第136話 「お忍び訪問」

 フラウゼ王国西方最前線拠点、総司令部執務室にて。


 10月13日9時。軽めの案件ばかりになった書類仕事を終え、手にした”招待状”をぼんやりと眺めていると、向かいで書類を片付けていたフィンズリー伯が「ご参加されてはいかがですか」と尋ねてきた。


「この時期に、私1人でかい?」

「引き継ぎの準備は整っております。正式なご帰還前に、お忍びでご確認なさるのも重要かと」


 王太子が戻ったとなれば、それだけでいくらか王都の雰囲気は変わるだろう。そうなる前に、素の現状を見定めることには、確かに意義がある。

 それに叔父上へ最前線の総指揮権を委譲する準備は、先月の時点ですでに整っている。もはや王都側の対応待ちといった状態だ。普段の執務上では、私がここを離れることに対しての懸念は、もはや無いと言って良い。

 しかし、それでも思うところはある。


「兵にはどう伝える? 私の不在は、隠してもすぐに知れるだろう」

「兵には視察に向かわれたと伝えます。どのような視察かまでは、機密上伏せておきますが」


 少し無骨にも見える彼の顔に、悪戯っぽい笑みを浮かんだ。非公式という立場を生かして、私なりに遊んでこいとでも言わんばかりだ。

 まともな肉親がいない私にとって、この最前線にいる近臣の皆は、いわば親戚のようなものだ。今もこうして気配りをしてくれている。そのことが有り難いし、それ故に残して去ることへの懸念もある。


「私がいなくなった途端、何かしらの煽動が起こるのではないかと思ってね」

「その懸念は、正直に申し上げますと確かにございます。現在の政情に対する不満を抱える者は、少ないながらもいるものと思われますので」


 最前線の兵は皆士気が高く、相応の教育を受けている者も多い。安易な煽動に対して乗る者はそういないだろうが、この場を私が離れるということ、それが何か凶事の契機にならないかが心配だ。

 しかし、伯爵は心配するどころか、1人心配する私から見れば憎らしいぐらい、ふてぶてしい表情で言い放った。


「一度、声を上げさせるのも手かと」

「抑圧しないほうがいいと?」

「はい。王弟殿下の指揮力を示す機会にもなるかと」


 私がいなくなっても、叔父上に任せれば難なく解決するだろう、そんな確信があるのか断定的な口調で答えられた。もちろん、叔父上に任せきりではなく、重臣も揃って行動するのだろうけど。

 叔父上の人品に関しては、実際に非のうちようがない。私の係累とは思えないくらいだ。強いて言えば、荒事には向かないぐらいに温厚であるというぐらいだ。ただ、叔父上を上に立てれば、下のものは意気揚々と自分の責務を果たそうとするだろう。

 私の心配も実のところ、自分でここまでやってきたという、自負心からくる思い上がりに過ぎないのかもしれない。

 結局、気がかりが解消されないもどかしさは否めないものの、配下が見せてくれた気遣いに甘え、私は視察にかこつけた休暇をいただくことにした。

 さっそく、転移門で王都へ向かおうと席を立つと、伯が声をかけてきた。


「変装の準備は、決して怠りのないように願います。また、こちらへは27日にはお戻りください」

「わかっているよ、ありがとう」


 きっかり2週間ほどの滞在になる。まぁ、あちらへ行ったからと言って、楽しめるかどうかは別問題ではあるが。



 門を通じて王都にたどりついた。生まれ故郷のはずなのに、ここで過ごした時間は他国や戦場よりも短い。そのおかげか、来るたびに新鮮な気持ちを味わっているわけだが、今回は奇妙なほどに静かだった。

「いつも、こんな感じかい?」と門の管理者に、気持ち明るめに問いかけると、彼はかなり困ったような顔になって答えた。「近年で一番の沈みようでございます」だそうだ。

 門を維持管理する設備から出ると、行政区画だからという理由もあるだろうが、それにしても静まり返っていた。故郷にしてはよそよそしく感じる空気に、自分を望まれざる客のように感じた。

 今いる北の区画から、まずは冒険者ギルドへ向かう。式の招待状を寄越してきたからだ。向かう途中で何人か冒険者らしき者達とすれ違った。一応、怪しまれないように会釈をしておく。

 年頃の女性にまじまじと顔を見られたときには、少し警戒心が湧いたものの、私が誰であるか気づかれず事なきを得た。顔がいいとは側近にも現場の兵にも度々言われるため、たぶんそういうことなのだろう。

 思えば、公用での短期滞在を除けば、本当に数年ぶりと言っていい王都への帰還になる。もう、王城近辺の重臣でもなければ、私のことなど誰も気づかないのではなかろうか?

