第115話 「去る者、戻る者」

 報告を済ませ会議室を出た僕は、自分にあてがわれた部屋へ向かった。色味のない、無機質で殺風景な廊下を1人歩く。5年ぶりの居城には、知らないところへ迷い込んだような錯覚を覚えた。

 僕自身がもともと他者にさほど興味を持たない性質だからか、同胞の顔ぶれが大きく変わったのかどうかは良くわからない。ただ、連中にとって僕は異物のようで、廊下を歩くだけで物珍しがるような視線が無遠慮に飛んできた。

 視線は僕というよりは僕の左腕、もっと正確に言うと、あるはずの手が出ていない袖に注がれているようだった。1つの王国の王都に攻撃を加え、国民を動揺せしめたことは確かな功績のはずだ。しかし、僕に対して向けられた目には、侮蔑や驕慢の色があった。「情けないやつだ」「自分ならもっとやれる」そんな身の程を知らない、的はずれな嘲笑が袖口に注いでくる。

 まわりに視線を走らせてみると、僕を妬むのは、”目”を任されることもなければ五星の元で任用されることもない、ただの野良どもばかりだった。こんな連中にかかずらっている余裕はない。せいぜい、頭の中で好き勝手に僕を貶していればいい。こんな連中のことよりも、もっと重要なことがあった。


 僕は長い廊下と階段を進んでいった。どこまでいっても、視線は相変わらず投げかけられた。これなら、あの王都にいたときとそう変わらないな。もっとも、視線に含まれた感情は全く違っていたが。

 格下の連中を逆に観察するのにも飽きて、ただ前だけ見ながら進んでいると、前方で固まって僕を見ていた連中が急に道を開けた。ただ、僕のために道を開けたのではなくて、向こう側から来た奴のために道を開けただけだ。そいつへ向ける連中の表情には、恐れと嫌悪が入り混じっている。

 同胞から、こうも嫌われるその女は、まっすぐ僕に向かって歩いてきた。そして、その汚泥のような内面からはかけ離れた、輝くような笑顔を向け、透き通った声で僕に話しかけてくる。


「久しぶりね、デュラン!」

「何の用だ、カナリア」


 目の前の女は、数ある魔人の中でも唯一無二と言える、本物の精神操作の使い手だった。こいつのおかげで助けられた局面は確かに多い。言ってしまえば、任務の最初、魔法庁に潜り込むところからこの女のサポートがあった。

 しかし、その能力の有能さはさておいて、性格面は最低で下劣で残忍な女だ。遠巻きに見守る連中は、好奇心というか、怖いもの見たさにそうしているように見える。たぶん、この女が踵を返せば一目散に逃げ出すだろう。

 周りが音も立てずに静観する中、女は表情も変えずに言った。


「あっちの生活はどうだった?」

「お前には関係ない」

「正直、結構良かったでしょ?」


 無視して通り過ぎ、右手で軽く突き飛ばそうとするとすると、女は僕の右手首を両手で掴んだ。その力は意外なほど強い。

 つかまれた自分の右手から女の顔に視線をやると、表情は相変わらず作り物みたいな美しい笑顔だったが、目は冷たかった。こちらの芯にまで入り込むような冷気を漂わせ、女は続けた。


「こっちとは大違いでしょ。あなたって顔はいいから、勘違いしたバカ女が群がってたりしてね。1人ぐらいヤッたんじゃない?」

「関係は結んでない」


 一瞬、場の空気が固まり、女は大爆笑した。若干引いているようにも見える聴衆のことなどいざしらず、笑い声を上げた女は少し落ちついてから「いちいち申告しなくていいってば」と言った。


「……くだらない話はもう終わりか?」

「くだらない、ねぇ……さっきの話、感想聞いてないよ? あっちの生活、良かったでしょ?」

「……お前がいない分だけ良かったよ」

「お師匠様もいないもんね?」

「何をバカなことを……」

「あっちのみんな、あなたのこと褒めてくれたし認めてくれたでしょ? そんななか、あっちのみんなに興味がない”フリ”して、5年もひとりぼっちで女も作らず頑張ったのに、戻ったらこの仕打ちだもんね? 本当は戻りた」


