第108話 「闘技場の戦い①」

 受験生の波に押されるように出口へ向かいながら、俺は後ろの様子をうかがう。威圧的な巨体を振り回すゴーレムを相手に、閣下は丸腰で立ち回っていた。反撃もできず、攻撃を誘ってはそれをかわし続けている。閣下がどれほどお強いのかはわからないけど、いつまでもああしていられるとは、とても思えなかった。

 そして――”本体”よりももしかしたら厄介かもしれないビット2つが、日光を受けて薄い藍色の表面をギラつかせながら、俺達の方を狙っていた。三角形の先端がこちらに向き、藍色のマナが集中していくのが見える。

 藍色のマナの特徴は、エリーさんいわく”掴みどころがない”というものだ。組み合わせ次第で、何かを切りつけたり断ち切ったりする力を発揮するかと思えば、激しい衝撃を与えたり、あるいは空歩エアロステップのように術者の動きをサポートしたり。雑な言い方をすれば、食らってみるまでわからないというのが正直なところらしい。

 ビットのマナが収束し、射たれると思ったそのとき、俺は光盾シールドを展開していた。考えることは同じようで、俺みたいに振り向きながら走っていた受験仲間も同様に、それぞれの色のマナで光盾を展開している。

 色とりどりの光盾が鱗のようになっている。その守りに向けて敵の藍色の矢が放たれると、矢と光盾が激しい音と光を放ちながら砕け散り、爆ぜたマナの衝撃が衝突点から他の光盾にも伝わっていく。一発射たれただけなのに、攻撃された盾以外にも被害が出るほどだった。

 なお悪いことに、ビットはもう1つあった。ほとんど間をおかずに第2射が放たれる。埋まった穴へ光盾の再展開は間に合ったけど、1射目でマナの流れを乱されたせいか、2射目を受けたときにはより大きな穴が開いたのが見えた。

 一時的に攻撃がやんだのを見計らって、逃げる正面に目を向けた。まだ、距離がある。

 再度後ろに向くと、最後尾の受験生たちがビットに攻撃を加えていた。中にはゴーレムに矢を飛ばす人もいた。実技試験で最前列を取るだけあって、本当に意識が高い、尊敬すべき人たちだ。

 しかし、こちらからの反撃は徒労に終わったようだ。矢を受けた衝撃で、ビットは少し空中でふらついたものの、すぐに体勢を立て直し悠々とこちらに狙いを向け直した。試験の責任者の方が叫ぶ。


「こちらからの攻撃は効かないようです! まずは退却に専念してください!」


 よく見ると、彼は左手で右腕を押さえながら走っていた。最初の攻撃を受けて吹き飛ばされた時、腕を痛めたようだ。彼が放つ声にも、必死さと苦しさがにじみ出ていた。

 防戦一方になった俺達に向け、またビットが攻撃を加えようとマナを先端に収束し始めた。まだなんとか防げる。そう思っていた俺達の予想を裏切るように、敵は狙いを少し上に向け、宙のあらぬところに攻撃を放った。放たれた矢は空中で枝分かれしてから放物線軌道を描き、細い針の雨のようになって密集した盾に降り注いだ。

 あちこちで盾と針が衝突してはマナがほとばしる。針一発あたりの威力はさほどでもないんだろうけど、光盾は受けた攻撃の大小に関わらずだいたい一定の反応を示す。つまり、弱い攻撃でも当たればマナを爆ぜさせる。そして、枝分かれした針は多少時間差のある攻撃をこちらに加えていた。先発組の針でゆさぶったところに、別の針が刺さってはさらにマナをかき乱し――地面で砂埃が上がった。

 守りを撃ち抜かれた動揺が広がる中、別のビットが同様の攻撃を加えてきた。みんな逃げながら光盾を構えることはできたけど、心の乱れが魔法の不完全さにつながったのか、さっきよりも守りは不安定で、何発か針が通り抜けた。そう遠くないところで呻くような悲鳴が上がり、地面からはさっきよりも大きな砂煙が舞った。


