第106話 「それぞれの戦場」
飛んできた少し大きめの鳥は、赤みのある紫の稲妻をまとっていた。その特徴的な見た目のおかげで、そんなに魔獣に詳しくない私でも、敵が
雷竜鳥は飛行速度の高さで知られていて、それともう一つ大きな特徴がある。
構えた長筒に右手からマナを注ぎ込み1発発射。すると、敵は放たれた弾に当たる前にその場で雷光みたいな閃光を放ち、鋭角的に方向転換して弾を回避した。身に危険が迫ると、ああやってありえない角度と速度で回避し、攻め手が緩んだ隙に突っ込んでくる、そういう魔獣だ。
対する私が構える長筒――書類上の名前は
色々ある欠点の中でも一番大きいのは、魔法の覚えがない人には負荷が強すぎて使えず、魔法の覚えがあればこんな荷物を持たなくてもいいってことで、そもそも使う意味がないってことだった。それでも、魔法が使えない環境、例えば王都の城壁内側とかで使うかもしれない。そういう考えがあって、工廠の軍装部がコツコツ改良を重ね、私が空戦用に片手で使える飛び道具にと、これでコツコツ射撃訓練を重ねていた。
練習のおかげで狙いはバッチリだけど、敵にはすぐに避けられる。遮蔽物がない空中戦では、敵の反応速度に対抗できない。それに、相手の隙を作るために射つたび、飛ぶためのマナからいくらか”銃”に持ってかれるのも問題で、攻撃の瞬間は浮力や推力がそれなりに犠牲になる。攻撃を避けられ、こちらの機動力が弱まったその隙をついて敵が飛び込み、すんでのところで回避する、そんな場面が何回かあった。私のことよりも、後ろに乗せた宰相様のことが気になって仕方がなかったけど、私が話しかけない限りは、宰相様は声もあげずに耐えていてくださった。絶対に勝たないと。
もっとも、相手も無尽蔵に飛び回れるわけじゃない。無茶な機動力を発揮するために結構マナを消費するようで、急旋回のたびに少しずつ羽にまとった雷電が弱まっていく。避けられる前提で、落ちついて対処していくと、やがて威圧的な紫の雷光が抜け落ち、ただの猛禽になった。
これが初陣になるのかな。そんな事を考えながら初戦果を撃ち落とすと、後ろから小さな拍手の音が聞こえた。振り向くと危ないので、無礼を承知でそのまま話しかける。
「申し訳ありません、処理に手間取ってしまいまして」
「いえ。今の戦いは国中探してもあなたぐらいにしかできないでしょう?」
「それは……そうかも、しれません」
「ある意味では、この国の歴史に残る一戦かもしれません。胸を張ってください」
普段ではお顔を合わせることもままならないようなお方に激賞されて、さっきまでの戦闘での消耗もどこかへ吹き飛んでしまった。それに、まだ飛び上がったばかりなんだ。またがった相棒を両手でギュッと握りしめ、宰相様に行き先を伺った。すると、何秒か考え込まれた後、「少し高度を上げて、王都全体を回るように飛んでください」と指示された。
王都の様子を空中から偵察する。敵はもう飛んでこなかった。早めに騒動の中心から離れたからかもしれない。飛んで王都を見ている間、私と宰相様は一言も発しなかった。耳元では心細い気持ちにさせる風切り音が、遠くでは避難誘導の声とか悲鳴とかが響いていて落ち着かない気持ちになった。
飛ぶことに憧れて今まで研究を重ねてきた。今、その夢がかなって空にいるわけだけど、私の夢ってこんなのだったっけと脳裏に影がよぎる。思い描いていたよりも、王都の空の空気は冷たくて、重々しくて、よそよそしかった。でも一方で、体の内側から湧き上がる熱いものを確かに感じた。眼下で戦う人たち、後ろに乗せたお方、そして私の友だちのためにも、負けてられないって、そう思った。
ときおり短い指示を受けて王都の空を巡回し、一通り飛び終えたところで、宰相様は南門の前に行くように命ぜられた。
言われたとおりに飛んでいき、城壁の外側に着陸しようとすると、人は少ないけど兵士の方がいくらか集まっていた。ほうきに乗った私達が下りてくるのに気づくと、兵隊さん方は宰相様の着地を、すごく固い表情で見守っている。
ゆるゆると下りていき、やがて音もなく足が地に着くと、宰相様は「ありがとうございます」と褒めてくださった。どうやら、この後は宰相様を乗せる必要はないとのことで、私は宰相様のハーネスを取り外していく。その間、集まった兵隊さん達に宰相様はよく通る声で指示を出された。
「まずは騎馬をこちらへ集めてください。伝令の数を確保します。それから外壁沿いに偵察を行いつつ、各門へ伝令。緊急事態のため、内側へ入ろうとするものがいた場合は引き止めてください」
