第57話 「脱出」

 手紙の往復は、見た目以上に消耗する。何回繰り返せるかはわからない。脱出が露見した場合の対応を考えると、いくらか力を温存しておく必要もある。

 まず必要だと考えたのが、下の階にいる子たちの協力体制を、少しでも堅固にしておくことだ。とはいっても、直接彼らの元へ出向いて説得することはできないし、手紙の文章だけでは伝えられることに限度がある。何より、説得するまでの手紙の往復は無視できない負担になる。

 クライヴ、フレッドに助言を求めると、やはり出た後の保護とか生活の世話が気がかりなようだ。


「……こんな生活でも、それでもなんとか食いつないでこれましたから……」


 泣きそうな顔でフレッドが言った。安請け合いして、この子たちをだますようなことはしたくない。

 しかし、自分たちの身も大切だし、何より依頼主のエスターさんを無事に救出しなければならない。

 あれこれ考えていると、この世界で生まれ育たなかったゆえの知識不足に苦しめられた。こういう子たちの受け皿とかあるんだろうか? 俺の個人的なツテで、どうにかできる問題なのか?

 考えてもどうにもならず下の二人に助けを求めると、エスターさんは取引先や商工会に掛け合って、丁稚でっちにしてもらえるように動いてくださるようだ。ハリーの方も、個人的なツテというか、家の方で面倒を見ることができるかもしれないとのことだ。

 俺の方からは、例の夜の戦いでの報奨金がまだ手つかずだったので、これを生活が落ち着くまでの資金にしてもらうことにする。方方ほうぼうに迷惑を掛ける可能性があるので、その侘びにも使うだろう。


 二回の手紙の往復で、俺たちからの条件提示をまとめ終え、新しく引っ張り出した紙にその内容を記す。目の前の二人に見せると、顔をうつむかせて泣き始めた。声は上げないでくれたけど。

 この2人は俺のことを信用してくれている、そう思っていい。俺もこの二人のことは信用できる。

 しかし、下の階の子たちはどうなんだろうか。それがやはり懸念材料だった。温度差が確実にあるように思う。その温度差を、この紙が埋めてくれるのかどうか……不確実でも賭けてみるしか無い。


 窓から窓へ、手紙を受け渡す。動きはスムーズになってきた一方で、精神的な疲労感はごまかせなかった。手紙を手で受け取ってもらえた瞬間、一枚の紙切れに過ぎないのに負担が和らぐのを感じてしまう。

 窓から顔を出し、夜の涼しい空気を胸いっぱいに取り込んで、大きく吐き出した。腹の奥から、何か熱いものがせり上げてくる感覚が、少し前からずっとあった。プレッシャーでやられそうになっている。

 吐き気をごまかすように落ち着いて深呼吸を繰り返していると、窓から手紙が出てきた。休んでいられない。もう一度手紙を動かし、次の部屋へ送り込む。


 次の手に受け取ってもらったのを確認した瞬間、体の中で何かが決壊した。手紙に書いた視導術キネサイトの接続を切らさないことにだけ精神を集中させ、窓際に膝立ちになって、床に胃の中をぶちまけた。

 吐くと少しだけ楽になった。しかし、口の中をゆすぐような贅沢は許されていない。水の調達なんて、さすがにこの状況では頼めない。

 二人に、床を拭くものを持ってきてもらい、それから俺のかわりに窓から手紙が出てるか確認をしてもらう。フレッドが目の前の吐瀉物をベッドのシーツで拭き取り、それから背中をさすってくれた。「大丈夫」と、なるべくいつもの調子で声をかける。

 それから消え入りそうな声で「手紙が出ました」とクライヴが教えてくれた。気合を入れ直して立ち上がり、窓から顔を出して手紙をこちらへ引き戻す。吐く前よりは多少マシになったようで、なんとか手紙を入手することができた。

 手紙を通じての条件提示で、下の階の見張りの子たちも、ある程度は信用してくれたらしい。戻ってきた手紙の方には、彼らが条件を受け入れたと書いてあった。互いに顔を見合わせたわけでもないけど、疑ってばかりもいられない。下の子達を信じて、クライヴとフレッドに色々確認しつつ、具体的な脱出の流れを考える。