 女が話している途中だったが、気がつくと僕は、つかまれた右腕をそのまま前に押し出し、女の首根っこを掴んで壁に押し上げていた。まるで失った左腕の分まで力がこもっているかのように、女の体は軽々と持ち上がった。

 首を折られようが絞められようが、この程度では魔人は死なない。にも関わらず、女は苦悶の表情を浮かべ、喘ぐようなか細い声を上げた。そして、目が合う。


(首絞めたって私には意味無いの忘れた? 寂しいな~)


 一瞬合った視線から、奴の思考を流し込まれた。しまったと思い、目を閉じるが手遅れだった。瞼の裏側に女のニヤケ顔が写り、心の中にあざ笑うかのような声が響く。


(どうして1人も殺してないの?)

(余裕がなかっただけだ)

(ねぇ。あなたが、あっち側に取り込まれてないって、どうやって証明できる?)


 いきなり馬鹿笑いしたり、あるいはくだらない挑発をしたりする一方で、こういう芯に刺さる言葉を投げつけるのが、この女の恐ろしいところだった。胸中が冷え込むのを感じると、女は笑いながら追い打ちをかけてきた。


(潔白や忠誠の示し方ってわかる? どうして相手に慈悲深いフリしてるの?)

(うるさい!)

(声出してないよ? バカじゃないの?)


 意味がないとわかっていても、右腕に力を込めるのを止められなかった。もはや目を開けていても開けてなくても、女はとろけるような笑顔で僕を見つめていた。


(こんな話、周りに聞かれたくないでしょ? だから、”こっち”で話してあげてるんだよ?)

(余計なお世話だ!)

(あっちの連中に情が湧いたんでしょ? 何も知らずに騙されてた、可愛そうな連中だもんね。それとも、もしかしたらって思ってた?)

(……何だ?)

(こっちに出戻りできるかな、って。ん~? こっち、あっち? よくわかんなくなっちゃった。ねぇ、私とあなたの、こっちとあっちって同じ意味なのかな?)


 頭が痛い。内側に響く女の声は、自然と染み込む心地よさがありながら、自分を侵食するような不快感も同時にあった。そして女が選ぶ言葉の一つ一つが僕を揺さぶるようだった。

 何のためにああしてまで動いていたのか、目の前の女を見ていると、師のことを考えるとわからなくなる。魔人のためなんてお題目はいかにも空虚だった。その魔人のくくりに、この女が含まれるのが癪で仕方がない。


 自分の内外で言葉を出せず完全に行き詰まって、ただ右腕にだけ心情を語らせていると、周囲の観客がにわかに騒ぎ出した。それから「なにをしているのですか」という言葉が廊下の向こうから飛んできて、僕は反射的に右手の力を抜いて女を解放した。奴は、わざとらしく咳き込んでいる。声だけ聞けば年端も行かない女の子だったが、僕にとっては人間の皮を被った化け物だ。

 廊下の向こう側から歩いて来たのは軍師様だった。聴衆は道を開け、軍師様とすれ違うや否や、尻尾を巻いて逃げ出した。反対側の連中は、声を聞いた瞬間に消え去っていたようだ。軍師様が僕と女のすぐそばに着くと、長い廊下には3人だけになった。

 軍師様の顔を見やると、端正なお顔をされていた。特に感情は表に出ていない。そうやって様子をうかがっていると、いきなり両方の頬に冷たい手をそっと当てられ、女の方に顔を向けさせられ……唇を奪われた。

