第118話 「要人は会議漬け」
連日の会議に次ぐ会議、現場の見回りに各種折衝、目の回るような日々を送っているせいで、時間感覚が常にも増していい加減になりつつある。
9月8日、政庁での会議を済ませ日が暮れかかった頃、僕は宰相様の私宅に呼ばれていた。人様の家、それも大人物のお宅だけに相応の振る舞いをせねばと考えてはいたものの、こじんまりとした居間の柔らかなソファに身を預けると、思わず目一杯もたれかかってしまい口からは魂が抜け出ていった。
茶器一式を持って来られた奥方様は、そんな僕の様子を見て穏やかに笑われた。慌てて取り繕うように姿勢を正そうとするも、心に体は追いつかずノロノロと身を起こしてしまい、かえって不格好になってしまった。恐縮しつつ、淹れていただいた熱々の茶をいただく。
「何もない家ですけど、ゆっくりくつろいでくださいね」
「ご高配、痛み入ります」
何もないとご謙遜された居間に目をやると、確かに余分な装飾はなく、要人の家という感じではない。質素倹約を絵に書いたようなお住まいだけに、壁に飾られた各種勲章へと視線が吸い寄せられる。平民から身を起こして文官一本で成り上がっていった、宰相さまの努力と才腕を物語るものだ。
威厳に満ちた壁に圧倒されていると、書類を片手に宰相様がやってこられた。席を立てば逆に気を遣わせると思い、僕はくつろいだ様子で宰相様を迎えた。ただ、宰相様が対面に着くなり「お顔は優れませんね、長官」と言われたのには思わず苦笑いしてしまったが。
適当に茶菓子をつまみつつ、2人でまずはこれまでの会議を振り返った。
魔法庁の上級職員が裏切った――というよりも、潜入者だった――件について、僕は引責辞任することになる。ただ、朝臣や重臣の皆様方からの、僕個人に対する追及の声はほとんど上がらなかった。むしろ、同情するような声が上がるほどだった。
国が僕を長官として任命したこと、任官して1年も経っていないことがその理由だと思うが、それ以上に彼らにとって後ろめたいのは……国がある程度は魔法庁の内部抗争を黙認していたことだろう。
国の行政機構と並立する形で魔法庁に権限を持たせているのは、互いに牽制し合うことで”行き過ぎ”を防ぐためだ。ただ、5年前の騒動を契機に、民意を盾に少しずつ暴走を始めた魔法庁に対し、国としては何らかの方法で介入したい、そういった意向が守旧派と革新派の双方にあった。
そこで国の上層部は、日々の業務には支障が出ないものの魔法庁内部での政策立案においては支障をきたす、そういったレベルの内部抗争が発生した場合に、魔法庁の治安維持機能・内部統制能力への懐疑を理由に国が介入して、一時的に魔法庁内部の政治的機能を掌握するというシナリオを考えた。
昨年、前任の長官が心労により倒れ、急遽後任として選ばれた僕は、”不祥事”の責を負うという前提があり、いわばつなぎとしての人材だった。僕にお呼びの声がかかったのは、あまり一般的なキャリアを歩んでない若手の実力者ということで、そういった使い捨ての役にはちょうどよかったかららしい。
今回の事変に関しては、奴がどのように動いて状況を整えていったか、大枠での流れは把握できたものの、肝心の詳細な手口についてはまだまだ不明点が多い。今日の会議では、その捜査体制の確立が議題に上がった。僕が辞任するのは、捜査部隊ができあがり、事態の全容が判明してからとなる。
庁内のセクショナリズムは、奴が長官補佐室という部門横断的に動ける役職にあったため、かえって都合がよかったようだ。さすがに事がここに至っては縄張り意識も薄れたようで、どの部署も捜査には協力的だ。遅すぎた協力と見る向きもあるだろうが。
会議内容を振り返ると、あらためて話題の重さを実感した。こんな状況でも泣き出さない自分の胃の壮健さには感謝した。
「私の後任について、お考えは」と宰相様に問うと、ほとんど間を置かずに「エトワルド候にと考えています」と答えられた。意外なお答えだ。
侯爵閣下は、先日の会議で奴の捜査に協力してしまったことを告白し、それをいたく後悔されていたようだった。その時の状況を鑑みるに、少しやりすぎの感はあるものの、それでも奴は正当な捜査の範囲を逸脱していなかった。捜査協力も致し方ないものだったとは思うが、やはり気に病むところはあるのだろう。
それに、奴にリッツ君の素性を多少明かしてしまったことも、かなり苦にされているようだった。会議の場では彼の名前を伏せてはいたが。
ともかく、そういった方を長官に据えることに、懸念がないわけではない。罷免スレスレの自分が言うことではないとは思うが、宰相様のお考えは気になるところだ。
「侯爵閣下を推される理由について、お聞かせ願えますか?」
