第10話 「教え教わり考えて」

 図形の把握力があるというのが"先生"の評だった。それに妙なモチベーションも手伝ったんだろう。複製術を物にするのに、思っていたほどの苦労はなかった。

 たぶん、複製術の練習を始めてから、一時間以上は経過しただろう。気がつくと、全身にうっすらと汗をかき始めた。

 しかし、俺のそばで上達を喜んでくれている彼女を見ると、多少の疲れは気にならなくなる。


「どういったイメージで描かれましたか?」

「なんというか、こう……器に器が重なってるイメージですね。最初からこういう形だったって考えると、逆に複雑すぎて、形を覚えきれなかったので」

「それが正解だと思います。増やしたい部分と、複製術の部分を分けて覚え、それぞれ一瞬で書いて現実に重ね合わせる、というのが理想ですね」


 俺の方に向きながら、その通りに地面に描く。早すぎて書き上がるのが同時にしか見えないけど、きっと彼女の主観では別の工程という認識なんだろう。


「少し休憩しますか?」

「いえ……でも、次は文を覚えるんですよね? だったら、少し休みつつ、座って紙に書こうかと」

「ではそうしましょうか」


 魔力の矢マナボルトを覚えたときの要領で、完成して魔法にならないよう、彼女は文だけを地面に刻んでいく。相変わらず、それらしい解読こそできるが、どうも古めかしい感じになる。

 理解を助けるためのイメージとして、古文の授業をイメージする。教科担の先生は若い女性だった。頭の中であの先生が語りかけてくる。


『落ちて至るは 光の雫 地にある姿 明らかなれば いづる処は 如何いかんならん 四方よも八方やもにと 別れたる たまきつらなり いざ天へ』


「読めますか?」

「んー……地面の明かりはよく見えるけど、出どころはどんな感じなんだろね? 他の光も集めて試してみよう、みたいな……」

「訳が……フレンドリーですね。いえ、好きですよ」


 おそらく、この世界の教書ではありえない訳なのだろう。彼女は少し呆気にとられつつ、しかし合点がいったようにうなずいている。


 文を覚えるのは、器に比べると少し苦手だった。とはいえ、複製術のおかげで練習効率は段違いになるだろう。

 少し座って十分休憩した後、さっそく複製術を使って文の習得に取り掛かる。最初の器を書いて、それを複製で増やしていく。

 そうして増やした空の器に文を書くと、ぼんやりと光る光球ライトボールが浮かび上がった。

 複製された器に文を書いて6つ光球ができあがると、最後には用済みの複製元が残った。これの消し方は、空の円を消す時同様に外側の円をまたぐ線を描くか、単に消すイメージをするだけでいいらしい。


「ただ、イメージで消そうとすると、これからの練習の妨げになるかもしれませんから、最初は避けたほうがいいですね」


 書くだけ書いて用済みの光球の消し方を問うと「勝手に消えます」だそうだ。

 書いては消える光球を作る作業を繰り返す。少しずつ、筆記が早くなっていく実感があった。

 途中、今覚えるはずの光球ではなく、魔力の矢が出てしまって少し驚いた。困惑する俺に、彼女が微笑みかける。


「器に少し意識が向いてしまうと、先に覚えた魔法が癖で出るというのは、同じ器で2つ目の魔法を覚える時によくあることです。最初に覚えた魔法が十分定着している証拠ですので、あまり気落ちしないでください。今は使い分けをあまり意識しないで、今覚えている魔法を優先する、ぐらいの気持ちで大丈夫です」


 言われて気を取り直し、ひたすら光球づくりに励む。時折宙に矢が放たれるけど、それはもう無視した。

 どれだけ光球と矢を作ったかわからない。でも、エラー率は減ってきたんじゃないか、そう思ったあたりで昼食に呼ばれ、一度切り上げることにした。


「ところで、疲れていませんか?」

「まぁ、それなりには。でも昼食をとれば、また元通りになると思います」

「集中していただけているのは嬉しいですけど、あまり無理はしないでくださいね」



 昼食後も、ひたすら光球作りに励んだ。2つ目の魔法が鬼門になることが多いそうだ。


「お父様の本によれば、最初の魔法と2つ目の魔法で、文を混同してどちらも使えなくなり、魔法使いとしての自信を喪失することがあるそうです。確実に覚えること、自信を得ること、自信を持って魔法を使うこと。魔法を使う上では、これが基本であって、とても重要なことです」


 彼女は真面目な顔でそう言って近づいてから、少し顔を綻ばせた。


「使う魔法を取り違えるぐらいならば、かわいい失敗です。昼からミスはだいぶ減ってきましたけど、そもそも私はミスとは思っていません。矢を撃つなと言っていませんから。ですので、気にせずどんどん練習してください」


