第103話 「王都の一番長い一日②」

 庁舎を出て、僕らは中央広場へ向かった。いつもの町並み、行き交う人々の日常に、違和感は覚えなかった。しかし胸騒ぎは止まらない。知らされているから、というのもあるだろうが、普段とは空気感が違っていた。

 僕に従い、無言でついてきてくれているエリーも、少し緊迫感を漂わせている。それは、僕のが伝染しただけかもしれないけど。彼女は辺りの通行人が途切れたのを見計らい、少し歩みを早めて僕に近寄り問いかけてきた。


「何があったのですか?」

「ちょっとタレコミがね。杞憂に終わればいいんだけど、念のために調査を」

「……かしこまりました」


 それ以上の追及はなく、また彼女は静かについてきてくれた。天文院の彼から知らされた情報――中央広場のマナの乱れ――が、間違いなく意図的に仕組まれ起こったものだとしても、現地で確認するまでは認めたくないという思いが確かにある。一方で、今日のこの日にあの連絡を受けたことに、状況を仕組んだ相手の思惑を感じずにはいられない。

 思考が定まらないまま中央広場まで走ると、そこには自分の部下がいた。動悸が強くなるのを覚えながら、僕は彼に「室長」と呼びかける。

 すると、僕に背を向けている彼は、わずかに体を震わせた後ゆっくりこちらに向き直った。口を開け、放たれた彼の声は、いつもどおりの落ちついたものだ。


「長官、どうなされました?」

「いや、今日はDランクの試験日だからね。見に行かなくても良いのかな、と」

「……いつまでも私が出張っていたのでは、他の部署が良い顔をしませんので」

「日程変更を切り出したのは君だろう? ならば、現地でその影響を確認するべきだとは思うけどね」


 僕が指摘すると、彼は黙り込んだ。表情はそのままだったが、体には鋭い緊張感がみなぎっているように感じられる。

 彼は極力平静を保っているようだったが、今ここに至るまでの様々な情報や記憶が、僕の頭の中で大音響の警鐘を鳴らしている。彼は敵だと、僕を永らえさせてきた経験と本能が叫ぶ。勘ぐられないように、体勢を少し崩しつつ腰のポケットに右手を突っ込んだ。左手ではエリーに後ろに回るように指示を出す。

 チラッと見えた彼女の顔は、さすがに実戦経験豊富なだけあって、冷静さを保ちつつも、何かしらの不穏さを敏感に感じ取ったような切迫感を漂わせている。

 彼女から視線を切り、室長に向き直った。ここから彼を連れ出すべきか? いろいろな可能性が頭の中で交錯する。


「今日の試験は、何かと気にかかる事柄も多いからね。特に予定がなければ一緒に見物でもしないか?」


 できる限りフランクに話しかけると、無表情のまま聞いていた彼は、何秒かしてから声を上げて笑い出した。普段は見せない態度に、胸中が少しずつ冷えていくのを感じる。

 笑い止むのを待つと、彼は人を小馬鹿にしたように口の端を吊り上げてから言った。


「申し訳ありません、いきなり笑ってしまって」

「珍しいものが見れたよ。そんなにおかしかったのかな」

「長官から、そういったお誘いを頂けるとは思いませんでしたので。良い記念日になりそうですよ」


 表情を切り替え、いつもの静かな顔に戻った彼は、懐に右手を伸ばそうとした。目がその動きを捉えたときには、僕の体はすでに反応していた。ポケットに伸ばしていた右手から細い投げナイフが飛び出す。

 投げつけられた彼は、たじろいだ。突然の凶行に身動きも取れず、ただ右腕にナイフを受けるしかなかったようだ。彼を容疑者ではなく、敵と判断した本能の確信は、彼に近づくにつれて少しずつ強いものになっていく。彼に近づくにつれ、マナの乱れが強くなるのを肌で感じた。事態を遠巻きに見守っていた人の輪から、悲鳴と当惑の声が聞こえる。

 僕の後を追おうとするエリーを手で制止し、「次長、避難誘導を。民衆をここに近づけるな」と命ずると、何の反論もなく彼女は命令を受け入れ、粛々と遂行を始めた。

 再び室長に目を向けると、ほんの短い間狼狽した彼はすでに立ち直り、何か考え込んだ後上着を脱ぎだし地面に捨てた。そして、脱ぎ捨てた上着の胸ポケットを踏みつけようとする。

 再びナイフを、今度は胸と顔に投げるも、また右腕で受けられ、痛みに顔をしかめながら彼は上着を踏みつけた。周囲のどよめきにまじり、何かガラスのようなものが割れる小さな音が確かに耳に届き、一瞬場が静かになった。かと思うと、彼を中心に空気が捻じ曲がるような渦が発生した。目に見えるレベルのマナの乱れが生成されていく。歪んだ空気の渦の中にいる彼にナイフを投げつけるが、もはや届かない。彼がゆったりと掲げた左腕から、マナの矢が放たれナイフを迎撃した。ナイフが地に落ちる音が鳴ると、数瞬してから大きなざわめき――もはや悲鳴に近い――が、周囲から聞こえた。王都の内部では魔法を使えない、その常識が破られた。

