第46話 「創世神話」

 一人暮らしを始めてから一週間ほど経った。

 同じ宿で暮らす方々は、みなさん同世代だった。静かな地区を好んで選んだのだろう、おとなしそうな方が多い。食事の席で仕事の話になると、少し饒舌になる場面もいくらかあったけど。

 俺は、あまり根掘り葉掘りに色々聞かれはしなかった。明かせない事情がそれなりにあるだけに、詮索されないのは助かった。ただ、打ち解けてきたらやはり色々聞かれるんだろうかと思う。

 隣の部屋の方は、俺が冒険者だと知るなり、怪我をしたら言ってくれれば薬を安く提供すると申し出てくれた。どうやら薬医の方らしい。部屋選びはここで間違いなかったようだ。



 5月10日、朝。俺はギルド横の図書館にいた。

 受付の方にギルドの会員証を提示すると、利用方法や館内の簡単な説明をしてもらえた。一部の書物は持ち出し禁止、それ以外の一般書物は一人一度に五冊まで貸し出し可能。貸し出し期限は二週間とのことだ。

 一通りの説明が終わり、「ではごゆっくり」と穏やかな笑みで会釈された。こちらも頭を下げ、立ち並ぶ書架に向き直る。

 図書館の床は石づくりで、おそらくは吸音目的のカーペットが一面に敷いてある。開館してさほど時間は経っていないものの、案外利用者がいるようで、本を探しているうちに何回かすれ違った。


 図書館に来たのは理由がある。お屋敷のみなさんは俺の事情を色々把握されていたので、多少世間知らずなところがあっても問題なかったけど、王都の中で暮らすとなるとそうはいかない。ある程度は、田舎者だからみたいな言い訳でごまかせるとしても、世間一般の常識らしきものは押さえておかなければ、そう考えたわけだ。

 まずは創世神話とやらを知っておきたい。これはマリーさんからこの世界の暦について教わった時から少し気になっていた。また、なんとなくではあるけど、人に聞くよりは自分で調べた方がいい――そんな気もしていた。

 問題は、どの棚を探せばいいかだった。さすがに三桁の数字でコードされて配架してあるわけじゃない。哲学っぽい本が並ぶ棚、あるいは歴史の本が並ぶ棚のどちらかだろうと考え、それっぽい棚を探す。


 ウロウロしながら探すこと十数分、歴史の本の棚にそれらしい物を見つけた。こどもに読み聞かせるような絵本っぽいものから、何か学術書っぽいものなどなど。気になったのは"文化から読み解く創世"という本だ。手にとってチラ見すると、国や地域によって、この世の起こり方の解釈が違うようだ。

 これはつまり、この世界の人達にとって、神話というものがある程度客観視できる距離にあるということだと思われる。信仰されてはいるけど、絶対視されるほどではない、それぐらいの距離感が。俯瞰する立場から理解するのが早いだろうと思って、この本を借りることにする。一応、こどもでも読める通俗本っぽいので、その点でもちょうどいいだろう。

 ついでに、スライムの倒し方が気になったのでそれらしい本を探すけど、こちらもなかなか見つからない。生物学っぽい棚には見つからず、魔法系の棚でようやく"スライムの作り方"とかいう本を見つけたので、これで調べることにする。


 本を受付に持っていって、貸し出しの手続きを行う。受付の方が二冊の名前を書類に記入すると、ギルドの会員証の提示を求められた。取り出してテーブルに置くと、手にとって確認された後、書類の真ん中にカードを置かれた。

「ギルドの紋章に指を当てて、マナを流して下さい」と言われてそのとおりにすると、会員証の表面に走った光が下に敷いた書類に移って刻み込まれていく。

「ありがとうございます、これで手続きが完了しました」と言ってカードを返された。なるほど、こうやって本人確認しているんだとすっかり感心してしまい、借りるはずの本をカウンターに忘れるところだった。


 二階の受付から降りて一階の喫茶店に入る。通路沿いの、マリーさん曰く”ナンパゾーン”には、この朝の早い時間帯から何組か歓談している様子が見られた。ただ、どの組も会話の中心には本があるようで、そこが妙に印象的だった。

「冒険者登録はお済みでしょうか?」と店員さんに聞かれたのでカードを提示する。

 今度は「ご利用は初めてでしょうか」と聞かれ返答すると、カウンターに置いてある値段表を使って説明してもらえた。


「ハーブティーはどの種類も同じ値段です。カップ一杯、ティーポット一つ、終日利用の三コースあって、それぞれに冒険者値引きは適用可能です」


 ある意味では時間制に近い料金体系だ。そう考えると、漫画喫茶に近い。とりあえずカップ一杯を注文する。


「お茶の方はどうします?」

「クセがなくて飲みやすいのがいいんですけど」

「では、当店のブレンドがオススメですね。一口飲んで合わなければ、別のをお出ししますよ」

「じゃあそれで」


 オーダーすると、カウンター裏のバリスタっぽい方がテキパキ動いて、ちょっと大きめのマグカップに茶を淹れてくれた。


「50フロン値引きで200フロンいただきます」


 Eランクの値引きで二割も安くなった。ランクアップしていくと、もう少し安くなっていくらしい。ティーポットや終日利用の方が値引きは大きいようだけど、現状でも入り浸りになりそうなレベルで安いとは思う。

