第107話 「心なき兵の群れ」

 借り受けたほうきにまたがり、私は港へ向かって飛んでいく。王都からは歩いて一時間ほどもあって、この距離ではまだまだ向こうで何が起こっているかわからない。それでも、肌を刺すピリピリとした空気が、遠く向こうで何かとんでもないことが起こっていることを予感させた。

 王都から港へ向かう間には闘技場がある……一度、寄るべきなのかな。最低限の連絡のために。そんな筋が通った言い訳が脳裏に浮かび、私は逆に闘技場から少し距離を取って迂回するように、街道を外れて飛ぶ進路を取った。託された使命を、今は確実に遂行しないと。お父様とリッツさんがいる、あの闘技場に後ろ髪を引かれるような強い未練を感じながら、私は飛び続けた。


 走るよりはずっと速いけど、こうしている間にも誰かが傷つき、もしかしたら……そう思うと焦燥感が心をざわつかせた。そのとき、シエラさんが「ほうきを壊してもいい」って言ってくれたことを思い出した。あの子に悪いとは思いつつ、薄目になってほうきの内側に意識を集中し、両手からマナの流れに乗せて心をほうきに浸透させていく。

 入り込んだほうきの中の、いくつもの魔法陣が重なり合う複雑なイメージが、私の視界に重なり合う。またがったほうきは、藍色の魔法陣が円筒状にくるまっていて、そこに鎖が何本かつながっている。どこにつながっているかもわからない鎖だけど、これがほうきの力を制約しているのはすぐに分かった。

 飛ぶこととほうきの中の世界、両方に意識を集中させて1つに統合していく。注意を払いながら鎖の1つを切り落とすと、一瞬だけ背を後ろに引っ張られる強い力を感じた。いえ、引っ張られたんじゃなくって、ものすごい加速をした。

 振り落とされないようにしっかり握りしめ、一つ一つ鎖を切り落としていき、本来の姿へ解き放っていく。すると、またがったこの子は全身でその喜びを表すかのように、力強くマナを胎動させ飛んでくれた。こんな状況で本来の実力を発揮させるのが、とても申し訳ない気がした。ほうきにも、託してくれたあの子にも。

 打ち付ける向かい風は、冷たくて激しかった。その風を浴びるたびに、心のなかで湧き上がる暗くて湿った雑念が払い流されて、また浮かび上がった弱い気持ちも風に流され……戦いの空気が近づくにつれて、私の奥底に控えている練磨された闘争心が表に出てくるのがわかった。身を切るような風が、張り詰めた大気の緊張感が、私の五感を研ぎ澄ませ体に力をみなぎらせる。


 やがて、港が視界に入った。近づきつつ高度を上げて全容を視認すると、港の縁の部分で激しい戦闘が行われていた……倒れた人の姿も見える。自分の思考に人の手がしがみついてくる錯覚を冷静にあしらいながら、私は戦地に視線を巡らせる。

 敵を載せて運んだらしい船には、矢だらけの船員が倒れている。倒れている……けど、観察している間にも、うごめき立ち上がる船員もいた。死霊術ネクロマンシーの支配下にある、そう思った瞬間、心のなかに激しい感情が渦巻いた。その情動に気づくと、私は息を大きく吐いて、冷静さを取り戻すように自分に言い聞かせた。この視点で全体を把握し、指示を出せるのは私しかいない。しっかりしないと!

 船と港をつなぐ渡し板は、ところどころ破損していた。鎧が渡ってこれないようにするため、なんとか攻撃を加えたのだと思う。それでも完全に破断していないところを見ると、鎧はあの板の強度でも渡りきれたらしい。すごく、嫌な予感がする。

 そして、敵の主戦力であろうその全身鎧は、港の縁の部分で港の防衛隊と交戦中にあった。現場の方々が、荷箱や資材などで即席のバリケードを作り、なんとか敵が広がらないように食い止めているおかげで、敵の数の割には混戦になっていない。バリケードと海に囲まれ、敵の群れとは1つの面でだけ接する形で交戦している。


 着いてから20秒ぐらいのあいだにそれだけ確認すると、私は高度を落として加勢に入る。私の姿を認めた物見の方から声にならない歓声が上がり、それが地面にまで伝わっていって士気が高まっていくのがわかった。

 地面に足がつくと、目の前では私が来たのにも気づいていない兵士の方が鎧の群れと戦っている。鎧は相対する兵士の方の剣撃にまったく反応しない。人が入っていない全身鎧という弱点の突きようがない敵を相手に、顔は見えないけれど、彼の苛立ち焦燥する気持ちが私にも伝わってきた。

