第126話 「酒の席での話」

 一度宿へ戻り、外食する旨を伝えてから中央広場に向かうと、あたりには誰もいなかった。人通りの少なさのためか、申し訳程度に灯る照明が一層物寂しさを強調している。ギルドの方に目をやると、そちらは相変わらず戸を開けっ放しで、なんだかにぎやかな雰囲気だ。

 ヒマつぶしに顔を出すと、依頼はないだろうにそこそこ人がいて談笑している。ただ無駄話に興じているというだけじゃなくて、情報交換の意味合いもあるようだ。

 受付の方が俺の来訪に気づくと手招きされた。近づき用件を伺おうとすると、ジェスチャーで更に頭を寄せるようにとの指示。不審に思いながらもその通りにすると、お嬢様からの伝言を耳打ちされた。事務室でお話されているらしい。たぶん、雑談とかじゃなくて真面目な話なんだろうなと思った。特に混ざって話をすることもないと考え、他の冒険者の方々の話に加わりエリーさんを待つことにする。

 Dランク試験の話になって各々の進捗を確認しあっていると、薄明かりの向こうからエリーさんが姿を表した。制服姿ではなく、ブラウン基調でカジュアルな感じの装いだ。冒険者ギルドから一目置かれる彼女だけに、近寄ってくるとすかさず周囲のみなさんが興味を示して用件を尋ねた。

 彼女は口々に問われる質問に対し、カバンから書類をチラ見せして「仕事の話を詰めに来ました」と告げた。すると、労をねぎらう声がそこかしこから聞こえた。実際、仕事の話には違いないし、本当にお疲れ様なわけで頭が上がらない。

 受付の方の配慮で俺とエリーさんはギルドの中へ入り、事務エリアを通過してお嬢様と一緒に裏口を出ることになった。なんだか、裏口ばかり使っていると暗躍しているようで、あんな事件の後なので少し複雑な気分だ。お嬢様は状況を少し楽しんでいるのか、顔が合った時に目が輝いているように見えたけど。


 夕食をともにするということで、店はエリーさんが選ぶことになった。自粛ムードが漂う王都ではあるけど、それでも店のあてはあるらしい。

 それにしても……女性2人と一緒の夕食と思うとかなり緊張する。仕事の一環と自分に言い聞かせ、みっともないところを見せないように平常心を心がけないと。

 エリーさんが案内した店は、中央区から北西へ行ったところにある居酒屋だった。外見は他のバーより大きめの店だけど、その割には騒がしい感じがない。やはりお客さんが少ないんだろうか、そんな事を考えつつ中に入ると、店の大きさの割に静かな理由が判明した。店の入口付近は少し広めにスペースが取ってあって、受付とか待合用の場になっている。そのエントランスから通路で各個室に案内されるという感じの居酒屋だ。

「内密の話ならば、こういう店のほうが良いかと」エリーさんが店を選んだ理由を話して納得した。同時に、飲食店の知識にあらためて感心してしまった。魔法庁でも上の方の職員だからこそ、こういう店をしっているということもあるんだろうけど。

 店員さんの案内で通された個室は、間仕切りの板材が暗めの木材で、灯りは結構しっかりした強さだ。ムーディーというよりは、楽しく明るく飲む感じの部屋になっている。正直、こういう雰囲気のほうが普通に食事できそうで助かる。

 それぞれ席につき、店員さんがそばに控える中、エリーさんは開口一番に「飲まれますか?」と問いかけてきた。俺とお嬢様がそれぞれ「ちびちび味わう感じなら」「嗜む程度には」と答えると、エリーさんは良いのがあるから任せてほしいと切り出してきた。まぁ、メニューを見てもよくわからないし、それはお嬢様も同様のようだ。ドリンクだけでなく料理のチョイスもエリーさんに一任すると、彼女は呪文みたいに矢継ぎ早にオーダーし、店員さんも手慣れた調子で復唱している。そんな様子に少し圧倒されっぱなしだった。

 オーダーが終わってすぐ、お通しみたいな感じの小皿料理がいくつかと、アルコールがやってきた。口が少し広めのジャーに満ちた、透明感のある鮮やかなルビー色の液体の中には、輪切りの柑橘類やまるごとのベリー系などフルーツがふんだんに入っている。フルーツに混ざって、茶色の樹皮や葉っぱみたいなものも見えた。たぶん、シナモンみたいなハーブだろう。

