第35話 「初仕事②」
俺たちの足音に気づいたのだろう。女の子は本を閉じて床においたリュックサックにしまうと、こちらに向いて小さく頭を下げた。先輩が「よう、シエラ」と呼びかけると、彼女は「おはようございます、ウェインさん」と、かなり平坦な調子で答えた。
「俺たちも、予定よりは早かったんだがな~。ずっと本読んでたのか?」
「少し準備運動してて」
「ああ、なるほどな」
そう言ってうなずく先輩の視線の先には、デッキブラシがあった。俺たちのと違うのは、毛が生えている側が三角形の枠で強化されていることだった。ブラシの両端から斜めにフレームが伸びて、柄の中程で合流する感じだ。
「じゃあ、挨拶済んだし出発するよ」と言い、彼女がリュックを担いでデッキブラシ片手に歩き出そうとすると、先輩が呼び止めた。
「せっかくだから見せていけよ」
「……教育に悪いよ?」
「ま、その辺は言い聞かせるから大丈夫」
短いやり取りの後、彼女は少し呆れたような笑顔で短く鼻を鳴らすと、デッキブラシを右手で少し強く握った。すると、柄に薄く青い光が走り、デッキブラシ全体に紋章のようなものが浮かび上がっていく。
そして、彼女は水路の上にブラシを乗せて右手を離した。倒れたデッキブラシは、水路の数センチ上を浮遊している。
それから、「行ってきます」と言って、彼女はデッキブラシの底辺に右足、フレームの結節点に左足を置いた。ごく僅かに沈むような動きを見せながらも、デッキブラシは浮遊し続けている。
そのあと、彼女を乗せたデッキブラシは音もなく少しずつ加速していき、やがて水路の向こうへと消えていった。
少しの間、呆気にとられていた。「あの子、何者なんです?」と最初にコーネリアが問いかける。
「あの子は魔導工廠の職員で、見てのとおりなんだが、空飛ぶホウキやデッキブラシの研究をやってる」
――何で、飛ぶ道具はホウキやデッキブラシなんだろう? そんな事を考えていると、続いてハロルドが言った。
「教育に悪いというのは?」
その問いに、先輩は苦笑しつつ、腕を組んだ。「ちょっと長くなるから、歩きながらな」と言われ、四人でシエラとは別方向へ歩き出す。
「実はな、魔法庁からは空飛ぶホウキに色々と強力な規制がかけられていて、少なくとも今のままじゃ市場には出せないと言われてる。軍に卸すのもムリで、本当に研究用だな」
「それでも、あの子は研究し続けてるんだ」
「こういう、特定区域の清掃みたいな仕事に限り、空飛ぶホウキの利用が認められていて……まぁそれでもあの子しか使えないんだが、実績重ねて何とか考えを変えてもらおうって頑張ってるってところだ」
そこまで言うと、先導する先輩は俺たち三人に真面目な顔をして向き直った。
「あの子自身はいい子なんだが、魔法庁の監視対象になってるからな。面倒を避けたければ、ちょっと注意した方がいい。そもそも、あの子研究熱心すぎて友達とかあまり外部に作ろうとしないもんだから、ちょっと仲良くしてるだけで目立っちまう」
「先輩はそういう経験あるの?」
コーネリアが何気なく問いかけると、先輩は顎に手を当てて考え込んだ。
「あの子が工廠の売店で売り子やってたときに、何の話だったか……確か野外調理具の話で盛り上がってただけだと思うんだが、その後で魔法庁の職員に軽く聴取されたよ。まぁ、俺もギルドの運営側みたいな人間だから、魔法庁にはツラが割れててアレなんだが」
そうは言われても、飛べる道具というのは結構気になる。人目を気にしさえすれば、少しぐらい話してみてもいいんじゃないだろうか。
そういえば、彼女はデッキブラシに乗っていたけど、あれは飛ぶだけじゃなくて清掃のためでもあるんだろうか。その辺りが気になった。
「ところで、彼女も掃除するんですか?」
「ああ。全行程の3分の1ぐらいあの子の受け持ちなんだ。それでも魔法庁の反応は変わらないからな~」
