第50話 「試験当日」
6月4日、Eランク魔導師階位認定試験当日。前日に、試験は午前10時からだと宿のお二人に伝えると、今日は少し早めに起こしてもらえた。
身支度を済ませて階下の食堂に降りると、温かい朝食が用意してあった。「お腹いっぱいになると良くないから、少し控えめです」とリリノーラさんが言うように、いつもよりは少なめだ。
席についてさっそくいただく。量は控えめでも、パンに主菜の魚のソテー、サラダにスープと、品数があってバランスの良い食事だ。食事を始めて少し経つと、奥のキッチンからルディウスさんがやってきた。お互いに無言で会釈する。
ここに住ませてもらってから一ヶ月ぐらいになるけど、店主の彼とはあまり会話がない。ハリーも口数は少なめだったけど、ルディウスさんはそれ以上かもしれない。料理の感想を素直に伝えると、少し照れたようにはにかむので、悪く思われているようではないと思う。
「今日は試験がんばってくださいね!」
「僕も応援してます」
お二人が少し小声で励ましてくれる。他の部屋の皆さんを起こさないように、という配慮だろう。食事で口がふさがっているので、とりあえず視線を返して小さく頭を下げた。
見られながら食事するのは少し恥ずかしい。何か会話をと思って、口の中をスープで胃に流しこんで口を開く。
「応援ありがとうございます」
「試験結果って当日中にわかります?」
「Eランクはその場で合否がわかるそうです」
「昼までには終わるんですよね? 昼食どうします?」
たぶん、合格したらタダにしてくれるとか、少し豪華にしてもらえるとか、そういう話の流れだろう。ただ、この一ヶ月ここに住んで、少ないながらも昼食時にお客さんが来店するのを目撃していた。俺のお祝いのために、昼食でちょっとサービスしてもらうってのは、他のお客さんに悪いんじゃないかって気はする。
「昼食は、適当にどこかで取ります。試験で知り合いに出くわすかもしれませんから、たぶんその流れで」
実際、闘技場に魔法の練習で来ていた人たちとは、ギルドでの仕事で知り合っていたり、似顔絵を描いてあげたりで、知人ぐらいの関係の人が多い。顔を合わせると、互いの調子を尋ね合ったり、うまい飯屋の情報交換をしたりという程度の仲だ。俺は飯屋を聞かれたら、とりあえずこの宿を紹介している。
「では、合格したら昼下がりに一度、こちらへ顔を出して報告してもらえませんか? 夕飯を少しリッチにしますので!」
「なんとしても、合格しますね!」
彼女のノリに合わせてグッとガッツポーズしてそう言うと、お二人とも笑顔でうなずいた。
夕食の話題で、たぶん試験について色々聞かれるんだろう。そんなにたいしたことがない試験らしいので、あんまり仰々しいお祝いになると少し恥ずかしい。そのあたりのことを伝えると、「ちょっと豪華になるだけです、大丈夫ですよ」と微笑みながら返された。
☆
試験会場の闘技場にたどり着くと、中央の入口脇にテーブルが置いてあって、その上に大きな時計があった。この世界の時計は針がなく、代わりに円周が染まって時刻を表す感じになっている。円は二つ、時針に相当するものと、分針に相当するもので構成されている。今は外側の円が頂点から右向きに三分の一ほど緑色に染まり、内側の円は頂点からほんの少し右に行った分までが染まっている。だいたい午前8時だ。
闘技場の外では魔法の練習をしない、そういう不文律がある。そのため闘技場の外には、ストレッチしたり闘技場の外周に沿ってジョギングしたりと、体を動かしてリラックスしようという人が多い。
柔軟している中には見知った顔も何人かいた。互いに声をかけあい、挨拶と軽い激励を済ませて、俺は闘技場の中の回廊部分へ入る。
中に入ると、入り口のすぐそばに即席の受付らしき場所があって、魔法庁の職員の方が声をかけてきた。
「おはようございます、Eランク魔導師階位認定試験に参加される方ですか?」
「はい」
「各種公共機関が交付する身分証をお持ちでしたら、ご提示願います」
カバンから冒険者の会員証を取り出し、受付の方に手渡すと、彼女は素早く視線を走らせて確認したあと、テーブルの上に置いてある書類にカードを重ねた。
「身分証中央の紋章部に指を押し当て、ご自身のマナを注入してください」
図書館での貸出時と同じ要領ということだろう。言われたとおりにすると、カードに刻まれた紋章が青緑に発光し、その光が下に敷いた書類へと移る。「処理が済んだ」と言われて指を離すと、彼女は両手で身分証を手に取り、丁寧に俺へ返してくれた。
「こちらが受験証になります。試験はEランク魔法五種の実技です。
説明しながら、彼女は書類の下の方にある空欄を指差した。丸と下線の組み合わせが四つあって、書き込むスペースなんだとすぐわかった。
「試験前に、選択の四種はこちらに書き込んでください。こちらへの記入に関しては、文字が読めれば問題ありません。書き損じた場合は、字を消すか二重線で訂正してください……説明は以上です。何か質問はございますか?」
