をしていると、控室の戸がノックされた。ちょっと遠慮する感じで戸が開くと、さっき案内してくれた方が「準備が整いましたのでご案内します」と言った。まず、先にエスターさんが関係者席について、それから少し時間を開けて私が向かう感じになる。


「もしかしたら、エスターさんが花嫁と勘違いされたりして。ドレス無くてもキレイだし」

「まさか~、そんなことないですよ? ネリーさんのほうがキレイです」


 ニッコニコの笑顔でエスターさんがパタパタと駆けていくのを、私は係員さんと一緒に見送った。あんなに可愛らしい美人なのに、未だに浮いた話の1つもないみたい。たぶん、ワーカーホリックなんだと思う。お昼を一緒に取ると、大体はファッション関係の話になって意見を求められるし。

 係員さんともお話して頃合いになるまで時間を潰していると、「……そろそろですね」と言われた。ああ、いよいよなんだ。回廊の硬い地面も、今は土に草を重ねたみたいなふわふわした地面に感じちゃって、全然落ち着かない。

 通路の灯りはだいぶ力を絞っているみたいで、来たときよりもさらに頼りなさそうなぼんやりした光を放ってる。その光と一緒に、壁の隙間から差し込む月や星の明かりが、闘技場の白い壁を優しく照らしている。暗い闇の中、ぼんやりと白い道が浮かび上がるみたいで、とっても幻想的だった。

 そして……闘技場の中央へ続くところに差し掛かると、内側の地面から明るい光が漏れ出しているのが見えた。青緑の光と……紫の光が。

 もしかして。逸る気持ちを抑えられず、係員さんを追い越しそうになるような早足で光の方へ向かう。すると、闘技場の砂の地面は、今では青緑と紫の光が埋め尽くしていて、2色の大輪の花が風になびく花畑になっていた。

 誰の光なのか、言われなくてもわかった。涙がとめどなく溢れてくる。



「花嫁が到着しました」と観測係の職員さんが告げてくれた。「喜んでそう?」と聞くと、「立ち尽くしてます」とだけ返された。まぁ、ここからじゃ見えないからイメージするしかない。

 今、俺とお嬢様と職員さんは、闘技場の正面入口の向かいにある”管制室”にいる。ここで闘技場の機能を色々制御できるらしい。今は特に何かできるわけじゃないけど、客席とは壁で仕切られているので、こうやって秘密の作業をするにはちょうどよかった。

 それから少し経って、「歩きだしました」と職員さんが言う。今や状況確認は彼女の目だけが頼りだ。お嬢様も、魔法を解いてはならないということで、目を閉じて自分の魔法のイメージに集中している。

 ぶっちゃけると、友人の結婚式の真っ只中で目を閉じるのってどうなのって気がしないでもないけど、あの2人にできる一番の贈り物がコレなんだから、まぁ仕方ないとも思う。

 歩きだしてからは、職員さんは静かだった。言葉が詰まっているようにも感じる。彼女だけじゃなくて、闘技場全体がすごく静かだった。でも、最近の王都で感じるような嫌な静けさじゃない。

 やがて、職員さんは声を震わせながら、「中央に着きました」と言った。つまり、ハリーと”神父”がいるところに着いたわけだ。神父はギルドマスターがやってらっしゃるとかで、コレもサプライズだ。


「実況お疲れさまです、もう大丈夫」

「……はい」


 これ以降の状況を逐一報告させるのは無粋というか、少し酷かと思って、俺は彼女のお役目を解いた。状況を見る彼女の反応と、あたりの様子から、この場がどうなっているのかは十分に推し量れると思う。

 職員さんがすすり泣き、やがて嗚咽を漏らし始めた。周囲からは拍手が聞こえる。目を閉じて脳裏に浮かぶ青緑のイメージの中、拍手の音はさざなみのように広がっていって、やがて会場中を満たす大きな音になった。

 いつの間にか、部屋の中で泣く声が2人になっていた。新しく加わったすすり泣く音は、かなり控えめで抑えたものだったけど、いつもより不確かな聴覚でも確かに心に届いた。

 引き伸ばした魔法につられて、五感が曖昧になっていくのと引き換えに、自分の感覚は広がっていく。闘技場全体に手を回すように広げたイメージの中で、温かな喜びに満ちた人の輪を感じた。あの中央の2人がその軸に、自分がその輪の枠になっている、そういう実感を強く覚えた。やり遂げたんだな、そういう達成感が心を満たしていった。



