第56話 「つなげる意思」

 とりあえずの説得が済んだところで、強い疲労感が襲いかかってきた。昼に吸わされた煙のせいか、あるいはプレッシャーの中で神経をすり減らすような魔法の使い方をしたためか。

 息を荒げる俺を、二人が心配そうな表情で見つめてきた。この二人にあまり弱いところは見せられない。もしかしたら裏切る――正確に言うと元の鞘に戻る――可能性があるし……それ以上に、俺が彼らをこの状況からどうにかすると、少しでもそう信じさせてしまったからだ。ちゃんとする責任が、俺にはある。


 少し落ち着いてからお互いに自己紹介をした。兄妹がクライヴとモニカ、少し小柄な少年がフレッドだ。

 続いて状況確認をと思ったところで、多少考え込んだ。まだ互いの信頼関係が確かなものじゃない。質問の内容とか聞き方は、この子たちの心情をおもんぱかったほうがいいだろう。


「君らの仲間……というか、メンバーって何人いる?」

「11人です。僕らみたいなこどもが10人、上に大人が1人です」

「その大人ってのが……まぁ、ロクでなしなんだろうね」


 二人とも無言でうなずいた。その大人がどんなヤツかとか、このままだとどうなるかとか、聞いておかねばならないとは思うものの、彼らにとっては色々と話しづらいことかもしれない。

 他の質問に移ろうか考えていると、フレッドが口を開いた。


「大人の人はジーンっていうんですけど……腕っぷしじゃ数人がかりでも敵わなくて、逆らえなくて」


 言葉を切ると彼は震え始めた。「もういいよ」と言って頭を撫でてやる。

 逃げ出すという選択は、きっとなかったんだろう。やっていけるかどうかわからない不確かな自由よりは、まだマシだと思ったのか。あるいは、マシな未来を思い描く余裕さえ奪われていたのか。

 フレッドが平静を取り戻してから、また質問をする。


「俺みたいに捕まえたのは何人?」

「四人です。リッツさんと、大柄な男の人と、女の人二人で」

「その女性の方だけど、ちょっと小柄な子はいなかった?」

「いえ……」


 昼間の状況を思い出す。煙が出たのは御者台で、その時荷台の後ろの方を歩いていたのは、サニーとセレナだった。捕まっていないということは、うまく離脱できたんだろうか。こんな状況では、そうやって無事逃げてくれた方がありがたい。

 ともかく、捕まっているのは俺とエスターさん、ハリーとネリーの四人だろう。あとはこの建物の中の配置を知らないと。

 クライヴの説明によると、こどもの力では上の階まで担げなかったハリーが一階、女性二人も一階。連れ去られた当初から、まだ意識があったエスターさんが、ネリーから離れそうになかったため、二人は少し広めの部屋で一緒に見張られているらしい。

 それで、最後に俺が2階に担ぎ込まれたようだ。


「例の大人は?」

「二階にいます。今は、僕らこどものなかで強い方の子を、三人見張りに立てて寝ているはずです」

「俺たちの荷物は?」

「荷台の分とか、リッツさん達が持っていたものは、武器も含めて大人がいる部屋にあります」


 武器を取り戻そうとするなら、見張りの子たちをどうにかした上で忍び込まないといけない。

 ただ、大人が目を覚まさないという保証はない。丸腰でもこっそり逃げる方向で考えた方が安全かもしれない。目の前の二人が角材なんて持たされているあたり、おそらくは大人と側近の三人ぐらいしか武器を持たされていないんだろう。その点でも、荒事を避けるように動くのが無難と感じた。


「他の見張りの子達は、協力してくれるかな?」

「……わかりません」

「……じゃあ、逆に聞くけど、二人はどうして俺に協力する気になった?」


 顔を見合わせ、先に口を開いたのはフレッドだった。


「魔法を使える人を見たのが初めてで……実は強いんじゃないか、なんとかしてくれるんじゃないかって」

「……それに、僕らの誰よりも、人が良さそうに見えました」


 思わず苦笑いした。きっと本気で言っているんだろうけど。こうして信じてもらえているのはありがたいものの、この先非情な決断を迫られるかもしれない。今からその覚悟はしておかないと。

 今の所の情報と考えをまとめようとし、二人に紙やペンがないか尋ねた。すると、机の方から紙と羽ペンにインクを持ってきてくれた。


「ところで、こうして話してて大丈夫? 見張りとか来ない?」

「巡回は……ないと思います。これまでも、そういうことはしませんでしたから」


 クライヴが答えた。今までにも「こういうこと」は、していたんだろう。その追及はしないでおいた。


 これからの作戦だけど、まずはそれぞれの見張りをどうにかしないといけない。大人の護衛に当たっている三人は、おそらく交渉の余地がないように思われるので、そちらに目をつけられないようにこっそり事を運ぶ必要がある。


