第117話 「宰相様との会話」
目の前に、一国の宰相がいる。そう告げられて頭の中が一瞬真っ白になった。先輩の様子を見る限り、ジョークというわけでもなさそうだ。この状況そのものが、一種のジョークのようなものに感じてしまうけど。
普段から一応は言葉を選ぶようにと意識しているものの、さすがにお相手が宰相ほどのお方となると、出すべき言葉には困った。目の前の穏やかな紳士の正体が知れてからというもの、俺は一言も発せずに、ただチビチビと熱い茶を飲むことしかできなかった。
「そこまでかしこまらなくても構いませんよ。非公式な訪問ですし、お邪魔しているのはこちらです。それに、急なお呼び立てにも関わらず、お越しいただいたことにはお礼申し上げます」
「宰相様、あまり謙譲されますと、彼にとっては逆効果かと」
「ああ、失礼しました。しかし、これが性分なものでして」
「それは存じ上げております」
宰相様と先輩は、にこやかに会話を交わしている。この国で宰相という地位がどれほどのものか、正確にはわからないけど、雲の上ぐらいにはあるはずだ。そんなお方相手にも関わらず、先輩の振る舞いは礼節を欠くことなく自然体な感じでもあり、なんというか、こなれていた。ノリが軽い先輩だけど、長い経験でこういう振る舞い方も身につけたんだろうなと、あらためて感心した。
いよいよ本題に入るようで、宰相様は居住まいを正した。といっても、元々姿勢の良い方だったけど。それに合わせて俺もシエラも自然と身に力が入って固くなる。宰相様は、そんな俺たちの姿を見て一瞬だけ表情を崩されたものの、すぐに真剣な表情になって口を開いた。
「今回の騒動において、お2人の活躍により被害の拡大を食い止めることができました。今日はその礼に参った次第です」
そう言って腰から曲げて頭を下げる宰相様に、こちらも頭を下げた。なんというか、地に足がついていない浮遊感がある。個人的に礼を言われるというこの状況が信じられない。
頭を上げてもう一度顔が合うと、宰相様は申し訳無さそうなお顔をされている。そして次は、少し声のトーンを落としてお話された。
「……こうして非公式に礼を言いに来たのは、お2人の功績が大々的には公表しづらいものだからです。心苦しい限りではありますが……」
それから、宰相様は俺たちの活躍を表に出しづらい理由を語られた。
早い話が、これまで規制されていたほうきや、禁呪の複製術で功績をあげた点が問題らしい。国が、こうして挙げられた戦果をもてはやすというのは、魔法庁に対してかなり当てつけがましい行為だ。そうなると魔法庁に対して過分に圧力を加えることになる。
現状において、宰相様が優先せねばならないと考えているのは、魔法庁の立て直しのようだ。魔法庁は、あくまで国の行政機関とは別個に独立した組織だけに、国から直接的な干渉はあまりできない。せいぜい、長官の任命権を国が有する程度だ。能動的にあまり影響を与えられないため、せめて立て直しの邪魔はしたくないということらしい。
そもそも、国から批判する必要があるかどうかという問題に対して、宰相様は魔法庁そのものに自省させ、襟を正させる必要があると考えられている。というのも、魔法庁は結局の所、国民感情を反映して強権を振るうようになったにすぎず、職員は国民代表のようなところがあるからだ。そんな彼らに対して国の上部から発せられた非難は、そのまま国民全体に反映されることになるだろう。そういった声も必要なのかもしれないけど、みなが動揺しきっている現状で表明するのは得策ではない、ということだ。
「……話をまとめますと、魔法庁への配慮からお2人の功績を表沙汰にしづらいということです。お2人とも、彼らに対して思うところはあるでしょうが……ここは何卒、ご了承いただきたく」
「いえ、そんな……」
またも頭を下げる宰相様に、こっちも頭を下げた。地位の高い方だろうに、腰の低さは相当なものだ。とても感じの良いお方ではあるけど、それゆえのやりづらさはある。
大手を振って俺達を褒められないというのはわかったし、魔法庁への心情については、釈放後に閣下から色々話を聞いたりエリーさんの世話になったりしたことで、ある程度自分の中で割り切れていた。だから、こうしてお話されても反感は特に湧かなかった。まぁ、あそこの職員と顔を合わせるとメチャクチャ気まずいだろうから、今後も避ける感じにはなると思うけど。