「増援であっても、ですか?」
ごくごく当然の疑問だったけど、宰相様は首を横に振って否定された。
「この機に乗じて何者かが侵入するということも考えられます。特に、門衛の誰も知らない人間の侵入は阻止してください。増援を送り込む場合は、兵士ないし冒険者が何グループか集まってからとします。内部へ入った際も、決して単独行動はさせないように」
「はっ、かしこまりました」
「それから……城壁沿いの、地下水道への階段はすべて封鎖してください」
少し意外な命令に、私だけじゃなくって兵隊さん達もほんの少し不思議そうな表情になり、やがて隊長格の方が言った。
「実は、すでに同様の命を受けており、左右両方の壁沿いに伝令を向かわせております」
「すでに?」
「はっ、魔法庁長官から命を受けたという、同庁職員と冒険者の一団から連絡を受けましたので……状況が状況故に、偽報の可能性もありましたが……」
「いえ、良い判断です。助かりました」
空から見ていて、魔法庁の内部で何かあったんだろうなっていうのはすぐに分かった。広場中心の、一番激しいところで長官と”あの”室長が戦ってるっていうんだから。
地下水道には何度も入ったけど、この状況で優先的に封鎖するという、宰相様の意図はわからなかった。ただ、ここで追及するわけにもいかないだろうし、宰相様もそれ以上の説明はされなかった。
それから、兵隊さん方に指示と激励を送った後、宰相様は私の方に向かれておっしゃった。
「あなたはフォークリッジ伯の元へ」
「あの、着いてからはどうすれば?」
「例の依頼書を見せれば察してもらえるでしょうが……伯爵夫人をまずはこちらにお連れください。往復の間にも状況が変わったり、情報が入ったりという可能性があります」
「かしこまりました」
「では、よろしくお願いします」
そう言うと宰相様は私に頭を下げかけた。思わず恐縮してしまったけど、兵隊のみなさんも私に少し熱い視線を送っている。少し恥ずかしかったけど、やる気は湧いてきた。
門から伯爵家のお屋敷に向き直り、あらためて箒にまたがって、私は地を蹴り空に駆け出した。
さほど遠くない道中、アイリス様の顔が思い浮かんだ。背にはデッキブラシを背負っている。今乗っているほうきをアイリス様に乗っていただいて、私はデッキブラシでというつもりだけど、こんな今日みたいな日にあの方を乗せるのは、とても嫌だった。わたしなんかよりもずっと、こういう事態への覚悟をされているんだろうけど、それでも……もっと平和でなんでもない晴れの日に、まったり乗ってもらいたかった。きっと楽しみにされてただろうから。
そうやって少し暗い思いに囚われつつ飛んでいると、あっという間にお屋敷に到着した。裏庭からお邪魔したのでは失礼だからと、空中で正門の方へ回り込むと、庭で作業中の女の人が私を見上げていて目が合った。マリーさんだ。面識はないけど知っている。というのも、談話室でダベると、結構アイリス様がマリーさんのお話をしてくれるから。もっとも、逆に私の話もされてるだろうから、会ったこともないのになんとなく知人みたいに思っていた。
私の姿を認めたマリーさんは、少し驚いたような表情を見せてから、私の重武装ぶりに何か穏やかならないものを感じたみたいで、用件を言う前に「当主不在につき、伯爵夫人とご息女を呼んでまいります」と言って中に駆け込んでいった。独断専行っぽいけど、そういうのが許されているくらい信頼されてるんだなって、あらためて感じた。
地面に降りてから1分も経たないうちに、お屋敷からマリーさんと奥様とアイリス様が来られた。私が中に入ったほうが良かったのかも、そんなことを思いつつ、待つ間に懐から出しておいた依頼書を奥様に手渡した。依頼書は、いまや宰相様の署名も増えていて、とんでもないことになってる。それだけ事態の深刻さを告げているわけで、こっそり覗き見ていた私と同世代のお2人も、緊張に少し険しい顔つきになった。
依頼書から視線を外した奥様は、あまり考える素振りも見せずに即断し、私に向かって話された。
「シエラさん、現状で飛ばせるのはあなた含めて最大3人ってことでいい?」
「はっ、はい! デッキブラシに私と他にお1人、ほうきにアイリス様と考えてます」
「了解。では、私を乗せていってもらえるかしら。マリーは森へ走って、森の監視の方々に事態をお伝えして。あちらに仕掛けることはないでしょうけど、念のため」
テキパキ指示を出される奥様の言葉とは逆に、私の中で質問が湧き上がった。伯爵閣下はどこにおられるんだろう? 奥様は、あちらで何をなされるんだろう?
