第60話 「お掃除」
6月11日、朝。依頼に失敗した翌日。いつもの宿での寝起きをすごく幸せに感じた。あんなに色々あった後だというのに、体の方に目立った不調はなく、いつもより少し早く起きられたぐらいだった。
昨夜、宿の店主のルディウスさんとリリノーラさんに、依頼に失敗したことを伝えた。
しかし、俺が寝ている間にギルドの方から話が行っていたようで、あまりその件については触れず、ただ優しくしてくれた。
他の同居人のみなさんには伝えていない。そのうち、夕食の席なんかで話せるようになる日が来るかも知れないけど。
一階の食堂に降りると、いつもの調子でリリノーラさんが迎えてくれた。「朝食どうします?」と聞かれ、「少なめでお願いします」と答えた。そんなに食欲がないし、できれば他の誰とも卓を囲まず、さっさと食べきりたい。そんな気分だった。
気持ちが通じたかどうかはわからないけど、朝食はすぐに用意してもらえた。小さめのパンに、甘酸っぱい黄色のジャムを盛った小皿、みずみずしい葉物のサラダ、冷製のポタージュが朝食の献立だった。
少し涼しめのメニューという感じで、するする胃の中に入っていく。あっという間に食事が片付くと、「おかわりはどうです?」とリリノーラさんにいつもの笑顔で聞かれ、なるべくいつもの笑顔に近づけて「大丈夫です、ごちそうさま」と答えた。
階段を上がって自室に戻り、ふと思い出したことがあって日記を開けた。依頼に出発する日付で止まっている。昨日の夜、ラナレナさんにご飯をおごってもらって、そのあと宿に帰って、ベッドに入るなりすぐに寝てしまっていた。
日記はもう習慣になっている。書かずに済ませるのは、なんだかシャクだ。そう思ってペンを手に取り、紙に付けて、手が止まった。
色々と書かないといけないことはある。しかし、まだあの夜のことは、自分の中では終わっていない。日記に書き残すのは、やり残しの精算をしてからでいいんじゃないか。
そこで、ひとまず日記は保留することにした。
窓の外から鳥の声がする。空は少し暑苦しいくらいに快晴だ。部屋の中でアレコレ考えるよりは外に出た方が、色々と気持ちの整理もできるだろう。そんな気がして外出することにした。身支度を整え、宿のお二人に挨拶をして外に出る。
それなりに早い時間帯だったものの、外にはそこそこ人通りがある。
しかし、なんとなく、いつもの町並みがいつもと違って見えた。心の中で引っかかる何かがある。正体のわからないもやもやを振り切るように、頭を少し横に振ってから、朝の空気を目一杯吸い込んで歩き出した。
行く当ては特になかった。無いはずだった。それでも、気が付けば足は勝手にギルドへ向かっていて、習慣になっているんだなぁと思わず苦笑した。
受付にはラナレナさんが見える。それと、どこかで見た少し小柄な背中が。
ラナレナさんが俺に手を振るのに合わせ、振り向いたのはサニーだった。「おはようございます」と言う彼の声は元気がなく、顔は少し憔悴しているように見える。
二人に挨拶をしつつ、受付のカウンターにつく。とはいえ、俺の方から何か話題があるわけでもなく、サニーの方から何か言うでもなく……少し続いた沈黙をラナレナさんが破った。
「二人で仕事でもする~? 仕事っていうか、ほとんどボランティアみたいなものだけど」
「ボランティア?」
「王都の清掃よ。朝から夕まで適当に掃き掃除して、それで終わり」
そう言って彼女は、引き出しから書類を取り出した。よく使う紙なのだろうか、端が少しよれていて、使い古したもののように見える。
書かれている内容はボランティア活動に関しての詳細だった。詳細といってもすごく雑で、ほとんどは彼女が先に説明したとおり。強いて言えば服装規定とか、貸与する備品の記述があることぐらいだった。
「上着を貸してもらえるんですね」
「ええ、ちょっとまってて~」
サニーの問いかけに、ラナレナさんは受付すぐ後ろの衣装掛けから、ウィンドブレーカーみたいな薄手のアウターを取り出した。白地の生地で、背中には薄く水色でギルドの紋章が刺繍されている。
「これを羽織るか、ギルドの腕章をつけるかして掃除してもらうの。まぁ、いいことしてますヨってアピールね~」
俺としては、受けてもいい気がする。気晴らしにはなるだろうし、サニーが嫌じゃなければ彼と話しながら掃除でもやった方が、気持ちの整理もできるだろう。
彼に話しかけ掃除するか聞いてみると、彼は少し
「報酬は特にないんだけど~」
依頼を受けた俺たちに対し、ラナレナさんは上着のポケットから薄手の名刺入れのようなものを取り出し、そこから紙切れを何枚か取ってテーブルに置いた。
一枚取り上げて確認すると、東区の飯屋のチケットだった。小皿が一品タダで追加できるとある。「普段から準備してるんですか?」と聞くと、彼女は少し苦笑いした。
「受付やると、商店街とのつながりが強くなってね~、勝手に貯まるのよ。後輩にバラまいてくれよ~なんて気軽に言われちゃって」
何枚かあるチケットの値引き割引きを足し合わせれば、普通に二食分ぐらいなりそうだった。ありがたく頂戴してサニーと折半する。
それから貸与品の上着と腕章を装備し、ホウキとチリトリを持ってギルドの外に出ると、後ろから「飽きたら帰っていいからね~」なんて声がした。
本当に気楽な任務だ。
☆
