第91話 「現状確認」

 7月10日、昼。「このあたりにしましょうか」というエリーさんに案内され、闘技場の観覧席に腰を下ろす。いつもはどこかで外食していたけど、今日は改まった話があると言うので、あまり人がいないところとして観覧席を選んだわけだ。確かに、周囲を見回しても人が全くいない。だいぶ離れたところに、ポツンポツンと人がいる程度だ。

 石か磁器のような質感の滑らかな席に座って、昼食の包みを開ける。さっき東門近くのパン屋で買ってきたものだ。調理パンっぽいのを2つに菓子パン1つ。エリーさんはもう少し多く買っているようだった。ちょっと失礼かと思って、あまりまじまじと見つめて確認はしなかったけど。今日みたいにハリーやサニーがいない日は、エリーさんは人目を気にしなくなるのか結構食べる。


 改まった話とやらに入る前に、まずは今日の練習の成果について祝福された。


砂の矢サンドボルトと黄色の光盾シールドの成功、おめでとうございます」

「ありがとうございます。まだまだ実戦で使えるようなもんじゃないですけど……」

「とりあえず使えるというのが重要です。まず問題ない水準になっているかと思いますが……昼食の後、念のために一度確認して、大丈夫そうであれば次のステップに進みましょう」


 エリーさんは我が事のように喜びながら話している。俺は朝から練習を続けてすっかり汗だくになるぐらいで結構疲労感もあるけど、彼女の言葉を聞くと疲れも吹っ飛ぶような気がした。

 次のステップの話はと思ったところで、彼女は紙袋からカレーパンらしきものを取り出して口に咥えた。俺もそれにならって紙袋からパンを取り出す。惣菜パンの1つはコロッケと揚げパンの合の子みたいな奴だ。マッシュポテトにコンビーフを混ぜたものが具になっている。結構お気に入りの一品だ。

 今日の昼はエリーさんのペースで話をしよう。そう思って、彼女が黙々と食べている間は俺も黙ってパンを味わうことにする。パンのカリカリの皮と滑らかな舌触りの具を口の中で楽しみながら、闘技場の方を眺めた。


 今座っているのは割といい席で、闘技場全体を確認できる一方、臨場感を損なわない程度に近くもある。昼になって皆が食事に向かっても、まだ練習を続ける熱心な方がちらほら見える。見た感じだと、やっぱりE~Dランクの魔法を練習しているようだ。Cランクあたりの知らない魔法はあまり見当たらない。ただ、マナの色はまちまちのようで、藍色っぽい濃い色の方もいた。ちょっと、いいなぁ、なんて思った。

 夏の太陽がさんさんと輝き照りつける。パンを頬張りながら闘技場を見ていると、観戦日和だと思わずにはいられない。しかし、ここを魔法の練習や講習会以外の用途で使っているのを見たことがない。本来の用途、つまり誰かを戦わせるために使ったりはしないんだろうか? エリーさんならそういうことには詳しいかもしれない。この闘技場は魔法庁管轄の施設と聞いている。彼女からの用件が済んだら、少し聞いてみるのもいいかもしれない。


 横をちらっと見ると、エリーさんは1つ目のパンを平らげたようで、優しげな目でこちらを見ていた。モナリザみたいな感じだ。あれよりはもう少しにこやかだけど。俺を待ってるのかなと思って、食べるペースを上げると、彼女はさらに表情を緩めて「ごゆっくりどうぞ」と言った。

 口の中が片付いてから、俺は彼女に話しかけた。


「……おまたせしました」

「いえ、合わせていただき、ありがとうございます」

「それで、こっからが本題ですか?」


 すると、エリーさんは周囲に素早く視線を走らせた。俺も合わせてあたりを探る。特に近くに誰かいるということはない。回廊部分からつながる昇降口から少し歩いたところの席をとっているから、聞き耳の心配もないだろう。

 周囲の確認が済んだところで、エリーさんは表情を引き締め、小声で本題を切り出した。


「伯爵家に対する措置が決定しました」


 俺は思わず表情が固くなり、少し身を乗り出した。固唾を呑んで次の言葉を待つ。


「正確に言えば、伯爵家の方から動いていただくことになりますが……目の森における一戦で人命及び戦果のために禁呪を使った件に関し、貴族の特権を超えるものではないという判断で用いたものの、魔法庁の法解釈が異なったため、自ら襟を正す形で伯爵家が第3種禁呪である複製術の使用許可を返上することになります」

