第128話 「友人のこれから②」

 昼食の後、俺は牧場のみなさんに挨拶をして王都へ帰った。

 サニーの方は、とりあえずDランクの円を描けるようになるまでは、1人で反復練習に勤しむことに。安定してうまく描けるようになるか、行き詰まりを感じた時にまた俺に相談するということになった。教えている時には、明らかな苦手意識とか、何か引っかかる要素などは感じなかったので、まぁ大丈夫だろうとは思う。


 王都に着いてから、俺は闘技場へと向かった。もしかしたらセレナが居るんじゃないかと考え、その確認のためだ。もしいたら、サニーはこれから闘技場を使いにくくなるな~、なんて思った。

 闘技場には見知った顔も、そうでない顔も大勢いてかなり賑やかだ。たぶん、昨日のEランク試験での合格組と、9月のDランク試験に向けて調整していた組が合流したんだろう。見ているとDランクの魔法を練習している割合が圧倒的に多い。

 人の密度に少したじろいで、回廊のところから遠巻きに様子をうかがっていると、背後から俺を呼ぶ声がした。振り向くと、そこにいたのはハリーだった。


「よう。ハリーもDランクの練習か?」

「ああ、そのつもりなんだが……」

「ああも人が多いんじゃ、ちょっとやりづらいよな」

「そうだな……」


 同意しつつ、彼は口ごもった。何か言い出したいけど遠慮しているような、そんな雰囲気だ。ふと、今日のサニーのことを思い出した。あと、結婚式のことも。ハリーもハリーで色々あるだけに、きっと魔法の習得に関して思うところとかあるんだろう。

「場所変えるか? ここはちょっと人多いし」と持ちかけると、彼は静かにうなずいた。


 それから向かったのは、王都からほど近いところにある大きなの池の畔だ。ちょっとした公園みたいな感じのところになっていて、周辺の集落から来る方が多い。今日も池で釣りを楽しむ方や、家族連れがピクニックをしているのが見えた。王都が沈みきっている雰囲気の中、ここは場違いみたいにのどかだった。王都の方々も、こうやって気分転換でもしないと、やってられないだろうけど。

 では俺が連れてきたハリーはというと、抱えている話は結構重いようで、緊張で張り詰めた感じのお面持ちだ。何か重大な話でもあるんだろうか。それが気になった一方で、彼に結婚のことで祝辞を述べてないのを思い出し、まずはその件に触れることにした。


「こないだ、ネリーとの件を聞いてさ」

「ああ……」

「おめでとう」

「……ありがとう」


 彼の返事は、確かに嬉しそうではあるものの、どこか浮かないところもある。今日の彼の様子が少し重たいのは、おそらくこの話が原因じゃないかと直感した。ただ、結局聞いてみないことには判然としないので、思い切って「どうかしたのか?」と聞いてみると、彼はいくらか逡巡した後にためらいがちな口調で答えた。


「彼女を娶る覚悟はあるが、迷いもある」

「迷い?」

「……幸せになるほど、失うのが怖くなるんだ」


 そう言うと、大柄でたくましい彼の体がごく僅かに震えた。以前に彼が孤児だったこと、そしてご両親の顔を思い出せないことを本人の口から語られていた。育ての親の方の尽力で立ち直って、こうして立派に冒険者をやっていても、やはり重い影は一生引きずることになるんだろう。そのことをあらためて思い知らされた。


「ネリーは受付兼務だから、そこまで危ないことはしないだろ?」

「それはそうだが……俺が帰れなかったら彼女がどう思うか、そう考えると……」


 彼の悩みが呼び水になって、俺が抱える闇の中から罪悪感が這い出し、良心を責め立ててくる。あっちの世界に置いてきた家族のことは、今でも顔も声もありありと思い出せる。思い出すたびにつらい気持ちと、家族を忘れていないことへの妙な安堵を覚えた。

 相談される側がこんな調子ではと、頭を軽く振って気を取り直し、彼に話しかける。


「俺にできることなら協力するから、気軽に言ってくれ。あんまりキツイのは要検討だけど」

「……ありがとう」


 若干ほぐれた表情でハリーが答える。それから少し間を開けて彼は「光盾シールドを教えてくれ」と言ってきた。


「光盾だけでいいのか?」

「当面は、そうだな。他にも防御に使える魔法があれば、なんとか使えるようになりたいが」

「防御用かぁ……」


 彼の意図するところはなんとなく掴めた。彼が冒険者になった動機は、人を守りたいというものだった。だからこその、光盾というチョイスなんだろう。あと、俺がエリーさんと練習していた時に、光盾や双盾ダブルシールドばかりやってるのを見られたというのもあるかもしれない。

 彼が光盾を覚えるというのは、心情面をさておいても実践的で良い考えだと思う。彼は体格や戦闘力の都合で矢面に立ちやすいし、ガタイの割にフットワークもいいから他人のカバーもうまい。そんな彼が光盾を手にするというのは、チーム全体にとって戦術的に価値があることだ。

