第92話 「ちょっと寄り道」
昼食を食べ終え、そろそろ練習再開かなと思って立ち上がろうとするものの、エリーさんは頬に手を当てて何か考え込んでいるようで、少し様子を見ることにした。
「今後の練習についてですが」彼女は言った。「どうしたものかと」
「何か問題でもあるんですか?」
「いえ、逆といいますか……Dランクの合格のみを目指すならば、現時点でほぼ問題ないと思われます」
「えっ?」
彼女が言うには、Dランクの合格に向けて一番難しいところをほぼ抑えてしまったため、あとは反復練習で素早く正確に出すようにすることと、今までに覚えたものよりも難度の低い型・文を覚えること、それと筆記試験の対策さえしてしまえば問題ないようだ。
「色変えにもう少し手間取るものと思っていたのですが、コツを掴むのが予想以上に早かったので。個人差の大きいところではあるのですが、正直驚きました」
「師に恵まれたんでしょうか」
「そうですね」
大して照れることもなく、彼女は俺の言葉を受け入れた。まぁ、師と聞いてお嬢様を思い浮かべたのかもしれないけど。
なんにせよ、試験の合格に向けて順調なようでなによりだったけど、だったらエリーさんが何を気にしているのかが気にかかる。
「試験の合格だけを考えるならば、もうリッツさんの独力で1ヶ月もあれば狙えるレベルですから、このままの調子で教えるのが職務怠慢に思えまして……」
色々と引っかかるところのある発言に、頭の中で聞きたいことが浮き上がる。
「Dランクって、もう少し難しいと聞いていたんですけど、もうそんなレベルなんですか?」
「難しいのは色変えで挫折感を感じやすいというところですね。自分で描いた魔法じゃないという感覚は、すでに味わったかと思います」
「あー、確かにそれはあります」
「色変えの練習で、前進してるかどうかわかりにくいというのが、練習に専念させにくいポイントになっています。実際、気分転換に何か別のことに手を出して、余計に時間を食う方も多いですから。自分もできると、そう信じて取り組み続けるのは、案外難しいことなんですよ」
「そうですか」
実際、代わり映えのしない練習にヤキモキしたり、少し不安を覚えることはあった。それでもやっていけたのは、そばで見守る視線があったからだろう。見守るというか、公的には監視なんだけど。
そういえば、エリーさんは先の発言で職務怠慢と言っていた。俺が変なことをしないように見張っていれば、それできちんと任務を果たしたことになると思っていたけど、どうも俺が考えていたのと少し事情が違うようだ。何気なく問いかけると、彼女は少し苦笑いした。
「まず私の心情として、伯爵家からお預かりした方に、いい加減な指導はできないということがあります。私自身の職業意識、あとはアイリスさんへの対抗意識も少しはあるでしょう」
「なるほど」
「あとは……そうですね、リッツさんがDランクに上がったら魔法庁でどう思われるか、考えてみたことはありますか?」
「それは……」
Eランクから3ヶ月でDランクに上がる人は、いないわけではないけど少ないとは聞いている。目立つと言えば目立つだろう。ただ、魔法庁からどう思われるかとなると、あそこが一枚岩ではないだけに予想がつかない。
返答に困って少し考えていると、エリーさんは困ったような微笑みを浮かべて言った。
「仮にリッツさんが次の試験で不合格だった場合、魔法庁としてはなんとも思わないでしょう。逆に、合格した場合、あなたに注目するものもいれば警戒するものもいます。ただ、それは大して問題ではないんです」
「そうなんですか?」
「Dランク試験に向けた練習の初期に、私が指導したという事実を持ち出して、魔法庁の功績だと考えたり主張したりするであろう派閥があります。恩を着せてやろうということですね。実際、あなたもアイリスさんも、おそらく閣下も、合格したら私に恩を感じてしまうのではないですか?」
「……あくまで、個人的に、ですよ?」
「ふふ、ありがとうございます。でも、魔法庁を代表して私が選ばれた以上、どうしてもそういう思惑はあります」
そこまで言って、エリーさんは口を閉じた。顔は少し笑っているけど寂しげに見えた。なんとかしてあげたいと思うけど、結局俺にできることと言ったら、きちんと魔法を習得して成果を出すことぐらいだ。でも、その成果も組織の功績として利用される、そう思うとやりきれないのは確かだ。
ただ、この後の練習についてエリーさんがどういう考えなのかは、全く読めなかった。空を見上げて静かに何か思いをめぐらしていた彼女は、意を決したのか視線をこちらに向けた。
「Dランク合格に向けた練習は、ひとまず問題ないかと思います。ここから、私ならではの指導をと思い、昇段からは離れた内容を教えたいと思うのですが。それはいかがですか?」
「……わかりました、そっちやりましょう。内容に興味がありますし、エリーさんのやる気が出る方にしていただければ」
「わかりました。まず、
「はい?」
予想以外の提案に、思わず聞き返してしまった。ただ、彼女は至って真面目らしい。俺の反応自体は予想できていたようで、顔の力を抜いてにこやかにしているけど。
「Cランクに1つ、実戦にも訓練用にも有用なものがありまして。習得には時間がかかるとは思いますが、早めに手を付けたほうが魔法使いとしては確実に強くなります」
「それは、すごく魅力的な提案なんですけど……ランクを無視して手を付けちゃって、大丈夫なんですか?」
「魔法のランク分けは、力量に見合わないものに手を付けて時間を無駄にしないように、という意図で定められてますから、使える力量の方が覚えるのは問題ありません」
暗に「あなたならできますよ」と言われているようで、挑戦心を刺激される。習得には時間がかかるという話だったけど。彼女はそのへんを少し補足した。