「人品確かなお方であらせられますから、庁の内外に対して安心感を与えるでしょう。人材登用の名手でもありますから、立て直しにはその辣腕を振るって頂けるものと」
「先の会議においては、奴に情報を与えたことを後悔されているようでしたが……」
「多少の気後れはあるでしょうが、魔法庁に対する種々の国策には一切噛んでおりませんでした。その点で言えば、他の諸卿よりもむしろ、思うところは少ないのではないかと」
「なるほど……」
「あくまで私の腹案ですが」
そこまで仰ってから、宰相様は茶を美味そうに飲まれた。合わせて僕も茶で一服する。
おそらく、宰相様の意見は通るだろう。各重臣は浮足立っている。それぞれ、必死にご自身の動揺を隠そうとされているが、建設的な意見はあまり出せずに二の足を踏んでいるように感じた。相手方の策が少なくともこの5年間、そしておそらくはもっと長い期間に渡って練られ実行されたものと考えれば、我々がやってきた政策も結局は術中にあるのではないか……そのように考えられているのかもしれない。
一方で、宰相様はかなり平然となされていた。冗談めかして「今なら策が通り放題で面白い」などと言われるが、本当に豪胆極まりない方だと思う。
テーブルの焼き菓子に手をのばすと、「何か気にかかることは」と宰相様に問われた。あげればキリはないが、先の話に関連付けるなら、リッツ君のことは心配だった。
「例の彼ですが、連中に名を知られたのは心配ですね。直接殺しに来るということはないでしょうが」
「ふむ……ところで事件発生当時、彼はどこに?」
「部下からは、Dランク試験を受けると聞いておりましたが……受験生は皆無事だと報告を受けておりますので、彼も無事だと認識しています」
僕が答えると、宰相様は微笑まれた。
「敵を追い返した一撃は、誰が?」
「それは不明です。情報漏洩の懸念から、あえて魔法庁の部下には探らせませんでしたので」
「実は、例の彼が射ったのですよ」
こともなげに宰相様がそう答えられ、僕は唖然とした。その様子を見て宰相様は微笑まれたままだ。
「……この件は、他に誰が?」
「私とギルド上層部、他には作戦に協力して下さった、魔導工廠の職員の1名ですね」
「ほうきのあの子ですか」
「わかりますか」
「空から射ってましたから……リッツ君が空にとどまる魔法の覚えがあったとしても、彼女の助けはあっただろうと思いますので」
「なるほど」
手にした焼き菓子を一口かじり、味わいながら例の彼のことを考えた。射ったのが誰か、今の今まで僕は知らなかったとは言え、奴にとっても同様とは限らない。何かしら対応は必要だろうか、考え始めたところに宰相様が先手を打たれた。
「彼に対して、こちらから何か保護は必要でしょうか?」
「……いえ、現状は遠巻きに見守る程度で大丈夫でしょう。露骨に動けば、それが逆に目を引くことになりかねません」
「すでに警戒されている可能性は?」
「彼1人のために向こうが動くかどうかですね。ただ、今回の件では積極的に殺しに来る動きがありませんでした。策を歪めてまで直接狙う価値はないと判断されたものと思います。事件当日までの情報では、相手方にそこまで価値を認められなかったというのが、私の見解です」
そうは言ったものの、これからの彼の動きと相手の動き次第では、事情が変わってくる。安全を考えるならば、目立たないようにやってもらうのが一番ではある。ただ、奴を撤退にまで追い込んだ一撃を放った彼を、安全に押し込めるのはあまりにもったいないし、彼自身望むところではないだろう。
そんな事を考えていると、宰相様は2日前に彼と面談された件について話された。
「彼は勲功として、禁呪の使用申請を希望していました」
「……ああ、なるほど。確かに彼の立場では、”申請”も後押しがなければやりづらいでしょう」
「ただ、すぐには出せないだろうということで、その場では納得していただいたのですが」
そして、この場で僕に話題を振ったということは、彼のために何か考えるなり動くなりしてほしいということだろう。それは僕自身望むところでもあった。
「……魔法庁職員の監視下で禁呪使用を認めるようにすれば、承認も早く出せるかと。ただ、衆人環視下では許可できませんので、手っ取り早いのは今まで通り伯爵家で使ってもらうことですが……そうですね、闘技場を貸し切るのも面白いかもしれません」
「ほう?」
宰相様は僕の考えに食いつき、身を乗り出して耳を傾けた。この場の発言が本当に採用されそうな勢いだ。一度茶を飲んで思考をまとめ、落ちついたところで案を切り出した。
「闘技場の現場検証は、あと2日もあれば完了する見込みです。その後はまた一般開放しますが、今までは夕方6時までが利用時間となっていました」