一通り話を聞いた上で逆に気になったのは、なんで宰相様が俺達を褒めに来られたのかということだった。聞くのも逆に失礼な気がしないでもないけど、気になって仕方がない。今後の進退にも関わることかも知れないし、俺は勇気を出して口を開いた。
「あの、なぜ宰相様直々に、こうしてお褒めの言葉を下さったのですか?」
すると宰相様は、ほんの少しバツが悪そうな表情になり、右手で後頭部を掻きながら仰った。
「1つには、私が魔法を1つも使えないということがあります。ですから、あなた方には少なからず憧れのようなものがありますし、挙げられた戦果には敬意を感じずにはいられないのです」
こうやって持ち上げられるとかなり照れくさい。思わずうつむき加減の上目遣いになり、宰相様に釣られたかのように後頭部を掻いてしまった。宰相様も先輩も笑っている。目の前のお2人の視線につられ、こちらを向いたシエラにも含み笑いを漏らされ、ますます恥ずかしくなった。
ちょっと場が和んでから、宰相様は咳払いして真剣な面持ちになって話された。
「……今回の戦闘に対する論功行賞において、お2人は選考外となります。しかし、それではあまりにも申し訳ないと考えております。そこで、礼の言葉だけでなく、私の権限の範囲内で何かできればと。そこで、何かご希望があればお聞かせ願いたく、本日こうしてまかりこした次第です」
なんだか、とんでもないご提案を受けた気がする。思わずシエラと顔を見合わせた。普段は冷静な彼女も、今回ばかりは少し驚いたようだ。
ここまでの話を総合すると、表沙汰になるような報奨をいただくのは本末転倒で、好ましくはないだろう。自分で恩賞を決めても良いものかどうかは、ふと気になったけど、この場に閣下がおられたら、たぶん無理にでも俺に決めさせるんじゃないかという気はする。
どうしようか思い悩んでいると、先にシエラが口を開いた。
「私は、今まで通りほうきの研究をさせていただければ」
「……それだけで、よろしいのですか? 乗せていただいた私の印象では、もっと世に出て知られるべき研究だという感じでしたし、後押しということであれば、むしろ喜んでお手伝いさせていただきたいのですが」
シエラは、頬を紅潮させ嬉しそうに微笑んだ。しかし、それからすぐに真剣な眼差しを宰相様に向けた。
「お褒めいただきありがとうございます。ですが……ご期待に添えず申し訳ありませんが、できれば逆に急な普及に対して、抑止をご検討いただければと思います」
シエラは意外にも、世に出ることより現状維持に近い道を選択した。彼女の言葉に興味をそそられた宰相様は、少し身を乗り出して、彼女の意図するところについてさらなる詳細を求めた。
シエラが言うには、魔法庁に規制されていた事自体については特に不満はなかったらしい。気に入らなかったのは、一度規制してそれっきりで、ほうきで空を飛ぶことへの有用性も危険性も、何一つ議論せずに放って置かれたことらしい。工廠の仲間とは色々と議論を交わしたのに、法の権力を握る組織があの様子では……というのが、彼女が魔法庁に対して抱いていた感情だった。
ほうきで空を飛ぶことについて、彼女の中ではかなりの可能性を感じているし、それは図らずも今回の騒動で確認できた。人目に付く活躍にもなった。魔法庁の力が弱まった今、ほうきが反動的に世に出回る可能性は無視できず、そのことは彼女にとっては逆に憂慮すべき事態のようだ。
「……満足な議論もないまま急に出回って事故が起きれば、それが逆に健全な普及の妨げになるのではないかと考えています」
「なるほど」
彼女が考えているのは、ほうきがどうこうというよりは社会の有り様についてのようで、その考えに触れて宰相様は神妙な顔つきになり、深くうなずいた。そして、宰相様は少し重い口調で彼女に問いかける。
「おそらく、最初にほうきを利用しようとするのは軍でしょう。そのことについて、何か思うところは?」
「……先の実戦利用で、そうなるだろうとは考えていました。ただ、軍属の皆さんが危険を厭わない勇敢な方々だとしても、私のほうきで事故死すれば、それは私には耐え難いことです」
