第101話 「近づく凶兆」

 9月2日。ダルグス王国とフラウゼ王国を結ぶ航路上に、一隻の商船があった。マストを3本有し比較的大型の船体を持つその船は、あと数日でフラウゼ王国にたどり着く位置にある。


 甲板の前方部には、少女と青年が1人ずついた。彼らの前にいるのは船員一同で、後ろで手を結ばれたままひざまずいている。そして、両者の間には血みどろの船員が1人、無造作に転がされていた。

 厚手の布をかぶせた兜の上に腰を落としている少女は、他の船員に比べてもひときわ屈強な犠牲者を、鞘に収めたままの剣でつつきまわしている。

 やがて、新品の鞘の先端が赤黒い血でべったり汚れると、少女はその先端を目の前の船員の頬に近づけた。彼が身をこわばらせ少女に顔を向けると、彼女は柔らかく微笑み、鞘の先端で彼の頬を優しく叩きながら問いかけた。


「一応、確認だけど。9月5日に着く予定よね?」

「は、はい」


 心に何の抵抗も抱かず正直に答えてしまったことに、彼は自己嫌悪と強い当惑を覚えた。目の前の少女の少し高い声は、妙に耳馴染みがよく心地よい。自分たちにどれだけ残酷なことをしようと、それを受け入れさせてしまいそうな魔力が、その声にはあった。

 頭を振って少女から視線を外すと、彼の視界に血まみれの同僚が入った。そして、ここまでの僅かな時間に起きた出来事が脳裏を占めていく。


 商船の乗組員には用心棒のようなものはいなかった。というのも、船員全員が戦闘訓練を積んでいるからだ。航路近海の海賊もそのことは認識していて、同型の帆船は骨折り損になると認識され、獲物とは思われていなかった。

 しかし、今日彼らに手を出した連中は、海賊などではなかった。洋上に一隻、ポツンと浮かぶその船の他には、周囲に一隻の船もない。船が襲われたときには、襲撃者は虚空から現れたようにしか見えなかった。洋上で他の船を見かけたとき各員を配置につかせて備えるという、普段の対応など取りようがない。

 突然の事態に多くの船員が浮足立つ中、一部の船員は襲撃者たちに敢然と立ち向かった。しかし無駄な抵抗だったのかもしれない。腕利きの船員たちが一人、また一人と殺されるあいだ、船員たちは赤紫のマナを見た。あるいは、これ見よがしの威圧に見せられたのかもしれない。

 短い間の出来事に自分たちの命運を悟り、殺されなかった船員たちは無抵抗のまま束縛され、今に至っている。


 座る少女の傍らに立つ長身の青年が、彼女に話し掛けた。


「カナリア、この後はどうする?」

「ん~、今考えてるトコロ」


 膝の上に肘をおき、両手で顔を支えながらカナリアは答えた。その表情は明るく朗らかだ。場に似つかわしくないその面持ちに、船員たちの間には嫌悪や憎悪よりも戦慄が強く渦巻いた。


「確実に日程は合わせたいでしょ~? だったら生きてる奴にやらせるべきなんだけど」

「そこまで操作できるのか?」

「ん~、先客いるし……がんばればいけるかな?」

「先客……アレか」


 青年が見上げると、メインマスト上の見張り台で、彼の手下が人間を1人柱にくくりつけているところだった。「結構すごいやつなんだって?」と聞くと、カナリアは楽しそうに答えた。


