第105話 「王都の空へ」

 工廠の裏口から出た私達は、駆け足で王城へ向かった。護衛の1人の先導に従い、使ったことのない路地を駆け抜けていく。こんな天気がいい日なら、いつもは人でごった返してるだろうに、今日はあまり人とすれ違うことがなかった。たぶん避難の誘導が来るまでじっとしていると思われる人たちが、ときおり窓からほんの少し顔を出してこちらの様子を、本当に不安げな様子で伺ってくるのが印象的だった。

 遠く背後で聞こえる怒号や戦闘音が気になって振り返ると、不意に護衛の1人が話しかけてきた。


「なぁ、飛んでいかないのか?」

「あちらに話し付ける前に飛んだら、すごく怪しいでしょ。それに護衛の意味ないし」


 私の答えに、聞いてきた彼は「わかってるようで良かったぜ」と言って笑った。

 自分で言うのもなんだけど、私が研究してるほうきは、こういう状況だと本当に襲撃向きだと思う。もし私がほうきで空から王城へ急行したとして、それを救援や助勢と見るか、あるいは敵の手の者と見るかは宮廷の方々の判断次第で……高貴な方々を守る使命を持つ方々はきっと後者の判断をすると思う。

 そういった私の判断に満足そうな彼に、その表情の理由を聞くと、ギルドマスターから私が飛びかけたら制止するように言い含められていたらしい。


「さすがに、俺らよりも理解があるみたいで何よりだぜ」

「……まぁね」


 あまり認めたくはないことだけど、自分の研究を他人にどう思われるか、判断されるかを感じ取って慎重に対応するのは、本当にお手の物だった。

 そんな状況も、もしかしたら今日までかもしれない。中央広場では、”規制派”筆頭と言われていた長官補佐室室長が敵になっている。私の研究を押さえつけてきた彼が。それに、今向かっている王城から空に飛び立って活躍すれば、ほうきと私を取り巻く諸々の物事が一変するかもしれない。

 それなのに、気分は全く晴れやかにならない。こんな形での活躍やお披露目を望んでいたわけじゃない。それでも、きちんとやり遂げないと、そういって自分を鼓舞する気持ちも確かに感じた。胸にしまい込んだ、すごく偉いお2人の署名入りの依頼書が、少し重く、とても熱く感じる。私を認めてくれた、目をかけてくれた所長に、騒動の初期に私を頼ってくれたギルドマスターに、なんとかその期待に応えてみせたい。

 そして……


「おいおい、今のうちからあまり緊張するなよ~? 城の中に入ったらこんなもんじゃねーぞ?」

「お前入ったことあんの?」

「ねーよ!」


 笑いながら私の緊張をほぐそうとしてくれている、この護衛の3人のためにも、託された期待に応えて成し遂げてみせたい。緊張で固まった顔が、彼らのおかげでほぐれていくのが自分でもわかった。


「シエラちゃんさ、笑うと可愛いのな」

「バカ言ってないで、前向いて走って!」


 照れ隠しに大声を出すと、また3人は笑い声を上げた。いい人たちなんだけど、こういうところは、ちょっとね。


 幸い、王城へ向かう道中で魔獣には出くわさなかった。細かい路地を選んで、広場から離れるように動いているからかもしれない。

 そして、王城が近づくにつれて胸の鼓動が高まっていく。思わず胸に手をあて、服を握りかけた。依頼書がクシャクシャになるところだった。顔を上げて王城を見上げると、天をつかんばかりの白く壮麗な城が、私を見つめているような気がした。

 もうすぐ、あの城とおなじぐらい高いところを飛ぶんだ。そう思うと、体中の血が熱くなる。


 街と城内を隔てる城壁にたどり着くと、背丈ほどの槍を構える門衛さんが2人、私達の姿を見て表情を硬くした。普段なら決して中に入らないだろう、珍妙な客に向けて問いかけてきた門衛さんの声には、意外にも高圧的なところがあまりなかった。


「ご用件は?」

「これを」


 依頼書を取り出そうと胸に手を入れると、その場の空気が一瞬固まったのがわかった。何か怪しいものを取り出すと思われている。不審者をいきなり殺すことはないだろうけど、こんな非常時だとどういう対応を取られるかわからない。全身がうっすら汗ばむのを感じながら、私はなんとか依頼書を取り出せた。

 手渡された依頼書に目を通す門衛さんは、書類の内容の割には落ちついて見えたけど、ほんの少し視線が揺れているように見えた。やっぱり、ただ事ではないと思っているみたいだ。