「少し難しいと思うけど」と前置きすると、彼は意志力のみなぎる目で俺を見ながら静かにうなずいた。


「わかった、光盾シールドからな。ちなみに、Dランク試験をやる予定は?」

「特には考えてない。光盾や他の防御魔法を覚えて、興味が湧いたら考える」

「そうか」


 Cランクまでやるとか、そういう話にはならなかった。ただ、人を守る魔法を専門にやっていくとなると、Dランクまででは心もとない気がするのは確かだ。光盾以外の魔法はどこか頼りないと言うか、状況を選びすぎる。

 “今温めているネタ”が物になれば……とは思ったものの、来月のDランク試験や結婚式のことを考えると、依頼がない割になんやかんやで忙しい。こうして友人に魔法を教える用事もある。

 でも、実があって心地よい多忙さだ。


「じゃあ、まずはDランクの円を描くところからな」

「ああ、頼む」


 今朝やった練習を、相手を変えて繰り返すことになった。それぞれ目指すところは違うようで、それでも好きな人のためってのは共通してるんだよなー、そう思うと仲人みたいな役回りみたいだ。

 実際、そのとおりか。結婚式の照明係をやろうって、名乗りまで挙げたんだから。当人には明かさずにサプライズにしてやろう。これでハリーの驚く顔を見れたら、何よりのお返しだな。



「少し暮れかかってきましたし、今日はここまでにしましょうか」と私が言うと、セレナさんは「はい、師匠!」と良い返事をしてくれた。嬉しいような、恥ずかしいような。呼ばれるたびに心のなかでざわめき立つ感じがあって、まだまだ慣れないし、今後も慣れそうにないかも。

 今いる林は、以前セレナさんと雷竜鳥エレキラプトル討伐に来たことがあって、その時同様に周囲には誰もいない。今みたいに、隠れてこっそり魔法の練習をするにはちょうどよかった。


「今日は円の描き方までですね。基本中の基本ですから、焦らずじっくり取り組みましょう」

「はい、ありがとうございました」


 お昼に図書館で出くわして、それから話の流れで始めた魔法の練習は、気を取られる要素がなかったおかげで黙々と取り組めた。本当は、もう少しお喋りしながらと思っていたけど。魔法に取り組む時のセレナさんの雰囲気は、真剣そのもので少し気迫もあって、弓を構える時に近いものがあった。そんな状態で話しかけるのは、気が引けるし、何よりもったいない。


「では、帰りましょうか」

「はい、師匠」

「練習が終わったら、師匠じゃないですよ」

「……ええと、アイリスさん」


 上目遣いで私を見ながら遠慮しつつも名前を呼んでくれたセレナさんに、私が素直な笑顔で返すと、セレナさんも和らいだ感じの笑みで答えてくれた。


 数日前、確か15日に私の引っ越し会議をした時、結局は国の提示した条件で落ち着けるのが無難ということで話がまとまった。

 そんな会議で一番の収穫が、私の呼び方だった。最初はシエラさんが”アイリスさん”と呼んでくれて、それにすぐにルクソーラさんが乗っかってコーネリアさんも調子を合わせて……。

 セレナさんは、やっぱり尻込みする感じはあったけど、それでも名前で呼んでくれた。そして今も。場の空気のためだけじゃなくって、こうして本人の意思で呼び方を変えてもらえたのが、とても嬉しい。

 でも、師匠はちょっとどうかと思うけど……


「それは、その……お父さんや、両親と仲のいい狩人の方に弓を教えてもらう時に、師匠と呼ぶように言われたので。物を教わる時には、そういうのが礼儀なんだって思ってました」

「師匠と呼ばれるのも良いですけど、セレナさんに呼ばれるのは……みんなにとっての、弓の師みたいなものですから」

「そんな……」


 セレナさんは、頬を赤らめて照れくさそうにもじもじしている。この様子を見ても、誰も王国ギルド本部で随一の射手なんて思わないだろうけれど、でも本当のことだった。

 私がセレナさんと居るとき、相手は鳥ばかりだった。それも、かなり動きが早くて狙いにくい鳥が獲物。でも、セレナさんは一矢たりとも外さなかった。本当に類まれな才腕を持っていると思うし、それを支えるための努力にも並々ならないものがあるのだと思う。だから、そんなセレナさんに師匠と呼ばれるのには、やっぱり少し気後れがある。

 でも、お友達によって少しずつ私の呼び方が違うこと――それも、2人きりのとき――には、なんとも言えない胸躍るような喜びや楽しさがあって、そう思うと師匠も悪くないかな、なんて。


 林を抜けると、王都まで続く草原が夕日を受けて輝いている。王都までは、他の人に出くわすまでにはまだまだ距離がある。もう少しお話を楽しめるかなって思っていたら、横を歩くセレナさんが申し訳無さそうな顔になって謝ってきた。

