第58話 「身を射つ一矢」
開いたドアから、すぐには誰も出てこなかった。様子をうかがっているのか、あるいは別の出口から出るつもりなのかもしれない。
威嚇のつもりで、出口すぐの地面に向けて
誰か出てくる気配はない。俺ももうみんなを追った方がいいか……そう考えていると、正面にある窓がいきなり開き、中から紙で包まれた玉が俺の方へ放り投げられた。
瞬時に冷たい感じが背筋を走り、反射的に右手を向けて、玉に矢を放つ。とっさの出来事でも、狙いは外れないでくれた。空中での迎撃に成功すると、一瞬で矢が弾けて青緑の霞になり、それから遅れて青緑の霞を覆い隠すように赤紫の煙幕が広がった。
俺と家の間に、煙幕が広がる形になった。向こう側の様子は、はっきりとはわからない。さらなる飛び道具の用意があるかもしれない。
この場に留まるのは危険と考えて、後ろ歩きで家の方に注視しつつみんなを追うと、ドアが見えていたあたりの煙がわずかに揺らぎ、誰かが出てくるのがわかった。小さくむせる声も聞こえる。
それから数秒後、赤紫の煙の中からこどもが三人出てきた。それぞれ、手には少し刃渡りの長いナイフを持っている。先頭の子の視線は鋭く冷たい。捕らわれていた時に、一時クライヴと見張りを代わった子だ。
後の二人は、表情に若干の戸惑いが見えた気がした。とはいえ、いちいちまじまじと確認する余裕もなく、後の様子と前方を交互に見ながら森の中を走る。大人は別ルートなんだろうか。
事前の打ち合わせ通り、今通っているところは周囲よりも木々の密度が低く、ある程度の視界が通る。明かりがなくても月光だけでなんとかなるぐらいだ。
それでも、横に立つ木々から這い出した根っこがときどき足を取りそうになり、そのたびに肝を冷やした。
すぐには追いつかれそうにないものの、前方にだけ注意すると後ろから何か投げられるんじゃないかという懸念はある。
それに、きっと追手の三人は前を行く子たちよりも、体力的には優れているだろう。ハリーも、あの煙で体に何かしら悪影響が出ているかもしれない中、ネリーを担いで足場の悪いこの道を走っている。このまま追いかけっこを続けると、いずれ追いつかれる可能性は十分にある。
そして、追いつかれて、混戦状態になったら、血を見る事態になるのは明白だった。俺が食い止めなければならない、そう感じた。
後ろから何か投げつけられるような気配はない。一方で、俺の方には魔法がある。ただ、あと何回使えるかはわからない。精神的な疲弊が限界に近づいていると思う。気合を入れ直したとしても、いつ根本が折れるかわからない。
それでも、ここさえ乗り切れば。あの家の中にいた時よりもゴールに近づいている現状で、最後の手を緩めるわけにはいかなかった。
後ろに向けて適当な器を描いて威嚇してやると、後に続く二人が少しだけたじろいだように見えた。先頭の子との距離がわずかに開いたようにも見える。うまくおどせば二人を脱落させて一対一に持ち込めるかもしれない。
――それで、本当に”一対一”になったら、その後どうするんだ。
頭の中によぎる疑問を無理やり意識の奥へ押し込めて、まずはこの場の最善手に注力する。足場にも注意をはらいつつ、追う三人に向けて
さすがに抵抗はできなかったようで、目に見えて体勢が崩れたのがわかる。衝撃波は周りの木々の枝も揺らした。木をどうにかするのも、威嚇には使えるかもしれない。
しかし、まずは三人からもっと距離を取りたい。三人が追いつつも、少し怯んで速度が落ちた今がチャンスと、後ろを見ずに前方へ足を速める。
正確な時間を計る余裕なんて無いけど、10秒ほど走ったと思う。後ろを見ると三人とも立て直したようだ。ただ、各人の距離は更に開いたように見える。
走りつつ、今度は前方に注意を向け、道に突き出したちょうどいい太さの枝を探した。
すると、矢でも叩き折れるぐらいの、それなりの太さの枝を見つけた。後ろを振り返ると、鼓空破で開いた距離を埋めようと、三人が必死に走ってきている。
三人に向けて、今度は
しかし三人には効いたようで、光った瞬間に反射的に足を止めたのがわかった。あの煙幕のせいだろう。視界が何らかの色で染まることに、強い警戒を覚えるようだ。
ここがチャンスだ。三人の足元にそれぞれ矢を撃ち込み、間髪入れずに、先程目をつけた枝へ矢を放つ。足元で土や枝葉が音を立てて弾け飛び、ミシミシと折れ落ちた木の枝を見て、三人のうち一人が腰をついた。
たぶん、もう立てないだろうけど、彼が地に着いた手の近くへダメ押しに矢を放つと、彼は腕を縮めて頭を両手で抱えた。そうして、うずくまって動かなくなる。
すると、先頭の子は、心が折れた仲間の顎を蹴り上げた。それに一瞬呆気にとられてしまうと、彼が倒れた仲間から取り上げたナイフが、こちらへ飛んでくる。身を翻してかわすと、彼は走って距離を詰めてきた。残る一人も走り出す。
再度、鼓空破でひるませてから前方へ走る。しかし、今度は立ち直るのが早かったようで、前回ほど距離は開けられなかった。
段々と打てる手も少なくなってきた。
しかし、これも結局は無害だと知れたら、もうこけおどしにもならない。今できた猶予をうまく使わないと。
少し閃いたものがあって、目の前に継続・可動型の器を描き、複製術を使った。できあがった七つの器を、一つに重ね合わせていく。二人は、警戒しているようだ。煙を飛び越えてこちらへ向かってくる様子はない。