 お酒が届くなり、にこやかな笑顔でエリーさんがグラスに注いできた。「これが美味しいんですよ」と、声にもウキウキとしたものがある。注がれるだけでも、甘酸っぱい良い香りが漂ってきた。それと、湯気が立っていて温かい。

「乾杯の音頭はどうしましょうか」とお嬢様が問うと、俺とエリーさんは顔を見合わせた。”何に”乾杯するか思い浮かばずエリーさんに委ねると、彼女は笑顔で「特に理由はないけど、乾杯!」と言った。「単に飲みたいだけ」みたいな空気を隠そうともしない、あけすけな音頭に笑い、軽くグラスを触れ合わせてから俺は早速酒を口に運んだ。

 香りは甘さのほうが強いかなという感じだったけど、実際に口にすると酸味の方が勝っている。それと、甘酸っぱさの中にも独特の辛味に似た刺激がある。シナモンとか生姜を思わせる感じのスパイシーさだ。そんな刺激感と酒の温度が相まって、口から喉を通し全体がじんわりと温まっていくのがわかった。

 俺達2人が気に入ったのに気分を良くしてか、エリーさんが笑顔で言った。


「少し寒くなってきたと感じた頃に、この店でこのお酒をいただくのが、同僚との一種の習慣になってまして」

「暖かくて、美味しいです」

「そうでしょう。似たようなお酒を提供する店は他にも知っていますが、ここが一番美味しいと思います」


 グルメなエリーさんが太鼓判を押すだけあって、確かに美味しいお酒だ。熱さからグビグビ行けるわけじゃないけど、少しずつ口に含んでは味わって飲み干す、それだけのことに幸せを感じる。口当たりが良くて飲みすぎる心配はあるけど。

 小皿料理のピクルスっぽいサラダをつまみつつ、お酒をちびちび楽しんでいると、エリーさんが「さっそくですが」とカバンから書類を取り出し、俺に手渡してきた。一緒に見ようとお嬢様が椅子を寄せてくる。酒気を伴う甘酸っぱく暖かな空気に気恥ずかしさを覚え、あまり身を寄せ合わないで見られるように互いの中心に書類を持っていくと、隣の子と教科書を読むような感じになった。

 エリーさんの視線にも何やら温かな物を感じつつ、文章を目で追っていくと、こんな感じのことがきれいな字で書いてあった。


・提言:複製術及び他の禁呪の使途拡大について

・意図:①禁呪の民間実地利用に向けた検証を通し、後進含め組織全体の教育につなげるため

②禁呪とその法規制の再考により、今まで以上に社会全体へ目を向け理解を深めるため

③禁呪を社会貢献につなげることで、失地回復するため


・実施:10月15日に闘技場で行われる予定の結婚式に、複製術と光球ライトボールを用いた照明を展開

・留意:複製術の記述部分について、参列者からの視認性を検証する必要あり。また、術者への負担も要検証。負荷甚大であれば、別途解決策が必要


 書類を一通り読み終え、エリーさんに視線を向けると、彼女はピクルスを酒で飲み込み「いかがですか」と問いかけてきた。


「いかがです、って。エリーさん的にいいんですか?」

「上に通るかどうかは断言しかねますが、やる価値はあると思います」


 思いがけず協力的な返事をいただき、嬉しさ半分驚き半分だ。顔を見合わせたお嬢様も、俺と似たような表情をされている。そんな俺達の反応に、エリーさんは含み笑いを漏らしてから言った。


「規制そのものは大切ですが、規制を守り、またその規制に守られることで、その先の理解が損なわれていました。今の魔法庁職員は、職員としてはエリートなのですが、魔法使いとしては未熟ですね」

「未熟、ですか」

「はい。好奇心に欠けますし、自身が魔法使いであるという自覚にも乏しいです。未知の事象に対し、平時にこそ探求を進めるべきなのですが、それを怠り軽んじるのは、魔法使いとして好ましい態度ではないですね」


 エリーさんの口ぶりに、ここに来る前の訓示を思い出し、再び書類に目を落とす。式そのものの成功も考えているんだろうけど、本意はむしろその先、後進の教育にあるような気がしてきた。