 その事に、寂しさよりも「試してやろう」という気持ちが沸いてきた。こちらでの滞在に向け変装用具を見繕ってくれた係が、気を利かして色々と用意してくれていたが、それを使ってみるとしよう。


 冒険者ギルドにたどりつくと、戸が開けっ放しだった。閉じなくても良いものかと思っていたが、ご丁寧にも戸にストッパーが噛ませてあり、意図的に開け放しているようだ。おそらく、開放感や親しみやすさの演出からそうしているのだろう。

 中に入り先客に会釈をする。私が見たことがない顔だからだろう、中にいる冒険者達にしげしげと眺められた。それでも、素性を聞きに来られなかったのは、私としてはありがたかった。

 受付には褐色の肌をした女性が掛けていて、表情は少し眠そうに見える。確か、ラナレーナ嬢と言ったはずだ。こちらのギルドマスターとともに、最前線の視察や閲兵に来たことがある。また、彼女の戦果については書類で度々目にするため、顔よりも名を目にする機会の方が多い。

 そんな彼女は、私と視線が合うと眠気が飛んだかのように、目を見開いた。しかし、すぐにまた少し眠そうな顔に戻る。私に気づきかけたのか、何かしら気づいた上で周囲に気取られないようにしたのか。

 ともあれ、私は彼女に用件を切り出した。


「こちらにギルドマスターはおられますか?」

「失礼ですが、身分を証明するものはお持ちでしょうか?」


 肩掛けカバンから、変装用に偽造した身分証を取り出した。今の私は、西方最前線所属の連絡員ということになっている。

 身分証を手渡された彼女は、にわかに鋭い目つきになって身分証を隅々まで確認をし始めた。しかし、私が身分を偽っているというだけで、身分証自体は正規の手順で発行されている――つまり、最前線の軍務担当者公認――ため、不正はわからないはずだ。

 続いて彼女は、テーブルからマナペンと紙を取り出し、私にサインを求めた。「申し訳ございませんが」と私に一筆頼む口調こそ丁寧ではあるが、気配には油断が微塵もない。まるで、密偵とわかっている相手に応接するみたいに。

 私は、白い手袋をした右手でペンを受け取りサインした。マナペンからにじみ出た光は橙色だ。私の赤色のマナではないのにはもちろん理由があって、これも変装用の道具の力によるものだ。

 偽名のサインを受け取り、身分証と照らし合わせた彼女は、数秒考え込んでから受付の後ろにある事務室らしきところに顔を出し、受付に交代要員を呼んだ。

「奥の応接室までご案内いたします」と彼女が私に言った。私はそれに応じ、興味深そうに事態を静観していた聴衆に軽く頭を下げ、奥の部屋へ向かう。


 通された部屋は、そこまで調度品に金を使ってないと見える、こざっぱりとした応接室だ。実用本位といった風で、なかなか好感が持てる。

 彼女に勧められ、私が先にソファに掛け、後に彼女が座る。すると、別の事務員らしき女性が戸から顔を出した。


「お茶のご用意ができました」

「ありがとう。あなたも同席してもらえるかしら?」


 ラナレーナ嬢に言われ、部下らしき彼女も相席する形になった。

 正体が露見するまで引っ張るつもりではあるが、そのための筋書きに関しては全く考えていない。言わば成り行き任せだ。ギルドマスターとの面会要請も、あちらの出方を探る程度の口実に過ぎない。どうなることやらと思いつつ、ティーカップに手を伸ばそうとすると、ラナレーナ嬢が口を開いた。