 屋内側の、一人で読む席は何人か利用客がいたけど、壁際の落ち着けそうな席が空いていたのでそこに座る。

 茶は透き通ったオレンジ色だった。香りをかぐと、清涼感があって気分が安らぐ感じもする。湯気の立つ熱々の液体を少し口に含むと、少しピリッとするスパイシーな感じの後に、爽やかな甘味が口中に広がった。シナモンと生姜を足したようなハーブティーだ。

 カップに息を吹きかけて冷ましていると、店員さんがこちらを見ているのに気がついた。口に合ったことを伝えるため笑顔でうなづくと、彼女も顔を綻ばせて、やがて視線を外した。

 少しずつ、冷ましては口に含んで味を楽しみ、一息ついてからカバンにしまった本を取り出す。スライムの方は部屋に帰ってから読むことにして、まずは創生神話の方に手を付ける。



 暗い暗い、上下のわからない海の中、七人の男女が何かを探してさまよっていました。

 そのうちの一人はぐったりとしています。深い緑色の髪をした、その少女の閉じた目は、いつまで経っても開く様子がありません。薄い水色の髪をした少女が、眠る緑の少女を背負い、気遣わしげにその寝顔を見つめています。

 光り輝く光の粒が遠くの四方八方に散らばっています。それを目を細めて眺めるほどに、六人の心は言いようのない切なさに締め付けられました。彼らのそばにだけ、光がないのです。


「どうすれば」誰かが出し抜けに声を発しました。「この子は目覚めるだろう」


 赤黒い髪をした、背の高い女性が言いました。


「ここには何もない。私達の他には。だから、まずは源を生み出そう」


 そう言って彼女が手を高く掲げると、遠く遠く離れたところに煌々と光る火の玉ができあがりました。火の玉が放つ熱の波に乗って、様々なもののかけらが流れて漂ってきます。

 しかし、緑の少女はまだ目覚めません。その寝顔を撫でながら、焦げ茶色の髪をした青年が言いました。


「次は皆の居場所を作ろう」


 彼が赤黒い髪の女性と手を取り合うと、辺りを漂う黒い物体が集まり始めて熱と混ざり、熱を放つ橙色の液体の球ができあがりました。


「ここなら住めるんじゃないか?」

「表面には浮かぶだろうけどね、暮らすのは無理だと思うよ」


 金髪の少年が、焦げ茶の髪の青年の提案を受け流しました。緑の少女はまだ起きません。


「この子は、もう少し甘っちょろいところじゃないと、目を覚まさないよ」


 金髪の少年が遠くに浮かぶ橙の球に手をかざすと、煌々とした輝きが少しずつ落ち着き、その明るい海の上に様々な大きさの岩が降り注ぎました。岩と岩は互いに激しくぶつかっては砕け散り、細かな破片になったかと思えば、押し合いへし合い潰されて一つの塊になったり。

 どこからかやってくる岩の波が絶えたころ、橙の球は茶色と黄色に覆われた少しでこぼこした球になりました。

 その様子にどことなく懐かしさを覚えた六人は、球の表面に降り立ちました。それまでいた暗い海の中と違い、そこには上下があり、足で踏める確かな地と見上げることのできる天が存在していました。

 六人は少しずつ、昔のことを思い出し始めました。そして、自分たちは正しい方向へ向かっているとも。

 しかし、緑の少女は起きません。


「まだ足りない。何かが足りないのはわかるけど、何だろう」

「注いだ陽の光を閉じ込めておくための、器がないわ」


 深い青色の髪をした女性が薄い水色の髪の少女と手を合わせ、合わせた手を上に掲げると、透き通った天が少しずつ灰色に濁り始め、やがて天から水がとめどなく滴り落ちました。

 絶え間なく降りしきる雨で天と地に水が満ち、日差しの焼けるような熱さと夜の凍えるような寒さがならされ、頭上に広がる果てのない黒い海との境目ができあがりました。


 それでも、緑の少女は目覚めません。


「どうしよう。後ひと押しだと思うけど」

「では、ここに住まう者たちを生み出そう」


 紫がかった黒髪の男性がそう言って手を天に掲げると、紫の閃光が天を縦横無尽に走り回り、いくつもの紫の光が、できあがったばかりの海に降り注ぎました。紫電が切り裂いた海のそこかしこに、泡ができては浮かび上がり、それがやがて生命の息吹になりました。


 六人が海の変化を眺めていると、緑の少女が目を覚ましました。

 六人はほっと胸をなでおろし、その様子を見た少女は静かに言いました。


「ありがとう。ここまでくれば大丈夫だから。あとはみんなに任せましょう」


 そして、七人は散り散りになって星のどこかへ去っていきました。去っていった七人は、世界に生命が繁茂する姿に満足し……やがて一人一人が輝く光の雫となって世界と一つになりました。

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