 婚礼の儀式が済み観客が撤収し始めるのに合わせ、課長さんがやってきた。泣いてたら面白いなと思ったけど、そんなことはなくて平常運転だった。声はすごく優しい感じだったけど。管制室に入るなり「お疲れさまでした」と言われた。


「もう、魔法を解いても大丈夫ですよ」

「みんな帰るまで、続けなくても?」

「式は終わりましたからね」


 しかし、帰りきるまでは続けたい。式の余韻を残すためにも、もうちょっと頑張ってみるか。そう思って課長さんに、客が帰りきるまで頑張ってみる旨を伝えると、「まぁ、そう言いますよね」と笑われた。お嬢様は「頑張りましょうね」とだけ言った。声の感じから、疲れはあまり感じない。たぶん、すごく気に満ちているんだろう。

 五感に引き続き、時間の感覚も曖昧になっているような気がした。時の進みが早いのか遅いのか、人と会話してないとあやふやになる。やっぱり身の丈に合わない魔法だなと思っていると、職員さんが客の撤収終了と教えてくれた。その報を受けて、安心して魔法を解くと、不意に自分が戻ってきたような感じがした。寝落ちしかかってるときに、ハッとさせられる感じを能動的にやるみたいな。

 この後は、新郎新婦の友人及び式の関係者で、大きな居酒屋を貸し切って二次会だ……と思っていた。


「二次会の前に、やることがあるのでは?」

「はい?」

「ほら、待ってますよ」


 課長さんが指差す先には、あの2人が待っていた。会わないわけにはいかないだろうけど、会ったら会ったで少し恥ずかしいというか、面はゆい感じはある。そうやって少しまごまごしていると、課長さんは俺とお嬢様の背を割と力強く押して急き立てた。「式、すごく良かったですよ、主任」と言いながら。


 そうやって追い出されるようにして管制室を出た俺達は、お互いに浮足立つ感じを覚えながら友人のもとへ向かった。

 そして、闘技場の中心で向かい合う。闘技場設備の灯りは届かないけど、雲ひとつ無い夜空の月光は明るく、2人の顔は良く見えた。晴れがましい顔のハリーと、目を潤ませたネリーがそこにいる。

 誰かが声をかけるより先に、ネリーがお嬢様を抱きしめた。お嬢様は一瞬驚いたような表情を見せてから、慈愛に満ちた微笑みでネリーを抱き返す。

 鼻で息をしながら、途切れがちにネリーが言った。


「来ない、かもって。思ってました」

「来ますよ。友達だから」


 互いに抱きしめ合う力が、少し強まったように見えた。ボロボロ涙を流すネリーの顔は、嬉しそうな、それでいて申し訳無さそうな、複雑なものだ。


「……リッツ、大丈夫か?」

「何がさ」


 ハリーの心配そうな声に、俺は強がって答えた。気がつけば俺も目から涙が溢れて頬を濡らしている。


「これは、アレだ。その、貰い泣きっていうか」

「そうか……ありがとう」


 冷静な彼には珍しく、すごく情感を込めた礼の言葉に、ますます目頭が熱くなる。ぼやける視界の中、お嬢様も泣いているのを見て、もう止まらなくなった。


 別に貰い泣きなんかじゃなかった。自分の気持ちはわかっている。

 今日、この日をもって友人2人が1つの新しい家族になる。そのことが、俺の家族と俺自身のことを思わせた。光が強くなるほどに、闇も一層暗くなるのを思わずにはいられなかった。

 この式に向けて走ってる間、追ってくる陰からは逃げ切れていた。いや、逃げてたわけじゃない。いつだって足元に影はあって、ただ見て見ぬ振りをしてきただけだ。友人のためと言い訳をして奔走することで、心に引っかかる後ろめたさから目を背けていた。

 人に打ち明けられない闇がある。この世界で1人なんだという、そういう感覚がある。

 でも一方で、2人の幸せに貢献できて、この式の空気を温かさで満たすことができて、この世界に認められたんじゃないか、受け入れられたんじゃないかって、そう思った。

 こっちで生きている限り、心の暗い部分は決して拭えないだろう。でも、光もあるんだ。

 だから泣いてるんだ。

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