第36話 「初仕事③」
スライムを倒した後には何も残らなかった。魔獣のように硬貨を落とすこともない。水路から
役割分担のローテでは、俺とネリーが交代することになった。重労働したばかりの女の子に、更に重荷を持たせるようで気が引けるけど、彼女は額に玉の汗を浮かばせながら「ヘーキヘーキ」と笑っている。互いの荷を取っ替えると、彼女は一瞬だけバランスを崩しかけたものの、何とか持ち直して余裕のある笑みを浮かべてみせた。たぶん、問題ないだろう。
とはいえ、この先あんなのが十数匹いるとなると、少し不安になってくる。そもそも、魔獣でもないなら何なんだろうか。次の標的へ向かって歩き始めたところに、「先輩、アレは魔獣とは違うんですか」と聞いてみた。
「あー、魔獣とは違うな。いわゆる魔法生物ってやつで……勝手にできたり、人間でも作れたりするタイプだ」
「あんなの作る人がいるんだ」
ネリーが驚くと、先輩は笑いながら言った。
「結構用途は広いみたいでな。魔法の実験台にしたり、夏場にもたれかかって涼んだり、トレーニングの相手にしたり……まぁ色々だな」
「触っても平気なんですか」
「自分のマナの色と離れた色のスライムだと、肌荒れするって話は聞くな~。色を合わせて作るのも相応にテクがいるみたいで、腕のいい職人はスライムを売るだけで稼ぎになるらしい」
「へぇ、良し悪しとかもあるの?」
「ぷるぷるしてる方が良いスライムらしい」
「ぷるぷるのおかげさまで、めちゃくちゃ苦労したけどね」
ネリーがそう言うと先輩は笑った。ハリーも少し苦笑い気味だ。
「ところで、ここにいるスライムは自然発生的なものですか?」
「だろうな。さすがにここに忍び込むのは難しいと思うし、そもそも持ち込めんだろうし。ただ、連中がどうやってできるかは良くわかってないんだ」
「もっと効率よく倒す方法とかは?」
ネリーが聞くと、先輩は真顔になって黙り込んだ。知らないというわけではなく、答えないといった感じだ。少し間を空けて、彼が口を開く。
「そうだな、一つアドバイスをやろう」
「やった」
「依頼主が何でも知ってたり、教えてくれるわけじゃないってことだ」
「まぁ、予想通りです。考えるのも自分たちの仕事ってことですよね?」
「あの程度なら力押しでも行けるぞ。明日は筋肉痛になって大変だろうけどな」
そんなことを言っているうちに、次の標的にたどり着いた。溢れた水が床を濡らしていて、足場の安定が気になった。しっかりと立ち位置を確保しておかないと大変なことになりそうだ。
水路の真ん中に位置取るスライムを、左右の足場から挟んで叩く形で俺とハリーが陣取る。「俺から打つけど、大丈夫か?」と彼に問いかけると、無言でうなずかれた。
さっそく、おおきく振りかぶって最初の一撃を叩き込む。腰を使って重みを加えようとすると、足場の滑りが体勢を不安定にするので、踏ん張る下半身にもかなりの負荷がかかる。腕の方は言わずもがな。ぷるぷるとした良い弾性が、核を守ってブラシの到達を阻む。
ハリーの次の一撃のため、叩き込んだブラシを急いで引き抜こうとすると、奴の中まで食い込んだブラシを粘度の高いゲルが包んで、なかなか離そうとしない。踏ん張って一気に抜くために、足腰も腕も背筋も使っての全身労働になった。
首尾よく引き抜けたと思ったら、次いでハリーが一撃を叩き込んだ。核は、まだ最初の真ん中の方にいた。ブラシを打ち込んでできたクレーターの縁側に逃げ込まれると、厄介なことになるだろう。
ハリーが打ち込んでから引き抜くまでの短い間に、息を落ち着け深く吸ってから、またタイミングを合わせて叩き込む。
そんな調子で何発打ったかわからないけど、今度もスライムを倒すことができた。少し腕の筋肉が笑っている。ハリーはまだまだ平気そうだった。肩で息をしてはいても、俺ほど腕に来ている感じはない。
全身にじんわりと汗が滲んでくるのがわかった。地下水道はひんやりとした空気で、今は一働きした後だから心地よく感じたけど、下手をすると体を冷やしかねない。体温調節には留意しよう。
すると、「結構キツいよね?」とネリーが問いかけてきた。「ちょっとね」と返すと、「ちょっと~?」と言って笑って返された。ハリーは苦笑いしている。彼も彼で、やはり楽ではないんだろう。
「シエラは一人でスライム倒してるらしいけど、ちょっと信じられないよね。どうやってるんだろ?」
☆
4月4日午前9時。王都西地区の広場には、広場中心を遠巻きに取り囲むように若い女性の人だかりができ、彼女たちが中央に向けて熱視線を送っている。
私目当てで集まっているわけではないのはわかっている。みんな、横にいる私の上司が目当てだ。彼は、年頃の女が10人すれ違えば計15回振り向くとまで言われる美男子で、若くしてフラウゼ魔法庁長官補佐室室長まで上り詰めた俊英で……他にもあれこれ言われているけども、とにかく若い子が夢中になるような男性だ。