「いえ、大丈夫です」
答えると、それまでちょっと冷淡というか事務的そのものだった受付の方の表情が、フッとやわらいだものになって、両手で受験証を差し出された。
「では、試験がんばってくださいね」
優しい声で言われて思わず深く頭を下げると、少し小さく含み笑いを漏らされた。少し恥ずかしくなったけど、ここで足早に逃げるとさらにみっともないと思って、なるべく平静を装い、いつもの歩調で受付を後にする。
回廊部分では、テーブルの上に本を広げている人が数人いた。今になって文を覚えたり確かめようっていうわけでもないだろう。たぶん、趣味の本とかを読んで気分を落ち着けているんじゃないかと思う。俺もカバンの中には図書館で借りた本が入っていて、試験までの時間は読書して過ごすつもりだった。
回廊を抜けて闘技場の中心部を見てみると、やはりここが一番人が多い。みんな魔法の練習をしている。多いのはEランクでも比較的難しいと言われる
邪魔にならないように、俺は空いているスペースを見つけて魔法の練習を始めた。といっても、前日までに仕上げているので、覚えた魔法を一通り使って、今日の調子を把握する程度だ。
習得した魔法を全部試したところ、特に問題は無さそうだ。どれもいつもどおりに使える。そこで、メルの勧め通り、今日は比較的ラクな魔法を選択の四種で使うことにする。
屋内に戻って、周囲に人がいない落ち着けそうなテーブルを選んで席につく。それから受験証を取り出し、四つの空欄に
あとは試験で緊張せずにうまくやるだけだ。カバンから取り出した『スライムの作り方』を読み始める。これはなんというか、専門書と入門書の間ぐらいの内容だ。ところどころ解説もなく専門用語が出てくる以外はわかりやすい、独学の門外漢向けの本みたいになっている。さすがに自分でスライムを作ることはないんだろうなとは思う。
ペラペラ本を読み進めていると、これまでの魔法の訓練やお嬢様のことが、ふと脳裏をよぎった。
試験に向けて覚えた魔法は、どれも自力で習得した。一人暮らしを始めたのだから、できるところまでは自力でやりたい、そういう願望があったからだ。
お屋敷へ水やりに行ったとき、お嬢様にそのことを伝えると、ただ一言「がんばってください」と穏やかな笑みで言われた。さほど心配していないようだった。Eランクだから余裕だと考えているのかもしれない。それに、例の夜の戦いに比べれば、どうってことないんだろう。
それでも、合格したら報告に行かないと。合格したら、だけど。合格しなかったら……考えないようにしよう。
更に読み進めると、作ったスライムの扱い方について記載があった。ふと地下水道のことが思い浮かんだ。ネリーはあの時点でも魔法を使えてたらしいけど、闘技場では出くわさなかった。Eランクの試験を受ける様子はないようだ。
ハリーはというと、マナを出せるようにする訓練は続けていたようだったけど、魔法の習得まではまだ考えていないらしかった。
それから俺は、前にマリーさんとお嬢様のこれからについて話をしていたときのことを思い出した。お嬢様も冒険者になるかも、そんな話だった。
彼女が冒険者になったら、やっぱり最初は地下の清掃からなんだろうか。それで、デッキブラシを構えてスライムをぶっ叩いたりするんだろうか……どうもその光景がイメージできない。
色々ぼんやり考えながらページを捲っていると、同世代の女の子に話しかけられた。顔を見上げると、最近知り合った子がいる。似顔絵を描いてあげた子だ。彼女の後ろには、少し大人しそうな連れの子が、様子をうかがうようにこちらを見ている。
「おはよ。何読んでるの?」
「おはよう。スライムを作る本を読んでる」
「へ~、なに、作っちゃうの?」
「いや、掃除で倒すのに苦労したからさ、ちょっと気になって」
彼女は「ふーん」と言いつつ、肩掛けカバンから何か取り出した。無地のベージュの紙だ。
「例の似顔絵、この子にもやってあげてよ」
「うーん」
「ダメ?」
あたりを見回すと、試験が近づいてそこそこ受験生が増えている。魔法庁の職員の方も。あまり目立つのは得策ではないだろう。
「また今度でいい? 職員の方に試験前に遊んでると思われるとアレだし」
「そっかー、じゃあまた今度ね」
彼女は手を振り「バイバイ」と言って立ち去った。大人しそうな子がその後に続く。
予想以上に、似顔絵の件で顔が知れてしまっているのかもしれない。幸い、魔法庁の方から接触されたことはないけど、これからは少し気をつけた方がいいだろう。
それからまた少し経つと、職員の方が少し大きめの声を上げた。
「そろそろ試験が始まります、受験される方は闘技場中央へ集合してください。付き添いの方は中央には入らないように。観覧席はご利用くださって結構です」
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