 右腕と、まだ戻ってない左腕で思いっきり女を突き飛ばすと、奴は甘い声で鳴きながら、「話してる最中に他の女を向くからヤれないのよ」などとほざいた。


「さっさと失せろ!」

「やぁん、怖い~。次は1人ぐらい殺しなよ、チェリー野郎」


 そう言うと、女は笑って立ち去った。その背を見ていると、あの女と唇を交わした事実に耐え難くなり、右の袖で何度も何度も強く唇を拭った。

「もう良いでしょう?」と軍師様に言われ、それまで夢中で往復させていた右腕を止めた。じんわりとした熱感と痛感が、唇に広がっていく。すると、軍師様が右手をゆっくりと僕の唇の方に伸ばそうとされ、僕は思わず飛び退った。軍師様は少し表情を崩され、僕に話しかけてくる。


「帰還早々、このような振る舞いをされたのでは困ります」

「申し訳ございません」

「これから責任のある立場になってゆくのですから、あのような子供じみた振る舞いは、改めてもらわなくては」


 責任のある立場という言葉に、引っかかるものを感じた。僕が、あの師の元で昇進するとでも言うのだろうか。少なくとも、あの報告の場では全くそのような気配はなかった。

 僕が訝っていると、それを察したかのように軍師様は優しげな声音で告げられた。


「あの大師とは折り合いが悪いようでしたが……私と皇子が、あなたに配下に加わってもらいたいと」

「軍師様と、皇子様が?」

「強制ではありませんが……いかがですか?」


 魔人の軍を統括されているお2人に、こうしてご提案をいただけたのは嬉しいことだが、潜入向けの僕に対して軍務担当のお方からお誘いを受けるのは解せなかった。僕の実力とか実績よりも、同情からそのようにされたのか、そう感じてしまう。

「……ありがたい話ではありますが」そう言って辞退の意を示すと、軍師様は少し寂しげに笑った。


「意地を張るのも結構ですが、上の者をうまく使うのも器量です。相手に頼ることを恥じるより、そんなことを恥じる自分の狭量さを恥じるようになりなさい」

「……肝に銘じます」

「私達の提案は、取り下げない限りは生きています。気が変わったら遠慮なくどうぞ」


 辞退した自分の内面を見透かすような軍師様の洞察と、そのありがたいお言葉に自然と頭が下がり、僕はそのまましばらく動けなくなった。

 それから、ためらうように頭を上げると、軍師様はまだそこにおられて気まずさを覚えた。しかし、軍師様はさほど気にも留めていないようで、淡々とした口調で話し掛けてこられた。


「今から司直の部屋へ向かうところですが、あなたもいかがですか?」

「司直様の部屋へ?」

「五星の会議で彼の追放処分が決定しましたので、その報告に」


 いつかそうなるだろうという話は聞いていたが、実際にその時が来たのだと思うと、身震いするような感覚に襲われた。得体のしれない興奮と寒気を覚えつつ、それをなんとか抑え込んで、僕は同行の辞退を申し出た。すると「一度くらい、会ってお話すればと思ったのですが」とぼやくようにつぶやかれ、軍師様は去っていかれた。


 廊下に1人立ち尽くし、今日一日で起こったことに思いを巡らせる。王都に攻撃を仕掛け、その余波か何かで、魔人の頂点から1つの星が地に落ちる。まさに歴史が動いているその瞬間に、最前線で立ち会っているようだ。

 しかし、その最前線というのも今日までかも知れない。この先の策謀について、師からは何も聞かされていない。あの師のことだから、王都への攻撃だけで済ませるはずがなく、きっとまだ何か企みはあるはずだ。それなのに、相手方の情報に精通した僕が用いられず、宙ぶらりんな状態になっている。ここまで歩いてきた道が、いきなり途絶したようだ。


 自分の部屋までは、まだまだあった。廊下の向こうに目をやると、窓から白い砂浜が見えた。ただただ広いだけの、白い砂浜が。そこには本当に何もなかった。道も何も。



 ユリウスの追放が決まってからの動きは早かった。もともと、彼自身が追放されたがっていたフシもあったろうが、追い出したい勢力も満を持してといったところだったのだろう。決議の翌日には追い出される仕儀となった。

 居城の外、白い砂浜に立つのは3人。私とユリウスと軍師殿だけだ。追放には豪商殿も異議を唱えていたが、あれは彼特有の博愛精神のようなものから来るものだったのだろう。ユリウスに向けた特定の感情や思い入れというものはさほどなかったようだ。