少し暗いトーンで話しきった彼女は、膝の上で両手をギュッと握った。1人で負うべき責任ではないだろうけど、それでも彼女の考えがこの先、幾人もの人生に関わっていく、そういう分岐点にある感じがした。
場が静かになってから、宰相様はいくらか明るめの声色で彼女に問いかけた。
「まさかとは思いますが、誰でもすぐに、あなたみたいに飛べるようになるわけではありませんよね?」
「はい。訓練は必要かと思います」
「でしょうねぇ」
うなずいた宰相様は、少し沈んだ感じのシエラを励ますように、明るく強めの語調で仰った。
「そうなると、十分に練られた訓練プログラムが必要ですね。その策定において、ご助力願う可能性がありますが、それはよろしいでしょうか」
「はい、むしろ願い出ようかと考えていました」
「それは何よりです……訓練を重ねるほどに、飛ぶことの価値と危険性は明るみになるでしょう。そうなると、十分に訓練した飛行用の兵は、おいそれとは失えなくなる。軍は国の行政部門よりも、更に慎重で考えが深いところがありますからね」
ご自身が所属する部署に対し少し自嘲気味に語ってから、宰相様は茶を飲み、また口を開かれた。
「飛べる兵は死なせられない兵になります。それでも重大な事故が無くなるとは思いませんが、おそらくは運用上の理由による事故になるでしょう。あなたが責任を感じることではないと思われます」
「はい……」
シエラは、軍で用いることについて、いくらか納得したようだ。というか、もともと覚悟はしていたのだろうけど、心情的にもう少し受け入れられるようになったという感じかもしれない。ただ、それでも思うところはあるようで、表情はまだ冴えない。
「民生化も、段階的に進めたいですね」と宰相様が仰ると、シエラはハッとして顔を上げた。
「最初は都市間の伝令あたりで使うでしょうか。それにも、訓練法の確立や法整備が必要で、やらなければならないことは山程ありますが……ご協力願えますか?」
「は、はいっ!」
さっきまでの軍用化の話よりもずっと良い返事だった。それに満足したように、宰相様は腕を組んで何度もうなずいた。
まずは軍用化という話だったけど、騒動の事後処理が終わらない内からは、なかなか思うように動けないわけで、そういう意味ではシエラが懸念する急な普及というのは自然と避けられそうではある。
色々と思い悩む部分はまだあるだろうけど、彼女の様子を見るに割り切りはできたようで、表情にあまり陰はない。
彼女の方の話が終わったところで、今度は俺の番だ。宰相様が俺の方に顔を向けられた。話す内容は決まっていたけど、やっぱり緊張する。一度深呼吸をして、俺は口を開いた。
「あの、禁呪の使用申請を魔法庁に出したいのですが」と言うと、宰相様は訝しげな表情をされた。しかし、すぐに合点がいったようで苦笑しながら話された。
「……あちらに出向いて申請するのも、気苦労は相応にあるでしょうね。こういう状況ではなおさらでしょうか」
「はい、そういう事情もあるのですが……」
ここから先の話は、少し切り出しづらい。というのも、話すのに適切な相手が見当たらなかったからだ。魔法を使えないという宰相様にお願いするのは、畑違いの偉い方に大変失礼という感じだし、後の2人には聞かれるとマズいかも知れない。ただ、人払いするのもどうかとは思った。
結局、俺は言葉を濁して要望を伝えることにした。
「許可申請をしたい禁呪について、魔法庁で掴んでいる情報を開示していただけないものかと」
「……なるほど。ちなみに、追加の情報というのは、具体的にはどのように考えていますか?」
「それは、実用例ですとか、類似の魔法などです」
「類似の魔法についても、可能ならば許可を得たいと?」
「……はい」
あっさり目論見を言い当てられ、俺は素直に認めた。
許可を得たいというか、知りたいのは複製術の拡大版、つまりもっと世代を増やせる物などがあるかどうかだった。それと、実用例に関しても必要な情報だと考えている。
今回の戦いで複製術を使ったのが内密の話だとしても、然るべきところには当然知られているだろう。そうなると、俺は複製術でそういうことができる奴だと認識されるわけで、今後何か上から依頼が来ないとは言い切れない。だから、念のために複製術についてもっと知っておきたいというわけだ。
