第113話 「決着、そして」
シエラがほうきで空を飛んでいたことについて、門衛さんはすでに知っていたらしく、とくに目立ったリアクションを取らなかった。しかし、俺はものすごく驚いたし、責任者さんが受けた衝撃は俺以上だった。全身をプルプル震わせた後、彼は手を顔に当てて大笑いした。「いやー、今日はホント、キッツいなぁ」と笑いながらぼやいている。
俺達の姿を認めたシエラは、着地して門衛さんに手短に報告を済ませた後、こちらに歩いてきた。
「飛行許可は得ています」と言うシエラに、責任者さんは笑顔で「わかってます」と答え、問いかける。
「少し頼み事があるのですが、大丈夫ですか?」
「内容次第ですが、どうぞ」
「人を1人、王都の中に連れてもらいたいのですが」
彼の考えがすぐに分かった。それから責任者さんは門衛さんを呼んで、門の検知機構の確認をした。どうやら空中には働かないようだ。魔法庁の方で持っている情報でも、城壁内では魔法を使えないというだけで、それ以外の防衛機構は門を除くと別段存在していないらしい。
「空中からの侵入であれば問題ないようです。ですので、空から王都へ入って魔法を持ち込むという策でいきましょう」
「……攻撃はどこからやります? 地上から? できれば空中から下に射つほうが、射線を確保しやすいと思うのですが」
シエラらしい意見だった。確かに空から射てたほうがいいだろう。そこで、俺は曲がりなりにも
「……あー、エルミーが教えたのかぁ。試験前にCランク魔法やってたんですか?」
「そっちのほうが力がつくって話でしたので」
「まぁ、そうですね。ものにならないとあまり意味がない、諸刃の刃ですけど……今日は役立ちそうですね」
「はい。リッツは、両足で一緒に乗れる程度に大きめの魔法陣で空歩を作って。そっちのほうが、空でも踏ん張りが効いて射撃体勢を安定させやすいから」
「わかった」
そうなると、あらかじめ器を仕込んだ状態で城壁内部に侵入する必要があるため、結局は門から離れて人目がない場所を見繕う必要がある。
「ここでお別れです、ご武運を」と言い手をふる責任者さんに、俺は頭を下げてシエラのほうきに相乗りした。
「ちょっと飛ばすよ、バランスはうまく取ってね」
「了解」
地面からフワッと浮き上がったかと思うと、空中をなめらかにすべるような加速感を覚え、地面の草を空圧で薙ぎ払いながら俺達は城壁沿いに進んでいった。初めてのほうきだったけど、感動や興奮に浸る間もなくほうきは止まった。ここで準備しようということだろう。
シエラは、彼女のハーネスに紐でつながっている、もう1つのハーネスを俺に渡してくれた。空中でバランスを崩しても、最悪の事態を避けるための備えだそうだ。そのハーネスを装着しながら、俺は今回の作戦の懸念事項を彼女に伝えた。
「今回用意した魔法だけど、簡単に言うとメチャクチャ重複させて強化させた
「うん」
「たぶん、射つと失神する」
過去の経験から、継続・可動型の魔力の矢は、矢が飛んで距離が開くにつれ意識が遠のくと判明している。それがメチャクチャ重なっているんだから、失神というのはだいぶ希望的観測だった。もしかしたら命の危険だってあるかも知れない。
さすがに最悪の事態の懸念までは正直に伝えられなかったけど、それでも射つだけで失神しそうな魔法を試みようとしているという俺の言に、シエラはみるみる深刻そうな表情になり、短くため息をついてから言った。
「とりあえず、射撃までは空歩で空中の一点に留まって。私はあなたとの間の紐が緩む程度の高度で待機する。そしたら、射撃後に意識が落ちても安全に吊れるから」
「わかった、頼むよ」
「頼むはこっちのセリフだって……頑張ってね」
ハーネスを付け終え、侵入前に器を用意する。シエラに見てもらいながら、空歩用にちょうどいい大きさの器を作り、ほうきに乗った。両足で1つの円盤に乗るような体勢を取る必要があるため、ほうきに横向きになり足を揃えて腰掛ける感じになっていて、「なんか女の子みたいだなぁ」と少し恥ずかしくなりながら言うと、シエラは「私しか見てないよ」と、そんなに興味なさげにツッコんだ。こういうクールで淡々とした感じが、今はなんとも頼もしい。
