第9話 「複製術」
下村律が客として招かれてから4日目の朝食後、フォークリッジ伯の書斎で、彼とマリーは茶を楽しんでいた。
伯爵はティーカップを空けると、マリーに尋ねた。
「どうかな?」
「どうかな、とは?」
「まぁ、なんというか、進捗とか雰囲気とかだな……何か気づいたことは?」
マリーは手にしたカップをテーブルに置き、少し思案した。
「かなり集中力があるようで、精力的に打ち込まれていますね。気質も合うようです。好奇心旺盛、といいますか」
「まぁ、それはわかる」
「それと……リッツさんは、あまりないタイプのお客様ですね。アイリスが親しくしようとしても、避けていきませんので。その点は好相性かな、と」
それを聞いた伯爵は、腕を組んで少し満足そうに瞑目した。
「狙われましたか?」
「ん?」
「貴族のない世界の方ならば、あるいは、と」
「いや、単に私が指導しても萎縮するだけだろうと思ったんだが。それに、相手がオッサンよりは、なぁ」
マリーは苦笑しつつ、茶を口に含んだ。
「彼の身につくようにと思っていたんだが、あの子にも良い影響があるならば、願ってもないな」
「……引き続き、陰ながらサポートはしていきます。おじさまも、こちらに長くは居られませんし」
部屋の空気が少し重苦しいものになった。2人には毎年のことであったが、それでもこの時期になると、暗い気持ちにならずにはいられない。
「出立はいつ頃ですか?」
「引き伸ばせて10日だな。上からは、早い方が良いと急かされているんだが」
そう言ってから、彼は少しぬるくなりかけた茶を飲み干した。それから立ち上がり、掛けておいた上着を手に取る。
「お見送りは」
「いらんよ。残った茶請けでも食べていなさい。日が暮れる頃には帰る」
ドアを開け部屋を去る伯爵を、マリーは茶請けをかじりつつ、首だけ向けて一礼した。
☆
「今日は、新しい魔法を教えます」
そう言ってお嬢様は、地面に紫色の”器”を書いてみせた。しかし……。
「
「器が同じで、文が違います」
彼女は目にも留まらぬ速さで、器に開いた隙間に文を流し込む。すると、魔法陣がそのまま浮き上がったような大きさの、薄ぼんやりとした紫の光球が現れた。
この光の玉自体は、嫌というほど見てきた。昨日の午前中は魔力の矢の復習で、ひたすら矢を打つ訓練を、午後は矢で射的を繰り返した。その時、的になったのが、この光球だ。
しかし、的当ての玉はバレーボール程度の大きさだったけど、今目の前で光っているのは、両手でなんとか抱えられる程度に大きい。光球と言えば、森の中で見た光球はもっと小さかったし、色は白だった。光り方も、今の見ている玉は向こう側が透けて見えるくらいに薄い。
俺が抱える疑問を当然のように察知したのか、彼女は腕を組んで少し満足げに首を振った。
「疑問があれば、その都度先生に聞くように」
「この光る玉は、他にも種類があるんですか?」
良い質問ですと言わんばかりの笑顔で、彼女は言葉の代わりに、俺でも見えるよう、魔法陣を地面にゆっくりと刻んで見せた。
大きい魔法陣と小さい魔法陣の2つを書き終えると、それぞれが光球となって宙に浮いた。大きい方はやはり薄く、小さい方は濃い光で。
今まで見たものと違っていたのは、大きい方が白い光で、さらに彼女の指に合わせて動いていることだ。つまり、何かオプションを付け足した感じだ。
「この
「後者のほうが難しい、ですか?」
「そうですね、格が違うと言って良いです」
彼女はこともなげに作っては、白い光球を動かしている。しかし、これが遥かに難しいとなると、道の険しさを痛感した。
そんなことを考えていたら、彼女のフォローが入る。
「リッツさんの現時点では、とても難しいというだけです。料理を始めたての頃は、みじん切りなんて出来ないのと同じです。今回の場合は、皮むきとみじん切りぐらいの差でしょうか」
フォローを入れるのもそうだけど、例え話もこちらにわかるよう、極力配慮されているのがわかる。こういった心配りには、本当に頭が上がらない。
そういうところに内心感服していると、彼女はまた声をかけてきた。
「他に、何か気になることは?」
「んー……自分の色の光を出せるということは、この魔法の色っていうのは無いんですか?」
「はい。特定の色を持たない魔法です。無色、色無し、自色系なんて言われますね。自分の色と魔法の色が合わないと負担になるという話は初日にしましたが、こういった色無しの魔法ならば、まったく無理なく使えます。ですので、今教えている初等魔法に多いですね」
ということは、最初に覚えた魔力の矢も、実は自分の色で撃つ魔法だったのか。聞いてみると、そのとおりだった。
「魔力の矢も、今日教える光球も、自分の色で放つ魔法です」
「色ごとに、何か特徴というか、象徴するイメージなんかは」
「そうですね……中間色は無限にありますが、マナは大別すると赤、橙、黃、緑、青、藍、紫の七色に別れます。赤からそれぞれ、炎、金属、大地、緑は飛ばして、水、空、雷の力に対応すると言われています」
「橙が金属、ですか。鉄とか、銅みたいな? マナと相性が悪い金属は、あったりしませんか?」
「一般に目にする金属では、特にそういうものは……強いて言えば、加工法で違いが出るぐらいですね」
「なるほど」
どこで仕入れたイメージか知らないけど、金属とマナは相性が悪そうに感じていた。しかし、そういう事実はないようだ。
せっかく親切に答えてくれることだし、勘違いをそのままにしないためにも、気兼ねなく聞いたほうが良さそうだ。
「緑は、何もないんですか?」
すると、彼女は腕を組んで少し考え込んだ。ポリティカルコレクトネスというか……あまり他を貶めないように、言葉を選んでいるように感じる。