 周囲の混迷を楽しむようにしている敵は、1人だけ魔法を使える優位を勝ち誇るかのように悠然と動き、空気の渦を背にした。なおも乱れ捻じ曲がった空気の渦は、やがて破局的な変化を迎え空間に亀裂が入った。その亀裂からは……赤紫のマナが染み出している。そして、マナが渦に巻き込まれて赤紫の渦になり、敵はそこに魔法陣を書き込んだ――人の背丈ほどもある、”あちら”との門だ。

 敵が構えを取ると、門からは小型の魔獣が2体飛び出してきた。幸いなのは見知った種類ということと、すでに可能性だけは考慮できていたことだ。精神を集中させ、連中の急所にナイフを投げつけてやると、すぐに2匹は硬貨になった。しかし、どうせまたすぐに増援がやってくる。門から飛び出した硬貨に、赤紫のマナが集まっては、魔獣が形成されていく。

 広場周りの避難は済んだようだった。エリーが指示を求めてやってくる。


「……仕掛けがこれだけとは思えない。魔法庁に戻って、信頼できる人間だけを庁舎に残して、後は出動させてくれ。衛兵隊と緊密に連絡を取り合うように。人命最優先で頼む」

「……長官は?」

「奴の相手をする」

「……かしこまりました、ご武運を」


 魔法を使えない状況で、魔法と魔獣を操れる敵を相手取る。そのような不利な状況でも、さすがに退くわけにはいかなかった。被害を抑えるためにも、ここで踏みとどまって魔獣を倒さなければならない。それに、僕の本能は特に身の危険を訴えているわけではない。ならばやることは1つだった。

 命令を受けて駆け出し、大声で衛兵たちとやり取りする彼女を、心底頼もしく思えた。古株で実力もある彼女の言葉であれば、きっと僕よりも庁内のみなに効果的に届くだろう。

 部下に指揮を託し、魔獣をナイフで倒していく。しかし、そんなに残弾があるわけじゃなく、すぐに切れてしまった。そんな僕に、これ見よがしに敵は魔力の矢マナボルトを射ってくる。視線が合うと、憎らしい微笑みは浮かべつつも、僕に語りかけてくる声には悲哀のようなものが混ざっていた。


「実を言いますと」

「ここだけじゃないんだろう」


 言葉を先取りしてやると、敵は少し呆気に取られたような顔をしてから、東の空を指差した。すばやく視線だけそちらに走らせると、青々とした晴天に赤紫の煙が上がっていた。



 王都中央広場の騒ぎの少し前、王都東の港にて。

 今日受ける船荷は大荷物ということで、大勢の労働者が手際よく港を動き回っていた。

 港町全体を望める見晴らしの良い屋上席から、その様子を目を細めて眺める恰幅の良い商人が、同業者に自慢気に話しかける。


「大きな商談が上手いことまとまりましてな。最高級の全身鎧を60ほど」

「ほう!」


 同業者が思わず感嘆の声をあげると、商人はますます得意げな顔になった。大商談に関心した別の商人が話に割って入る。


「よくもまぁ、そのような商談がまとまったものですな」

「そこは政治力と言いますか……」


 一度言葉を切った商人は、苦笑いして首を軽く横に振って訂正した。


「魔法庁の後押しもありましてな。魔法に頼らない戦力が整えば、あちらの管理もやりやすいのでしょう」

「ふむ」

「まぁ、ウチはそこでうまい話に乗ったというわけですな」


 昼前ということもあり、軽食と茶を楽しみながら商人たちが歓談していると、話に上がった船がみるみる近づき興奮も次第に高まっていく。


「下りて立ち会いますか?」

「いえ、邪魔にならないように見守りましょう。港側の荷受けが完了してからが、私の出番ですな」


 大商談をまとめた余裕を出そうと、場の興奮を押さえつつ商人が言うものの、彼が微妙な身振りで一番ソワソワしていることを同業者が指摘すると、座で笑い声があがった。


 船が所定の位置に留まり、渡り板がかけられるその少し前に、港の物見は違和感を覚えていた。船員の様子がどうもおかしい。手際よく動いてはいるものの、無駄な動きがなさすぎる。動いて止まってまた動いて、その繰り返しで、あまりにも遊びのようなものがない。

 物見は上席者に相談するか迷ったが、これから荷降ろしが始まるという時に余分なことを言うのもはばかられ、事が済んでから昼食時に切り出せばいいと考え直した。


 積荷を下ろす前に、まず検品にと港を管理する事務員と、そこに詰めている護衛2人が立ち会おうと船の甲板に足を踏み入れると、彼らは異臭に顔をしかめた。「なんだ、これは」と狼狽する事務員に対し、護衛の1人は長年の経験から、その匂いが死臭であると察知した。