「それって、お触れが出るやつですっけ?」

「大々的に触れ回るものではありませんが、公示はされます。その公開文を受けて、民間からも何かしら記事が出回るでしょう」


 そこまで言ってから、彼女は一度口を閉じた。俺から外した視線は、遠くの空の雲を追っているようだ。俺を釈放してくれたとき、長官と彼女に対して感じたのは、かなり”こっち”寄りなんだなってことだった。だからこそ、この報告にやりきれないものがあるのかもしれない。たとえ互いに正当性があるとしても。

 ちょっと間をおいて、また彼女が静かに口を開いた。


「複製術の使用許可に関して、閣下は当面は再申請されるつもりはないようです」

「まぁ、ほとぼり冷めてからってことでしょうね。すぐに取り直すと怪しまれそうですし」

「そうですね。その件について、アイリスさんは随分と残念そうにされてましたけど」

「……アイリス、さん?」


 俺が指摘すると、彼女は少しハッとした表情になった。やっちまった、ってところだろうか。そのまま無言で紙袋に手を伸ばし、適当なパンを頬張った。ちょっと雰囲気が崩れたところで、俺も食事を再開することにする。

 素揚げのスティック野菜をギッシリ詰め込んだピタパンをかじりながら、横目でエリーさんの顔を見た。”失言”をした割にはあまり恥ずかしそうにしていない。彼女がお嬢様をアイリスさんと呼んだのは、口が滑ったんじゃなくて、そう呼ぶのが今の彼女にとって自然だったからなのかもしれない。そう思うと何だか嬉しくなった。


「あなたも、そう呼ばれたらいかがです?」


 口の中が片付いたところで、エリーさんが話しかけてきた。慌てて噛むスピードを上げて、口の中をきれいにしてから応じる。


「どういうことです?」

「わかっているくせに。あなたも、アイリスさんって呼んだらどうです?」

「え~」


 今まで彼女を名前で呼んだことは、ほとんどなかった気がする。せいぜい、偽名の時にイーリスさんと呼んだぐらいか。彼女の名前に仰々しい敬称をつけるのは、なんとなくためらわれるものがあった。たぶん、彼女が嫌がるんじゃないかという気がする。だからってあまり馴れ馴れしいのも、世話になりまくってる身からすると分不相応という気がしてダメだった。

 ……みたいなことをエリーさんに言うと、彼女はちょっと苦笑いした。


「考えすぎでは?」

「そうですか?」

「まぁ、あなた方にはあなた方の距離感があるのだろうとは思いますが……」


 彼女はそれ以上突っ込んでこなかった。魔法のことはともかくとして、こういう話では個人主義的というか、そんなに干渉してこないようだ。彼女がまたパンを食べ始めたので、俺もそれに合わせて食べ始めた。ただ、食事再開の一口を片したところで、エリーさんが「改まった話は以上です」と言ってきた。つまり、人目をはばかる話は魔法庁からの処分の一件だけのようだ。


「ここの闘技場は、闘技場としては使わないんですか?」と俺が聞くと、エリーさんは少し難しげな顔でパンを平らげ、やがて口を開いた。


「昔は使っていたそうです。記録があるものでは、50年ぐらい前でしょうか。色々あって、今は使ってませんが」

「色々、ですか」

「観客に被害が及ばないようにしたり、戦士を保護したりするための安全装置があるようですが、どうも故障しているらしく。復旧しようという試みも特にはされないですね。特に大きな要望があるわけでもないので、予算がつかないといったところだと思います」

「なるほど」


 こういう話を聞くのは結構まずいんじゃないかと、彼女に話させてから考えたものの、当の本人は問題ないと考えているようだ。少なくとも、ギルドの上層部では広く知られた話らしい。

 次に気になった――というか、前々から気になっていた――闘技場の片隅にある、布を被せられた資材の山らしきものについて尋ねると、エリーさんも詳細は知らないらしく、少し渋い顔をして首を横に振った。