「他の部屋へ行き来はできる?」

「あまり、目立たないようにすれば……それでも、何度も繰り返すと目をつけられると思います」

「……そもそも、部屋から出ること自体が怪しまれる?」

「それは……」


 暗い表情でフレッドが悩み込むと、代わりにクライヴが返答した。


「僕なら、妹の様子を見に行くって言えば、一回か二回ぐらいは普通に出られると思います」

「わかった、頼むよ」


 次はできるだけ少ない回数の出入りで、各所の見張りをこちらに引き込む方法だ。

 俺が魔法使いだってことを証明できれば、それで協力させられるかどうか。二人に聞いてみると、そういう力を見せてもらえれば後はなんとか説得できると思う、とのことだった。不確実だけどやるしかない。

 問題は、俺は部屋から出られないということだった。何とか遠隔で魔法っぽいことをしてみせるしか無い。それも、視界が通らない状況で。


 またぶっつけ本番の状況になってしまうのを避けるため、少し実験することにした。紙の大きさに合わせて継続型の器を描き、クライヴに持たせる。

 その後、ベッドからシーツを引っ張り出して俺の上半身を覆う。器を描いた紙と俺の間に遮蔽物はできたものの、頭の中のイメージで接続は切れていない。ただ、いつもよりもつながりの感覚がぼんやりとしている。

 その器に光球ライトボールを書き込もうとすると、文は瞬時に思い出せても、イメージの方に刻む文の歩みが、とても遅い。かろうじて動いている、程度の記述速度だ。

 固まった時計の針を力づくで動かすように、文を書く力に神経を注ぐと、なんとか消えることなく文が進んでいき、やがて魔法陣になった。

 かぶったシーツを取っ払うと、確かに青緑色の光球が浮かんでいる。満足してそいつを消すと、今度は急に倦怠感に包まれる。上半身を中心に体がほてり、夜の空気が心地よく感じられた。


 二人は興奮したようだったけど、少し息が荒くなっている俺を見て不安げな面持ちになった。

 まだ、限界じゃないとは思う。ただ、これを階下の部屋にまで遠隔でやるとなると、少し厳しいかもしれない。現状では、すでにできあがった器があれば、それを目的地に遮蔽物があってもマナを通せる、ぐらいの経験則しかない。

 しかし……窓を開ければ、もしかしたら外を迂回してマナを遠くへ通しやすくできるかも。マナを何かの電磁波みたいに捉えると、階下へマナを届ける対策としてはアリなんじゃないかと考えた。


「説得する前に、窓を開けさせるのってできるかな?」

「たぶんそれぐらいなら、怪しまれないと思います」

「じゃあ、下の階で部屋に入ったら、まずは窓を開けてくれ」


 少しずつ、頭の中で策をまとめていく。結局はぶっつけ本番の綱渡りが何度も続く形になるけど、それでもやりきるしかない。ある程度方向性が定まったところで、二人をそばに呼び寄せる。


「クライヴに、妹さんの様子を見るためって名目で、下に降りてもらう」

「はい」

「フレッドは、俺の見張りの継続だ」

「何もしなくていいんですか?」

「……クライヴが出ていった後に、代わりの子が見張りに立つんじゃないか?」


 俺がそう聞くと、二人はハッとした表情になってからうなずいた。問いにクライヴが答える。


「最低でも二人で見張るようにすると思います」

「だから、フレッドにはここに残ってもらって、”何事もなかった”ようにしてもらわないといけないんだ」

「わかりました」


 ざっくりした役割分担ができたところで、クライヴと俺の役割について詰めていく。紙二枚に継続・可動型の器を描き込み、彼に手渡す。


「この紙を下の階の見張りの子に見せるんだけど、最初は折り曲げておいて、開く時は地面に置いてから、他の子にも見えるようにしっかり広げるんだ。広げたのを合図に、俺がここから文字を書いてみせるから。それで、一部屋につき一枚広げて説得の材料にしてくれ」


 俺の話に、二人は期待と不安が入り混じったような視線を投げかけてきた。俺がさっき結構苦しそうにやってたからだろう。安心させるために、頭に手をおいて優しく撫でてやる。


「まぁ、絶対の自信はないけど……がんばるよ。クライヴも頑張ってくれ。フレッドは、”いつもどおり”な」

「はい」


 話がまとまったところで、見張りの入れ替えに備え、再度拘束を施してもらう。フレッドは、本当に申し訳無さそうに、「ごめんなさい」と言いながら俺の手足を結んだ。

 また地面に転がされた状態になってから、クライヴに「後は頼む」と言って送り出す。彼がうなずき部屋を後にしてから少しして、別の子が代わりの見張りにやってきた。先の二人とは違うのが一目でわかった。ガッチリと言うほどではないものの、二人よりも体格がいい。

 それに……俺に向けた視線は冷たく、表情に甘さのようなものがない。彼らがかねてからこういう所業に手を染めているのなら、おそらくは実働担当ってところだろう。

 あまり視線を合わせないようにしながら彼の様子を見て、そのあと目を閉じ、俺はこれからのことに集中した。

 目を閉じると、二つの器だけが脳裏に浮かび上がった。きちんとたたまれた状態だ。これが広がったら、全身全霊をかけて文を書かなければならない。いつもよりも深く息を吸ってその時を待つ。