 それを裏付けるかのように、エリーさんが話しかけてくる。


「複製術の監視ですが、監視というよりは若手の育成が目的ですね」

「そうでしたか」

「監視にしては、複製術の何が危険なのか、その理解に乏しいところがあるでしょう?」


 その発言に、またしても終礼の時のことを思い出した。俺を外部講師的な役割に据えようという意図があるのかもしれない。その場合、魔法庁から見た俺の立ち位置改善につながると思えば、悪い話ではないだろうけど、禁呪の使用許可というには少し違う気がしないでもない。まぁ、急ぎでやっていただいた仮承認だから、あちらにもメリットがないと話が通りづらいんだろう。

 ともあれ、エリーさんを仲間にできたという感触はある。あとは上の判断次第だ。そう考えていたところ、エリーさんがまた話しかけてきた。


「民間に対して、魔法庁のイメージを回復するための企画でもあります」

「そう書いてありますね。お役に立てるなら嬉しいですけど」

「ありがとうございます……それで、もし可決された場合ですが、1回で終わらせるのは問題があるかと」

「問題?」


 少し雲行きがやしくなってきた。エリーさんの笑顔も、少し困ったようなものになっていく。


「あなたのご友人の式のために、特別に配慮して法を歪めたというのは、たとえ公表しないとしても魔法庁内部で問題視される可能性はあります」

「……そうですね、やっぱり難しいですか」

「1回限りですと、不公正ですね。ですから事業化できればと」


 怪しくなった雲行きが方向転換して、妙な話にシフトチェンジした。ちょっと狼狽する俺に、エリーさんは微笑んだ。


「事業そのものは魔法庁で管理し、ギルドを通して担当の方へ委託する感じになるでしょう」

「……えーっと、カップルが申請すれば、その担当者さんが照明係をやると」

「そうなりますね。ただ、禁呪という特性上、そう何人も担当者を増やせるわけではありませんが」


 つまり、あの友人2人のためだけじゃなくって、他のカップルのためにもやってもらえませんか、そういうオファーを受けているわけだ。エリーさんの提言のほうが筋が通っているように感じるし、そもそも禁呪を公衆の面前で使わせてもらいたいと、俺の方から無理なお願いをしているという自覚はある。断るのは悪いだろう。ただ、それでもエリーさん的にうまい具合に話を持っていかれている感じで、なんというか上手を取られた感は否めない。別に悪い気はしなくて、仕方ないなーって感じだけど。

 上に話を通すために色々考えていただいたのは事実だ。その礼に、気持ちよく話を持ち帰ってもらおうと笑顔で快諾すると、エリーさんは「事業化の折には、また商談しましょう」と言って書類をしまった。


 話がまとまったところで、今度はお嬢様の番だ。「私が呼ばれたのは、私も複製術を使うということでしょうか」と聞かれ、ここまで放っておいたことに今更気づいて深く反省した。急いでそのことを謝罪しつつ、彼女にも参加してもらった意図を話す。

「青緑一色では、少し単調で寂しいと思ったんです。それで、もう1色と」そう言うと、彼女の顔が少し曇った。理由はわかる。彼女が口にする前に、俺は自分の考えを告げた。


「紫でやってもらえればと」

「……何か理由はありますか?」

「わざわざ別の色でやったと知れたら、そっちの方がネリーは複雑に思う気がしたので」


 お嬢様はハッとした表情になり、そのまま黙りこくった。

 ネリーのためには、ご自身の色でやっていただくべきだ。その色が紫なんだから、ネリー視点ではお嬢様からの祝福なんだとすぐわかるはずで、たとえお嬢様がその場にいなくても近くに感じられるんじゃないかと思う。

 それと……ちょっと打算的な考えなので表立って言えないものの、他にも意図するところはある。

 こういう世情の中での挙式となると、批判の的になりかねない。そんな中、紫のマナで平民のために地面を彩り、その上を歩かせてあげるというのは、強力なメッセージ性があるんじゃないだろうか。貴族が理解を示して、祝福しているんだと。

 それに、式で運営側の立場になって、大きな役回りを持ってもらうことにも意味がある。ギルドと魔法庁側でどれだけ式の規模を盛るかはわからないけど、世間に影響を与える一大イベントにまで仕立て上げるのなら国としても無視できないはずだ。そんな式の成功のためと思えば、お嬢様を別の用件で拘束しづらいんじゃないか。