 まずは、この家から出た後の脱出ルートだ。依頼を受ける前の情報では、野生の動物が現れると言われていた。

 しかし、目の前の二人によると、この家の周りでは見たことがないという。生息している場所が限定されているんじゃないだろうかとのことだ。

 続いて、夜中でも通れそうな道があるか、明かりは準備できるか確認する。この家の周りは木が少なくなっていて、かろうじて月明かりが地面まで届くぐらいの道もあり、そこを通れば街道までかなり近づけるそうだ。

 一方で明かりの調達は難しいらしい。家の外に納屋のようなものがあっても、そこに明かりになりそうなものを見たことはないようだ。とりあえず、月を頼りに進める道を行くことにする。


 脱出する全員の合流の仕方は、廊下を見張られていることを考えると窓から出るしかない。それで一階は問題ないだろう。ネリーがまだ気絶しているとしても、窓から引きずり出せないということは無さそうだ。

 問題は俺たち二階組だ。窓から首を出し、何か使えそうなルートがないか模索する。しかし、都合の良いハシゴや雨樋は見当たらない。

 そこで、先程話に出た納屋の存在を思い出した。


「納屋で縄は見たことある?」

「はい……リッツさんを縛ってたのに使ったのの、残りがまだあるはずです」


 縛られていたことを考えれば、まずあるだろうと踏んでいたけど、ドンピシャだった。少し危険だけど、縄があれば何とか下りられるんじゃないか。縄をこちらまで引き上げる必要があるものの、それは視導術でどうにかする。負荷は大きいだろうけど、なんとかやりきってみせる。

 俺は下の様子を見てくれたクライヴに、他の見張りのうちで機転が利いて信頼できる子を尋ねた。その子に窓から外へ出て納屋へ行き、縄を取ってきてもらうというわけだ。ついでに火元になりそうなものがあれば、それも見つけてもらう。


「女の人たちがいる部屋の、ティムがいいと思います」

「わかった、ティムか」


 ティムあての手紙に今まとめた頼み事を書き込んで、また窓から窓へ手紙を送る。

 今度は往復じゃないだけ気が楽だった。手にとってもらったのを確認し、上半身を屋外に出して窓枠に体重を預け、安堵の息をついた。


 息を落ち着けつつ、外の様子を見ると、左下の部屋の窓から少年が一人外へ出た。彼がティムだろう。彼は出た部屋から見て左前方にある小屋へ向かった。

 しかし、月明かりのおかげでそれなりに見えるものの、納屋の中までは厳しいかもしれない。そこで、可動・継続型の光球ライトボールを小さめに作り、彼の元へ飛ばしてやった。彼への手助けであり、この後の脱出時にもしかしたら必要になるかもしれない、明かりの予行練習でもある。

 後から青緑の光がやってきたことに、彼は少し驚きつつも俺が飛ばしたものだと気がつくと、小さく頭を下げたように見えた。

 彼を追うように光球を納屋へ送り込ませていく。繊細な操作が必要な視導術に比べれば、視界の通る状況で光球を飛ばすのは息抜きぐらいに感じられた。


 それから少しして、彼が縄を抱えて俺がいる窓の下へやってきた。手でそこで待つように指示を出して、縄の切れ端を宙に向けて片手を上げるよう、身振り手振りで指示を出す。何回か指示を繰り返して望んだ格好になってから、そのまま待機してもらった。

 ここからが、今日一番の”力仕事”だ。可動・継続の器を普段の大きさで作り、ティムが掲げた手からはみ出す縄の切れ端の元へ、器を慎重におろしていく。

 器の表面から縄が飛び出る格好になったところで、今度は器に視導術の文を書き込む。そして、縄を引き上げていくと、ティムは察してくれたようで手を離した。


 縄を引き上げていくほどに、地面に預けていた重量が魔法陣へとかかっていく。

 ただ、嬉しい誤算だったのは、引き上げるほどに魔法陣は当然俺に近づくわけで、距離の負担が減るということだ。重さと距離とでどれだけ相殺されるのかはわからないものの、予想よりは随分マシな状況だった。