周囲に目を配っていたところに、室長の右腕から女の子の声がした。「シエラ・カナベラルです、どうぞ」とブレスレットから聞こえた声に、彼は「こちらは補佐室、どうぞ」と答えた。彼の追っかけに言わせると、名前も役職も言わず、所属だけ言うところが最高にクールなんだとか……。
彼が右腕を胸元に上げて連絡を始めただけで、周りの子たちから黄色い声が少し上がった。たぶん、何しても様になるとか、そういうことだと思う。そんな周りの様子は無視して、彼は右腕と連絡を始めた。
「現在、中央広場の地下にいます。通常よりも2割ほど大きいスライムを発見」
「こちらから連絡するまで、その場で待機」
「了解」
連絡を終えると、彼は私に目配せし、広場の外側を指差した。人の輪が少しだけ、こちら側にせり出している。注意しに行け、ということだ。
あまり愉快な業務ではないけど、なるべく笑顔で接する必要がある。仕事用の微笑みを作って、少し熱心な観衆達に近づいていくと、向こうから声をかけられた。
「エルメルフィ・ファムスさん、お疲れさまです!」
「……よく、私の名前をご存知ですね」
「だって、あのベル様のお傍でお勤めされてる方ですから! あなたもカッコよくて素敵です!」
「はぁ、どうも」
三人組で見物に来ているらしい。互いに顔を見合わせ「ね~♪」なんて声を合わせていて上機嫌だ。注意するのが少し心苦しい。ほんの少し。
「申し訳ありませんが、もう少し下がっていただけませんか? これから検査を行いますので」
「危なくは、無いですよね?」
「念のため、です」
どうも、この子たちは常連らしく、これから行う検査に割と慣れているようだった。足元の花壇に目を落とすと、緑色の花が少し萎れている。普段よりは影響が大きいかもしれない。確実に、引き離さないと。
「あなた方が熱心なのはわかりました。彼に伝えたいので、お名前をお聞かせ願えますか?」
「えっ! いいんですか!?」
「はい。もしかすると、お宅にお邪魔して今日の件に関して、ご注意させていただくことになるかもしれませんので」
笑顔のままそう伝えると、三人は心底申し訳無さそうな顔になって「ごめんなさい」と言って深く頭を下げた。少し悪いことをしたかも知れない。終わったらフォローでもしようかしら。
こうして見物客を外側に少し押し込み終えた私は、上司ベルナールの元へ戻った。
「終わりました」
「では、検査を」
本当にこの人は、他人に興味を示すということがない。ただ、淡々と仕事をこなすだけだ。あまり傍にいて楽しい人物ではないので、自然とこちらの仕事も早くなるのが、一番の美点かも知れない。
私は手提げカバンから、金属製の大皿と瓶を二つ取り出した。皿に瓶の中身を空け、更に取り出した木の匙でかき混ぜると、急速に透明な煙が立ち上って視界を少し歪める。
その煙が広場の中央、人の目線ぐらいの高さにある一点に吸い込まれるように流れていき、透明な渦を形成した。見物客の一部からどよめきが聞こえた。渦は普段の検査よりも大きく見える。
そんな中、上司は至って冷静に連絡を始めた。
「こちらで反応を確認した。障害を排除した後、清掃の続きに入るように」
「了解……退治しました。以後連絡は切ります」
「了解」
地下のあの子との短いやり取りのあと、程なくして渦は消えた。周りから、少し安堵の声が聞こえる。
皿の片付けに入った私に、上司が話し掛けてきた。
「私は庁舎に戻る。片付けは頼む」
「……毎回思っていることですが、室長が検査に出張られることに、何か意味はあるのですか?」
「民衆に顔を出すのも仕事の内だ」
そう言って彼は去っていった。民衆というか、周りには若い女の子しかいない。実はこういう状況を内心喜んでいるとかだったら、案外好感が持てると思ったけれど……そんな訳はないか。
皿を拭き終え、私はカバンにしまった。そこで、先ほど目にした、萎れた花がふと気になったので、近寄って見に行ってみることに。
しゃがんで触ってみると、また数日もすれば元気になりそうな感じだった。カバンから自分用の飲水を取り出し、花に少し分け与えてあげる。
すると、頭上から声がした。先ほどの女の子たちだ。
「あの」
「どうしました?」
「いつもより……大きくありませんでした?」
思わず、顔を見上げる。声の主は心配そうな顔つきだけど、残る二人はそこまで気にしていないという風だった。
「……あの渦って、一体何なんですか?」
「私たちにも、正体は良くわかっていません。あれが出現する地区では、体調を崩しやすくなる、程度のことしか」
不安げな彼女は、あまり釈然としない様子で「そうですか」と答えた。
私にも、本当のことはわかっていない。ただ、地上と地下で何か結びついているのだろうという確信はある。
そして、何事も起こらないようにと、定期清掃が行われているのだと思う。王都の全域に張り巡らされた地下水道の定期清掃が。
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