「時間の定めがあった理由は?」
「職員の就業時間の都合ですね。安全のために監視付きで開放していましたので。今後はその利用時間を1時間延長し、貸し切り枠を設けようかと」
「なるほど、そこの枠を彼に与えると。しかし、他の利用者の反感を買いませんか?」
「匿名で貸与すればよろしいかと。実際に通る案かどうかはわかりませんが、職員が禁呪に触れて理解を深める機会と見れば、魔法庁にはメリットもある話です」
彼を取り巻く、魔法庁職員の感情は様々で、今回の一件でさらに揺れ動いただろう。ただ、実際に彼に会って話すことは、職員が柔軟性を取り戻す助けになるのではないかと思う。彼に限らず、闘技場貸し切りに興味を持つ魔法使いはいるだろうし、一度俎上に載せても良い案だろう。
宰相様も僕の案には賛成のようで、にこやかに笑いながらメモを取られている。しかし、メモを取り終わった瞬間、表情を引き締め射抜くような視線を僕に投げかけられた。
「魔法庁全体の今後については、何か意見はありますか?」
「……規制派に、立ち直ってもらうべきですね」
「ふむ?」
少し意外に思われたのだろう。僕は規制派に少なからず苦い思いをさせられてきたわけだし、活動的な彼らを隠れ蓑に、奴が暗躍してきたという面もある。
「……仮に、ここで魔法庁が弱腰になり法の手綱を緩めれば、また良からぬ輩の流入を許すことになりかねません。そうなれば5年前の繰り返しになります」
「そうですね……繰り返させ、そのたびに揺さぶって国を疲弊させる、そういう目論見もあるのでしょう」
「はい、そういった狙いもあるかと思われます。だからこそ、今まで通りの仕事をこなしてもらわなければ。何より、こうした事態が起こったからといって、彼らが持つ法の精神が否定されたわけではありませんし、彼ら自身に否定させるべきでもありません。彼らは少し、頑迷すぎただけです」
心情的には、彼らに対してかなり同情するところが多い。規制派の若い子達は、大多数が5年前の事件で身内を失っている。彼らにとって、国を守ること、街を守ること……人を、法を、そして自分の居場所を守ることは、ほとんど同じことなんだろう。長官として腹立たしい部分はあったものの、彼らは間違いなく善良だった。あえて言えば潔癖すぎた。そこに付け入られ、利用されたわけだが、それは彼らの非というよりは組織の欠陥だろう。
僕の考えについて、宰相様は特に異論はないようだった。まぁ、国から魔法庁にどうこうできるわけでもないが。それでも、僕の話には満足したようで、穏やかな表情を返された。そして、その表情のまま宰相様は「本題ですが」と切り出された。
「長官の今後についてです」
「辞職してから、ということですか?」
「はい。特に諸卿から意見は出ておりませんので、現状は宙に浮いた状態です」
「あえて手を差し伸べようと考えられる方がおられないということでしょう」
特に自嘲ということもなく淡々と返した。宰相様は相変わらずの表情だ。穏やかに微笑まれているのが妙に不気味で、やがて僕はその意図するところに気がついた。
「……宰相府で任用するのですか?」
「秘密裏に私の下で、と考えていますが……そうですね、前々職か前々々職あたりをお願いできればと」
宰相様が把握している僕の経歴は、おそらく正確なものだろう。だとすれば、禁呪の研究や調査、あるいは内偵調査などを任せたいというご意向のようだ。
「あくまで、私の考えに過ぎませんが。辞職後、いち私人として生きる自由もあることですし」
「あー……考えもしませんでしたね。職業病かもしれません」
「一度宮仕えすると、そうなるものですよ」
宰相様と顔を見合わせ、互いに苦笑いした。
本題も終わり、お暇しようという段になって明日の会議の予定について伺うと、宰相様は胸ポケットから手帳を取り出して告げられた。
「論功行賞についての詰めの会議、当事変に対する予算会議、近隣都市の代表を交えての情報交換……などですね」
“など”のあたりにも、こまごまとして、それでいて気が抜けない会合が詰まっているのだろう。ついソファに思いっきりもたれかかってしまった。宰相様の家だと言うのに、無遠慮すぎたか。内心やってしまったと後悔しつつ宰相様のお顔を伺ったが、宰相様は柔和な顔立ちで笑われている。
お許しをいただけているようだ。首を上げてソファに体重を預けると、視界は暖かな木の天井で埋まった。木目を数えていると眠気に襲われそうだ。いや、そろそろ辞去しないと。身を起こし、立ち上がろうとソファに手をついた瞬間、宰相様からお声がかかった。
「夕食、どうします?」
コレ、帰れそうにないなぁ。
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