 鎧は無手だった。でも、それで十分なのかもしれない。打ち崩されない守りと攻めが一体になっている、その力と優位を誇示するかのように、鎧は剣を悠然と受けつつ拳を構え、その姿に似つかわしくないなめらかな動きで正拳を放った。

 兵の方に向かう鎧の腕に向け、私は炎の矢ファイアボルトを放った。たぶん、有効打にはならない。状況を見てなんとなくそう察しがついていたけど、それでも拳を反らせるはず。果たして、敵の腕に当たった矢は爆ぜて強い衝撃となり、敵の右拳は宙を切った。

 兵の彼が後詰と交代しつつ、私に向き直った。少し驚愕するような表情を浮かべた彼からは、痛ましいほど疲労感がにじみ出ている。戦列を並べて交戦する他の兵の方々も、少し後退してから私の方を見ると、一瞬驚き、それから少し安堵するような表情を見せた。

 強いプレッシャーと、それ以上の使命感を覚えた。ここから、なんとか巻き返していかないと。そう考えていると、私のもとに1人駆け寄ってきて大声をだした。きっと今に至るまで声を出しっぱなしだったのだと思う。その声はすごくかすれていた。


「お嬢様、状況報告を」

「手短にお願いします」


 こうする間にも、相手はじわじわと寄ってくる。物量だけを頼みに、何も考えずに平押しするように。攻勢を食い止めるため、私も隊伍に加わり左の腰から剣を抜き、応戦しつつ彼と話す。


「敵勢力は動く全身鎧が数十、こちらの攻撃は効いている様子がありません」

「魔法も、ですよね」

「はい」


 これだけの鎧を操る術士であれば、魔法への備えも怠らないはず。おそらく、鎧の素材と表面の加工に魔法への抵抗力がある。それと、破損した渡し板を渡りきれたのなら、ある程度の効力で空歩エアロステップも使えるのかもしれない。それで、地面への負荷を減らして渡りきったのだと思う。

 敵の攻撃は、スムーズではあるけどスピーディーではなかった。物量と威圧感に押されず冷静に立ち回れば、なんとか受けられる。でも、じわじわと押し込まれるのに変わりはなかった。


「他に何か伝達事項は?」

「船上の船乗りたちは、平然と荷降ろしを続けるようでしたので、敵勢力と考え射撃を加えましたが……」

「彼らは、おそらく死霊術で操られています。攻撃を受けても動き続けるでしょうけど、行動の抑制にはなります。これ以上の仕掛けがあるかもしれませんし、弓兵には引き続き射撃をさせるように」

「はっ!」


 操られた方々ご本人は、決して私達の敵じゃない。それでも彼らの遺骸に矢を射ち込ませる、その指示を私は自分でも驚くほど冷静に下した。

 敵の重い拳を剣で受け流し、すぐそばで味方に向けられた攻撃を炎の矢でそらし、そうやって防戦を続けていると、横たわる兵士の方の亡骸が林立する鎧どもの脚の狭間に見えた。少しずつ遠ざかるその骸が、感情のない敵に踏みにじられていく。

 それを見て、自分の思考がますます冷静に、戦意はますます熱を帯びていった。守ってばかりじゃダメだ、なんとか切り崩さないと。

 普通の剣では歯が立たない、それぐらい鎧は優れた材質を持ち重厚だった。リーフエッジでも、紫のマナでは切り抜けないかもしれない。可能性があるとすれば、赤と橙の中間色。炎の力を帯びつつ、自分の熱で焼き尽くさないように金属の力で葉の刃を支えてあげれば……刃の強度と私の技量、炎の熱で敵を溶断できるかもしれない。あまり試したことのない色だったけれど、やってみるしかない。

 一度剣を鞘にしまうと、両隣で戦う兵の方がわずかに動きを硬くした。それでも、私が何かをしようとしているのを察してくれたようで、苦しい防戦を続けて戦線を維持してくれている。

 私は右手を剣の柄に当ててマナを練り、薄目になって幾つもの戦いをくぐり抜けた戦友に問いかける。どれぐらいの炎なら耐えられる? それから一瞬の間に、これまでの戦いが頭の中を駆け巡り、これでいけるという直感が右手に届いた。

 目を見開き、右手で抜き放った剣の勢いをそのまま叩きつけるようにして、目の前の鎧が放つ正拳に当てた。金属同士がぶつかり合う甲高く激しい衝突音が響き、炎を帯びた葉の刃が、金属の拳に少しずつ食い込んでいく。