 彼は依頼書を読み終えると丁寧に丸め、私に話しかけてきた。


「城内へ案内します。こちらの書類は、私がお預かりしても?」

「そちらの方が話が早そうですし、お願いします」

「かしこまりました。お連れの方々は、中にはご案内できませんので、ご了承を」


 むしろ中へ連れて行かれないほうが良かったみたいで、私の後ろから聞こえたため息には、残念よりも安心みたいな響きがあった。もうひとりの門衛さんに、用意してきた各種武装を預かってもらう。

 それから私は、ここまで護衛してくれた3人に向き直った。


「……行ってきます」

「粗相するなよ!」


 小声で笑いつつ、ちょっと緩めのガッツポーズで応援してくれる3人に、「飛び上がるまでは、ここで待ってて」と告げて、私は門衛さんに導かれるまま城壁を通り抜けた。


 真っ白な城壁は、王都外のメインの城壁よりもずっと薄く、危険な魔道具を弾くみたいな防衛機能はなさそうだった。そう思った時、ふと、そうやって周囲に視線をやって分析している自分に気づき、それを危うく感じて戒めた。王城で色々と詮索するような素振りを見せると、きっと良い印象は持たれない。

 門の向こうに広がる青々とした庭園には、色とりどりの花が植わっている。ちらほら小鳥たちの姿も見えた。無遠慮にやってきては、ここでくつろいでいるのかな。そう思うと少しうらやましい。ここがどういう場所か、考慮に入れなければ心落ち着く空間だけど、胸の高鳴りはまったく収まらない。依頼書を預けたのは正解だったかも。たぶん、私の手を離れて偉い方の手に渡るか、門衛さんが来意を告げてくれると思う。

 ただ……それでも、私が何か答弁しなければならない事態に陥るかもしれないけど。


 王城の目の前につくと、入り口すぐに大広間があるのがわかった。そこできらびやかな装いの方々が、心中を表すかのように右往左往している。

 門衛さんは、王城と地面を隔てる10段程度の白い階段を登りきったところで、私に待つように手で指示し、私はそれに従った。この場に似つかわしくない客の来訪に気づいたのか、高貴な方々の視線が私に突き刺さってくる。

 門衛さんが歩いていった先には、他の皆様方と違って1人冷静を保っているように見える、少し小柄な男性がいた。彼に門衛さんが依頼書を手渡すと、彼は依頼書に素早く視線を走らせ、こちらへ小走りになって近づいてきた。

「シエラ・カナベラルさんですね?」と確認する彼の声には、相手を落ち着かせるようなゆったりした響きがあった。


「はい」

「私は王国宰相のオズワルド・シュネーベルです」


 にっこり笑って手を差し出され、私はすごく戸惑い、求められるままにおずおずと手を差し出した。彼の手が触れて握手したのはわかったけど、感触が全然わからなくて、頭の中みたいにフワフワしている。まさか、いきなり宰相様に――国政の頂点の方に――お会いするとは思わなかった。

 狼狽する私に、宰相様はご自分の背で隠すみたいにして、手で小さく落ち着くようにとジェスチャーしてから向き直り、心配そうに事の成り行きを見ている方々――たぶん、朝臣の方々――に、依頼書の内容を告げた。


「……といった次第でありますので、まずは陛下のご意向を伺うべきかと」

「その必要はない」


 宰相様の発言に応えた、少し暗く乾いた声に、その場の私以外の全員が驚き、すぐさま声の方に向いて片膝をついて頭を垂れた。

 何事か察しはついたけど、信じられなかった。ただ、その場の皆様に合わせて対応することしかできず、私もひざまずいて頭を下げた。よく磨かれた白い床が視界いっぱいになった。私の顔がぼんやりと浮かんでいる。表情はわからないけど、たぶん見たこともない顔をしてると思う。


 すぐそばにいた宰相様が離れていく足音が聞こえ、それからすぐにその声が聞こえた。


「陛下。必要がないとは?」

「余はこの場に残る」

「しかし……万一の場合もございますれば」

「……それはない。あの手勢では、城には届かぬ」


 陛下のお声に慢心とか油断はなく、まるで「朝が来たら次は昼」みたいな、一般的事実を告げるように断定的だった。宰相様は、それ以上に言葉を返せないようで、陛下がさらに言葉を続けられた。


「そなたが外に出て指揮を執れ。皆にはそれが必要であろう」

「……はっ! 御命、謹んで承ります!」


 それから遠ざかる足音が聞こえ、ちょっとしてから皆様方が立ち上がって話し合う声が聞こえた。私は、なかなか立ち上がれそうもない。今更ながらに、とんでもない依頼の真っ只中にいるんだって実感した。