 彼が船員に視線をやると、誰も彼も平然としている。しかし、服にはところどころ赤黒く染まった点々があり、そして船員の一部は不自然に首を傾げ続けたままだった。

 ただならぬ様子に事務員を退去させ、増援を依頼すると、船員が護衛の1人に掴みかかった。掴む力が人間離れしている。つかまれた腕にありえない力で手が食い込み、思わず悲鳴を上げかけると、その手が切り落とされた。

 同僚に助けられた安堵に浸る間もなく、緊張は一層高まった。手を切り落とされ、突き飛ばされた船員は、右手を失ったまま駆け寄ってきた。それに呼応するかのように、他の船員達も渡し板の方へ殺到してくる。


「クソっ、何なんだ一体!」

「一旦引くぞ!」


 剣を振り回して応戦しつつ港へ戻ろうとする彼らは、そこで信じられないものを見た。積荷だったはずの鎧が、誰にも着られないまま歩き出した。

 そして、船のメインマストにある物見台から、赤紫の煙が上がった。



 闘技場中央部に集まった受験者は、だいたい50人ぐらいってところだ。結局、例の室長さんの姿は見当たらない。安心といえば安心だけど、見えないところで何か企てられているような、落ち着かない感じも確かにある。

 Eランクとは違う難易度の試験を前に、場の緊張もどんどん増してくるなか、受験生の一角から「なんだ、あれ」と声が上がった。

 反応の波がこちらまで伝わってきた。ざわめきに包まれながら、皆の視線を追うと、東の方の空に赤紫の煙が上がっている。観客席の方からも、どよめく声が聞こえる。あちらのほうがよく見えるんだろう。

 何事か起こったんだろうか。試験の説明を始めようかという矢先に起きた変事に、受験者の前に立つ監督責任者のもとへ他の職員の方が駆け寄り、短くやり取りした後、責任者の方が大声を上げた。


「一度試験は中止します。回廊部分へ戻って待機を。状況によってはギルドを通さずに出動要請がある可能性がありますので、そのつもりでお願いします」


 彼が言い終わると、ぞろぞろ受験者が回廊部分へ歩き出した。そのとき、また別の誰かが声を上げた。「おい動いてるぞ」

 みなの視線が集中するその先を見ると、闘技場の隅の一角、監督者の方々の背後にある、布を掛けられた資材のようなものの山がうごめいている。それが何なのか職員の方々も知らないようだったけど、それゆえにか彼らの動きは早く、責任者の方を残して他の職員の方々は中央部から早く退去するよう誘導を始めた。

 そのうごめく山から、何かが上空に飛び上がった。覆いかぶさった布が剥がれると、あらわになったのは薄い三角形の、ガラス板のようなものだった。薄っすらと藍色に光っている。

 そして、山の本体が身を起こした。巨体に見合わず、滑らかに音も立てずに起き上がったそれは、2階建ての家ほどもある大きさの……


「おい、ゴーレムだぞ!」


 受験者の誰かが悲鳴のような大声を上げ、みなが出口へ殺到した。

 そのゴーレムは、薄い藍色で光沢のあるなめらかな素材でできていた。水晶か、金属か。ともかく、岩以外の何かでできているように見える。

 逃げる人の波に押されるように駆けつつ、後ろの様子をうかがっていると、飛び上がった2つの三角形の藍色の輝きが増し、一方から矢が放たれた。狙われた監督者さんは、かろうじて光盾で対応したものの、衝撃に吹き飛ばされ地面に転がった。もう一方の三角形からも、矢が放たれる。標的の彼は地面を転がり、その勢いでかわしつつ立ち上がって叫んだ。


「ここは囮になるから、全員早く撤収!」


 しかし、彼の叫びも虚しく、またマナを貯め終わったと思われる三角形のビットから放たれた矢は、逃げ惑う人の群れに向かった。矢が誰かに当たる、そう思った時、紫色の盾が宙に輝き矢を受け止めた。

 そして、逃げ惑う人の動きとは逆に、観覧席から誰かが飛び降り中央に向かった。駆け寄ってくる接近者の方が一瞬顔を向けると、監督者は少しすっとんきょうな大声を上げた。


「閣下ぁ!? なぜこのようなところに!?」

「おかげで助かっただろう? 囮は私が務める、きみは皆へ指示を」


 囮役をバトンタッチした閣下は、これ見よがしに紫の盾を掲げて見せた。ゴーレムとその主に、獲物が来たとでも言うみたいに。

 その閣下の背中は、いつもよりも大きく感じた。ただ、心配も確かにある。

 みたところ、閣下は丸腰だってことだ。

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