「申し訳ございませんが、もう一度サインをお願いできますでしょうか」

「ええ、構いません」

「大変失礼かと存じますが、手袋をお取りになって、お願いいたします」


 タネが割れたようだ。拘泥しても仕方がないし、それよりも彼女の用心に感心し、私は右手から白い手袋と橙のマナを込めたブレスレットを取り、テーブルの上にそっと置いた。


「サインは、どちらがいいかな?」

「……本名でいただけますか?」


 私のジョークに、ラナレーナ嬢は見事な笑顔で返した。それに応じ、私は赤いマナで自分の名を紙に書きつけた。

「露見するまで隠し通すつもりだったけどね」苦笑いしながらサインを渡すと、対面する2人は固まった。ただ、流石というべきか、ラナレーナ嬢はすぐ我に返って言葉を返してくる。


「公式な訪問でしょうか?」

「いや、非公式だよ。そちらから頂いたご招待もあってね」


 私がカバンから例の招待状を取り出すと、ラナレーナ嬢は嬉しそうな笑顔で傍らの部下の肩に手を置き、優しく彼女の身を揺すった。

 そして、ラナレーナ嬢が語りかける「ご覧になって頂けるんですって、おめでとう」という、その言葉が気になった。


「そちらが、明後日の花嫁?」

「はい、当ギルド職員のコーネリア・グラントです」


 ラナレーナ嬢の紹介を受け、コーネリア嬢は王族を目にした衝撃に身を固くしながらも、何とか恭しく私に頭を下げた。こういう状況への場馴れはなさそうだが、それなりに振る舞えるだけでも大したものだ。私が「おめでとう」と言うと、彼女は少し恐縮しつつも嬉しそうな微笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と返した。

 祝辞の後、式への参加についてラナレーナ嬢と会話した。と言っても、詳細は招待状記載の通りで、それに従う形になるだけだが。

 確認が済んだ後、話は私の身分詐称に移った。というよりも、私が話を持ち出した。すぐに見破られるとは思わなかったからだ。


「よく手袋に気がついたね。”白い”のなら平気と聞いていたんだけど」

「黒い手袋には気をつけよと周知されていますが……頃合い的に、もしかしたら殿下がお越しになられるかと思われましたので、念のために……フィットシャットに白い物があるというのは初耳です」

「フィットシャット?」

「マナ遮断手袋の商品名です」


 物を用意してもらいながら、こういうところでの知識がないのは少し恥ずかしい。

 手袋に続き、ブレスレットにも話が及んだ。水たまリングポンドリングを大きくした程度のものだが、リングとマナペンで同じ色になると怪しいということで、同等の働きをしつつ袖で隠せるブレスレットを軍の資材部が紹介してくれた。

 手袋もブレスレットも、試作段階で欠点はあるそうだ。しかし、知られていない物ということで変装の手口には最適だった。ただし、今回はラナレーナ嬢の気づきと警戒心が上回ったといったところだ。こういう方がギルドの受付をやっているというのは心強い。

 その後は、王都での過ごし方について話が及んだ。招待状を送りつけるだけあって先にあちらが考えておいてくれたそうで、「素案ですが」と謙虚な姿勢でラナレーナ嬢が書類を見せつつ話してくれた。


「工廠と話はつけております。軍からの視察員ということで、一時的に工廠の寮をご利用いただこうかと」

「なるほど。私はそれで構わないけど、そう決めた理由は?」

「工廠の視察であれば、実のあるご休暇になられるかと。また、お忍びということですので、一般人の往来が少なく職員の利用率も低い工廠の寮が、他者との遭遇率の低さから至適と思われます」

「職員は、使ってないのかい?」

「住んではいますが、工廠で寝泊まりするものも多いとのことで」


 苦笑いしながら答える彼女に合わせ、私も笑った。そして、笑っていると視界に手袋とブレスレットが入ってきた。これらは、寝食忘れて打ち込む者達の、努力の結晶というわけだ。正式にこちらへ戻ったら、今日の話でも持ちかけてみようか。笑ってもらえるといいんだけど。



 ギルドからの紹介状も用意してもらったところで、今度は工廠へ向かった。寮についての話を詰める意図もあるが、本命は別にある。

 紹介状の力は大したもので話はスムーズに進み、工廠の所長と面会することができた。あまり外回りをする役柄ではないものの、この時期にすぐに工廠内で合えたのは幸運だった。

