第104話 「中央広場の攻防」
赤紫に輝く即席の門から飛び出してきた魔獣は、最初のうちは小動物だった。それも最初の、ほんの数分程度の話だったが。次第に出てくる魔獣は大きさを増していき、今では大柄の野犬程度の、敏捷で獰猛な魔獣どもが繰り出されてくる。
ただ、こちら側も負けてはいないというか、避難誘導の叫び声に呼ばれてやってきた衛兵隊の方々や冒険者のみんなが手助けをしてくれている。魔法を使えないという不利を承知の上で。
中央広場沿いの商店の方々も、僕らの戦闘に協力的だ。本当はすぐにでもその場を離れて避難してもらいたいところだけど、不用意に外に出ても危ないのは確かで、いっそ中にこもって僕らに助勢したほうが安全なのかもしれない。魔獣に向けて投げつける武器が無くなったところ、すぐそばの飲食店2階の窓からカトラリーがこちらに放り投げられた。ピカピカに磨き上げられたナイフやフォークは、さすがに投擲用というわけじゃないが、丸腰で魔獣に相対するよりずっといい。
前の様子をうかがい、腰を落として武器を確保しようとすると、前方から
今にも死にそうな声を出して苦しむ狐を即席の盾にし、広場中央の敵に相対する。先ほど
戦闘は、奇妙な膠着状態に陥っている。騒動が始まってから10分も経過していないとは思うが、周囲の騒ぎが収まらないなか、最前線に身を置く僕は、逆に思考が落ちついていくのを感じた。
ここまでのやりとりで、敵の首魁である室長について、なんとなく察しがついたことが2つある。
まず1つ目は、繰り出す魔獣は奴の手勢ではなく、奴の同胞が送り込んでいるものだろうということだ。多種多様な魔獣が送り込まれていることからも察しがついたが、それ以上に統制の取れてなさ、無秩序な攻勢のありようから、おそらくは現場にいる奴の意思とは無関係に動いているのだろうと推測できる。先程あげた声は、狐の”主人”に向けたものなんだろう。
そして2つ目は、おそらく奴は戦闘に関しては不得手ということだ。これも”演技”という可能性はある。ただ、魔法庁に身をおいていた当時から、奴が現場――賊党の制圧など――に参加したという話は聞かず、もっぱら庁舎の中で指示を出す事が多かった。立場上ゆえかもしれないが、現場から離れていたブランクがあるのは確かだ。僕が逆の立場であれば、たぶん何人か殺せたであろう好機をフイにしている。
僕に向けて散発的に射ってくる魔力の矢を、手にした皿で適当に迎撃する。身をかわせば避けられる程度の攻撃ではあるが、奴に対して挑発する意図でそうしている。そのおかげか、僕の装備が他の応戦者より貧相だからかはしらないが、奴の標的は僕に固定されたままだ。しかし、僕を狙う魔力の矢の頻度も少しずつ減っていって、奴は門の維持と安定化に専念しだしたように見える。
奴に向けてどこからか矢が放たれた。矢は寸分違わず奴の眉間に向かっていったものの、門から溢れ出す赤紫のマナの奔流に呑まれ、地に落ちた。魔獣に応戦する人の輪に、落胆と怒りが波のように伝播していったのがわかる。魔法が使えない中、弓で狙ってもあの通りとなると、奴を倒す手立てはないように思われる。
いや、そもそもこの状況を作られた時点で、奴を倒すことは不可能だろう。可能性があるとすれば、王都全体の封を解いて魔法を解禁するぐらいだが、それこそ奴らの目的のようにも感じる。あるいは、この状況を打破する手立てを僕らが持っているのかどうか、それを確かめたがっているようにも思う。晴れ渡る晴天の向こうに、僕らを眺める何かの視線を感じた。あるいは、目の前の敵を通して状況を観察しているのだろう。
この状況でも、魔法を使う方法は確かにある。上着のポケットに忍ばせた腕輪が、まさにそれだ。しかし、それを使ったところで奴を殺しきれるとは思えない。魔獣をひっきりなしに繰り出してくるものの、奴らにとって門の本質は自己保全だ。その気になればすぐ逃げ込める。殺しきれない程度の奥の手をさらけ出しても、奴らにとっては追い銭にしかならない。
ならば、肉弾特攻をかけるべきか。しかし、1人で向かったところでうまくいくとも思えない。だからといって、他の命を博打には使えない。
軽々に判断を下せないなか、時間だけは歩み遅くとも確実に過ぎていく。
そんな微妙な拮抗状態に焦れたのか、西区につながる大通りを守っていた衛兵の1団のうち、5人が喚声をあげながら奴へ突撃する。すると、門からはひときわ大きな赤紫の触手が伸び、飛び出した硬貨の核にまとわりついては急激に形をなして、巨大な魔獣に変貌を遂げた。
化け物が口を開けると、こちらにまで匂いが伝わりそうな、うっすら赤い呼気が漏れた。突撃した5人のうち、3人は立ち止まってすぐに身を翻して退却した。1人はその場に立ちすくみ、膝を曲げて座り込んだ。もう1人は破れかぶれになってそのまま突っ込んだ。