「緑は、正直難しいところです。命、植物に対応するという話もありますが、緑単体では働きが微弱すぎるという説もあって……隣り合う色どうしは相性がいいのですが、緑の命や植物の力も、結局は黄色の大地や青色の水から借り受けたんじゃないか、という議論もあって」
「ちょっと、肩身が狭い感じですか」
「いえ、最大勢力ですよ?」
真顔でそう言う彼女と視線が合って、一緒に少し笑った。
「色の違いで一喜一憂するより、活かす工夫をする方が大事です。あくまで参考程度に」
「はい」
俺はポケットからメモを取り出し、書きつけた。夕食後にまとめて日記に書くだけでは不安ということで、2日めからはまずメモを取り、寝る前に日記にまとめるという流れでいくことにしていた。
俺がメモを書き終わると、彼女が問いかけてくる。
「他に、気になることは?」
「光球は2種類ってことでしたが、大きさについては触れませんでしたよね?」
今度も少し嬉しそうに頷いて、彼女は説明を始めた。
「魔法陣の大きさは変えられます。正確に言えば、最初に覚えたイメージを、必要に合わせて縮小します」
「大きくはできないんですか?」
「限度を超えて大きくしようとすると、流れ込むマナに耐えられず、器が割れてしまいます。どの魔法も、覚えるときは最大限の大きさというのが、流儀を問わず一般的ですね」
「コップ乾かすときの魔法も、縮めているんですか」
彼女は少し驚いてから、「よく覚えていますね」と言って微笑みつつ、森で見た炎を作ってみせた。指から少し離れた空間に、バーナーのような細い炎が立ち上る。
「本来は、もっと大きい魔法なんです。ただ、赤に属する魔法なので、術者への負担が大きすぎて……」
そこまで言って、彼女は口に手を当て笑った。
「焚き火の魔法なんですけど、負荷の強さに術者が気絶して、魔法が消えることもしばしばで……それに、火をつけてても危ないので、野営では絶対に使うなって本に……」
「本末転倒ですね」
「本当ですね。小さく使うと、色々使いでがあって便利ですけど」
炎を消した彼女は、再度問いかけてきた。
「他に、気になることは?」
まだ、何かあるんだろうか。玉を見比べる。
「……大きい魔法陣の方が、多くマナを使って、その分魔法も強力になりますか?」
「はい」
それで、あまり直感的ではないものの、大きい方が薄い理由はなんとなく察してきた。
すると、彼女は、少しおずおずと問いかけてきた。
「大きい方が薄い理由は、気になりませんか?」
「えーっと……魔法陣の直径を倍にすると、面積4倍でマナも4倍、これを玉にすると体積は8倍で、つまり体積あたりではマナが半分の密度になるわけですから、大きい方が薄く見えるってことかと……」
そこまで言うと、彼女は少し驚いたような顔をしてから、何回かうなずいた。
「私も、お父様にそう教わりました。教わっても、ずっと釈然としないというか、あまりすっきりしなくて……」
「まぁ、気持ちはわかります。なんか、大きく作った方が損した気分というか」
「照らす力は大きく作る方が強いですが、個人的には小さい方が好みですね」
これで、気づかせたいことは終わったのだろう。彼女は光球を消して、再び器を地面に描いてみせた。
「ところで、器を書く方はもう完璧でしょうか。私視点では、ほぼ問題なさそうに見えますが」
「絶対じゃないですけど、たぶん問題ないとは思います」
「……新しい文を覚えるのに、いちいち知ってる器を書くのが面倒に感じたりは? 『横着だ』とかそういう事は考えずに、正直に答えてくださいね」
「それは……もちろん最初から器があった方が、だいぶ助かりますけど」
俺の返事を聞いた彼女は、真面目な顔からフッと力を抜いて、ちょっとイタズラっぽい笑顔になった。
そして、「あなたのやる気次第ですが」と言いつつ、先程書いた器に、更に被せるような形で線を引き始めた。円と円の間、文を収めるはずのスペースにも線が通り、器に器を重ねると言った格好だ。
器の加筆が終了すると、円に外接する形で最初に描いた器、つまり描き足す前の器と同じ物が勝手に地面に描かれ始めた。
そして、あっという間に1つ、また1つと現れ同じ器が地に刻まれ……最終的に発生源を中心として、6つの器が現れた。
これで文を書く箇所も6つ現れたことになる。つまりは器のコピー術だ。
「この複製術を覚えれば、最初は遠回りになりますが、最終的には文を覚える助けになると思います。いかがですか?」
漢字ドリルを生徒が自分でコピーする、みたいな話になってきた。確かに、この複製術を覚えれば、学習効率はアップするんじゃないかなと思う。
しかしそれよりも、複製で魔法を増やすという行為が、趣味だったカードゲームを思い出させた。カードじゃないゲームの方でもそうだったけど、コピーする奴、特に魔法のコピーなんていうのは、なんというか悪ふざけの温床みたいになっていたイメージしかない。
そして、こうして現物――というか、本物――を目の当たりにすると、何かできそうだという興味関心がふつふつ湧いてきた。
とはいえ、コピーの可能性は置いといて、まずは目の前の課題を片付けないと。ふと湧いた考えに囚われている俺に、彼女は尋ねた。
「やはり、追加で覚えるほうが手間でしょうか?」
「いえ、ちょっとやってみます」
俺の答えに、無邪気な微笑みを返す彼女を見て、「ちょっと悪ふざけ考えてます」なんて言えるわけがなかった。
しかし、小さな罪悪感をよそに、やる気と好奇心が刺激されていくのを、俺は確かに感じた。
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