 切れる、そう直感して少しずつ前に進むと、敵はわずかに身を捩り、少し怯んだような動きを見せて後ろに下がろうとした。その姿が、まるで怯えているようで、すごく癪だった。攻め手が見つからないまま敢然と立ち向かっている方々、すでに倒され踏みにじられた方々のことを思うと、相手が見せた人間みたいな動きが許せなかった。

 柄から刃に伝わるマナの脈動がもっと力強いものになり、向こうの景色が揺らぐほどの熱を帯びた剣は、敵の拳を抜けて、腕を、肩を、胴も腰も切り抜けて焼き切った。突然、糸が切れた人形のように敵が地に伏して、石造りの地面に金属が落ちる高い音が響く。それからすぐ後に歓声が沸き起こった。

 間髪入れずに、私は指示を飛ばす。


「見てのとおりです! 私が一体ずつ処理します、みなさんは防衛線の維持に専念を!」

「了解しました!」


 戦場の昂りがあるとはいっても、敵を焼き切り、かつ刃を破損せずに済ませるだけの補強用のマナまで捻出するのは容易なことじゃない。連続では流石に対処できず、一体ずつ確実に仕留めていくしか無い。

 敵の攻撃をいなしつつ、深く息を吸い込んで落ち着けて、敵の攻勢の隙を見計らっては敵を焼き切り、金属片へと変えていく。

 少し光明が見えた、そう思ったのもつかの間、敵を倒した後にジュッという妙な蒸発音が聞こえた。私の汗が刃に落ちて蒸発する音だった。気がつけば顔から汗がとめどなく吹き出している。そして、蒸発音に気を取られた右隣の兵が、その一瞬の隙を突かれて敵の拳に打たれかけた。

 気がつくと同時に私は動き出していて、彼に迫る敵の腕に目掛け剣を振り上げていた。一瞬の間に十分なマナを練り上げられたようで、関節部を狙ったこともあってか腕は一瞬で焼ききれた。腕から先の勢いは殺せず、狙われた彼に当たってくぐもったうめき声をあげたけれど、どうにか健在なようだ。腕の先を失い少し体勢を崩しつつ前に突き出された敵の腕に、私は剣を突き刺して刃を食い込ませ、崩しつつあるバランスに上乗せするように力を込めて自分の方へ引き寄せた。そして、相手が倒れ込むのに合わせて刃を引き抜き、激しい音を立てて倒れ込んだ敵の背に赤熱する剣を突き立てる。敵は、腕以外に目立った損傷はなかったけれど、そのまま動かなくなった。


 この短い間のやり取りで、かなり力を消耗してしまったみたいで、私は戦場でひざをついてしまった。それでも顔だけは上げて、息を荒げながら敵を見据える。無感情な鎧の群れが、じわじわと迫ってくる。

 一体ずつ倒すことはできる。でも、それだけじゃ不十分で、私が持ちそうにない。情けなくなる気持ちを抑え込み、冷静に次の手を模索する。すると私の方へ、各所に指示を出し続けている方がやってきた。


「大丈夫ですかッ!?」

「はい……いえ、このままでは厳しいですね」


1つ打開策があるとすれば、それは鎧を操っている術者を倒すことだった。ただ、それには術者の居場所を暴く必要がある。これだけの騒動を引き起こしている――それも港だけじゃなく数カ所で同時に――そんな策略の只中では、敵の場所を暴くというのはかなり難しいと思う。

 ただ、鎧を何体か倒せたことで戦線はいくらか持ち直した。敵の残骸で足止めだってできるかもしれない。居場所を探るなら、今が一番であり唯一かもしれないチャンスだった。港の司令塔に私の考えを伝え、受け持ちの場を交代してもらって、私は居場所の特定に専念する。

 戦闘による一時的な消耗が落ち着いたのを確認すると、私は透圏トランスフェアを展開した。探知できる範囲には限りがある。範囲外から操られているなら手詰まりだけど……透圏の中に、それらしい術者の姿は特定できなかった。鎧からのマナの結びつきも、視認はできない。

 操られているなら、大なり小なりマナの流れがある。それが“まだ”見えないだけなら、望みは残っている。透圏に注ぎ込むマナを強くし、半球の中のマナ密度を高めていく。光のドームと中の光点の輝きが増し、それとは逆に私の視界が少しずつ不確かになっていく感覚とのせめぎあいの中、鎧達から出ている薄いマナの流れが一点へ集中しているのを確認できた。船のメインマストの頂点に、鎧を操る術の起点がある。