化け物が大きな口を開け咆哮すると、街全体が震えるような大音響に襲われた。叫び声に続いて街中のガラスが共鳴し、まるで逃げ場のない牢に囚われたような錯覚に陥る。
僕は彼の死を予感したが、そうはならなかった。咆哮のため首を持ち上げた化け物の目に、矢が突き刺さった。それからテンポよく第2、第3の矢が目に突き刺さっていき、化け物は矢が放たれた方に首を向けた。奴の開きっぱなしの口中に、さらに矢が何発も射ち込まれ巨体が怯む。身を伏せるように前傾したところ、さらに矢が飛ぶ。首から尻に至るまでの、背骨を丁寧に縫い付けるように等間隔で。
化け物は耐えきれなくなり、完全に足を曲げてその場に伏した。ご丁寧に、伏せた足にまで矢が飛び、犬は動かなくなった。突撃した彼は、一瞬立ち止まりそれからすぐに持ち場へ戻った。賢明な判断だと思う。門まではまだまだ距離があった。1人突撃したところで、敵に首を献上するだけだ。彼が撤退したことで、結局は大物を誰かが討ち取った事実だけが残った。門を取り囲む防衛線に歓喜の叫びが満ち、士気が高まっていく。
しかし、いつまでもこんな戦いを続けられるわけじゃない。他の場所で起きているという騒動も心配だ。倒れた大物を一顧だにせずこちらに向かってくる魔獣と、ときおり思い出したように放たれる魔力の矢をあしらいながら、僕はこの先の戦いをシミュレートした。
ここの防衛線は堅持した上で、何か一手が必要だ。
☆
冒険者ギルドの大会議室で、ギルドマスターのロイド・ロックウェルは、テーブルに広げた地図と書類を苦々しい表情で睨みつけた。
今回の騒動は明らかに計画的なものだ。今日おこなわれるDランク試験は、参加人数と参加者の戦闘力の都合上、各試験の中でも一番ギルドへの負担が大きい。その埋め合わせに、普段はあまり依頼に出させない副長2人までも駆り出している。年間でも、依頼なしで暇している”遊兵”率が一番少ない日だ。
腕の立つ冒険者の多くが王都を出払っている。そのことをよくわかっているのか、受付を始めとして事務方の職員は浮足立っている。ただ、ロイドには、そんな部下を責めようという気が湧いてこなかった。責めるならば、こういう事態もありえるとして相応の訓練を施さなかった、自分たち幹部の見立ての甘さだ。
しかし、事務職のみなが浮足立つ中、書類をかき集めては懸命にペンを走らせる受付の姿がロイドの目に止まった。実質ナンバーワン受付のシルヴィアだ。ロイドが近寄り、「何をしている?」と聞くと、シルヴィアはペンの勢いそのままに答えた。
「試験参加者の名前は控えてあるので、今日出てる依頼の書類と合わせて、誰がどこにいるのかまとめた今日の冒険者登録名簿を作ってるんです」
「なるほどな……よし、君等も手伝おうじゃないか。そっちのほうが気が紛れるかもしれんぞ」
意識して軽い調子で事務員たちに語りかけ、シルヴィアの手伝いをさせると、仕事をしている方が気が紛れるのかみるみるうちに即席の名簿ができあがっていく。外に出てる者、王都の中にいる者、試験に出てる者を網羅したリストだ。
「次は王都の地図に、いるはずの人を書き込んでいきましょう!」
シルヴィアが音頭を取って、王都で待機中の冒険者がいる宿に点を打ち込む。そのうち、すでにギルドに顔を見せた者の宿にはレ点を打って、少しずつギルド内の戦力分布がはっきりしていく。
ロイドは、自分の指示を待たずに率先して動き、年上の同僚まで巻き込むシルヴィアの行動力に感嘆し、頭でも撫でてやろうか考えたところ、彼女の体がほんの僅かに震えていることに気づいた。こうして気丈に振る舞っているようでも、やはり恐ろしいものは恐ろしいのだ。しかし、だからこそ同じような立場の人間の心に火をつけ、一緒に動かせるのかもしれない。
「……シルヴィア、少し頼み事がある」
「どうしました?」
「魔法庁へ行くんだ。護衛は3人つける」
洞察力のある彼女でも、急な依頼にはわずかに戸惑っているようだ。ロイドはそんな彼女に微笑みかけ、強い視線を投げかけて言葉を継いだ。
「あそこの連中が、指示もないまま手を持て余しているようなら、お前の言葉でケツを叩いてやるんだ。彼らが秩序だった動きをしているなら、連携を取り合えるようこちらまで連絡網を構築してくれ」
「……マスターが……いえ、ここから動けませんよね。でも、私でいいんですか?」
明朗快活な彼女らしくない、少し気後れした声の調子だ。そんな彼女に、ロイドは発破をかける。
「お前みたいな若い奴の言葉が、連中には一番効くと思ってな。それに、ワシが出ていったんじゃ、実質命令や依頼のようになる」
「では、私の場合は?」
「せいぜい、若いやつの暴走ってところだな。何かあっても責任は取るから、お国のために一緒に走らせてやれ。そうじゃなきゃ、奴らはもう自分の足で立てなくなるぞ」