「いわゆる魔法剣士ってやつ? どっちもかなりイけるみたいでさ、今回の任務でちょうどいいかなーって」

「まぁ、それはいいんだが、船を確実に着かせるのが先だぞ?」

「うーん、あの彼が結構大物だから、追加で1人操作するのは……やってみないとわかんないかな」

「まったく、いきあたりばったりだな」


 呆れたように肩をすくめて青年が言うと、カナリアは彼に顔を向け、少し頬を膨らませてから抗弁した。


「私の場合、本番で実験台を確保するみたいなトコロあるし、そもそも状況の影響を受けやすいし、仕方ないでしょ?」

「まぁな。俺もそういうところはあるから、よくわかる」


 2人は顔を合わせ微笑んだ。それから、青年が相対する船員たちに視線を向けると、船員達は体を小さく震わせた。


「んで、こいつらどうするよ?」

「ん~、死霊術ってどこまで細かく動かせる? 生前の記憶や執着を生かして、到着日を遵守させれば確実だと思うんだけど」

「まぁ、できんこともないかな。そっちはどうだ?」

「ついてからが本番だから、ちょっとね~。あまり疲れることやりたくないっていうか」

「着くまで肩慣らしに使うって考えもあるぞ」

「あ、そうか」


 カナリアが、青年に向けた顔を船員たちに向けると、船員達はまた得体のしれない寒気を覚えて身を縮めた。その様子を見て青年が笑い、そして言った。


「こいつら全員操れるか?」

「本番に余力は残したいし……せいぜい1人かな。私が司令塔やるかどうかってとこ」

「俺の方は数が増えても余裕だからな……どっちが司令塔向けか、いっぺん試すか」

「よしきた」


 船員達に会話の詳細はわからないものの、自分たちのことをまるで船荷同然に考えていることは察せられた。死霊術、操るといった単語でその先のことを想起し、船員達の顔からみるみる生気が失われていく。

 手を下す前に死人のようになっている船員達を見て、青年は苦笑いしながらカナリアに話しかける。


「どっちから選ぶ?」

「そっちから先選んでいいよ」

「自信満々だな」

「個体差でやすいでしょ?」

「そっちこそ」


 言いつつ、先を譲られた青年は船員達のあいだに視線を走らせ、獲物を選定し始めた。やがて対象が定まると、船員達の後ろに控えていた手下に声をかけた。


「こいつ殺してくれ。なるべく傷つけないように頼む」


 そう言う彼の人差し指からは赤紫のマナが線となって走り、狙われた船員の額の上で点になった。それまで大人しくひざまずき、なすがままになっていた標的の彼は、反射的に立ち上がり海へ向かって駆け出そうとした。すると、彼の後頭部に赤紫の矢が当たり、彼は倒れ込んだ。小さく痙攣する彼の方に、確保を任された手下が歩み寄って彼の首を持ち上げ、折った。

 命じた青年は、「首ならいいか」と小さく漏らしてから、カナリアに顔を向けて彼女に話し掛けた。


「俺はあれでいい。そっちは?」

「どれでも同じかな……うん、決めた」


 彼女と視線が合ったのは、頬に血がついた船員だった。さきほど、到着日を問われた船員だ。合わせた視線を外そうと、彼は首を動かし目を閉じようとしたが、わずかに体が痙攣するばかりで体が応えようとしない。


「はーい、よく見てね~」


 まるで小さなこどもを相手にするかのように、優しげな声で語りかけつつ、彼女は赤紫のマナで魔法陣を書き上げた。少し小さめに作られたそれには複雑な紋様を詰め込んであり、多少でも魔法の覚えがあるものから見れば、気が遠くなるような代物だった。

 目前に魔法陣を作られた標的の彼は、思うように動かせない自分の首やまぶたと格闘し、やがて糸が切れた操り人形のように前に突っ伏した。それから数秒後、彼が立ち上がると、その顔から精気は失われて能面のようになっている。

 同僚の手際の良さに青年は感心し、口笛を吹いて称賛した。


「流石に早いな」

「抵抗されないんじゃーね。大した玩具にもならないけど」

「ま、短い船旅の間だけだし、使い捨てでちょうどいいだろ」

「まーね。次はそっちの番」


 カナリアに促され、青年は赤紫のマナで魔法陣を首を折られた船員の上に書き上げた。こちらも複雑怪奇な紋様をしている。魔法陣を見て、彼の手下は船員を甲板の上に横たえ、犠牲者から距離をとった。その犠牲者の上に魔法陣が下りてきて、やがて体に重なり内側へ入った。