 言ったあとで、何度かまばたきしてから、少し真顔になって聞いてきた。


「ところで、疲れていませんか?」

「いえ、そこまでは……」


 昼食から3時間ぐらい経ったころ、マリーさんが茶を持ってきて、俺たちは一息ついた。



 ちょっとした休憩の後も、やはり光球づくりが続いた。


「あれこれ手を伸ばしても、結局は身につかずに何にもなりません。1日1つ魔法を覚えるだけでも、実際には早すぎるくらいです。今日できた魔法が翌朝も同じようにできて、それで初めて習得になります」


 矢のことは忘れた。随分と見ていないから、たぶん撃ってないんだろうと思う。

 俺が無心におぼろげな光球を浮かべては消している間、彼女はよく話し掛けてきた。だんだんと光球作りに慣れてきたので、話し掛けられながらでも集中を持続できるかのテスト、だそうだ。


「文を心の中で音としてイメージしていいのは、最初に覚えるまでの間だけです。音を文字に変え、目に見える文としてイメージして、やっと器に一緒に書けるわけですから」


 聞いているあいだ、書き損じこそ無いものの、少し書くスピードが落ちた。彼女は続ける。


「器を一瞬で描く、頭のイメージと実際の動きに一致させるように、思い描いた文を一瞬で書き上げましょう。そうしようとすると、頭の中で読み上げてなんていられません」

「……ひとつ気になったんですが、魔法陣以外に魔法を使う方法はあるんですか?」


 彼女は手で俺の練習を中断させると、問いに答えてくれた。


「ここフラウゼ王国では、魔法陣が圧倒的に主流です。魔道書や呪札の使い手、あるいは操兵術師ゴーレマンサーが多い国もありますが……それらの術も、結局は根底に魔法陣の存在がありますね」

「文を発声することで使う魔法とかは……」

「文献では、大昔に難解な魔法陣の補助として、詠唱法が使われたこともあるそうですが……長続きしなかったそうです」

「どうしてですか?」

「敵が大声を出して、邪魔をするからです」


 呆れるほどシンプルな解決策に、思わず開いた口が塞がらなくなった。彼女は苦笑いして続ける。


「実際、白兵戦で大声を出すのはよくあることで、その派生として声を用いたということのようです。現代でも、文を音でイメージする魔法使いにはよく効く手ですので、魔法使いを見たらどちらかが死ぬまで叫び続けろ、なんて教える流派もあるそうです」


 そこまでいうと、彼女はイタズラっぽく笑った。


「私が話し掛けてちょっとずつ邪魔しているのも、集中力を養い、音に邪魔されないようにする訓練ですから、がんばってしのいでくださいね」

「はい」

「ところで、疲れていませんか?」

「いえ、まだ大丈夫です」

「……無理は、決してなさらないでくださいね」



 少しずつ日が傾いてくる。邪魔をすると言いつつ、彼女が話し掛けてくる。「上達の実感は後からやってくる」とか、「使いこなせないうちは覚えたうちに入らない、まずは数より質」とか。

 閣下の本の引用なのかな、とも思ったけど、語る言葉にはいちいち実感がこもっているように感じる。どこかで見聞きした言葉だとしても、すでに彼女の血肉になっているんだと思う。


 日が暮れかけ、もう少しで夕食というところで、彼女に特訓を止められた。


「少し長くなった気もしますが、ちょっと切りの良いやめ時がなかったので、続けてしまいました。お茶飲んでからは完璧でしたので、自信を持ってください。翌朝きちんと矢も光球も使えたら、どちらもあなたの魔法です」

「わかりました、ありがとうございます」


 それから、正対していた彼女はこちらにゆっくり詰め寄り、少し上目遣い気味になって、まじまじと顔を覗き込んできた。


「くどいようですが、念の為に聞きますけど、本当に疲れていませんか?」

「いえ……初日と同じぐらいです。大丈夫です、なぜか」


 視線が合った。お互い何回か瞬きして、


「おかしくないですか?」


 声が合った。

 何がおかしいかと言えば、やった魔法の量だった。いちいち数えていないけど、昨日に比べれば異様に多かったはずだ。

 お互い無言でうなずいて、彼女に誘われるままテーブルに座り、夕食まで原因究明にかかることにした。


「覚えたては、日ごとにマナの使い方が上手になって、使えるマナの量も増えていきますが、それにしても少し……」


 彼女は下顎に曲げた指を当て、少しキツめの視線をテーブルに落とした。初日に似たような表情を見たときは、少し近づきづらい印象もあった。しかし、こうして先生として見ると、途端に頼もしく見えるから不思議なものだ。


「器と文で仮に同じ量のマナと時間を使うとすると、複製術で器が勝手に出来上がっているわけですから、全体では倍のスピードでマナを使っているはずです」


 彼女が指摘する通り、複製術によってハイテンポで魔法を使えたのなら、もっと消耗しているはずだ。


「お嬢様が複製術で魔法を覚えたときは、特に何か気になることは?」

「……私が魔法を覚えたときは、剣術の訓練と並行してやっていました。ですから、マナだけ極端に消費したという経験は、覚えがありません」

「そうですか。ただ、矢のときと違うのは複製術ぐらいなので、これが原因かと思うんですが」

「私も、そんな気はしています」


 また、少し冷たい表情で彼女は考え込んだ。

 複製術のおかげで、どんどん魔法を連発して、そのくせさほど疲れなかったという奇妙な状況だけど、頭の中では妙に得心が行く部分もある。

 生前の趣味でやっていたカードゲームでは、魔法をコピーしても、元の魔法の分の消費は請求されないのが常だった。元のコストに対して、コピー手段のコストが手頃ならば、差額が丸儲けという具合に。今の状況もそんな感じと捉えると、理解できる部分はある。

