第11話 「初戦果」

 俺がこの世界に来て、今日で6日目になる。


「大丈夫ですか? 少し早いんじゃ……」


 森と平原の際で立って、お嬢様に問いかける。


「何か、具体的な問題でも?」

「いえ、そういうわけでは……」


 覚えた魔法はまだ2種類だ。前日で使い分けも的当てでも、「十分な進歩が見られる」と彼女は太鼓判を押してくれたけど、やはり心配なものは心配だった。

 彼女は真面目な視線をこちらに向けた。しかし、口元は笑っている。自信と余裕と、ちょっとした親愛を感じる表情だ。


「今の実力なら、実戦的な訓練にも取りかかれます。私もそばにいますから、大丈夫。何より、自分の魔法に自信を持って」


 穏やかな口調だが、言葉に力がある。


「魔法の習得に反復は必要ですが、一つの段階を修めれば、次に進まなければなりません。今日のこの時が、新たなステップです、がんばりましょう」

「はい」


 俺の返事に、彼女は満面の笑みでうなずいた。


「ちょうどいいのと接敵するまで、少し歩きます。会話を控える必要はありませんから、ご自由に。遭遇後も話していただいて問題ありませんから」


 それから、彼女は右の手のひらに薄紫の半球、レーダーらしきものを作って俺を先導した。

 静かな口調で、例の魔獣を指して「ちょうどいいの」と表現する彼女に、実は若干の違和感がある。あまり――というか、むしろまったく――あの犬を生き物として認識していないような、ちょっとした冷たさがある。

 魔法の特訓中、彼女はガーデニングが趣味と話してくれた。ちょっと殺風景な裏庭に咲く、一輪の花を愛でていた彼女と、例の犬を物みたいに捉える彼女が、頭の中で少しぶれて重なり合わない。


「どうかされましたか?」

「いえ……この森って、あの犬しか出ないんですか?」

「そうですね、魔獣はあの犬だけです。六瞳獣ヘクサイドが正式名称ですが、だいたいみなさん、単に“犬”とか、”例のクソ犬”とか呼んでいます」


 彼女が淡々と”クソ犬”と呼ぶのが、少しおかしかった。主に冒険者がそう呼ぶようで、森の中で俺みたいに訓練に勤しんだり、硬貨目当てで戦ったりしているらしい。

 彼女の右手のレーダーに、それらしい方々が映っていると教えてくれた。

 そんな話を聞きつつ、俺はこれまでに出くわした冒険者の方々のことを思い出した。俺のイメージに反して、みなさんとても礼儀正しいというか、折り目正しい感じだった。

 しかし、彼らの前にお嬢様がいたからかもしれない。彼らの態度には、明らかにお嬢様に対する敬意のようなものが見て取れたけど、一方で距離のようなものも感じた。遠慮とでもいうんだろうか。

 今、俺の横にいる彼女は普通にしているけど、あの時彼らに頭を下げられている彼女は、どこか寂しそうだった。


 そうして彼女の横顔をみていると、視線が合った。急いで目をそらして辺りを見回してみる。特に何かが動く気配はない。俺たちの会話と地面を踏む音、枝葉のざわめき以外は静かなもので、あまり生き物がいるという感じがない。

 今は春先で、これからお屋敷にも本格的に花が咲き始めるとのことだ。しかし、森は樹冠ばかりが青々とするのみで、木々以外には生気を感じない。

 そうして辺りを見回していると、彼女が話しかけてきた。


「魔獣が一種類だけですから、それに慣れれば実戦訓練にも都合がいいかと思います」

「……どれぐらいで慣れられそうですか?」


 少し返答に詰まって、彼女は地面に少し鋭い視線を落とした。


「魔法を覚えるのと、使いこなすのには、いくらか隔たりがあります。リッツさんは的当てが良くできていましたから……器の認識力もそうですが、頭の中でイメージを動かして、それを目の前に自在に投影する能力に長けているように思います」