「もうダメだ!」誰かが声を裏返しながらそう叫ぶと、恐怖が集団に完全に伝播し、それぞれあらん限りの力で全力疾走を始めた。何回か誰かと肩をぶつけ合いながら俺も逃げつつ、後ろを向いた。さすがに最後尾の連中は腹をくくったようで、体格がよくてもっと早く走れそうな人も、隊列を乱すまいとしんがりを務める他の仲間に合わせて走っている。

 不意に、ドサッと何かが倒れ込む音がした。音の方に目をやると、誰か倒れている。後から続いて逃げるたちはなんとか避けるようにして走っているけど、倒れてすぐには避けられなかった人もいたんだろう。逃げる人の群れの中、ぽっかり開いた穴で倒れているその背は砂で汚れていて、動かなかった。

 気がつけば、俺は集団から抜け出すように少しずつ横に外れて進んでいた。迂回しつつ倒れた人へ近づいていく。たぶん、足が遅い方だったんだろう、後続集団はすぐに途切れた。皆が過ぎ去ったところで倒れた人の元に着いて、声をかけながら肩を揺する。反応はない。

 ひっくり返すと、知らない女の子だった。顔は砂と血で汚れていて、倒れた時に擦ったようだ。手首を取ってみると、脈拍はある。しかし……俺はビットの方を見た。逃げる一団はすでに先頭が回廊部分に入り込んでいて、どうやらビットは俺や近づきつつある最後尾に狙いを定めたようだ。

 その最後尾の1人が大声で「大丈夫か!?」と叫んだ。


「ああ、まだ生きてる!」

「担いで逃げられそうか?」

「やってみる、先に行ってくれ!」

「しかし……」

「下手して共倒れしちゃ元も子もない! できれば、集団を2分して狙いを反らしてくれ!」

「! ああ、わかった!」


 敵がどういう基準で標的を定めているのかはわからない。ただ、より多くのマナが集中するところを狙っているのであれば、たぶん大多数が逃げおおせつつある今なら最後尾集団を狙うだろう。狙いがランダムであれば、少し集団を分割したのが活きてくるかもしれない。それでも、俺が狙われる可能性は考慮しなければならないけど。

 女の子を担ごうとすると、誰かが近づいてきて手を貸してくれた。最後尾で守っていた人の中の1人で初めて会う同世代の青年だったけど、一瞬で仲間意識が芽生えた。少し笑いながら、俺に話しかけてくる。


「まったく、無茶しやがる」

「そっちこそ」


 女の子を担ごうとしたところで、ビットにマナが収束しつつあるのを視認し、俺達は身をこわばらせた。一方は別集団を狙うようだったけど、もう一方はこっちを向いている。横で舌打ち音が聞こえた。


「クソが」

「光盾頼む、2人で守ろう」

「ああ、やったろうじゃねえか」


 彼は黄色の光盾を作った。さすがに心得があるようで安心しつつ、俺は双盾ダブルシールドを展開する。2人で3人分の盾を構え、敵の攻撃を待つ。

 やがて放たれた藍色の針の嵐を受けると、最初の針の波で表側の光盾を砕かれたのがわかった。そう認識してから、ふと閃いた。残る盾の内側に再展開すればいい。わかって、閃いて、再展開して――間断ないはずの針の群れは、思考を差し挟む暇があるくらいコマ送りで動いているようだった。そこまで頭が働くのが不思議だったけど、マナの高まりと人の命がかかったこの状況がそうさせるのかもしれない。

 光盾を割られては残りの1枚で受け止めつつ、後続を作って割られてまた作る。針の嵐を相手に、俺達2人はなんとか切り抜けることができた。信じられんという驚き、やりとげた興奮の入り混じった顔で、仲間が話しかけてくる。


「やったな! 早く逃げようぜ!」

「ああ、さっさと逃げないと」


 あらためて女の子を担ごうとしたとき、ふと彼に持ってもらった方がいいんじゃないかという気がした。ほとんど同じ背丈だけど、少し体格が良いように見える。ただ、この場でそう切り出すのも気が引けた。それに俺だって陸上でそこそこ鍛えてるんだ――あっちの部活動なんて、こっちじゃお遊びみたいなもんだろうけど。

 戦いの余韻かなにかで、速まった思考でそんなアレコレに思いを巡らせつつ、俺は女の子を担ぎ回廊部分へ向かった。同行する彼は後ろを向いて状況を教えてくれる。おかげで、俺は前だけ向いて走ることができた。