「追放に賛成しておいて、立ち会いには出るのですね」と軍師殿が冷ややかな視線を向けた。


「追い出す側にも、立ち会う責任があろう? それに、追放される方が友にも良いと思ってな」

「どうだか……」

「ここから追い出されなければ、墓参りも満足にできまい?」


 私の指摘に、軍師殿はハッと息を呑んだ。良く気の回る彼女ではあったが、少し抜けているところもあり、そういうところは決して口にはしないものの、個人的には好ましく思っている。我が友も同じような気持ちらしく、軍師殿に向けた視線は優しい。

 今更ながら墓参りに気づいた軍師殿は、多少訝るような表情を私に向けて言った。


「まさか、そのためだけに?」

「”だけ”ということはないが、重要な1つではあるな。そうであろう?」

「ああ、そうだね。ずっと、彼女の墓のことが気がかりだったんだ」


 友にとっても、この追放は有意義なものとなろう。まぁ、敵対関係になるかもしれんが……今の彼では、人間とも魔人とも戦うことはないだろうから、予想のつきづらいところではある。

 軍師殿に目を向けると、どうも墓参りという目的に気づかなかったことを後悔しているようで、「こんなことなら供えの品を用意していれば」とつぶやいた。それに対し、友は微笑んだ。


「いや、いらないよ。言葉だけで十分だ」

「余は用意しておるぞ、ほれ」


 私は腰のポケットからソーサーを取り出し、友に手渡した。


「似たような柄のを愛用しておらなんだか? 間違ってたらすまんが」

「いや、大丈夫。これも気にいるよ」

「なら良いが。割れたら土に埋めてくれ」

「うん」


 私の贈り物は問題ないようだ。安心しつつ軍師殿を見やると、本当に恥ずかしそうな悔しそうな表情をしている。こんな顔を見るのは、数十年ぶりと言っていいことだった。


「……本当に、ごめんなさい。渡せるものと言えば、いま身に着けているものしか」

「そこまでしなくていいよ」


 腰帯か、あるいは髪飾りでも贈りかねない気配だったが、友の言葉に思いとどまった軍師殿は、細く長い溜息をついたあと友の右手を両手で握った。


「お達者で」

「ありがとう」


 私は左手を握り、笑顔で話し掛けてやる。


「早く死ねるといいな」

「はは、そうだね。君が殺るものだと思っていたけど」

「ハハハ、それがなかなか難儀でな。まだ諦めてはおらんが」

「楽しみにしてるよ」


 それから、友は微笑み、私達に背を向けて去っていった。砂を踏む寂しげな音が徐々に遠のくのとともに、友の背は白い砂から照り返す光の膜に溶け込み、少しずつ消えていく。

 友が見えなくなるまで、そう考えていたところ、軍師殿が話しかけてきた。


「何か隠し事があるのでは?」

「誰だってそうであろう?」

「はぐらかしますね。彼を追い出したことに、後ろめたさがあるのですか?」


 なかなか痛いところをついてくる。明かすのもどうかとは思うが、魔人の中では数少ない信頼できる相手だけに、あまり隠し通すのもはばかられ、私はつい口が緩んでしまった、


「いや、なに。身内に殺したい輩がおってな。邪魔されたり露見したりしては敵わぬと」

「私ですか?」

「まさか。そなたのことは、意見こそ合わんが、それなりに好いておるよ」


 すると軍師殿は大きなため息をついた。


「彼がいなくなって早々、そのような嘘をつくようでは……」

「まぁ、信じようが信じまいが、そなたの勝手ではあるがなぁ」


 友はもはや視界から消え去り、ただ私達2人だけが残った。何も言わず、軍師殿に手を差し出すと、彼女は思いっきり苦笑いしてから私の手を握り返した。

 今後は、彼女が茶飲み友達になるのだろうか。3日で喧嘩別れしそうではあるが。

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