第102話 「王都の一番長い一日①」
9月5日9時。
Dランク魔導師階位認定試験の実技を1時間後に控え、闘技場の回廊部分には静かな緊張感が満ちていた。
Eランクのときよりも受験者は少ないはずだったけど、あのときよりも闘技場の中は人の気配が多い気がする。本から目を上げてあたりを見ると、どうも付き添いの人が多く来ているようだ。それと、何か別に目的があってきていると思われる人たちも。受験者に紛れ込むようにしているそういった人たちは、傍目から見ると俺達冒険者と大して変わらないようにしか見えないけど、ここに足しげく通った受験者からすれば、顔を知らない部外者ということで、割りと見分けるのは容易だった。
スカウトマンなのか、あるいは受験生の身辺調査を行う魔法庁関係者なのか。あたりの様子を伺いながらぼんやり考えていると、後ろから声を掛けられた。
「よう、元気か?」
「まーぼちぼち、そっちは?」
「まぁまぁかな」
エリーさんとの練習が終わってからというもの、闘技場で練習に明け暮れていると、知り合いが急に増えた。どうも、俺というよりエリーさんに興味があったものの、遠慮して近づけないでいたようだ。
それが俺一人だけになると、
試験に出ない魔法だとしても、そういった魔法を通して全体の力量を養うのは悪くない考えだ。試験では魔法を覚えた数と同時に、それらを淀みなく繰り出せるかどうかという、マナの扱いの精度や出力も求められているのだから……そういった理屈は確かにあるわけだけど、正直言って個人的な興味や願望から、範囲外の魔法に手を染めているという側面も大きく、これで落ちたらちょっと間抜けすぎて恥ずかしい。
ただ、最近知り合った受験仲間は、むしろそういった試験に出ないどうでもいい方の魔法に興味を示すことが多かった。特に双盾は気になるようで、試験が終わったら教えてくれと頼まれたりもした。エリーさんに確認を取ると、俺が面倒を見られるなら教えても良いと笑顔で言われたこともあって、試験が終わったらちょっと教えてみようかなと考えている。
まぁ、この試験の結果次第なんだけど。
やってきた受験仲間と、今日の試験での選択魔法について話をしていると、1人また1人と知り合いが卓について少しにぎやかになった。静かにしたい人もいるんじゃないかと、さり気なく視線を外して周囲をサッと見回すと、俺たちのテーブルからは離れたところにポツポツ人がいる程度で、少し談笑した程度で邪魔になるというような恐れはなさそうだ。
「リッツに教えてもらったタライ撃ちだけど、あれ結構良かったよ」
「そりゃー良かった」
タライ撃ちというのは、
水の矢は、射った直後は水だけど、ある程度時間が経つとマナに戻って霧散する。そうやって消える前に、矢をタライの中に打ち込み続けて沈めようという練習だけど、焦ると魔法を書き損じたり狙いを外したりで、魔法に慣れるまでは案外苦労する。水の矢に慣れるための反復練習でただ空に撃ち続けるよりは、ゲーム感覚で楽しめる練習法の方がいいかなと思って自分でやってみたところ、結構面白かったので試験仲間に伝え、今もこうして好評を得たというわけだ。
「ところでさ、あの美形の人いないね?」
練習法を褒めてくれた子が、例の室長さんの不在を指摘した。言われて、俺達もあたりを見回すものの、確かにそれらしい人は見当たらない。他の魔法庁の職員の方は、すでに現場に入って誘導とか見回りをやっているけども。
「単に、後から来るってだけじゃ?」
「ん~、どうかな~。前のEランク試験だと、他の職員さんと一緒に来てたのよ」
「いないほうが緊張しなくていいんじゃないか?」
「あはは、まあね。やっぱりイケメンがいると緊張するし……別に、みんなのことブサイクって言ってるわけじゃないよ?」
「フォローが痛いぜ」
男3人で顔を見合わせて、少し苦い顔をしつつ静かに笑った。例の室長さんは、今日は来ないんだろうか。エリーさんとの練習以降、特には魔法庁からの干渉がなく今日に至っている。もう、あちらから俺に何かしようということはないんだろうか。試験前だというのに、そんな考え事が胸中を占めて少し落ち着かない気持ちになった。
☆
9月5日。書類から壁掛け時計に視線を移すと、時刻は9時30分ごろだった。そろそろ試験の時間か。長官室から出て様子でも見に行こうかな、そんなことをふと考えた。
試験日程が変わったものの、受験者からの反発はなく、一方で観衆になる方々からは好意的な感触があった。まぁ、こちらの心証を考慮して、受験者は不満を飲み込んでいるんだろうとは思うが。それでも、試験を問題なく実施できそうで一安心だ。
試験について懸念事項があるとすれば、リッツ君のことだ。伯爵家から身柄を預かり、監視という名目で指導にあたったわけだが、ここで不合格となるとエリーの指導手腕を疑われる可能性はある。それと、僕の任命責任を問われる可能性も。