 目を閉じ、窓から目一杯右腕を伸ばし、手に縄が届くよう脳内のイメージに集中する。やがて、マナで感じていた重みが、現実的な物になった。

 手で縄を掴み、引き上げる。部屋の中へ少し縄が入ったところで、クライヴとフレッドが引き上げを代わってくれた。二人に後を任せ、壁に背を預けて座り込む。


 縄を全て部屋へ引き込んだところで、いよいよ部屋から出る準備に入る。まずは下の階の子を説得してくれたクライヴを縄でおろし、他の部屋の子達に指示を出してもらう。

 部屋のベッドの足に縄を何重にもくくりつけ、片方の端を窓から地面へ下ろす。最悪でも二階から飛び降りるぐらいの出来事で済むけど、なんとかそうならないように祈るばかりだ。

「後は頼む」と言って彼を見送ろうとした俺は、一つ思い出したことがあって付け足した。「下りたらモニカ優先で動いてもいいから」

 妹のモニカは、ずっと外にいるようだった。煙の真っ只中にいたのだから、あのとき対処できていたとしても、外の空気に触れたいのかもしれない。

 でも、一番の理由は罪悪感何じゃないかと思う。あの子にだまされた立場ではあるけど、あの子もあの子なりの境遇から仕方なくそうしたんだろう。あまり恨みたくはない一方で、あまり優しくしてあげる義理もない。だからこそ、クライヴに託したい。

 クライヴは、少し涙ぐんで鼻をすすった。「終わるまで泣くんじゃない」と言って、髪をワシャワシャ撫でてやると、彼は少し笑顔になって縄伝いに下へ降りていった。窓越しに様子を見ると、問題なかったようだ。

 続いてフレッドの番だ。彼にも手を頭に乗せて撫でてやる。


「なんか……クライヴの方に構ってたことが多かった気がする、ごめん」

「いえ、いいんです。モニカのこともあるし」

「俺も妹がいたから、ちょっと放っておけなかったんだ」

「……いた?」

「なんでもない。さぁ、降りよう」


 心の奥底に押し込めた記憶が表に出る前に、現実に向き直って集中を取り戻す。フレッドの背中を優しく押して次を促す。窓からの高さに一瞬すくんだものの、彼も覚悟を決めて下りていった。

 最後に俺の出番だ。こんな状況での魔法の使いすぎによる疲れは、精神的なものが大きいようで、肉体的な疲れは予想したほどではなかった。それでも、主に右腕の疲労感は否めない。

 手をすりむかないように力を込め、壁に足をかけて少しずつ降りていく。かなりキツい。うまく地面に足をつけることができたときには、思わず感動してしまった。足で草を踏む感触すら懐かしさを覚える。


 地面に降りて振り返ると、すでに窓から出た一階の面々がいた。不安げな様子のこどもたちと、目覚めないネリーを担ぎ、申し訳無さそうな表情のハリーと、今にも泣き出しそうな様子のエスターさんが。

 ハリーがこちらに駆け寄ろうとし、途中でなにか気づいて思いとどまった。彼はジェスチャーで木立の方へ向かうように促してきた。立ち話するにも、まずは家から離れた方がいいだろう。

 しかし……歩こうとすると、少し地面の感覚がおぼつかない。ハリーには疲れを気取られたようで、ますます表情が曇る。視線が合った彼に苦笑いしつつ、森の方を指差してそちらで話そうと意思を伝えた。


 歩いていくと、体は少しずつだけど落ち着いていった。一方で精神的には少し不安定になっていく感じがある。みんなに会えたことに、安心と、それよりも強い不安、責任を感じずにはいられなかった。