しかし、そんな私の心を読んだのか、奥様は私の肩に優しく手を置いて微笑まれた。
「聞きたいことがあれば、王都へ向かう道で話すわ。急ぎだから、ごめんなさいね」
「いえ、そんな!」
宰相様といい、奥様といい、目下の者にもこんなに物腰柔らかに接してくださるから、乗せる側としてはかえって緊張しっぱなしだ。それでも、私の研究や技量に信を置かれているようで、それは誇らしかった。
マリーさんの手も借りながら奥様にハーネスを付けていただき、デッキブラシに2人でまたがる。先端部へ梁のように走る3角形の枠組みに座ると、ただまたがるよりは楽だろうと思ってそうご案内すると、世辞かもしれないけど案外快適との評をいただけた。
続いて、アイリス様に用意したほうきについて注意を促す。
「アイリス様、今日のほうきは少し力が強いので、少しずつ慣らしていってください」
「わかりました」
工廠で乗っていただいた、あの超安全な試作と違い、今日のは実戦用の最下位程度のやつで、ちゃんと飛べるそれなりに危険なモデルだ。何かあったら取り返しはつかないけど、この方なら乗りこなせるだろうという直感はある。
空へ舞い上がる準備ができたところ、マリーさんが私に話しかけてきた。と言っても、「よろしくお願いします」という短い一言だったけど。でも、それがなんだか嬉しくて励みになった。笑顔でうなずいて返すと、あちらも力強い視線を返してうなずいてくれた。
地を離れ、空をほうきで駆ける。少し危険だけどチラッと後ろを見ると、アイリス様も難なく離陸し空を飛べているようでまずは一安心。高度は上げず人の背丈程度の高さで飛ぶけど、それでも馬が走るより速度が出ている分、バランスを崩せば大変なことになる。後ろのお方のことも考え、細心の注意を払って飛んでいると、そのお方からすごく気さくな感じで「何か質問ある?」と問われた。
「あの、伯爵閣下は?」
「Dランク試験を見に行ってるわ。あちらも戦闘でしょうけど」
「そうなのですか?」
「日程が変わったそうだもの。策の範疇でしょう、仕掛けないわけがないわ」
奥様は冷静にお答えになっている。心配じゃないんだろうか、気になったけどそんな事聞くこともできずにいると、逆に気持ちを見透かしたかのように言葉を続けられた。
「まぁ、あの人のことだからうまくやってると思うけど。今日はごちそうにするって言ってあるし」
「……そうですね。それで、奥様はあちらに着いたら」
「私は救護担当ね。あなたも知ってるんじゃないの?」
「それは、そうですが……」
奥様とは、実は面識があった。いつだったか忘れたけど、負傷者の手当とか、服毒した時の処置とか、そういった応急処置の市民講座で講師をなされていた。私が会った記憶があるってだけで、奥様は私のことなんて覚えておいででは無いんだろうけど。
奥様の治療術は有名で、衛兵隊や前線にも教えに行くというレベルらしい。だから、こういう事態でも救護に出られるってことなんだろうか。それでも、宰相様が直々に呼ばれるというのは少し気になった。
結局疑問が解消されないまま飛んでいると、不意に両手を肩に置かれた。肩を、もまれている。後ろからは、少しのんきな声が聞こえてきた。
「娘から話には聞いてたけど、聞いてたよりもカッコいい子だわ~」
「そ、そうですか?」
「ええ、すごくカッコいいわ。またそのうち、なんでもない日にのんびり飛ばせてあげてね」
「……はいっ!」
「ふふ、ありがとうね」
ほうきを飛ばして数分ぐらいだったと思うけど、王都の南門前につくと先ほどよりも少し人が増えていた。ただ事じゃない様子の騎手の方と、魔法庁の制服を着た方がいる。
ハーネスを取るのももどかしく、奥様が宰相様に「状況をお知らせください」とおっしゃると、私が発ったときから増えた情報について宰相様の口から語られた。
「王都以外で襲撃を受けたのは、闘技場と東の港です。闘技場にはゴーレムが出現、現在フォークリッジ伯が交戦中とのこと」
「港は?」
奥様が闘技場にさほど興味を示さず、すぐ港について尋ねられたことに、その場のみなさんが少なからず面食らい、宰相様もわずかに驚くような反応をお見せになった。