 ただ、平民の式に貴族が骨を折る構図がどう受け止められるか、結局は素人考えなので不安もある。最終的にはお嬢様や周りの方の意見を優先することになるだろうけど、少なくともお嬢様は意識が固まったようだ。エリーさんの「私も、紫の方が花っぽくて素敵だと思います」という言葉も後押しになったらしく、お嬢様は笑顔で「わかりました。私の色でやってみます」と答えられた。それが妙に嬉しくて、甘くて温かいお酒を一層美味しく感じた。


 そこからは計画に関してあまり細かく詰められない。最終的には上の意向次第だからだ。それでも、エリーさんとしてはかなり勝算のある見立てらしい。

「闘技場の使用許可を出した事自体、近年の基準に照らせばかなり異例ですから」と彼女は言う。民衆からの不信感を払拭するために、なんとか歩み寄りたいという考えはあるようで、あとはその意向に沿いつつ魔法庁でイニシアチブを取れるよう条件を詰めれば大丈夫だそうだ。


 式の話が一段落した頃合いで、次々と料理がやってきた。本当に、次々って感じだった。大皿料理じゃなくって、いわゆるスペインバルみたいに細かな料理を何種類も楽しむお店らしい。グラス片手に知らない料理をつまみつつ、エリーさんの解説に耳を傾ける。料理について聞けば、だいたい答えが帰ってくる。たとえ自分では作らない飲み食い専門の方だとしても、知識量には本当に驚かされるばかりだ。


 酒と料理が進むと、だんだんいい気分になってきた。エリーさんは、ごく僅かに頬が桜色になっている程度だけど、お嬢様はもうちょっと頬の赤みが強い。でろんでろんではないけど、酔いが回り始めているようだ。

 お嬢様が、ふわふわした雰囲気を漂わせながら「ああいうの、いいですよね~」とエリーさんに聞くと、エリーさんも笑顔で「そうですね」と返した。ああいうの、というのが何なのかはわかった。年頃の女性からアイデアを褒められ、嬉しさと照れくささを同時に覚えた。

 そんな浮ついた感覚に包まれたものの、次にお嬢様がエリーさんに問いかけた内容には、驚いて我に返ってしまった。


「エリーさんは、そういうお相手とか、いらっしゃらないんですか?」

「いませんよ」


 スパッと返したエリーさんは、あくまで淡々としている。いや、酒と料理のおかげか、表情はゆるんでいるけど。

 それから、部屋が急に静かになった。ただ食事の音が控えめに聞こえてくるだけだ。ふと、エリーさんが俺の方を見ているのに気づいた。それから、俺がなんとなくお嬢様の方に視線を向けると、彼女はエリーさんの方を見ながら手のひらで俺の方を指し示している。そのジェスチャーの意味を察して、どういう態度をとっていいのかわからなくなり、ドキドキしながらお酒を口に運んだ。

「まぁ、そういう対象じゃないですね」とエリーさんが口にした。それを聞いて安心したような、少し残念なような。「そうですか~」と妙に間延びした口調で反応するお嬢様に、「理由はあるんですよ」とエリーさんは答えた。どうも、俺に追い打ちをかけてくるようだ。


「私はかなりワーカホリックな自覚があるので、せめて恋人は仕事と無縁にしたいと思うのですが、リッツさんを見ると仕事のことを思い出さずにはいられませんから」


 ついつい納得してしまった。今のこの席も、もとを辿れば仕事なわけだし。エリーさんとは仕事上のつながりを前提として、その上で個人的に親身にしてもらっているという感じだ。


「ですから、そういう目では見れませんね。同僚……といいますか、別部署に欲しい人材ってところです」

「はぁ、そうですか」


 色恋の話から急にヘッドハンティングじみた発言になり、思わず生返事をしてしまった。まぁ、ジョークなのかも知れないけど、評価されていると思えば嬉しいことだし、「これも広義のラブコールだな」なんて思いついて1人で身悶えた。

 一方で質問の主は少し恐縮したように身を縮めた。


「あの、すみません。そこまで真面目に返されるって思ってなくて……軽い質問のつもりだったんです」

「……そうですか。まぁ、年上の女性に向けた質問にしては、少し配慮に欠けてたかもしれませんね」

「うぅ~」


 更に弱々しい感じになったお嬢様に、エリーさんは少し意地悪そうな笑みを浮かべ、椅子を引いて近寄りお嬢様の頭をなで始めた。


「たまには、羽目を外したくなりますよね。わかりますよ。まぁ、明日に残らない程度に楽しんでください」

「……は~い」


 すっかりエリーさんになついた感じのお嬢様は、エリーさんにもたれかかったままグラスを傾けたり料理を食べたりしていたものの、次第に口数が少なくなって、やがて寝落ちしてしまった。