数秒かけて一つに重ねた七つ分の器を、道沿いのそれなりに太い適当な木へ向ける。どれだけ威力があるかわからない。ただ、うまくいくことを祈るだけだ。
そして、七つを束ねた一矢を放つと、耳をつんざくバァンという激しい衝撃音とともに、直撃した木の根元で青緑のマナの煙に混ざって粉々の木片が舞い上がった。
数瞬の後、木は断末魔を上げながら道を塞ぐように倒れ込んだ。地に衝撃が響く。
追手の片割れはへたり込み、先頭の子を見上げるやいなや、地に尻を付けたまま後ずさった。
一方、先頭の子は……後の二人の方へ振り向いて、それから俺の方に顔を向け、倒れ込んだ木をゆっくりとまたいできた。
「射てないんだろ」
心中を見透かしたように、彼が言い放つ。
「殺し合う気もないくせに、戦おうとしてんじゃねえよ!」
後ろの二人にも聞こえるような大声で叫ぶと、ナイフを構えてこちらへ走ってきた。
もう、どんな威嚇も効かないだろう。俺なりに手は尽くした。
しかし、こども相手に攻撃することに、苦痛を感じずにはいられなかった。「手を尽くした」だなんて言い訳を用意する自分が、たまらなく情けなかった。目が少し熱くなり、視界が霞む。それでも、せめて狙いだけは外さないように右手を構えて、彼の右の太ももを射った。
すると、肺の奥から空気を押し出すような、苦痛の声を上げて彼は倒れ込んだ。地面でのたうち、ナイフを手放し、両手で当たった場所を押さえている。
彼を射った手に、焼けるような感触を覚えた。右手に集まり、矛先を求めるマナを握りつぶすと、夜の空気が芯まで染みた。
静かに近づくと、彼は俺の顔をにらみあげ、右のふとももから離した手をナイフへ伸ばそうとする。俺はナイフを靴底で後ろへ滑らすと、「クソが」と彼は毒づいた。
彼から視線を外すと、あとの二人は消えていた。森の木立の中に隠れているんだろう。しかし……彼のおかげで、俺がこども相手でも射つことを認識された今、歯向かってくることはないはずだ。
「情けでもかけてるつもりかよ」
苦痛に喘ぎつつも、恨み言を投げつけてきた。
「……さっさと殺せよ。どうせ生きてたって仕方ねえんだ」
その言葉に、心を押し込めていたものが壊れた。クライヴにも、フレッドにも聞けなかった疑問が、頭の中で沸き立って脳裏を熱く真っ赤に染める。
気が付けば、俺は仰向けになった彼に馬乗りになって、首根っこを両手で掴んでいた。
「おい、お前らはもともとあの家に住んでたのか?」
視線が合った。忌々しげな目でこちらを睨みつけている。返事はない。彼を強く前後に一度揺すって、もう一度聞く。
「お前らの家じゃないだろ? 誰か住んでたんだろ?」
捨てられていた家には、とても見えなかった。窓に蜘蛛の巣が貼ることも、壁や床板が腐っているということもなかった。捨てられていた家を、こいつらが修繕したとも思えない。
彼の体を何度か前後に揺する。返事はない。
「殺して奪い取ったんじゃないのかって聞いてんだ、わかってんだろ」
先よりも大きな声で問いただすと、少し静かになった後小さな歯ぎしりが聞こえ、彼はわずかに視線を伏せた。頭に血が上った。
「生きてても仕方ないなら、人殺しなんてするんじゃねえよ!」
「うるせえ、てめえに何がわかる!」
「お前らだろ! 何もわかってないから、平気で人を殺せるんだろ!」
互いににらみ合う。捨て鉢で少し冷笑的だったクソガキの目に、熱が宿ってきた。
「だったらさっさと殺せよ! 俺らのこと、ろくにわかってないんだったら殺せるんだろ、やれよ!」
「できるか、バカ! だいたい、そんなに死にたいなら、お前らをこき使ってる大人に歯向かえばよかっただろ!」
唇を固く引き結んで、彼は押し黙った。俺の方は、言葉を押さえられない。
「どうでもいい命なら、身近なクソ野郎に叩きつけて散ってればそれで良かっただろ! 殺す相手を選んでんじゃねえよ!」
「選んでねえよ!」
「だったら、なんで言いなりになってんだよ! 言ってみろよ!」
答えを出させようと前後に揺すっても、返ってくる言葉はなかった。かわりに、目が潤んでくるのがわかった。
「結局は自分が生きるために、殺す相手を選んでんだろ! 死にたくないんだろ、認めろよ!」
「……クソが!」
精一杯の力で絞り出した一言を最後に、彼の目から涙が溢れ出した。俺の方も、感情の押さえが効かなくなって、熱いものがこみ上げてどうしようもなくなった。彼を掴んでいた両手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
離された彼は、俺に顔を見せないように目を右腕で覆って、わずかに聞こえる嗚咽を漏らした。
俺は流れる涙を袖で乱暴に拭い取ってから、残る二人に向かって叫んだ。
「見てるんだろ、クソガキ共! 追ってきたら、本当に許さないからな!」
木立の向こうの影で、茂みの葉が揺れる音が聞こえた。
しかし、いつまでもこっちにかかずらっていられない。後ろに向き直って、みんなを追おうとすると、強い立ちくらみで膝から落ちかけた。
それでも行かないと。追手は三人だった。奴らを引き連れていたはずの大人が、まだ家で悠々と寝てるなんてことはないだろう。別ルートでみんなに迫っているとしたら……。
頭の中で負のイメージがうずまき、腹の奥に熱い不快感を覚えた。茂みに寄って、それを全部ぶちまけた。そして、胃液で濡れた唇を袖で拭って、青々しい森の冷気を胸いっぱいに吸い込み、俺は前へ走り出した。
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