 森の中、少しまばらな木々と茂みに身を隠すようにして一同が集まる。みんなが俺の方に注目しているのがわかる。少しの間静寂が続き、最初に口を開いたのはハリーだった。


「大丈夫か?」

「肉体的には……まぁなんとか。ただ、頭を使うのはちょっとツラいかも」

「そうか……すまん、役に立てなくて」

「何いってんだ、ハリーには女の子一人担いで、無事に逃げおおせる大仕事があるだろ?」


 彼が担いでいるネリーに視線を移す。顔色にも表情にも、特に苦しそうな感じは見受けられない。ただ静かに眠っているように見える。

 少し近づいて手首から脈を取ると、少し早く感じたものの、きちんと生きているのがわかった。


「絶対、生かして返そう」

「ああ」


 ハリーが力強くうなずいた。続いてエスターさんに向き直る。視線をやった瞬間、彼女はビクッと体を震わせ、それに思わず俺も驚いた。

 その後、つとめて穏やかな表情を作ろうとするも、なんだか疲れた感じの表情になってしまっているのが自分でもわかり、結局は真面目な顔で相対した。


「すみません、その……もっとしっかりしていれば、こんなことには」

「いえ、私の不注意が招いたことです。本当に……本当にごめんなさい」


 消え入りそうな弱々しい声は、少し震えていた。できることなら、もっと落ち着けるところでお話して、気持ちを楽にしてあげたい。

 しかし、そんな事を言ってられる状況でもない。


「依頼主にご負担掛ける形になって心苦しいですが、安全な場所へ逃げるまで徒歩でいきます。最悪の場合は走る必要も出ます、ご了承ください」


 腰を曲げてお願いすると、上から少し鼻をすする小さな音が聞こえ、そのあと「ごめんなさい」と言われた。


「……泣いていると、体に力が入らずうまく進めません。俺たちのことは大丈夫ですから、少し笑ってみてください。そっちの方が、みんな力が湧いてきますから」


 彼女の手を両手で優しく取って励ますと、手の上に雫が一滴落ちてきた。一滴止まりだった。

 手から視線を上げると、少し弱々しいものの笑っているエスターさんがいた。たぶん、これで大丈夫だろう。

 次いで、クライヴを呼んで最後の役割分担を行う。彼は妹と手をつないだままこちらへやってきた。モニカはこちらを見ようとはしない。仕方のないことだと思う。


「道案内のため、こども先頭で進む。フレッドはエスターさんの手を引いて差し上げてくれ。こどもたちの後に、ハリーがネリーを担いで続く感じで。ハリーが少し遅れるかもしれないから、念のためティムは彼についてあげてほしい」

「リッツはどうする気だ?」

「一番後ろにつく」

「……大丈夫か?」


 心底心配そうな表情で、ハリーが見つめてきた。他の視線も感じる。場のみんなを落ち着けるために、少し強気に発言した方がいいだろう。深く息を吸い込んから、慣れない大口をたたいてみせる。


「丸腰でここまでの状況を整えたのは、どこの誰だと思ってんだ」

「……だから、無理させてるんじゃないかと」

「……いやまぁ、そうだけどさ。俺が一番、色々器用に立ち回れるんだ。まだやれるから安心して任せろ」


 力強く、自分も鼓舞するように言い放つと、俺の提案を受け入れてくれたようでハリーは首を縦に振った。


 いよいよという段になり、周りの面々に視線をやって、一つ気がかりが胸中に沸き起こった。


「クライヴ、逃げるはずのこどもが、足らないなんてことはないか?」


 彼が視線を走らすと、顔が青ざめた。返事を待たず、「ここから離れろ」と指示を出すと、先の役割に沿ってみんな駆け出した。

 どのタイミングで別れたんだろうか。窓から外へ出るときか、あるいは森へ踏み入れるときか……注意が俺に集中していたから、誰も気が付かなった。

 想像していながら直視できなかった、悪い可能性が現実のものになってしまったようだ。たぶん、いない子は密告に行ったんだろう。逃げおおせるかわからない逃避行よりは、昨日までの生活を選んだんだ。


 みんなが走り去ってあたりが少し静まり返ったあと、家の方に意識を集中すると小さな物音が聞こえた。おそらく、武器を持っていると思われるのは、リーダーらしき大人一人と側近のこども三人。密告したであろう子も、もしかしたら戦えるかもしれない。

 家の様子を注視しつつ、後ろ歩きにみんなを追う。この状況で追手と遭遇したら、間違いなく戦闘になるだろう。人とやりあうことになる。死ぬ覚悟よりも殺す覚悟を決める方が、何倍も苦しく感じた。


 そして、家のドアが勢いよく開いた。

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