 冷静で淡々とした口調から、気休めとか励ましではなく、本当のことなんだなと感じた。


「実際の敵に落ち着いて当てるのは、的のときとはまた別のスキルが必要ですが、少なくとも実戦形式に入るだけの素質や力量はあると思っています」

「わかりました……ところで」


 俺は彼女の右手のレーダーを指差し、「その魔法って難しいんですよね?」と尋ねた。

 その問いに対し、彼女はにこやか笑う。


「今のあなたが、包丁でおっかなびっくり野菜の皮むきができるレベルだとすれば、この魔法は空中に投げた野菜を切り刻むぐらいの難度ですね」


 予想を超えるとんでもない難易度に驚かされた。そして、そんな魔法をあっという間に描写する彼女の力量に、改めて圧倒される。


「この魔法ばかりは、誰にでもというわけではないですが……いずれあなたが習得できたのなら、すごく嬉しく思います」


 それから少し歩いていって……彼女に止まるよう手で制される。


「最初の何体かは、私が仕留めます。まずは見て、頭で理解してください」


 視界には、木々が阻んでいるせいもあるのだろうか、例の犬の気配はない。それでも彼女にはわかるのだろう。

 彼女が薄紫色の光を全身に帯びたかのように見えると、前方からかすかな物音が聞こえた。時間とともに物音が大きくなる。


 そして、木の陰から木の陰に移って、光漏れ日の間を縫うように迫ってくる犬が見えた。

 まだ奴との距離は10mはあるだろうか。彼女は右手を前に構えて、俺と同じぐらいのスピードで、つまり何とか視認できる程度のスピードで魔力の矢マナボルトを書き上げ、奴を撃った。静かな森に発射音が響く。

 迫る矢を、奴は身を沈めてから右に飛び退いた。着弾点で軽く乾いた衝突音と共に、細切れの枝葉が宙に舞う。

 奴が飛び退いた先に、待ち構えるように彼女は右手をかざし、再度矢を放った。

 今度は避けきれなかったようだ。前傾気味に構えた奴の背に当たる格好で矢が的中し、鳴き声を上げて地に伏した。

 そして、追い打ちの矢を受け、奴は赤紫の煙になって硬貨のみを残した。


「戦いの流れですが」汗一つかかず、何事もなかったかのように彼女が言う。

「1発目は外すつもりで撃ちましょう。正確に言えば、当てるつもりで避けさせます」


 二人で硬貨へ歩を進める。彼女は続けた。


「連中はマナを感知する能力があるようですので、撃とうと構えたときには、避ける準備に入られている、そう考えてください。そこで一度目は避けさせ、避ける準備が整わない2発目、もしくは3発目で当ててひるませ、追い打ちをかける。これが基本です」


 いわゆる着地狩りの要領かと、うなずきながら聞いた。そんな俺を見て、彼女は柔らかな表情になった。


「的当てではできていたのに、いざ実戦で避けられると少しは気落ちするものです。そういうときは、避けさせてやってるんだと、頭の中で言い張ってください。実際、敵が避けるということは、狙いは完璧ということです。今までは的に当ててきた自信を、あえて避けさせ戦いをコントロールするという、一段上の自信に変えていってください」

「わかりました……ところで、お嬢様に最初会ったときの戦いでは、無駄撃ちはなかったと思いますが、俺でもあんなふうになれますか?」

「ええ。当てるつもりで避けさせると言いましたが、相手が対応しきれず、一発目で仕方なく倒してしまうということもあります。気がつくとそんな状況が続くようになる、それが上達です。それと……」


 そこで言葉を切った彼女は、微笑みつつ、少し責めるような口調で言った。


「訓練に無駄撃ちなんてありませんよ? その場で何かを修正するサインになったり、後で学ぶ気づきになったりしますから」



 その後、何度か見本を示してもらった後、いよいよ俺が最初の1匹目と戦う段になった。


「私が、”これは仕損じた”と感じたら、そのときは手出しして瞬殺します」


 静かな口調で瞬殺と話す彼女の存在に強い安堵を覚える。それでも緊張は、やっぱりある。手の先が少し熱い。

 そして……1匹目が現れた。

 雑念をなんとか外に押し出すようにして、右手を前に構えると、敵は動きを止めて避けの体勢に入ろうとした。体に覚え込ませた魔力の矢を描いて解き放つ。敵は左に飛び退いた。着弾点に木の葉が舞う。

 ここまではわかっていた展開だ。次が当たるかどうかはわからない。飛び退いた先に再度構えて、矢を撃った。敵は先程よりも体勢を崩しつつあったけど、それでも右に飛んで難を逃れた。

 少し前に、「3発目を外したら?」と彼女に聞いたら「だいたいは、こちらに駆けてくるか、飛びかかるかですが、いずれにせよ当てやすくなって好都合でしょう?」と余裕のある笑みで言っていた。