「お忙しい時期に、私なんかのために時間を割かせてしまって……」と言っている途中で、少し悪いとは思ったけれど、私はセレナさんの唇に指を当てて、それ以上の謝罪を封じた。


「私なんか、だなんて言ってはいけませんよ? あなたの実力や活躍は、大勢が認めるところですから」

「うぅ~」


 唇を塞がれながら、セレナさんは顔を夕焼けみたいに染めて身悶えしている。身の丈に合わない扱いを受けていると思っているかもしれない。でも、私としてはもっと自信をつけてもらいたかった。魔法の練習に付き合っているのは、これがセレナさんの自信につながるならと思ってのことだ。

 ただ、魔法の練習の話を持ちかけてきたのは、実際にはセレナさんの方だ。前に話したときには、それほど魔法に興味がなさそうだったから、その心境の変化はすごく気になる。

「何かあったのですか?」と聞くと、まだまだ照れた様子を続けたセレナさんは、やがて息を深く吸い込んで意思を固めた。


「……あの、笑わないで聞いてください」

「笑いませんよ、大丈夫」

「サニーを驚かせたいんです」


 微笑ましくも、少し意外な答えだった。そこまでサニーさんと一緒に行動した機会はないけど、セレナさん側からアプローチをするというのは、ちょっと新鮮な感じがする。

 セレナさんは恥ずかしそうにうつむき、両手の指を合わせてもじもじしている。背負った弓は一般の基準に照らせば短めのものだけど、それでも少し不釣り合いに大きく見えた。


「それで、ええっと、その……」

「ふふ、なんでしょうか?」

「Eランクの魔導師試験に合格したら……彼に思いを伝えようかな、って」


 その言葉に、応援しようという気持ちと、「彼からの言葉を待たないんだ」という驚きが一緒に湧いてきた。ついつい、「応援しますけど、待たないんですね」と一緒くたに話してしまう。

 セレナさんは、やっぱり恥じらっていてすぐには返事をしない。でも、決心がついたみたいで、私の方に向き直って思いの丈を語ってくれた。


「彼とは、冒険者になりたての頃からの仲なんです。どちらも物怖じしてばかりで控えめだから、気が合うねって。でも、このままじゃいけないって、彼が勇気を出してくれて……彼と一緒に、色んな方と色んな仕事をできました。私だけじゃ、きっと無理だったと思います。彼がいてくれたから……」


 セレナさんは、話しながら目を閉じて、胸の前で愛おしそうに両手を合わせた。しんみりしながら静かに歩いていると、セレナさんが石につまずいて転びかけた。2人で笑って空気が砕けたところで、明るい顔になったセレナさんが、続きを語りだす。


「彼が見せてくれた勇気への恩返しに、私から思いを伝えたいです」

「……いいですね、協力しますよ」


 笑顔で私が手を差し出すと、セレナさんはいつもよりもずっと自然に、握手に応じてくれた。握手が済むと、気持ちの整理がついて気が抜けたのか、またちょっと恥ずかしげな感じになったけど。

 次のEランク試験までは、まだまだ時間がある。練習中のセレナさんを見る限りだと、たぶん1人でも大丈夫かなっていう安心感はある。でも私が交わした約束だから、きちんと面倒は見たい。


「会議や会合で、思うように時間が取れないかもしれません。また少し時間ができた時に予定を合わせましょう」

「ごめんなさい、こんな大事な時期に」

「あなた方との仲も、私には大事なことですから」


 本心からそう言うと、セレナさんははにかんだ笑顔で喜んでくれた。

 次会えるのがいつになるかは、実際少し微妙だった。この後の練習の流れは、今のうちに決めておいたほうが良いかもしれない。もしかしたらセレナさん1人で取り組み始めることになるかもしれないから。


「私は、魔力の矢マナボルトから始めようかと思っています」

「魔力の矢、ですか」


 意外な発言だった。セレナさんにはすでに実物の弓矢という強力な飛び道具がある。だから、あえて魔法で飛び道具を持つ必要性は薄いし、魔力の矢の感覚に引きずられて本来の弓術に障りが出るという恐れも、決して無いわけじゃない。

 でも、セレナさんの考えは想像以上に深かった。それこそ、私なんかよりも。


「短距離での、攻撃の一手に加えられるかもって思ったんです。普通の矢も、魔力の矢も、短距離なら軌道はほとんど同じで真っ直ぐですから。それに、とっさの場合に射つなら、普通の弓矢よりも魔力の矢の方が、手順が少なくて済みますし」


 つまり、普段遣いじゃなくって緊急用のために覚えるみたい。それなら問題ないと思うし、魔力の矢は基本の魔法だから、最初に覚えるものとしても申し分ない。

 やっぱり、本当に弓に触れてる人は考えが違うんだなって感心して、自分の素人考えに恥じ入った。


「なるほど、仰るとおりですね、師匠」


 つい私の口から出た感嘆の言葉に、セレナさんは驚いて顔を真っ赤にした。でも、満更でもなさそうで、それは良かった。

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