 すると、彼の体から青いマナと赤紫のマナがほとばしり、茨のように体中に絡みついた。彼の口からはこの世のものとは思えない絶叫が放たれる。

 マナの閃光と叫びが収まると、こちらもまた生気のない表情の船員が立ち上がった。

 魔法を使い終えた青年が、カナリアに向いて言った。


「準備できたぞ。んで、どうする?」

「動かせなくなった方の負けでいいんじゃない?」

「オッケー、それでいこう」


 2人が同意すると、もはや操り人形同然になった船員2人が取っ組み合いの格闘を始めた。一度殺されたほうの船員は、生前よりも力を増しているようだ。カナリアが操る船員の突きを片手で軽く受け止め、甲板に投げつけると激しい衝突音が響いた。死者が追い打ちに右拳を放つと、すんでのところで避けられ甲板が陥没した。打ち付けた右拳は、骨が折れたのかいびつな形になり、木片が突き刺さって血にまみれている。

 しかし、痛みを意に介さないかのように死者が相手との距離を詰めようとすると、操られている方は正面から迎え撃った。痛めたはずの右拳が、風切り音を立てながら相手に迫る。生者の方は右拳をギリギリのところでかわし、腕を取って死者を甲板に倒すと、背中に乗って関節を極めた。

「ギブアップ?」カナリアが聞くと、青年は一瞬真顔になった後、笑いながら言った。


「俺が決めることじゃない」

「極めてんの、こっちだもんね~」


 2人が笑い声を上げた後、甲板上に骨が折れる音が響いた。「ギブ?」「さあな」と短いやり取りの後、また骨の折れる音が響き、その音に続いて船首からゲラゲラと笑い声が響いた。腹を抱えて笑う2人と骨が折られていく音に耐えかね、船員の1人が立ち上がると、すぐさま赤紫の矢が飛んで彼は動かなくなった。


「もういっか、一応こっちのを司令塔にして、あとは全部そっちで動かしてよ」

「わかった。アレはどうする?」


 青年が、先ほどまで自分が使っていた死者を指差し尋ねると、カナリアは興味なさげに答えた。


「使いみちあるの?」

「ん~、本番前のウォーミングアップで、動く標的にはなるんじゃないか?」

「ふーん。ま、魚の餌よりいっか」


 それから2人が手下に短く指示を出すと、甲板には断末魔が響き渡り、2人は耳をふさいだ。

 命令してから1分も経たないうちに、甲板上の生きた人間が1人だけになると、青年とカナリアは会話を再開した。


「向こうはどうしてるかな」

「うまくやってんじゃない? 日程決めたのもあっちだし」

「まぁ、そうだよな」

「久々に会うの楽しみ~」

「あっちはそうでもないだろうけどな」

「そこがいいんだよね~」


 にやにや笑うカナリアに少し呆れたようなため息を漏らしてから、青年は自分の仕事に取り掛かった。船上に閃光と叫び声が満ち、2人は顔をしかめた。


「これ、どうにかなんないの?」

「無理だな、我慢してくれ」


 にべもなく青年が答え、数分もすると船上は静かになった。甲板には死者の群れと、ただ1人操られ、生き地獄を味わう船員が立っている。


「これでいいな。積荷の準備は?」


 青年が手下に問いかけると、彼は無言でうなずいた。


「じゃあ帰るか」

「ん」


 船首の方に魔人たちが集まると、青年は赤紫の大きな魔法陣を書き始めた。それが書き終わると同時に強い閃光が走り、光とともに魔人たちは姿を消した。


 波間を漂う船は、そのあと何事もなかったかのように航海を再開した。操られている船員達も、動きだけは生前そのものだ。声もなく粛々といつもの仕事を続け、船を操っている。


 晴れ渡った空に、強い風が吹く。マストに風を受けて船は進む。

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