俺の要望は、今の魔法庁のことを考慮すると、やはり色々と問題はあるようだ。宰相様がそのあたりについて告げられた。
「魔法庁は、事後処理と検証のために動いていますから、申請に対する承認が降りるのは先になるでしょう。ただ、こちらからの口添えがあれば、条件付きで仮の承認をすぐに出してもらうことは可能かと」
「条件付き、ですか」
「禁呪使用の際、魔法庁職員の立ち会いを必須とする、などですね。魔法庁全員が事態の収束に動いているわけではありませんから、本承認はともかく、そういった立ち会いに1人割く程度であれば問題はないかと」
すると、宰相様の提案が一段落したところで先輩が口を挟んだ。
「闘技場で禁呪を使うなら、あそこの監視員に立ち会わせられて丁度いいですね。ただ、人払いは必要かと思いますが」
「なるほど……」
「それと、闘技場も今は現場検証で使えませんから、それも問題ですね」
「ふむ。しかし、一考の余地はありますね……」
先輩の発言に、宰相様は考え込んだ。何かお考えがあるらしく、俺としては申請を得られればそれで良かったところなんだけど、事はそれだけで済みそうにない。
やがて、申し訳無さそうな表情になった宰相様が、口を開かれた。
「仮の承認であっても、すぐにというのは難しいですね。魔法庁をないがしろにして、私が決を下すわけにもいきません。あちらの意向ともすり合わせた上で、なんとかご期待に添えるように努力します」
「いえ、大変な時期ですし、あまり無理にとは……」
そうやって遠慮しかけたところ、宰相様は首を横に振られた。
「あなた方の後押しをすることが、国全体の便益にかなうと私は考えています。そういった打算的な理由もあっての私の申し出ですから、あなた方にはうまく利用していただきたいのです」
宰相様はそう仰り、笑顔で「悪いようにはしませんから」と付け足された。
それから宰相様は壁掛けの時計に目をやり、背筋を伸ばして俺たちに向き直った。
「実は、会合の合間にこちらに参りました。そろそろ退出せねばなりません。わざわざお付き合いいただき、ありがとうございました」
こういう時、どのように返せばいいのかわからず、ただ真面目な顔で静かに頭を下げ返すしかできなかった。それから全員立ち上がり、俺とシエラは宰相様と握手を交わす。思っていたよりも力強く握られ、少し腰が引けてしまったけど。
お見送りの後またソファに腰を落とすと、部屋の空気は一変して気が抜けた感じになり、「おつかれさん」と先輩が笑顔で言った。
ゆるい雰囲気になったところで、俺は今まで気になっていたことを先輩に問いかける。
「ご多忙だから、俺とシエラをまとめてってことだと思うんですけど、どうしてギルドで?」
「あー、それな。ギルド以外、例えば工廠だとみんなに宰相様だってすぐわかっちまうからな。内密の件だから、それはマズいと」
「なるほど」
「だからって政庁に呼び出すのも、お前らが変に思われそうだしな。お前らも宰相様も目立たないようにって考えると、ここが一番良かったってわけだ」
宰相様は、民間というか下々にはそれほど顔を知られていないらしい。工廠は半分官庁みたいなところがあって、時たま出入りされているようだけど、ギルドはある程度官庁と距離があるせいで、それこそマスターから先輩ぐらいまでの幹部クラスでないと、宰相様との面識はないそうだ。
「いやー、顔が知れちまったね、大変大変」と先輩は楽しそうに笑う。
「笑い事じゃないですよ、まったく」
「いや、リッツも問題あるぞ? 仕方ないとは言え、手放しでは褒められないやり方で結果出したもんだから、ああやって宰相様がいらしたわけだし」
「うっ」
「黒い月の夜のこともそうだけど、お前ってそういう結果の出し方するよな~。狙ってやってる?」
「まさか!」
「だよなぁ、余計にこじれるもんな。ま、済んだことは仕方ないんだ、頑張りな」
親身に励ます先輩だけど、目は楽しそうだ。面白い後輩とでも思ってるんだろう。俺は少し冷ややかで恨みがましく視線を返し、すっかりぬるくなった茶を一気に飲み干した。
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