ロイドがそこまで言うと、発言の意図を察したのかシルヴィアの頬に少し赤みがさし、事務所横の部屋に控えていた浮動戦力に声をかけて出陣準備を始めた。
「じゃあ、一緒に頑張ったと報告書に書けるようにしてきます!」
「頼む」
「……まったく、こういう無理難題を平気で押し付けるんだから! ちょっと何か考えといてくださいねっ!?」
笑顔で不平を垂れる自慢の部下にロイドが金一封を約束すると、彼女は護衛の3人に向き直り、「やりましたね、みなさん!」と言った。このままでは支払対象が増えるところだが、ロイドはそれでもいいかと考え、苦笑いしつつ手で4人を送り出した。
嵐のような4人が駆け出していくと、事務室は急に静かになった。ロイドは再び、部下たちが点を描き込んでいる地図に目を落とし、考え込んだ。
「……マスター?」眉間にしわを寄せて沈思黙考するギルドマスターに、ただならぬものを感じた事務員の1人が問いかけると、ロイドはその場の全員に聞こえるように言った。
「魔導工廠に用ができた。これから数分、この場を離れる。作業は継続するように。何かあったらスティーブに指示を仰げ」
事務室端の椅子に座る、古株の冒険者に目線をやって一時的な裁量を託すと、ロイドはギルド裏口から裏路地を通って魔導工廠へ向かった。
魔導工廠は、普段からは考えられないほど騒がしかった。それでも統制は取れた動きをしているようで、今は地下通路を使って近隣住民を安全な格納庫、実験室へ誘導しているところだった。
ロイドは、職員の1人を捕まえ工廠の所長とシエラの居場所を尋ねた。すると、職員は少し驚いてから2人が売店にいることを告げた。
「所長」
「マスター……やっぱり、この子か?」
ロイドが話しかけると、所長は用件を察したように返し、傍らのシエラに視線をやった。彼女の手には、ほうきがある。
2人の姿を認めると、ロイドはわずかに口の端を吊り上げて言った。
「所長の一存じゃ、この王都で飛ばせんだろう。ワシの首をかけて依頼書を持ってきてやったぞ」
「……こういうことは、本当に用意がいいなぁ」
所長がぼやきながら、ギルドマスターの承認印入りの依頼書を受け取り、そこにサインした。内容は空白だ。今から大急ぎで依頼内容を決めることにはなるが、2人の腹は決まっていて後は実行者次第だった。
所長が気遣わしげな視線を部下に送ると、シエラはほんの一瞬だけ、少し暗い顔を見せた後強くうなずいた。
少し苦い表情で部下の決断を見届けた後、所長はギルドマスターに向き直って依頼内容を詰めて行く。
「どうする?」
「王城へ向かってもらう。救出が必要であればそのように。不要ならば宰相殿を外へ」
「宰相殿を?」
「全体の統括役が必要だ。王城に閉じ込められたんじゃ、そうもいくまい。それに空からならば情報を待たずに全体を把握できるだろう」
「なるほどなぁ」
「無論、あちらに考えがあればそれを優先するが……ギルドとしては王城への派遣と、必要であれば貴人の救出、宰相殿への協力を要請する」
「了解した。私も署名しよう」
所長が手早く依頼を書き上げていくと、ロイドは思い出したように付け足した。
「宰相殿の判断次第ではあるが、伯爵家への協力要請もしてもらえんか? 飛べば速いだろう」
「すでに足で向かってるかもしれんが……いや、往復時間を考えると空のほうがいいな。外がどうなってるかもわからん」
所長は依頼を書き進めながら、部下にほうきをもう一つ用意するように指示を出した。勢いよく走り出すシエラを見送ってから、ロイドは何気なく問いかけた。
「もう一つ? スペアか?」
「いや、伯爵閣下の娘御が使えるんだそうだ」
所長の発言に、ロイドは少し目を丸くした。
「それは知らなんだな」
「まぁ、どれぐらい飛べるかは私も知らん。何かあったら、一緒に首でも切るか」
「そうだな」
依頼書に伯爵家への協力要請と、ほうき使用の打診も付け足したところで、ロイドは所長と固い握手を交わし、自分の職場へ向かった。
それから1分も経たないうちに、軽く息を上げながらシエラが戻ってきた。ほうき片手に、背にはデッキブラシと長筒を交差して背負い、胴体にはハーネスを装着するという重武装だ。
「すまんな、こんなときに飛ばせて」
「いえ、こういうのも織り込み済みですし……気遣いが嬉しいです」
緊張した面持ちに落ちついた口調で答える部下に、所長は歩み寄っていき肩をたたいた。
「がんばれ」
「……はい!」
思い切った表情で売店から駆け出したシエラを待っていたのは、冒険者の3人組だった。売り子をやっていたおかげで、互いに面識はあるという仲だ。
「よっしゃ、行こうぜ」
「うん」
手際よく用意してもらった護衛を付け、シエラは王城へ向かった。
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