 追撃はなかった。俺達3人は無事に回廊へ逃げ込めた。それは良かったけど、こうなると閣下のことが心配だ。闘技場中心に1人残った閣下は、3体の攻撃を同時に捌いていた。

 さすがに徒手では……そう思っていると、観客席から閣下の方へ何かが投げ込まれた。剣だ。試験官の1人が観客席を通って届けに行ったらしい。

 しかし、別の職員の方に聞くと、特に名のある名剣というわけでもなく、ごくごく一般的なただの鋼鉄の剣のようだ。あのゴーレム相手に切れるのか? そんな疑問がよぎった時、誰かがポツリと呟いた。「無理だよ、勝てっこない……」小さな声だったけど、なぜか周囲の喧騒を通り抜けてみんなの耳に届いた。

 その声に周囲がシンと静まり返り、誰かが声の主に歩み寄って首根っこを掴んだ。


「う、うるせえ! 伯爵様が負けるってのかよ!」

「だって……相手はゴーレムだよ? 人間に負けるようには作られてないんだ!」

「……クソッ」


 反論できず、彼は手を離して解放した。

 勝てっこないというのは、もしかしたら事実ではないかもしれないけど、そう反論するだけの材料は何もなかった。退避を始めた時、魔法をビットに撃っても効いている様子はなかった。ゴーレムも同様だろう。閣下も、ゴーレムと一騎打ちの時に魔法で一撃するタイミングはあっただろうけど、特にそうされた様子はなかった。自分たちにできることは、何もないんじゃないか。そんな暗い気持ちを、誰かが口に出すわけでもなかったけど、場の空気は重く静かで冷たかった。

 そんな静まり返った場を、騒がしい声が近づいてかき乱す。声の方をみんなが向くと、魔法庁の職員の方が観客席から客を誘導しているところだった。あまりの事態にその場で動けず、座席の下でうずくまっていた観客の方が多く、そういった方々を職員の方が付きっきりで守りつつ避難させているらしい。

 観客の1人が恐慌状態になり、声にならない悲鳴で何か喚き散らすと、受験生にもその恐怖が感染してにわかに騒がしくなった。客を職員の方が、受験生を仲間がなだめ、落ち着かせようとしている。


 ――本当に、俺達には何もできないのか? 閣下も職員さん方も、自分の役目を果たそうとされているのに? そう思うと、胸の中で湧き上がる何かを感じた。闘技場の中、敵を睨みつけてそちらへ歩み出る。すると、俺の動きに気づいたさっきの仲間の彼が、肩に手をおいて少し慌てて言った。


「おい、戻る気かよ!?」

「避難誘導の手伝いをしようと思ってさ。危なくなったら逃げる」

「誘導の手伝いったって、方向違うだろ!?」

「大丈夫、まぁ見てろって」


 様子を見守る他の受験生のみんなにも聞こえるように、何より自分に言い聞かせるように言うと、彼は渋々手を離し、「くたばんなよ!」と大声でエールを送ってくれた。

 回廊の石床と中央部の砂地のはざまで立ち止まり、空気を目一杯吸って心を落ち着け、俺は内部へ踏み出しつつ、両足の下にそれぞれ魔法陣を書き上げる。Cランクの殻が強固なやつをなんとか縮めて小さく描き、継続型、足用の追随型、回転型、藍色の染色型を順に刻む。藍色に染める時の、意識を抜かれかける感覚にもなんとか耐えきり、最後に空歩の文を刻み込む。


『道を定むは言葉ことのはよ 去りてあらわる道もあり 虚ろの空に至らんとする その道定む者は如何いかん ただ恐れることのみ恐れ その畏れなきを恐れよ』


 文字を書き込んでいくと、エリーさんにこの文を教えて貰ったときのことを思いだした。


「なんか、難しいこと言ってますね」

「いえ、難しく考えすぎているだけです。私にとっては、ものすごくシンプルな文ですよ」

「そうですか?」

「つまるところ、いきたい道は自分で決めろ、そういう文です」


 つまるところ、今使うのはそういう魔法だった。

 自分があるべきところは自分で決める。

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