第116話 「一夜明けて」
9月6日、窓からさす陽の光で目を覚ますと、俺はゆっくりとベッドから起き上がった。たぶん、10時ぐらいだろうか、いつもよりも長く寝ていたようだ。起きて次第に意識がはっきりしてくると、昨日の戦いを思い出した。戦いのこと、今こうして無事でいること、どちらもあまり現実感がわかない。
自室から出て階下の食堂に着くと、同居人のみなさんの不安げな視線が俺に集中した。それにつられて自分自身に視線を落とすと、昨日ボロボロになった服のままだった。どうも、いつの間にか寝てしまっていたようで、戦いの後どうしていたのか思い出せない。俺がそんな調子だから、心配されるのも無理はない。
無事をアピールするため、笑顔で普段どおり「おはようございます」と挨拶すると、みなさん安心したようだ。それでも、浮かない表情が完全に晴れたわけじゃないけど。
食堂のテーブルには、朝食で使ったと思われる皿がまだ残っていて、ちょうど食べ終わったぐらいだと思われた。食べ終わっても自室に戻らないのは、1人だとやはり心細いからなんだろうか。
空いている席に着こうとすると、親切にも椅子を引いてもらえた。頭を下げると、「お疲れだったでしょう」とねぎらいの言葉をかけられた。冒険者の俺が昨日の戦いに加わったことはすでに知られていたようで、心配そうに見つめられていたのも、そういうことだったのかもしれない。
席についても話題に困り、ただみなさんに見られていることに、もじもじまごまごとしていると、奥の厨房からリリノーラさんが朝食を持ってやってきた。「おはようございます!」と挨拶はいつもの朗らかなものだったけど、少し気負いと言うか無理しているような感じもある。
彼女は調理用と思われる白い服を着ていた。ルディウスさんがいなくて、代わりに朝食を作ったんだろうか。朝食のお盆を受け取りながら聞いてみると、「兄さんは会合があるとかで、朝から出ています」との返事。会合というのは昨日の戦闘絡みのものだろう。その内容まではわからないけど。何を話しているのか、その内容に考えを巡らそうとすると、この先のことを思わずにはいられなかった。
「あんまり、美味しくないですか?」とリリノーラさんが苦笑いして聞いてきた。食べながら、あまり愉快じゃないことを考えていたのが顔に出ていたようだ。ちょっとマズったなと思いつつ笑顔で横に首を振ると、口の中身が変なところに入ったのか、むせこんでしまった。そんな俺を見てみなさん笑っている。ちょっと雰囲気が良くなったと思えば怪我の功名なのかもしれない。顔を真っ赤にして胸元を叩きながらそんな事を思った。
俺の朝食が終わると、みなさんポツポツと話し始めた。やっぱり主な話題はこの先のことで、リリノーラさんに対して遠慮はしているんだろうけど、それとなく王都から抜け出そうかどうか、そんな迷いを匂わせるような話が多かった。
「むしろ、今の王都のほうが安心かもしれないな」と発言し、他のみなさんの注目を浴びたのは商工会の職員さんだ。決してヤケっぱちになっての発言でなく、他の方よりもずっと落ち着いている。彼の発言に少し噛み付くような調子で、劇団の裏方をやってる女性が問いかける。
「それって、どういう意味?」
「……あまり考えたくはないけど、こうして王都を襲って警戒させれば、他の守りが手薄になるんじゃないかってさ。だとしたら、次は王都の近郊が標的じゃないか?」
有り得そうな話だと思った。そもそも、これ以上王都に攻撃を仕掛けるつもりであれば、そのための備えを昨日にぶつけてきたはずだ。緩急つけて波状攻撃をすることで、国を絶えず揺さぶるという策もありえるのかもしれないけど、それよりは他のところを攻めるための布石と考えたほうがしっくりくるような気がした。
ただ、この場で色々考えたところで、本当のところはわからない。国の上の方の方々なら、もっと色々わかるんだろうか、それとも……。
考え事を始めて暗澹とした気持ちになったその時、入り口の戸が3回ノックされた。みんな揃って背筋が伸びる。別に敵襲ということはないはずなのに、なぜか緊張してしまう。特に、リリノーラさんは胸中穏やかでないようで、心配そうな表情になって俺をじっと見つめてきた。俺には”前科”があるだけに、こういう不穏なときの来客に対しては思うところがあるようだ。
それでも、客を待たせては悪いと、彼女は意を決したように1人うなずき、戸を開けて訪問者に応接した。
やってきたのは、服から判断するにお役所の方らしい。中肉中背の男性で、表情は柔和だ。穏やかならぬ様子ということもなく、食堂の空気から緊張感がフッと抜けていった。
やってきた男性は、食堂の俺達に視線をめぐらした後、こめかみをポリポリ掻きながら言った。
「すみませんが、こちらにリッツ・アンダーソン殿はおられますか?」
「いらっしゃいますが」
俺の代わりにリリノーラさんが答えると、男性は用件を述べた。
「今から、ギルドへお越し願えませんか? ぜひとも来ていただくようにとの伝言を承りましたので」
「呼び出しですか?」