「私も詳しいことは……治安維持関係の部署で管理しているとしか聞いていません。噂だけであればいくつかありますが」

「そうですか」


 話してくれそうなエリーさんでもこの感じでは、真相を知るのはかなり厳しそうだ。

 俺の方の惣菜パンが片付き、最後の菓子パンが残ったところで、もう一つ気になっていたことを聞いた。


「俺は、魔法庁の方からどう思われているんですか?」

「……というと?」


 ちょっと言葉を省きすぎたらしい。思わず苦笑いして、補足を入れた。俺が捕まった――一応、任意同行――とき、魔法庁の方から色々な感情が乗った視線を浴びせかけられた。俺への対応も含め、なんだか煮え切らない空気の中にいるような気がした……そういう話をすると、彼女は痛ましげな視線を俺に向けた。


「本当に、申し訳ありませんでした」

「いえ、エリーさんは別に悪くないですし。現にこうして良くしてくれますから、ありがたいぐらいなんですけど。ただ、他の方からどう思われてるのかは、やっぱり気になるところで」


 実際、他の方からの印象を聞いておかないと、変なところでエリーさんに迷惑が及ぶかもしれないとは思っていた。少し身の程知らずな考えかもしれないけど、知っておけるものなら知っておきたい。

 エリーさんは、俺の問いかけに膝の間で両手の指を合わせ、視線を伏せて考えこんだ。


「リッツさんに対しては、確かに何種類かの感情を、組織として抱いていると思います。1人の職員が何種類も感情を抱えているというより、職員ごとに異なる感情を抱いているというのが実情に近いですね」

「それぞれで考えが違うんですね。具体的にどう思われてそうですか?」


「そうですね……大きなものでは、法を脅かされることへの恐れ、敵意。あと、あの日は困惑とか戸惑いを感じられたとのことですが、これは同僚に向けてのものでしょう」

「同僚へ?」

「ええ。色々派閥がある組織ですので。強行的な一派が断行したことへの、そういった当惑する気持ちも内部ではあります」


 前からメルに聞かされていたとおり、本当に一枚岩じゃないようだ。というよりも、統制が取れてない組織のように感じる。長官さんやエリーさんは、大丈夫なんだろうか。

 そんなことを心配していると、当の本人が話を続けた。


「それと、たぶんリッツさんに対する憧れや嫉妬も、いくらかあるように感じます」

「はい?」


 思わずマヌケな声が出てしまった。ただ、エリーさんは少しだけ表情を崩したものの、依然として俺に向けた眼差しは真剣だった。


「リッツさんが一夜過ごした部屋は、”禁術使い”向けの部屋で……そうですね、平たく言えば格上の魔導師の機嫌を最低限維持するための部屋で、衛兵隊が用意する牢よりはずっとマシな場所です」

「ああ、それはなんとなく感じてました。割と住める部屋だなって」

「魔法庁はエリートが多いですが、あの部屋に入れられたということで一目置く者もいたでしょう。それと……人を守るはずの法を破って、その上で人を守ったあなた方に、ある種の敗北感を覚えた者もいるように感じます」

「……なるほど」


 自分が置かれていた状況に少し納得がいったところで、また1つ気になることができた。エリーさんからは、どう思われてるんだろうか。仕事として俺の練習に付き合ってくれてるんだろうし、それに熱心に打ち込んでいるのは趣味っぽいところもあるけど、それでも別の思いがあるような気がする。

 聞くのは少し恥ずかしい気もしたけど、勇気を振り絞って聞いてみた。すると、彼女は少し静かに考え込んで、穏やかな微笑みを俺に向けた。


「一番の感情は、感謝でしょうか」

「感謝?」

「あなたが参戦した戦いは、私の教え子が何人か参加していました。その子たちが、みんな怪我もなく無事に報告に来てくれたので」

「ああ、なるほど……頑張ったのは、俺だけじゃないですからね」


 照れ隠しにそう言うと、わかってますよと言わんばかりの笑顔でうなずかれ、ますます顔が赤くなった。


「アイリスさん、マリーさんには個人的に礼を伝えたのですが、あなたに対しては練習のお別れの日にしようかと思ってまして」

「あー、あははは。間が悪かったですかね」

「聞きたい時に聞けるのが、実は一番幸せなのかもしれませんが」


 とりあえず彼女からの印象が聞けて満足した俺は、最後の菓子パンに手を付けた。メチャクチャ甘く感じた。横目で彼女を見ると、同じように菓子パンらしきものを頬張るところだった。本当に、よく食べる人だなぁ。

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