聞くところによれば、彼は試験に出ない魔法の特訓で地力を付けているとか。それはそれで理のある選択ではあるものの、失敗したら教えたこちら側の責任ではある。エリーの進退のためにも、ここでなんとか合格してほしいものだ。
外に目をやると、ごくごく小さな雲がわずかに見える程度で、気持ちの良い晴天だった。こんな日にデスクワークってのはもったいない気がするが、僕が外に呼ばれるとなると、だいたいろくでもない状況なわけだ。めんどくさいだけの書類仕事をやってるだけで済むなら、それが一番平和だろう。
少し気分転換に窓を開けて外の空気を吸おう、そう考えて席を立つとノックする音が聞こえた。それも、耳が確かなら部屋の内側、ドアのないところから。窓際から振り返り部屋の中に視線を移すと、それに呼応するかのように、壁際の本棚からノックがまた聞こえた。
思わず大きなため息が出た。速歩きでドアに向かい、開けて廊下の様子を見る。誰もいないことを確認すると、僕は部屋に戻ってドアに鍵をかけ、本棚の表面をノックした。
すると、本棚の側面に白い線が浮かび上がり、そこを切れ目に本棚の表面側が扉になった。その奇妙な扉から姿を表したのは……天文院の知人だった。思わず少し渋い顔になる僕に、彼が静かに話し掛けてくる。
「長官、連絡事項が」
「長くなりますか?」
「極力手短に」
彼がここにこんな方法で姿を現すぐらいだから、火急の件だろう。深く息を吸ってから、手で彼に言を促した。すると彼は、顔色も変えずに淡々と、とんでもないことを口走った。
「王都の中央広場付近で、マナの乱れを検知しました。封を破られる可能性が高いです」
「……いつ頃からですか?」
「8時までは、通常の範囲内でゆらぎが生じていました。大きくなったのは9時からです」
「中央広場以外は?」
「平常よりも安定しています」
「中央の乱れは、偶発的なものですか?」
「可能性は低いかと。おそらくは人為的なものです」
連絡を聞くうちに、心臓の高鳴りを感じた。王都を数百年に渡って守り続けてきた封印が、今日破られるかもしれない。押さえきれない緊張はそのままに、せめて思考と口調だけは落ち着けて、僕は彼と会話を続ける。
「天文院は、この事態に介入しますか?」
「はい。協議の結果、こうして連絡に参りました」
数秒考えたあと、彼の発言の意図にたどり着いた。こうして事態を教えてくれることが、彼らにとっての最大限の介入なんだろう。人類と世界の存続”だけ”を目的とする組織だけあって、たかだか一国の王都やその内部の人命、たとえ王侯が危機に脅かされようとも、彼らは傍観する考えのようだ。
逆に気になったのは、こうして連絡しに来てくれたことだ。
「なぜ、この連絡を? そちら側にもリスクが無いわけではないでしょう」
「今回の事態を意図的に仕組んだ者がいる場合、この件を知見として、いずれ人類全体の安全に対する脅威となる可能性があります」
「……そちらは積極的に出られないから、こちらでなんとかしてほしいと?」
「恥を忍んでいうならば、そのようになります」
椅子に座って天井を向き、ため息をついた。彼は立ったままだ。それから数秒後、彼に問いかけた。
「マナの乱れがたまたまという可能性は? 何事もなく終息する可能性などは」
「ほぼ無に等しい可能性かと。たまたま起こるような事態であれば、そもそもこの王都は存在しません」
人類の精髄とでもいうべき組織の言だ。それを信じるならば、すでに王都には敵の手がかかっている。頭の中で様々な可能性が交錯するが、まずは連絡に来てくれた彼を帰さないと。
「連絡ありがとうございました。後はこちらでなんとか」
「ご武運を」
そう言って彼は本棚から元の場所へ帰っていった。本棚側板の切れ目からは、静かな海岸がちらっと見えた。終わったら海にでも行こう。
それから、机の上に散らばった書類もそのままに、僕は部屋を出て鍵をかけた。廊下を歩き備品室へ向かう途中で、今日が試験日だということを思い出した。こちらでなにかあるならば、あちらでも何かあるんじゃないか。そして、この偶然とは思えない一致が――わざわざ日程を前倒しにした事実が――庁内の内通者の存在を匂わせた。
まずは中央広場に行かなければ。しかし、その後の対応を考えると信頼できる職員が欲しい。あまり多くても、敵の手にかかっている可能性を考えれば逆効果だ。信頼できる誰かを1人。
すると、「長官?」と聞き慣れた声が後ろからした。救いの声だ。振り返ると、そこに立っていたのは補佐室次長のエリーだった。
「すまないけど、急用ができて出るところだったんだ。君も一緒に頼めるかな?」
「かしこまりました」
少し訝しげな反応を返しながらも、彼女は帯同してくれた。
彼女が敵の手の者、そういう可能性も少し考えはした。ただ……この子に見限られるようなら、そこまでの組織であり、国なんだろう。そう割り切って進むしか無い。
廊下の窓から見える晴天が、今はただただ恨めしく見えた。
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