 そして、頭の中の器が動いた。たたまれていたイメージが少しずつ広がり、完全に平らになった。

 何度目かわからない、今日の正念場がやってきた。精神を集中させ、自分と器の位置関係を把握し、マナの通り道を確保する。側頭を付けた床の、更に階下に器がある。それをごくわずかに動かすイメージをすると、いつもよりも反応に遅延があったものの、イメージどおりに器が動いたのがわかった。

 つながっている器に、光球の文を書き込んでいく。シーツでくるまった時よりもさらに反応が鈍いし、心拍が上がって息苦しい感じもある。

 それでも、できないわけじゃない。少しずつ書けている。しかし、いつもよりも遅い記述に、最後まで完遂できないんじゃないかという不安が湧き上がる。だからといって、無理に急いで消耗すれば、新しい見張りの子に不審がられるかもしれない。フレッドだって、今の演技を続けられなくなるかもしれない。いつも早く書けるなら、遅くだって書ける、そう信じよう。

 どれだけ時間がかかったかわからない。焦る気持ちとは裏腹にのろのろと進んでいった文を最後まで書ききると、魔法陣ができあがったのがわかった。心臓がバクバク言っている。それでも気取られないように、深く、細く、息をする。後はクライヴの説得次第だ。次の出番まで静かに息を整える。


 おそらく十分弱経ってからだと思うけど、また器が広がった。たぶん先ほどよりも奥の部屋なんだろう。少し距離が遠くになっているのがわかる。でも、さっきはうまくできたんだ、今度もそう変わらない。自分にそう言い聞かせる。

 ふと、お屋敷での訓練を思い浮かべた。水やりで”つながり”を強くする訓練、屋敷の塀に沿って光球を動かし射程を伸ばす訓練。その成果が今試されている。俺に色々教えてくれて、支えてくれた彼女たちのためにも、こんなところでつまづいてなんていられない。

 そう思うと、意識を無理に引き伸ばされるような辛さは変わらなかったけど、気持ちだけは少し楽になった。

 遠くの器に文を書いていて、意識を引きちぎられそうになる感覚を何度か味わいながらも、今回もなんとか書ききれた。これで、とりあえずの俺の仕事は終了だ。クライヴが帰ってくるまでバレないように過ごせばいい。


 また十分ぐらいするとクライヴがやってきた。代わりの見張りの子は、無言で角材をクライヴに手渡して部屋を去った。

 ドアが閉まってからすぐ、俺の方へ駆け寄ろうとする彼を、俺は床に転がりながらも首を振って立ち止まらせる。もう少し時間が経ってからじゃないと。

 すると、俺の意図を汲んでくれたのか、二人はそのあと数分ほど芝居を続けてくれた。


 そして、部屋の外に何も気配がないことを確認してから、二人に縄をほどいてもらった。窓を開けることができたか、クライヴに確認すると、彼は力強く首を縦に振った。

 さっそく窓から首を出して見てみると、ちょうど下の部屋と左下の部屋の窓が開いている。彼にも見てもらって、それらの部屋にみんなが捕らわれていることを確認した。


「協力はしてくれそう?」

「たぶん、大丈夫だと思いますけど……断言できません」


 この発言、裏を返せば少なくともこの子は、俺のことを信頼しているように感じた。ちゃんと、こんなところから解放して、なんとかしてあげたい。そう強く思った。


「下の部屋は、ペンとかあった?」

「書くものぐらいはあったと思います」

「わかった」


 二枚の紙にそれぞれ視導術キネサイトを書き込み、裏側には『協力する気があるなら、縄をほどいて、捕らえた人に名前を書かせてやってくれ。書き終わったら、また窓の外へ手で出して』と書いた。

 それらを一枚ずつ窓から窓へ視導術で移動させて、これから手紙のやり取りを行う。普段やるよりも、視導術での移動距離が長い。気を抜けば解けそうになる魔法を二つ、気合と根性でなんとか保たせてみせる。

 窓から身を乗り出し、魔法で手紙を階下へ送ってやると、窓から伸びた手がそれを受け取ってくれた。ややあって、手紙がまた窓から外へ出たのを認め、こちらに引き寄せる。

 そうやって手にした二枚の紙には、名前だけじゃなくて、短いメッセージも添えてあった。


「ハロルド・リーヴァス。役に立てず本当に済まない」

「エストリーチェ・ナディラ。コーネリアさんは、まだ目覚めません。私のせいで、本当にごめんなさい」


 エスターさんの方の手紙は、ところどころ円形に濡れていた。声は聞けなかったけど、こうしてやり取りできて、あらためて強い使命感を覚えた。

 少しずつ前進している実感はある。そして、確実に忍び寄ってくる疲労感も。いくらでも手紙交換できるわけじゃない。この後の算段をきちんと定めて脱出しなければ。


 疲れとともに、負のイメージが心の奥底から這い上がってくる、そんな気がした。それでも、負けてたまるか。きっと、みんなで帰ってみせる。

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