「魔法を2つ並行で覚えたり練習したりする流れを継続で。Cランク魔法を1つ、時間をかけて取り組みつつ、光盾の応用にも着手するということでいかがですか?」
「わかりました、それでいきましょう」
正直言って、Cランク魔法の方はそう容易に覚えられる気がしない。ただ、エリーさんが無謀な挑戦と考えている様子はないので、それを信じることにする。
この後の練習の方針が定まったところで、腰を上げて闘技場中央部へ向かった。
新しいことに手を付ける前に、まずはここまでの練習のおさらいだ。この3日間、黄色い染色型に文を合わせる練習に取り掛かっていた。今日の昼食前にそれが成功したけど、それがまぐれでないことを確認する。
器の方の色変えと、染色済みの器に文を染めつつ書き込むのは、似ているようで結構違う。器の色が変わるのは、いわば自動的な反応に受動的に対応している感じで、染めながら書き込むのはこちらから能動的にやる必要がある。
今日は光盾の応用をやるということなので、黄色の染色型に光盾の文を合わせることにする。ある程度慣れっこになった黄色い器をひとまず描き上げ、一回深呼吸。気が落ちついたところで、文を書き込んでいく。
器の染色と文の記入の違いについて、この数日間でアレコレ考えていた。そこでたどり着いた理解は、器の受動的な反応には流量が求められていて、文を書き込むときは圧力を求められるということだった。そして器の染色には、短期的な貯蓄部分と瞬間的な出力の部分を、いわば並列つなぎみたいに使っていた。それを直列つなぎをイメージして、つまり片方でもう片方の流れを押し込んでやるイメージで書いてやると……。
「問題無さそうですね、おめでとうございます」
嬉しそうなエリーさんの声が聞こえた。どうやら、今イメージしているやり方で問題ないようだ。もっと力量をつければ、つなげ方を意識せずとも電池一本でうまくやれるようになるんだろうけど。
次のステップに進めそうだと確認ができたところで、エリーさんは少し俺から距離をとって向き合い、青い光盾を構えた。
「こちらに向けて一度
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ」
人に向けて射つのはものすごく抵抗がある。森の中でこどもを射ったときのことを、ふと思い出した。エリーさんに向けた右手が震える。いや、右手じゃなくて肩からこっち側の、全身が少し震えているんだ。これは訓練だと自分に言い聞かせ、細く長く息を吐き出した。
気分を落ち着かせて放った矢は、盾に当たって光と音と霧を残して消えた。青緑っぽい霧の向こうに、青い盾が見える。ただ、さっきと色が少し違うような気がする。霧の向こうだからだろうか。
訝っている俺の方にエリーさんが歩み寄ってくる。近づくと、盾の色がやはり違うのがわかった。さっきよりも深い藍色っぽい色合いをしている。よく見ると、魔法陣も普通の光盾とは違うようで、何か型を1つ合わせているようだ。
「盾の色、変わりましたか?」と俺が聞くと、エリーさんは微笑んで首を小さく横に振った。
「変わったというのは不正確ですね。2枚用意していました。割れたのは外側の方ですよ」
「ああ、なるほど」
「ここで、光盾や色のことについて、ざっと振り返ってみましょうか」
そういう彼女と一緒に、今まで教えてもらったことを復習した。
まず、光盾は同じ色の魔法を素通しする。だから、覚えている光盾の色が一色では、格上の相手にはとてもじゃないけど対応できない。光盾の色に魔法を合わされておしまいだ。
また、光盾は色や魔法のランク差がなければ、基本的に使い切りの魔法になる。1回魔法を受けて割れておしまい、そういう使い方が前提だ。
この2点を考えると、必要な時に必要な色の光盾を作り出す瞬発力が必要になる。ただ、覚えたてでそこまでやるのは難しいという話だ。
「そこで、色の違う光盾を2つ合わせます。私のオリジナルですが、仲間内では
彼女は開いた左手に盾を作り出した。右手には藍色に寄った青色の盾、左手には緑色に寄った青色の盾を構えている。そして、彼女が両手を合わせるようにすると、盾が重なり合った。若干、青緑っぽい盾の方が大きく、外側にあるように見える。そう指摘すると、実際そのとおりだった。
「自分の色から下の色で大きめの盾を外側に、上の色で小さめの盾を内側に作っています。重ねて正面から見ると、私の色の、つまり青色の盾にしか見えないはずです」
「……確かに、普通の青色の盾です」
「こうして重ねることで、1回割られても平気ですし、万一色を合わせられても貫通はしません。内側も外側も、見かけの色もそれぞれ違いますから。割られやすい弱い方の色を外に持ってきているのは、順序が逆でもどうせ割られるから、張り直しが楽な方の色を外側にということですね」
「なるほど」
うまいことやるもんだと感心した。これなら、確かに瞬時に光盾を展開するスピードがなくても、あらかじめ張っておけばいくらか安心できそうだ。
「それと、光盾は割れる事が前提という認識がありますから、相手目線では当てても割れない光盾になるわけで、多少の動揺を誘うこともあり得るでしょう。相手も同じテクニックを知っていれば効きませんが」
「こういうやり方は有名なんですか?」
「いえ……少なくとも、教本には載っていませんね」
教本に載っていない、つまり魔法庁が公には推奨しないやり方らしい。そんなのを魔法庁の職員で結構な立場にあるエリーさんから教わるんだから、実は意外と大事なのかもしれない。
ただ、当のご本人はさほど気にしていないというか、すでに腹をくくったように平然としている。
まぁ、エリーさんがいいっていうなら大丈夫なんだろう。それに、彼女がオリジナルの魔法を教えてくれるというのが、なんだか嬉しかった。
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