全行程がどれぐらいかはわからないけど、総勢30人ぐらいでやるって話のはずだから、単純に考えればあの子一人で10人分ぐらいの働きをしているわけだ。「なんか、もったいない話じゃない?」とコーネリア。
「ぶっちゃけ、お互いに意地張りすぎてる感はあるんだよな。ただ、よそ巻き込んでの搦め手はやりたがらないだろうし、当分このままって感じだと思うが」
「なるほど……ところで、私たちってお互いのこと、どう呼ぼっか?」
急にコーネリアが話題を振ってきた。俺はリッツ以外に選択肢はない。
「リッツのままでいいよ」
「まぁ、それはそうだろうけど。私はネリーがいいな。ハロルドは?」
「……なんでもいい」
彼が仏頂面で答えると、ネリーが俺の方に向いて、彼を指差しながら言った。
「だってさ。ハリーとハルと、どっちがいいと思う?」
「うーん、どっちでも……ハリーでいいんじゃない?」
「よし。よろしくね、ハル!」
ネリーが手を彼に差し出すと、少し困惑しながらも彼は握手に応じた。先を行く先輩からは「ハリーって言ったろ」と笑いながらツッコミが入る。
「本人に突っ込んでもらいたかったけどな~、次からはハリーって呼ぶよ」
「俺はウェインでいいよ」
「わかった、先輩!」
旧知の仲ってわけじゃないだろうけど、気は合うらしい。ネリーは少し小走りになって先輩に追いつくと、二人で肘打ちし合っている。
ハリーはそんな様子を見て、少し難しい表情をしている。ノリについていけてないのかも。
まぁ、周りに聞かれるわけでもないし、仲良くする分には問題ないとは思うけども、仕事中の会話のあり方は実際どんなふうにすべきなんだろうか。
「先輩、今日みたいな仕事の場合は自由に会話しても問題ないと思いますが、他の仕事の場合はケースバイケースでしょうか」
「そうだな。例えば、狩りの場合なんかは、普段騒がしいヤツも人が変わったみたいになる。逆に、くっちゃべるのが半分仕事みたいなミッションもあるぞ」
「そうなんですか」
「商人相手の護衛とかな。仲間内に放浪歴が長い奴とか、とにかく面白そうなのがいれば、そいつに喋らせておくだけで報酬に色つけてもらえたりする。話も仕入れの対象なんだろうな」
「なるほど~」
こんな調子でちょっとした雑談をしつつ数分歩いていると、床と壁の隅に緑色の光を発する何かがこびりついているのが見えた。
「よし、ストップ。清掃開始だ。袋の砂を一掴みかけてから、ブラシで擦るんだ。ブラシは水路で少し濡らすといいぞ」
光る物体に近寄ってみると、どうやら発光する苔のようだ。ヌラヌラした、少し気色悪い光沢をしている。持ってきた袋から砂を言われたとおりにかけるけど、特に化学反応みたいなのはない。やはり、擦り落とすためのクレンザーみたいなものなんだろうか。
砂をかけ終わったところに、二人がやってきてブラシを交互にかけた。そこまで力を入れているわけじゃないだろう。軽くこするような感じでも、苔は少し小さな泡を立てつつ消えていった。「終わったら、ブラシを水につけてキレイにな」と先輩が言うので、二人はそれに従った。
ここまでの作業を見ると、砂の運搬役が圧倒的にキツイ気がする。二人もそれ気づいたようで、ネリーは「替わろっか?」と言ってくるし、先を越されたハリーもバツの悪そうな顔をしつつ、モップを差し出して交換しようとしている。ちょっと堅物なだけで、いい奴なんだろう。
そんな俺達を見て、先輩は少し苦笑いをして言った。
「あー、なんだその、諸君。俺はあまりアドバイスとかしない方針で来てるんだが、とりあえずもう少し進んでから、分担を考えた方がいいぞ?」
「先輩の言う通り、少し進んでみよう。俺はまだまだ全然いけるからさ」
俺がそういうと、2人ともうなずいて先に進むことになった。そうして少し歩いてから、「そういえば、灯りは大丈夫か?」と先輩が問いかけてきた。