 でも、こんな調子では宰相様を不安がらせるかもしれない。きれいな、傷一つ無い床に向き合い、何回か深呼吸してから立ち上がった。

 目の前では、相変わらず混乱した様子の皆様方に、宰相様が何か指示を出しているのが見えた。明らかに1人だけ背丈が低いし、お召し物もそんなに豪華じゃないけど、宰相様が一番大きくて立派に見える。

 そして、一通りの後事を託し終えた宰相様が、私のところにやってきた。


「では、外に出ましょうか」

「は、はい」


 宰相様に言われ、王城に背を向けて駆け出した。背後では混乱したような話し声が聞こえ、遠く前方では戦いの叫びが響いている。どこに行っても混迷の中だ。王都に、こんな日が来るなんて。

 だけど、横で走る宰相様は平然として見えた。頭の中で何をお考えかはわからないけど、少なくとも混乱はしていないようだった。それがすごく頼もしい。


 立派な庭園も、走ってしまえばすごく短い距離だ。あっという間に門のところに戻ると、私は預けた武装を手に取った。デッキブラシと長筒を背負い、ほうきを片手に持って出撃準備を整える。

 護衛の3人は、私と一緒にやってきたお方の素性を知ると、途端にうろたえて恐縮し始めた。急に腰が低くなった冒険者に微笑みかけた後、宰相様はこの後の動きについて考えを告げられた。


「まずはシエラさんのほうきに乗せていただき、空から王都全体の様子を見たいと思っております」

「しかし、危険では?」


 ごくごく当たり前の質問を護衛の1人がする。ついさっきまで割りと軽い調子でやってただけに、そのギャップに少し戸惑った。彼の疑問に答えるため、安全対策に用意したハーネスを皆に見えるように指差しながら話す。


「これで私と宰相様をくくりつけ、ほうきにも結びつければ2人で乗れます。ほうきで2人分の荷重に耐えられることも実証済みです」


 私の方の対策には納得いったようだけど、それでも3人は不安げだ。もはや戦地になった王都の空を飛び回ることに、それも宰相様みたいな大変な要人を連れる事自体に懸念があるみたい。

 3人が表明した心配に対し、宰相様は穏やかな口調で答えた。


「全体の情報を早く手に入れ、的確に指示を出す必要があります。私が危険に尻込みして対応が遅れれば、さらに臣民の命や財貨が脅かされるでしょう」


 口調は穏やかだけど、視線には強い光がある。3人が反論できずに黙りこくると、宰相様は表情を和らげた。


「しかし、私とて無駄死には怖い。危ないと思ったら地に足つけて走り回るとしますよ」


 少しだけおどけた感じでそう言うと、3人はちょっと笑った後私に顔を向けた。1人が私の顔を見つめながら話しかけてくる。


「しっかりな」

「うん」


 ハーネスの装着が済み、2人でほうきにまたがる。宰相様に、ほうきの柄を力強く握っているようにお願いした後、私は見守る3人に手で離れるように伝えた。

 ふと、背後からの視線に気がついて振り返ると、門衛のお2人が直立不動で私のことを見守っている。力強い視線は、宰相様ではなく私に向けられているのが自然とわかった。そちらに無言でうなずくと、お2人は敬礼した。思わず胸が熱くなる。


「……離陸します!」

「はい」


 人間2人を宙に浮かせるための力が私達を中心に集まり、わずかに藍色に染まったマナの奔流が、地へ縛る力を断ち切るように渦巻いて、やがて音もなく私達は空に浮かび上がった。下で歓喜の声援が響いている。

 どんどん高度が上がると、見慣れた王都が全く別の様相になっていく。整然とした区画が、パステルカラーの屋根でできた、ちょっと可愛らしいモザイクのタイルで埋め尽くされている。

 そして……中央広場に赤紫の禍々しい渦が、そこから放たれる魔獣が見えた。それと、私達へ向かう一羽の何かが。どうせ魔獣だ。


「敵襲です! 多少激しく機動しますが、ご了承ください」

「大丈夫です、ご遠慮なく!」


 私の少し不躾な大声に、宰相様は大声で返答なされた。

 初めて飛んだ王都の空で死ぬわけにはいかないし、後ろのお方も絶対に死なせちゃいけない。実戦に高鳴る鼓動を感じながら、私は背負った長筒に手を伸ばした。

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