準備を終え、ほうきは空へ舞い上がった。なんかすごくいいビルのエレベーターみたいに、音もなくゆるゆるとスムーズに高度を上げていき、やがて俺達は城壁を越えた。超えるなり吹き付けてきた風は激しく、寒々しい。
そして、眼下の前方には騒動の中心が見えた。中央広場に渦巻く赤紫の塊が、魔獣を何匹も送り出している。前線で倒れている人はいないようだったけど、タンカのようなもので負傷者を運び出しているのは見えた。
シエラは今日の偵察で王都をめぐりながら、良い射撃ポイントを探し回っていたらしい。背中には銃らしきものを背負っている。たとえそれが効かないとしても、一発食らわせてやりたかったからだという。
彼女がその射撃ポイントへほうきを移動させると、少しずつ心臓の高鳴りが強くなるのを覚えた。手が震えている。事態の深刻さ、自分たちに掛かっているものの大きさを自覚しつつも、一方でいくつもの法を犯しまくっている事実は無視できなかった。目的が崇高だからって、すべての手段を正当化できるわけじゃない。
しかし……中央広場の中心で今日の混乱を引き起こした張本人は、法の番人の中でも重要な地位にあった人物だ。法を利用したんだろうか、法が隠れ蓑になったんだろうか。いずれにせよ、あの人――というか奴――にいいようにされたんだろうと思う。
魔法庁の人たちのことを思うと、複雑な気持ちになり、ふとあることを考えた。冷たい風が吹き付ける中、シエラの背に話しかける。
「あのさ、今日色々やっちまったから、いよいよ……じゃないな、また捕まるかもって思ったんだけど」
「まぁね。許可得てるって言ったってやりすぎた自覚はあるし……2人で前科持ちだね」
「それでも、もしまともになった魔法庁に裁かれるなら、それもアリかなってさ」
「……そうだね」
表情は見えなかったけど、シエラが同意するその声は、吹きすさぶ冷たい風の中で少し優しげに響いた。
いよいよ射撃ポイントにたどり着いた。街区の関係で射線上には防衛線がなく、一方で背が低い建物が多いおかげで空中から地表を射つには都合がいい。
足元の器に空歩の文を書き込むと、城壁内だけど本当に書けて魔法になった。妙な興奮と緊張を感じつつ、腰掛けたほうきから下り、踏ん張って足場を作って小脇に抱えた布を広げる。広げた布をできる限りまっすぐ伸ばしきり、乗せてきた器を布からズラすと、無事空中に器を展開できた。後はいよいよ射つだけだ。
ちょっと邪魔くさくなった布をシエラに手渡す。彼女は風に揺られながらも、俺を吊るすためのひもが緩む程度の、絶妙な高度でホバーリングしている。きっと、俺は射ったら気絶するだろう。いまや彼女の存在が命綱そのものだった。
青緑に輝く器を構え、敵に狙いを定める。すると、動悸が激しくなるのを感じた。
もしかしたら死ぬかもしれない。そうとは決まったわけじゃないけど、かつてない強度の魔法をぶっ放すという未知の体験への恐怖が確かにある。
でも尻込みするわけにはいかなかった。手をこまねいているうちにも、誰か死んだり傷ついたりするかもしれない。あの中に知人友人がいないとしても、これだけの距離を隔てているとしても、仲間には違いなかった。
目を閉じて、一回死んだ日のことを思い出した。別に自己犠牲したいわけじゃない。そうじゃなくて、前世では人を助けて代わりに死んだ俺が、現世では他人のために命を掛けられないなんて、筋が通らない話だった。一回親不孝をやってしまった以上、生き死にのルールを曲げないのが最低限の忠孝だと信じた。
思いっきり息を吸い込んでから吐くと、気持ちはだいぶ落ちついた。遠くにいる標的が人型だってのは、やはり少しためらわせるものがあったけど、配慮すべき相手とは思えない。きっと、自分の良心を可愛がりたいだけだ。そうやってかすかに残った迷いを切り捨てると、手の震えはほとんどなくなった。