「昔、あまり夜目が効かない子が、足踏み外して水路にダイブしちゃってな。別に大事なかったし、その子は今も普通に冒険者続けてるんだが……俺は監督不行き届きで上に怒られてさ」
「念のため、灯りの用意があればお願いします」
ハリーがそう応じると、先輩はバックパックからランタンを取り出し、光を灯した。マナで光るやつだ。「先輩、ここで火は使えませんか?」俺が問うと先輩はうなずいた。
「火を使うなとは言われてるな。使っても大丈夫だろうが、ここで何かあっても助けがすぐには来れないから、気をつけろってことだろう」
「先輩、ここの水に落ちちゃっても大丈夫だったって話だけど、汚くないの?」
ネリーの質問に、先輩は少し眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「……キレイとは断言できんが、実際どうだろな。こいつが色々浄化してるって話は聞くが……。昔、同僚のバカが顔を近づけて匂いを嗅いだら少し酔いかけたから、もしかすると霊薬みたいにマナ酔いするかもしれん」
「マナ酔い?」
「濃いマナを急に取り込むと、酒に酔ったみたいになるんだ」
それからまた少し進むと、先輩が言った。
「……あー、そろそろお客さんだな」
「原住民じゃないの?」
ネリーが茶化すものの、先輩以外には緊張が走る。掃除に来た俺たち以外にも何かいるような先輩の口ぶりに、思わず身構える。
しかし、先輩は俺たちの緊張をよそにズンズン進む。慌てて駆け足で後を追うと、走る音に水が跳ねる音が交じってきた。足元の水路から、水が少し溢れ出している。
そして、水路をせき止めているらしい物体が見えた。かなりでかい。洗濯機を2台横倒しに並べたぐらいの大きさのソレは、かすかに緑色をした透明なゲル状の物体で、内部に赤い球があった。さくらんぼが入ったわらび餅の化け物という感じだ。
「コイツが掃除対象のスライムだ、がんばりな」
つまり、そういうことだった。
「どうやって倒すの?」とネリーが聞くも、「赤い部分に衝撃を与えればいい」と、先輩はかなりそっけなく返す。
すると、体格のいいハリーが歩み出て、デッキブラシを構えた。
「これを武器にしても大丈夫ですか?」
「禁止はしてない」
暗に認める発言を受け、ハリーは柄を振り上げてブラシの角をスライムに撃ち込んだ。しかし、弾性に富む体に阻まれ、赤い部分には届かない。打たれた部分を中心にクレーターのようなくぼみができたけど、まだ標的には遠く感じられる。
「次は私ね」と言ってネリーがブラシを叩き込んでも、やはりハリーほどの威力はない。少しくぼみが深くなったように見えるけど、届いてはいない。
そして、赤い部分はくぼみから外縁部――つまり、肉が寄って山脈になっている部分――の下に逃げていくように見えた。
二人もそれに気づいたらしい。粘性のある表面から急いでブラシを引きずり出し、矢継ぎ早にブラシを叩き込む。殺意にまみれた餅つき大会のようになってきた。
何発叩き込んだかわからないけど、ハリーがどうにか敵の核を捉えた。赤い核が割れて砕かれると、核の破片がスライムの体中に広がって、みるみるうちに奴のかさが減り、やがて完全に消えてなくなった。
先輩が拍手を始めた。ブラシ担当の二人は少し肩で息をしている。
「砂運びの直後にコレだと、正直キツいだろうと思ってな。一匹終わるごとにローテするのがいいぞ」
先輩の口ぶりだと、まだまだスライムが出るってことだろう。嫌な予感がする。ネリーが物怖じせずに問いかけた。
「後何匹ぐらい出るの?」
「十数匹ってところか。夜までに終わるといいな」
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