 まずは寮生活の件について話し、手はずを整えてもらう。と言っても、これは先刻承知の件であったため、私が来ればすぐにでも使える部屋が1つあるそうだ。「住心地については保証いたしかねますが」と少し渋い笑顔で言われると、逆に興味が湧いてくる。

 続いて、私は別件を切り出す。別件と言うか、本命なのだが。


「私もほうきに乗りたいんだけど、どうだろうか」



「……申し訳ございませんが、ご要望には応じかねます」

「どうしても?」

「何かありましたら、私では負いきれませんので」


 シエラ嬢の実験室で、何とか乗せてもらえないものかと頼み込んだものの、この調子だ。

 私の権力で彼女に首肯させることは可能だろうが、お忍びでやるのは道理に合わない行為だし、何より彼女に対してあまりにも礼を欠く行為だ。

 しかしながら、それでも飛ぶことへの興味はある。


「どうすれば乗せてもらえる? 報告書には、君以外に乗った人物もいるとあるけど」

「……それは」

「まぁ、アイリス嬢は魔道具の扱いに関して名高い。彼女なら……そう君が判断しても自然ではあるね」


 押し黙ったままの彼女は、私の言葉でほんの少し体を震わせた。いい所をつけたようだ。

 しかし、自分で言ったことながら、意地の悪い物言いをしてしまったかもしれない。私がああ言ったことで、私とアイリス嬢を彼女が比べてしまっている、そういう構図が出来上がったように感じる。もし、同じように彼女が感じたのなら、居心地のいい思いはしないだろう。


「無理強いをする気はないんだ。ただ、宰相殿も乗られたって、報告書で嬉しそうに書いてあったのでね」

「嬉しそうに、ですか?」

「冗談だよ。でも、飛んでみた”所見”の項目は、かなり長かったね」


 彼女は見もしない報告書に思いを馳せたのか、若干表情がほぐれて笑ってくれた。

 宰相殿から書面で、彼女の理念について知らされている。安全かつ堅実な、空飛ぶほうきの普及を目指しているのだとか。だから、私に何かがあったら……そう考えるのは無理もない。

 ただ、やっぱり飛んでみたい気持ちに変わりはない。せめて、少しでも飛ぶための一歩を歩めないか。そう思っていた所、いいアイデアを思いついた。


「きちんと普及させることを目指しているとのことだけど、間違いないかな?」

「はい」

「では、飛ぶ前の訓練法に関して、何か考えは?」

「確たるものではありませんが」

「その訓練に、私も混ぜてもらえないかな?」


 当然、彼女は驚いたものの、あえてそれを無視するように、私は考えを一方的に述べた。

 冒険者の中には、かねてからほうきに興味を持っていた者達がいるだろう。そういう者の中から有志を募り、飛ぶための訓練を施す。その訓練の手応えを元に、訓練法に改善を重ねていく。飛ぶための試練が重いと感じれば、それはそれで飛ぶことの価値も危険も正確に評価されることになるだろう。

 そして、訓練に参加する有志の顔を、私は先んじて知っておきたいわけだ。


「そういう訓練会を、私がお忍びで滞在している2週間の間に企画してもらいたいんだ。それも、できればみんなで楽しく訓練できるものがいい。こんな時勢だし、私も友だちが欲しいからね」


 私の発言の最後に引っかかったのか、彼女は少し申し訳無さそうな、それでいて切なげな視線を私に向けた。どうやら私のことを慮ってくれているようだ。貴族の子と友人になったと言うだけはある。

 もしかしたら、この場で持ちかけても大丈夫かもしれない。


「できれば、お忍びの間でも友達として振る舞ってもらえれば、とても嬉しいんだけど」

「……構いませんよ」


 少し諦め顔にも似た笑顔に、少し崩した口調で言われたものだから、少し驚いてしまった。


「どうして驚かれてるんですか? あなたから持ちかけた話でしょう?」

「いや、順応が早いなと」

「……あなたを区別するのは、私の友人にも悪いと思いましたので」


 外圧に屈せず1人で研究を続けただけあり、彼女は私とそう変わらない年だろうに、強固な芯を持っているようだ。

 こうして彼女は私の提案を受け入れてくれたわけではあるが、言わせてしまっている部分も多い。正式にこちらへ戻ったときには、あらためて本当の敬愛の念を向けられるよう振る舞わなければ。

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