 聞いたときは「そんな馬鹿な」と思ったけど、矢を外して外して、気持ちは逆に落ち着いていった。緊張で少し茹だった1発目より、視界も思考もクリアに感じる。

 次の矢を構えて撃つ。今度は避けきれなかった敵の額に当たり、その場に敵が倒れた。

「とどめを」とは思わなかった。当てた実感があまりなく、むしろ確認のつもりで2発続けて撃つ。すると、2発とも動かなくなった敵に当たり、敵は硬貨になった。

 少し間があって、彼女が話し掛けてきた。胸の前で手を合わせ、顔は驚きと喜びに満ちている。


「少しはお手伝いするかもと思っていましたが……素晴らしいです! さっそく拾いに行きましょう」


 にこやかな顔で、俺の服をほんの軽くつまむ彼女に促され、倒した敵へ向かう。

 無我夢中……でもなく色々考えていた気もするけど、ともかく敵を倒した実感がなく、ただ硬貨を眺めた。そんな俺に彼女は笑顔を向け、手のひらで硬貨を指した。


「あなたの、初戦果ですよ」

「そうですね、なんかあまり実感がわかなくて……」

「ふふ」


 かがんで硬貨を拾い上げる。触るのは2回めだけど、最初よりも少し重く感じた。

 そして、手に感じる重みと、木漏れ日を受けて輝く金色の光を見て、やっと実感と達成感が追いついてくる。


「これ、このままじゃ使えないんですよね?」

「街で換金する必要がありますね。この最寄りですと王都になりますが……」


 そこで言葉を切った彼女は、少し申し訳無さそうな顔になって言った。


「最近は少し忙しくて、ご案内する時間を作れなくて……ごめんなさい。いずれはご案内できればって思っています」

「いえ、別に……お気になさらず」


 初戦果を上にかざして見上げつつ、彼女に言う。


「最初の稼ぎですし、使わずに大切に取っておきます」


 そういうと、彼女はにわかに嬉しそうな顔になって近づいてきた。


「取っておくのですか?」

「ええ、そのつもりですけど……」

「ですよね、私もそれぞれの魔獣の最初のは、大事にしまってあります!」


 口調は、今日一番の明るさだ。


「それで、私は取っておく派ですが、お父様は初戦果をその日のうちに換金したと仰って……マリーも換えたお金で美味しいものを食べたとか。お母様なんて、その日のうちに無くして、探しもしなかったっていうんですから、私だけおかしいのかと思ってました」

「いや、記念品ってやっぱり欲しいですよ」

「ですよね、仲間が増えた思いです!」


 そう言ってちょっとはしゃいでいると、年齢は聞いていないけど年相応の女の子に見える。特訓中の彼女は先生というか、もはや師匠のように感じてしまうけど。


 それからは彼女にそばで見てもらいつつ実戦形式で特訓した。

 たまに撃ち漏らすこともあったけど、「リッツさんは気にしすぎるとだめになるタイプに思います」とか言われたものだから、少しムキになって無心に取り組んだ。

 昼食に行こうという頃合いになると、撃ち漏らしもなく自分で片付けられるようになっていた。

 気がつけば彼女の姿が見えない。不安を覚えてあたりを見回すと、木陰から手を振られた、そんな事もあった。


「私を意識せずに戦えているようですし、昼食の後は少し距離をとって見守っています」

「……最終的には家に帰ったりしませんよね?」

「そういうことはしませんよ?」



「1対1であれば、ほぼ問題なく戦えそうですね」


 夕刻の薄暗くなった森の中、満足げに彼女は言った。


「まぁ、見守られている実感がありますし……それは大きいと思ってます」

「最終的にはお一人で、というのが理想ではあるのですが……」


 右手に例のレーダーを作って、彼女は続ける。


「多勢でかかられないように、ちょうどいい敵をご案内する必要もありますし……何より、一人で放置させるような、無責任なことはできませんから」

「んー……複数相手でもやれるようになりますか?」


 彼女は穏やかな笑みで、静かに首を横に振った。


「急がなくても大丈夫です。一対多の戦いは、”外すつもりで撃ってやったのに、なぜか敵が倒れてる”ぐらいの力量に至ってから、ですね。今日だけでも、何回かそういうケースは起きましたが、リッツさんには少し早いです」