 透圏を解き放つと、全身にじんわり汗がにじむような感じがした。攻めるべきポイントが分かった今、早く指示を出さないと。なんとか呼吸を落ち着け、後ろに向いて弓兵の1人に呼びかけ、私は標的を指図した。

 鎧には効かず、船員は矢を受けても立ち上がる。そんな状況下におかれて自分たちの技量を十全に発揮できなかった弓兵隊のみなさんは、それまでのうっぷんを晴らすかのように、一斉射撃を繰り返した。矢の雨と言うにはあまりにも指向性がある、殺意に満ちた矢の群れが船の頂点に殺到する。

 術の中心部は何本も矢を受けたはずだったけれど、それでも敵の動きは止まらない。あらためて透圏を作り出すと、相変わらず船の上からマナに乗せて、指令が地表の軍勢に行き渡っている。

 直に様子を見に行かなければならないかもしれない。問題は、それが相手の誘いなのかもしれないということだ。少なくとも船上が敵本営なのだから、術中を空歩で近づいたのでは遅すぎる。

 ほうきを持ってきたのは、近づく分には最適だけど、それにも懸念はある。死霊術と操兵術を使われているこの戦場で、相手の観察の目が無いと考えるのは、あまりにも甘くて無邪気な見立てだ。明らかに、相手――真に倒すべき敵――に見られている。そんな中で、世に出たばかりのほうきを晒すことが国益にかなう判断なのか。迷いが私をためらわせた。

 しかし、私がこうして戦いに来る前にも、シエラさんと宰相様は王都の空を飛び回っていた。それに、魔法庁を利用した上で今回の騒動が引き起こされたのならば、ほうきの件は向こう側も承知済みなのかもしれない。それに、迷っている間にも防衛線への負荷は増す一方だった。


 耐え忍ぶ方々の背を見て意を決した私は、資材に立てかけておいたほうきにまたがり宙へ舞った。「敵中心を叩きます!」と叫ぶと、目の前で精一杯だろうに地上の皆さんから大きな鬨の声が飛んできた。

 空から船に近づくと、予想していた抵抗はまったくなかった。眼下の甲板では、私のことに気づいていない人影がうごめいている。体中に矢が突き刺さった、血まみれの遺骸が。

 私は船の頂点を睨みつけた。術の中心にいるであろう術者は、何の動きも見せない。警戒と、少し不安を感じながら近寄る。それでも、相手からは何の反応もない。


 近づくにつれ、その姿がはっきりしてきた。術者と思っていた彼は、メインマストの柱にくくりつけられ、体中に矢が突き刺さっている。頭には麻袋を被せられ、首のところを縄で縛られている。そして、袋の目にあたる部分から、赤黒い涙が滴っていた。

 抵抗はない……そして、”彼”は敵じゃない。そう感じて物見台に用心しつつ舞い降りた私は、手が震えるのを自覚しながら右手を愛剣に伸ばし、紫のマナをまとわせて彼の胸に剣を刺した。剣を伝わるマナを通して彼に埋め込まれた魔法陣に干渉し、鎧へのつながりを断ち切っていく。すると、刃の向こうからもマナに乗って感情が伝わってきた。強い無念と悔しさ、悲しさ、それに感謝と……そんな彼の感情の裏に隠れ潜むようなかすかな悪意が、私を、私達をあざ笑っていた。

 私は彼の胸から剣を引き抜いた。それと同時に、遠く離れた地面から鎧が倒れていく大きな音と、それに続いて大歓声が湧き上がった。

 声を背に受けつつ、私は空を見上げる。わずかに雲が点在する程度の晴れ渡った空の向こうに、まとわりつくような不快な視線を感じた。誰もいないはずの空をにらみつけると、視線は消えてなくなり、私はうつむいて両手を強く握りしめた。私が術中から解き放った、利用されただけの彼の物言わぬ目線が、私の全身に突き刺さる。


 場が勝利に包まれる中、私は一人だった。勝った、そんな気は全くしなかった。この戦闘だって、相手の策の1つでしか無い、次の仕掛けもきっとある。そう思うとやりきれない気になった。

 そして……闘技場のことを思い出した。お父様とリッツさんは無事だろうか。今朝、リッツさんが合格したら家に呼んでごちそうにしようとか、そんな話をしていたのをずっと過去のことみたいに感じてしまう。気がつけば自分の目が潤んでいて、頬が少し濡れていた。

 でも、気持ちを切り替えて戻らないと。この港を守った勇士のみなさんのためにも、私は笑顔を向けないと。薄手の袖で涙を拭い、ほうきにまたがって私は空に飛び上がる。


 弱く吹き付ける風は冷たくて、その風の音は寂しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る