覚悟を決めて器に魔力の矢の文を書き込んでいく。いつものスピードで書いているつもりだったけど、ちょっと遅いというか少しずつ遅くなっていくように感じた。自分自身が、この期に及んで名残を惜しんでいるわけでもなく、俺の思考が速まっているような感じだ。吹き付ける風も、風圧はあるのに少しノロマで、風の音は間延びしている。
いよいよ最後の言葉を刻み終えると、幾重にも重ねた器が一斉に魔法になり、何本も束ねては凝縮した1本の矢になって敵へ向かう。光の矢が離れるにつれ、意識と五感、そして時間感覚が引き伸ばされていくような感覚に陥った。世界の色合いがゆっくりと淡くなり、少しずつ視界が暗くなる中、ゆっくりと矢は進んでいく。
そして、薄暗闇に包まれる思考の中に、ここまで世話になった人たちが現れた。今日知り合った連中から始まって、過去に遡るように何人も何人も。
最後に、暗闇の中でお嬢様に出会った。表情はわからない。やがてその姿も見えなくなり、音も光もなく、ただ冷たい闇の中に意識が沈むのを感じた。
自己犠牲ってろくなもんじゃないな、そう思った時、そこで俺の中の全てが途切れた。
☆
体がゆらゆら優しく揺れている。遠くで何かささやくような小さな音がする。頭には少しひんやりするようなものが乗っているようだ。そう気づいた瞬間から急速に感覚が立ち上がってきた。実際には普通に強く揺すられていて、俺に掛けられた声も普通に大きかったし、頭に載せられていたものは結構冷たかった。
意識が戻ってハッキリ目を覚ますと、俺はどこかの屋上に寝かされていた。頭の下には器の運搬に使った布が丸まっている。体を揺すっていたシエラを視線が合うと、彼女はため息をついて安堵した。どうも、俺が脈拍はあるし血色も普通だったけど、それでも目を覚まさないので流石に心配だったらしい。気温のせいもあるだろうし、これまで働き詰めだったというのもあるだろうけど、シエラは顔中に汗を滴らせていた。
作戦の方は成功したんだろうというのがなんとなくわかった。遠くでは歓声が聞こえる。そして、その一部がこっちに近づいてくるようだ。
「具合はどう? 動けそう?」と聞いてくるシエラに、「ちょっとぼんやりする」と正直に返すと、彼女は背負った銃らしきものを俺に手渡した。
「貸してあげる」
「……なんで?」
「まさか、”魔法”を使って撃退したなんて言えないでしょ? 魔道具なら、まだ言い訳は立つかなって」
「ああ、なるほど」
「別に、手柄がほしいわけじゃないけど」
「それはわかってる」
彼女の気遣いに感謝しつつ、俺は銃を受け取った。白い外装は光沢があって滑らかで、形は少し曲線が多めだった。歴史の教科書に出る銃をSF的に翻訳したみたいな銃だ。
遠くに聞こえる勝鬨を聞きながら、俺はシエラに話し掛けた。
「なんか、大変なことになったなって」
「……うん。でもさ」
「ん?」
「いい日だなんて全く思わないけど、やり遂げたって感じは、あるんだ」
「……わかる」
「こんな形でほうきに乗ったのは残念だけど……負けてられないなって」
やっぱり、意図しない形で世に出たことについて、色々と思うところはあるようだ。でも、シエラからは闘争心のようなものが充実しているように感じた。あるいは、冷めているようで心根は熱い子なのかもしれない。なにしろ、上からの理解を得られないまま、1人でもコツコツ懸命にやってきたんだから。
今日一日で、彼女を取り巻く環境は一変するだろう。いや、シエラだけじゃなくってこの王都全体がそうだろうし、国自体もそうなのかもしれない。先行き不透明だけど、気持ちは暗く沈むばかりではなかった。今日、立ち上がって力を合わせたことは、きっと無駄じゃないはずだ。
まだまだ、裏でどんな陰謀が張り巡らされているか、わかったもんじゃない。でも、結局は自分にやれることをやりきるしかないんだ。真剣な眼差しでどこか遠くを見つめているシエラの横顔を見ながら、俺は明日からの事を思い、決意を新たにした。
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