 たしなめると言うよりは、優しく諭すような口調だった。


「では、帰りましょう」

「はい」


 その時、背の辺り……正確に言うと腰の後ろ辺りで、何かに引かれるような感触があった。大変、身に覚えがある。

 今も敵を示し続ける、彼女の右手のレーダーを見る。近辺には反応がない。俺たち以外に森で戦っている、冒険者が増えた様子もない。


「お嬢様、すみませんが、少し気がかりなことがあって……ちょっとここを離れて、様子を見に行ってきます」

「私も付いていきます」

「いえ、一人で大丈夫です……犬に遭うほど遠くには行きませんから」


 それでも、と彼女は俺一人で行かせることに難色を示したが、結局は渋々折れてくれた。


「ここで待っています。常に探知してますし、何か危険を感じたら最優先で駆けつけますから」

「ありがとうございます」

「決して、無理はなさらないで」


 真剣な眼差しをしつつ、心底心配そうな彼女の顔に、感謝と申し訳無さがこみ上げるのを覚えた。

 深く頭を下げてから、腰背部を引く感覚に従い駆け出す。

 目をこらすと、極々ほんのわずかに、空中に藍色の線がちらつくのが見えた。見えたというか、頭の中の何かがそういう光景を見せているだけかも知れない。ちょっと前のことを思い出した。一回死んだ日の、そのすぐ後を。


 藍色の光の糸に手繰り寄せられるようにして少し駆けていった先に、木にもたれかかるように立つ女性が見えた。白いフード付きのローブを着て、髪は長いクリーム色だったけど、全身にはすぐにでも消えてしまいそうな儚さが漂っていた。

 声をかけようと一歩近づくと、彼女は口に指を当てた。俺が口をつぐむと、彼女はかすかな声で話し始める。俺の心に直接語りかけられているみたいだ。


「糸は……見えたのね。きちんと魔法使いへの一歩を踏み出せたみたいで、何よりだわ」


 それから、かなり見覚えのある、大変申し訳無さそうな顔になった。


「実はこうしているだけでも、かなりきつくて……見ての通り、消えかかるぐらい。自分を維持するのに精一杯なの」


 そして、冗談めかして笑った。


「おかげで、誰にも気取られないけど」

「無理してでも、何か伝えなければならないことが?」


 彼女はうなづき、それから握った右手を前に出した。何か持っているようだ。

 それを受け取るよう両手を差し出すと、光沢のある深い青色の、小さな鈴を渡された。


「あなたが、どうしても私に会いたい場合、その鈴を鳴らして」

「……持ってると勝手に鳴っちゃうんじゃ」


 その指摘に、少し表情を崩しながら答えた。その顔は、今にも消えてしまいそうだというのに、ちょっと楽しそうに見える。


「私のことを念じながら鳴らさなければ、私には届かないわ、大丈夫……」


 声は少しずつおぼろげに、表情にも焦りと苦しみが入り混じっていく。


「初対面から、一方的にまくし立ててばかりで……本当にごめんなさい。今日は、鈴を渡したかったのと……せめて顔だけでも見ておきたくて」


 そこで、彼女は苦しみを抑えて、俺に慈悲深い眼差しを向けた。思わず息を呑み、真剣な視線を返してうなずく。


「……ありがとう。こうして……年に3回会えるか、ってところかしら……」


 いよいよ消えそうになっていく彼女は、深く息を吸い込んだ。もう、次が最後だろう。


「……慣れないことばかりで、大変だと思うけど、頑張って。あなたの好奇心を大切に、色々試して……魔法を楽しんでね」


 梢で擦れ合う枝の音に混ざって、彼女の声は消えていく。

 そして、聞き入る俺の顔を見つめていた彼女は、満足そうな表情を浮かべたまま、藍色の光の泡になって虚空に消えた。

 俺と、鈴だけが残された。今この鈴を鳴らしたら、次会ったときに殴られるんだろうか。そんなバカバカしい考えがふと頭をよぎった。

 白昼夢みたいな不思議な体験の後、誰かに見られてなかったか、急に不安になって周りを見回した。しかし、冒険者や犬どころか、小鳥の一羽もいない。


 手にした鈴を見て、彼女の言葉を反芻する。気になること、やってみたいことは、すでに頭の中にあった。

 鈴を握る手に力を込めて、待たせてしまっているお嬢様の元へ駆ける。色々と隠し事が増えて、そのことはちょっとした罪悪感になった。

 ただ、今考えていることが何か実を結んだら、彼女の役に立てるだろうか……喜んでくれるだろうか、そう思うと自然と胸が高鳴った。


 でも、今は秘密にしておこう。その方がきっと、面白いだろうから。

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