「港では、船荷の全身鎧が動き出し、人を襲っているとの事です。船員もすでに敵の手に落ちたようで、尋常ではないという様子だとか」
「人間側の指揮者はおられますか?」
「それが、常時詰めている警備兵以上の者はいないとのことです」
「……私の役目を、お聞かせ願えますか?」
するとそれまで冷静に淡々と答えられていた宰相様は、少し苦々しい表情になって答えられた。
「最悪の事態への備えとして、こちらにお控えください」
「救護の手は動いていますか? 時が来るまでは、そちらに助勢させていただきたいのですが」
「願ってもないことです、よろしくお願いします」
ご自身の身の置き場が決まると、奥様は目を閉じ数秒考えてからアイリス様の肩に手を置き、少し悲しげだけど力強い眼差しになって言われた。
「アイリス、あなたは港へ行きなさい」
その場の誰もが息を呑んだ。少し空気が凍りつく中、奥様は言葉を続けられた。
「今港には、人を導くものが誰もいないわ。そのままでは、そこで頑張っている方々に切り捨てられたと感じさせてしまう。それは避けなければならないわ」
「……わかりました」
「ごめんなさい、いつも1人にさせてしまって」
「いえ……大丈夫です」
それ以上、奥様は言葉をかけられないようだった。そんな奥様にアイリス様はニコッと微笑みかけ、ほうきにまたがろうとし……私はなぜかずいっと身を前に出して、アイリス様の手をギュッと握っていた。
急な出来事に、みんな驚いていた。当の私自身も。視線が集中して緊張し、顔が熱くなるのがわかったけど、それ以上に体中の内側が熱でいっぱいだった。
港の方、東の空には赤紫の煙が立ち上っている。きっとあの煙の下で多くの人たちが戦って……たぶん亡くなった方もいる。そんな死地に、私のほうきでアイリス様が飛んでいかれる。そう思うとたまらない気持ちになった。
でも、私なんかでは立ち入れない領域で、このご家族は覚悟を決められているんだろう。とてもじゃないけど引き止められないし、引き止めてはいけない気がする。だからって、黙って見送ったり半端な声援で送り出したり、そんなのも嫌だった。
握った手が、ちょっと汗ばんでいる。アイリス様は、ちょっと戸惑ったような笑顔のままだ。なんかすんごい不躾なことをしてしまってる気がするけど、この勢いのまま心の丈で全力の応援をしたい。無事に帰ってきてもらって、またいつか一緒に飛べるように。
「あ、あの……あー、アイリス! 私のほうきなんてぶっ壊れてもいいから! 遠慮なんてしないで、全力でやっちゃって!」
頭の中が真っ赤になるくらい熱でグラグラする中、なんとかそれだけ言い切ると、熱に浮かされたみたいな私とは裏腹に、アイリス――さん?――はとても落ちついていて、でも嬉しそうに「ありがとう」とだけ返した。まとった空気は、今日の天気みたいにほんの少し雲があるけど、晴れ渡っているみたいだった。
それから、その場のみんなに軽く一礼した後、ほうきにまたがってアイリスさんは飛び立っていった。地平線と水平線、そして赤紫の煙が交差するところに向かって。あっというまにその背中が小さくなって、見えなくなってもまだ、私はその場を動けずに見守っていた。
そして……少し勢いよく肩を叩かれて、私の時間が動き出した。後ろにおられた奥様のお顔は、嬉しそうな、それでいて少し切なげな笑顔だ。
「娘はいい友達を持ったわ」
「と、友達だなんて……」
「あら、違うの?」
「……そうありたいなって、思いますけど」
「だったら、もう友達よ」
奥様にそう言われると、嬉しくなったのと同時に不安も一緒にやってきた。気がつくと、私達以外のみなさんがそれぞれの仕事を再開している。宰相様も。
アイリスさんのことは心配だけど、無事を祈るだけじゃ友達でいられない。まだまだ私にできることはある、そう思ってデッキブラシ片手に宰相様へ近づくと、私に気づいた宰相様は、この場に似つかわしくない穏やかな口調で問われた。
「またお願いできますか?」
「はい!」
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