 頬に赤みがさした彼女の寝顔にドキドキしつつも、マズいことになってるんじゃないかという意識が急に立ち上ってきた。


「寝られましたけど、結構マズいんじゃ?」

「金銭的な話ですか?」

「いえ、違います! いや、それもちょっとアレですけど……貴族のご令嬢を酒で酔い潰したのって、かなり危険なのでは?」

「大丈夫ですよ。この程度の酔いなら、そのうち覚めて起きます。きっとお疲れなんでしょう」


 こういう飲みも経験豊富なんだろうか、特に慌てるでもなくエリーさんは料理をつまみながら答えた。この場はエリーさんに任せるしか無いか。

 それから、なるべくお嬢様を起こさないよう、2人で静かに食事を続けた。逆の立場だったら――寝てるお嬢様にもたれかかられながら食事を続けるなんて、とてもじゃないけどできないだろう。それなのに、ただ嬉しそうに食事を続けるエリーさんに、なんというか感服してしまった。


 料理は品数こそ結構あったものの、食べ過ぎる感じにはならなかった。酒も適量という感じだ。たぶん、俺とエリーさんが式の話をしている間に、お嬢様が少し進みすぎていたんだろう。

 店を出る段になり、女性に力仕事させるのも……ということで、俺がお嬢様を担いで運ぶことになった。その代わりにと、支払いはお嬢様が寝ている分エリーさんが建て替えてくれることに。料理の味から察していたけど、結構いいお値段だった。

 受付の方に「大変ですね」と笑顔で労われながら店の外に出ると、火照った顔に夜風が吹き付けてきて心地よかった。

 この後は、まずお嬢様の宿に裏口から訪問し、事情を説明して介抱してもらおうということに。


「メチャクチャ迷惑ですよね……」

「そういった対応も、酒量の多い階層相手であれば、サービスの1つではありますけど……次からは気をつけましょうか」


 夜風に吹かれながら、ぼんやりとした明かりが照らす街路を歩いていく。すると、不意にエリーさんが問いかけてきた。


「アイリスさんを誘った理由ですが、他にもなにかあるのではないですか?」

「どうしてそう思います?」

「他の一色ということなら、それこそ染色型や調色型で済ませられますから。紫を使うことにも意義はあるでしょうけど、別の意図もありそうなので」

「そうですね……」


 こうしてわざわざ協力してくれるエリーさんには、あまり隠し事をしたくないという思いがある。ただ、お嬢様には聞かれたくない。「起きてませんよね?」と聞いてみると、エリーさんは無遠慮にお嬢様の頬をつついて確認した。


「大丈夫ですよ、どうぞ」

「……そうですね。お嬢様が友人の結婚式のために骨を折る方なんだなって、王都のみなさんに知ってもらえれば、もしかしたらお嬢様との距離感が変わるんじゃないかと」

「……世話焼きな人ですね」


 少し呆れたような、しかし優しい口調で言われ、すでに熱い顔にまた血が少し登った。

 一旦会話が途切れ、ややあってからエリーさんがまた聞いてくる。


「距離感といいますけど、あなた方はどうなんです?」

「どうって?」

「いつまで、”お嬢様”なのかと」


 そう言われても、最初の呼び方から変えるのはなんとなく抵抗がある。それに、あの家そのものやお嬢様への敬意があって、お嬢様と呼ぶのが結局は一番しっくりくる。現状では、だけど。


「呼び方を変えても、間柄はそのままだと思うので」

「そうでしょうか? 呼ぶのと呼ばれるのでは、また色々と違うのではないですか?」


 その言葉に何も答えられなかった。数歩進んだところで、エリーさんが茶化すように言う。


「距離的には、今が一番近いってところですか」

「……酔ってますね?」


 軽口に応じつつ背負ったものの重みを意識すると、胸の鼓動が高鳴って顔はますます紅潮した。酒の影響だけじゃないのは確かだ。

 そうして、なんだか落ち着かない気分の中、やっぱり呼び方変えたほうがいいんだろうか、そんなことを思った。変えるにしても、まずは式を成功させて世間を少し変えてからだけど。

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