「詳細まではなんとも……特段の事情がありましたら、その旨お伝えいたしますが」
リリノーラさんは、こちらに向いて俺の意思を確かめようとした。魔法庁の任意同行に比べれば、どうということはなさそうだった。なぜ呼ばれたのかがわからないのは、確かに少し不安ではあるけど。
立ち上がって戸の方へ向かうと、男性はなぜか俺に対して頭を下げた。その理由はわからなかったけど、呼ばれた理由はそれほど悪くなさそうに感じる。
男性の役目は本当に、ギルドへ来るようにとの伝言だけだったようだ。彼は柔らかに微笑みながら一言、「よろしくおねがいします」と言い残して立ち去った。今から来るようにという話だったので、俺も出たほうがいいだろう。振り向き、皆さんに小さく頭を下げてから、リリノーラさんに話しかける。
「行ってきます」
「はい、お気をつけて」
「心配しなくても、今回は大丈夫ですよ」
俺がそう言うと、彼女は苦笑いして俺の背中をちょっと強めにぶっ叩いた。
戦いが終わってからの王都を歩くのは、これが初めてだ。主だった街区の角地には、配置された衛兵さんが直立不動で警備にあたっている。街路を歩くのもだいたいが衛兵さん、たまに公職っぽい方が忙しそうに走り回るぐらいで、一般庶民が外出している様子はほとんどない。戒厳令という言葉が自然と脳裏に浮かんだ。
真夏とまではいかないまでも、まだまだ日差しは強く汗ばむような日々が続いている。しかし、今の王都は日差しと裏腹に寒々しい雰囲気だ。白基調の壁にパステルカラーの屋根が、強い日差しを受けてキラキラしているのが、妙に恨めしかった。
ギルドは、相変わらずドアを開けっ放しだった。まぁ、こういう状況だからこそ、開けっ放しで開けっぴろげな態度のほうが、みんな安心できるのかもしれない。ただ、普段と違うのはたむろしている先輩や同僚の多さだ。
事情を聞いてみると、よほどの緊急性がない限り、すべての依頼が一度キャンセルされたらしい。”緊急出動”に備えてという理由もあるだろうし、一夜にして一種の自粛ムードになり、ギルドへの依頼を遠慮する空気ができあがったというのもあるらしい。
ただ、依頼がない一方で裏方は大忙しのようだ。普段は見ない、たぶん事務員の方が受付をやっている。ガチガチに固まった彼女に話を聞くと、事務員でも受付経験があって外に顔が利いたり交渉慣れしている方々は、外回りや会合に駆り出されているらしい。
続いて、俺が呼び出しを受けたことを伝えると、彼女はそれまでよりも更に緊張したように見えた。
「え、あ、あの……奥の第2応接室で、お客様がお待ちですっ!」
「は、はぁ。そうですか」
彼女の様子に、逆にこちらも戸惑いを覚えた。周囲の、興味深そうに様子を眺める先輩方に軽く手を振り、俺はギルドの奥へ進む。第2応接室というのは入ったことがない部屋だった。どうも、ただ事ではないような予感がする。
部屋の前につき、戸をノックすると中から「どうぞ」と声がした。ウェイン先輩の声だ。戸をそっと開けて中を伺うと、他の部屋よりはずっと落ちついた雰囲気だった。部屋中央のソファには、ウェイン先輩の横に少し小柄な穏やかな表情の紳士が座っていて、対面のソファにはシエラが座っている。彼女の横が空いていて、そこに座れということのようだ。一応指差して先輩に確認すると、彼は無言でうなずいた。
テーブルにはすでに茶菓子が並んでいて、俺が座る前にシエラがティーポットから茶を入れてくれた。感謝の言葉を告げると、視線が合った。かなり緊張しているようで、表情は固い。部屋の雰囲気もそうだけど、なんか重い話をされそうではある。
その予感を裏付けるように、ウェイン先輩が話しだした。
「本来ならウチのマスターが同席するはずなんだが、あいにく色々あって出られないんで、俺が代理だ」
「マスターが同席するレベルの話ですか?」
まぁ、シエラが横にいるってことは、昨日の話なんだろうとは思う。それにしたって、ギルドに彼女を呼んで話をするってのは、ちょっとよくわからないけど。
俺とシエラがかなり緊張しているからか、場をほぐそうと先輩はいつもの軽めな口調で話題を振ってきた。
「依頼がない分、今ヒマだろ? 何かできればいいと思うんだけど、なんかないか?」
「そうですね……みんなで掃除でもします?」
「あー、”懲罰”でやってるアレか」
「衛兵の方々が見回りやってくださってますけど、それだけだと少し雰囲気が重いですし……」
「ウチの軽い連中でも使えば、ちょうどいいかもな~……いかがでしょうか?」
「そうですね、検討しましょう」
俺の提案は先輩には好感触だったようだ。彼が傍らの紳士にパスすると、紳士もうなずいてメモを取り出した。
本当に、どちら様なんだろうか。シエラの反応を見ると、どうも俺だけが知らないようだ。
「先輩、そちらの方は?」と聞くと、先輩は困ったように笑い、何秒かしてから答えた。
「あー、こちらのお方は、この国の宰相様だよ」
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