 しかし、今実際に行使している魔法は、なんらかの法則に従って、きちんと複製先のコストを調達・充当している。

 では、それをどっから取ってきているんだ、という話になる。俺は彼女に言った。


「複製術で複製先に必要なマナを、術者以外から調達していると考えれば、辻褄は合う気がします」

「私も……それが妥当な解釈だと思いますが、でもどこから……」


 そこで言葉に詰まった。

 カードゲームを思い出した。幾度となく繰り返した、マナの出し方を。

 まさかな~、と思いつつ、地面に器と複製術を描く。近くの宙にも、地面に直立するように同様の器と複製術を。

 すると、どちらにも、これまで何度となく見たような7つの器が現れた。特に変化はない。

 ここまでで変化があればわかりやすかったけど、まぁ仕方ない。問題はここからだ。


「お嬢様、すみませんが、今出した地面と宙の各7つに、隣接するぐらいの距離感で同じものを書いてもらえますか?」


 少し期待感に満ちた目つきで俺にうなずくと、スッと立ち上がって一瞬で同じものを書き上げた。これが彼女の当たり前なんだろうけど、何やら期待に満ちているのが感じ取れて、想定通りに行かなかったらと思うと少しキツい。


 地面に描かれた紫の器たちは、特に気になる変化もなく複製されて、7つの器になった。

 宙に描かれた紫の器たちも一つ一つ数を増していった。しかし、4つ目に差し掛かったところで、描きかけの光の線が壊れた蛍光灯のように途中で明滅し始め、それ以上反応が進まない。

 彼女が無言でこちらを向いた。驚きと、どこか喜びが混ざったような表情で。

 なんとなくの直観が正解したようだ。深く考えていなかった推論を急いでまとめる。


「えーっと、複製術が術者からマナを搾り取っているなら、どこに描こうが同じ結果になると思うんです。術者が同じなんですから。でも、術者以外からマナを取っているなら、もしかしたら描く場所で結果が変わるんじゃないかと」

「それで……地面と空中で、分けて試してみたということですか?」

「そうですね。それと、青緑より紫色の魔法の方が、複製先のマナを出してくれる相手に強い負担を強いると思って、それで描く場所による違いが出やすくなるんじゃないかと。それで協力してもらいました」

「つまり、複製術は術者以外からマナを取っていて……ついでに言うと、空中よりも地面の方がマナが濃いと」

「たぶん、そう思います」


 これで納得がいったんだろう。彼女はまたテーブルについて、取り出したメモに楽しそうに書き付けている。邪魔しては悪いと思って、俺は地面に視線を落とした。

 地面に刻まれたたくさんの器は、実は複製を命じた術者じゃなくて他からマナを調達している。そう考えると、コピーというかなんというか、フランチャイズチェーンでもやっている気になってきた。地面にみっちりと敷かれた、同じ形同じ色の図形たちは、1つのターミナル駅に1種類のコンビニ店が密集している様を思わせた。異世界に来たというのに、どこか世知辛くなる。


「これ、あんまり繰り返すと地面に悪そうですね」

「ええ、そうですね。ただ、光球は割とすぐに消えますから、それであるべきところに還っていると思いますが……」


 彼女は苦笑いした。


「複製術が、重税の取り立てに見えますね」

「自分も、何か世知辛いことを考えていました」


 二人で少し笑いあった後、彼女は立ち上がって少し改まり、お辞儀をした。


「教える立場と思っていたつもりが、今日は逆に教えられてしましました。ありがとうございます」

「……先生、って呼んでもらってもいいんですよ?」

「はい、先生」


 調子に乗って提案すると、彼女はすぐに乗っかってきた。その言葉には、猫なで声みたいな演技も芝居もなかった。逆にその気取らなさが、妙なリアリティで俺に迫る。

 俺は軽い気持ちで言い出したのを後悔した。


「やっぱり、その、呼ばれるのは恥ずかしいから、ナシでお願いします」

「呼ぶ方も、恥ずかしいのですよね?」


 火照った顔を背ける俺の背後で、今度は妙に優しい声がする。


「教え始めてすぐに、こうして逆に教えられることがあったのは、素直に嬉しいです。よろしければ、これからも私に、"先生"と呼ばせてみてくださいね」


 そう言われると、何か挑発されたような気がして、引き下がれなくなる。

 ペースに乗せられてるなぁと思いつつも、「がんばります」としか言えなくなるのだった。

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