最初はなんとなく南側へ向けて掃き掃除を始めた。しかし、街路は十分にキレイで、さほどやることがないように感じる。道行く人々に会釈しながら、落ちてるゴミを求めてゆっくり歩いた。
サニーは、一言も話さない。おとなしい方の性格だとは思うけど、明らかに気落ちしているようだ。放っておけなくなって声をかけると、少し間をおいてから弱々しく話しだした。
「……あの日、一人で逃げるみたいになったのが、情けなくて悔しくて……リッツさんは、怒ってないんですか?」
「怒るも何も……」
結果論ではあるけど、あのときの動きを色々シミュレートすると……まず、彼が煙幕を食らった直後に何か連中に対して敵対行動をとっていたら、流血沙汰になっていた可能性が高い。黙って捕まっていた場合、脱出の負担になっていただろうし、そもそもあのとき衛兵の方々が合流して無ければ、事態の収集は遅くなっていただろう。というか、誰か死んでてもおかしくない。
そう思えば、彼の行動は、なんというか一番合理的だったように思う。素直にそう伝えるも、彼はどこか納得いってないようだった。
「やれるだけのことをしたって言われましたし、自分でもできる限りのことをしたとは、思っているんです。でも、やっぱり……不甲斐なく思う気持ちは、どうしても消えなくて」
「でも……仕事は続ける、よな?」
彼はまた少し口を閉ざした。しかし目には強い光がある。やがて、彼は少し敢然とした口調で言った。
「このままでは終われないって、思ってます。自分で納得行くまで、もっと経験を積んで強くなって……」
「魔法も俺が少し教えるって話だったしなぁ。おごってくれるんだっけ?」
すると、彼は真面目な顔でうなずいた。
それから、俺は胸ポケットからさっきのタダ券を無造作に一枚つまんでヒラヒラさせ、「飯には困らなさそうだな~」と少し間延びした口調で言うと、あの夜以来彼が初めて笑った。
☆
南区の端、つまり門までたどり着くと、門衛さんに話し掛けられた。
「何かなされたんですか?」
「はい?」
「いえ……冒険者の方の掃除は、ちょっとした”おしおき”でやらされると聞いていたもので。顔ぶれもほとんど固定されているのですが……今日は初めての方なので、つい」
こうして気軽に話しかけられるということは、あまり深刻な失敗では任されないお仕置きなんだろうか。俺たちの依頼については少しはぐらかし、過去のお仕置きにあった先輩方の話を聞く。
「そうですね……護送任務で荷馬と競争して足をくじいた方とか、昼食に一品足すと言って、手鍋にそのへんのキノコをつっこんで一日使い物にならなくなった方とか……」
今まで出会った冒険者の先輩方は、冒険者という言葉に抱いていたイメージとは違って、あまり荒っぽい感じがないというか、想像よりもずっと品行が良いように思っていた。
しかし、やっぱり居るところには居るんだなと思いつつ、先の夜の脱出劇で禁呪を使いまくったことを思い出し、人のことは言えないな……と、俺は一人反省した。
門衛さんに別れを告げ、南区から東へ向かう。南門から東門に着いて、そのあと中央広場へ向かう頃には、昼食にちょうどいい時間になると考えてのルートだ。
東南エリアもやはりゴミは少ない。東は他よりも賑やかしい地区になっているものの、大通りから離れると静かで落ち着いた町並みになっている。店も少し上品というか、オシャレな感じの店構えをしている。
そんな小綺麗な店が並んでいるのを見て、ふとエスターさんのことを思い出した。東区で服飾店を任されているという話だった。
きちんと話ができるかわからないものの、一度店に顔ぐらいだしたほうがいいか、そう思ってサニーに相談した。すると、彼も同じような思いだったようで、朝までの弱々しい感じを振り切るように、少し力強く賛成してくれた。
そこで、道ですれ違った方にエスターさんのお店、ナディラ服飾店の場所を聞くと快く教えてもらえた。結構近いらしい。入る前から心臓の鼓動が早くなるのを感じた。店に近づくほどに、動悸が高まっていく。
少し歩くと店の前に着いた。代々受け継ぎ五代目という老舗らしいけど、周りの店に劣らず、品がある割りには軽やかな店構えだった。
しかし、入るには少し足取りが重くなる。サニーも同様らしく、表情が固くなっている。二人で顔を見合わせ苦笑いをし、何回か深呼吸をしてから店に入った。
店内は広めのコンビニぐらいの大きさで、外壁同様に壁は白い石でできている。ただ、暖色系の柔らかい灯りが間接照明っぽく所々に配してあって、澄ましていながら冷たさは感じさせない雰囲気だ。壁際の棚にはゆとりを持った感じで装飾品が陳列されていて、通路には服がズラッと並んでいる。相場はよくわからないものの、安物ではないことは確かだ。店員さんもお客さんもどことなく垢抜けた感じで、俺たち二人が場違いなようで少し気後れした。
しかし、用事を済ませる前から圧倒されているわけにもいかない。店の方から依頼の件をどう思われているか少し恐怖があったものの、勇気を出してカウンターの売り子さんに、自分たちのことを明かし、エスターさんに会いに来た旨を伝えた。
店員さんは少し驚いた後、「そのままお待ち下さい」と言って、別の店員さんを呼び寄せて店の奥へ向かわせた。
それからややあって、戻ってきた店員さんの案内で、俺たちは店の奥へと入っていく。
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