第3話 「異界の面接」

 遠く上の方で、何かが擦れ合う音が聞こえる。

 ぼやけた音が少しずつ、はっきりと聞こえるようになっていく。どうも、梢で枝葉が風に揺られているようだ。

 目を閉じていたけど、近くになにか小さな光源があるらしい。まぶたの裏に光る玉がいる。


「目が動きましたね。もうそろそろでしょうか」


 右の方から、若い男性の声が聞こえた。


「目覚めたら、私の方が応対します」

「わかりました」


 男性の声を受けて、女の子の声が聞こえた。近くに二人いるようだ。

 少しづつ目を開けると、右に男性が、左に女の子が座っていて、俺の顔を覗き込んでいた。

 男性は、アラサーだろうか。細面で穏やかな雰囲気の人だ。

 女の子は、俺と同世代か、少し下ぐらいに見える。目鼻立ちがはっきりしていて凛々しい顔立ちだ。

 周囲に意識を移す。日が沈んだのか、かなり暗いけど、木々が少しまばらな森の中にいるのがわかった。足元の少し上の方で遠慮がちに光る白い玉が、辺りを柔らかく照らしている。


 俺は頭が少し上になるよう、少し傾斜した坂に寝かされているようだ。

 手のひらの感触で、下に落ち葉や樹皮らしきものが敷かれているのと、そのさらに下で、もっと硬い何かが土台になっているのがわかった。

 頭の中は、霞がかったようにぼんやりしている。しかし、少しずつ状況を飲み込めてきた。


「私の言葉がわかりますか? わかるなら、小さくうなずいて下さい」


 男性に話しかけられた。言葉はわかった。この森に来る前の、あの真っ黒な世界で、言葉を植え付けられていたんだろう。

 男性の問いに、俺は小さく頷いた。


「では、今、少しでも話せそうですか? 話せそうなら、声で返答願います。ただし、決して無理はなさらないように」


 ゆっくりと、こちらが聞き逃さないように、丁寧に話しかけられた。

 口の中はだいぶ乾いているようだった。少し咳払いして、喉の調子を確かめる。大丈夫そうだ。


「はい、大丈夫です」

「それはなによりです。では、これからいくつか、質問をします。姿勢はそのまま、楽にしていただいて結構です」


 彼はそう言いながら、上着の白いジャケットから、メモ帳とペンらしきものを取り出した。

 聞く準備ができたであろう男性の方に、視線を遣ってうなずき、質問を促す。


「では、夜空でもっとも明るく輝く星の名は?」

「……えっーと、その」


 答えは知っている。しかし、相手が知っているのかどうか、答えて良いものかどうか。

 判断しきれず返答に窮していると、こちらの考えを察したのか、助け舟を出してきた。


「知らない、わからない場合は、そのようにお答えください。私が想定している答えかどうかなどは、まったく考慮なさらずに。ただ、普通に答えていただければ」

「……夜空で一番明るく見える星は、シリウスです」

「なるほど。では、現存する生物の中で、最大の大きさのものは?」

「シロナガスクジラ」

「過去を含めた中で、最大の規模の国の名前は?」

「……たぶん、モンゴル帝国、だったと思います」


 こちらの答えにうなずきつつ、彼はメモ帳に何やら書き込んでいる。

 答えを知っているなら……俺と彼にとっての正解が同じなら、わざわざ書き込んだりしないだろう。彼は、まるで初めて聞く単語を書き留めているように見える。

 しかし、物腰やたたずまいから、物を知らない人物にはとても見えなかった。

 森の冷えた空気と妙な質問が、少しずつ思考をクリアにしていく――たぶん、俺と彼の知識を照らし合わせて、俺が異なる世界から来たことを確かめようとしているんだ。

 そんなことを考えていると、彼は表情を柔らかにして話しかけてきた。


「次は少し毛色の違う質問です。三角形の内角の和は、常に一定でしょうか?」

「……平面上でなければ、その限りではありません」


 こう答えると、彼は手にしたメモに視線を落とし、宙にペンを走らせながら考え込んだ。ペン先はほのかに青く光っている。

 左の女の子に視線を移すと、彼女も考え込んでいるようだ。顎に曲げた指を当てている。

 切れ長で少しツリ目気味の目は、横たわっている俺の胸元あたりを見つめている。端正だけど、わずかに冷たさを感じる、近づきづらい横顔だった。


「……ああ、なるほど」


 彼女を見つめていると、得心が行ったと思われる男性が、少し弾んだ声を上げた。

 女の子も俺も彼の方に視線をやった。上機嫌で何やら書き込んでいるようだ。


「これは、収穫ですね。いや、面白い」

「……ご自身の興味を優先されてますか?」

「そんな事はありませんが……役得ではありますね」


 女の子の指摘を受けて、男性はいたずらっぽい笑みで答えた。

 曲面上の三角形について、俺のあの短い答えで何かしらの理解にたどり着いたのだとしたら、ものすごく知的な人物なんだろう。その理解力に少し圧倒された。

 ただ、詳しい解説を求められても、今の頭の働き加減でやりきる自信はない。当人で解決していただけたのは幸いだった。


「では、最後の問いです。法を失った国は存続しうるかどうか。どう思われますか?」


 何か意識の高い面接じみてきた。はっきりとした、明確な答えがある問いには思えない。答えというか、個人的な倫理観や政治観を問われているようだ。

 女の子は三角形のことは一旦忘れたようだ。じっとこちらを見つめている。


「……法がなくなれば、国名を定められなくなると思います。なので、法がまったくない国はないと思います」

「なるほど。では、国名を持とうとしない集団であれば?」

「それは……人が集まれば、何かしらルールは生まれると思います。明文化されるかどうかはわかりませんし、部外者が法と認めるかどうかもわかりませんが、少なくとも法みたいなものはあるはずだと思います」

「わかりました。ご返答ありがとうございます」


 男性はメモを閉じてそう答えた。図形の話のときみたいな、ちょっとした興奮すら見せない。答え自体には、そこまで興味がなかったかのように。

 メモとペンをしまった男性は、傍らにおいたカバンから何か黒く薄いものを取り出した。手袋のようだ。


「お手を拝借します。右手を少し上げていただけますか?」


 言われるがままに手を浮かせると、彼は俺の手首を取って、手袋をはめた。かなり薄手の生地は、すべすべしていて心地よい。手の甲には白い輪が刺繍されていた。


「腕から指先にかけて、少し不快感を覚える可能性がありますが、命に関わるものではないのでご安心を」


 淡々とした、かえって不安感を煽るような説明を受けて心配になった。

 何か言おうか迷っていると、左手に温かいものが触れた。女の子が手を握ってくれているようだ。

 少し驚いて彼女の方に顔を向けると、考え事をしているときの近寄りがたい雰囲気とは打って変わって、穏やかに微笑みかけてくれた。少し頬が熱くなる。

 黙って、覚悟するしかないようだ。


「では、始めます」


 彼は手袋の手首の部分に、光沢がある黒い金属質の紐状の物体を巻き付けてきた。

 その紐の輪が閉じると同時に、腕の付け根に軽い熱感を覚えた。熱は少しずつ、腕から手の方へ上っていく。指に近づくにつれ、熱は強くなった。湯加減を間違えた風呂に手を突っ込んだようだ。

 その熱が指先にまで届いたとき、指の肉と爪の際から、何かを吸い出されるような感覚を覚えた。

 不快感よりも得体のしれない恐怖を覚えて、右手の先を見る。指先から何かが吸い出されているようには見えなかった。しかし、手袋全体が淡い光に包まれていて、白い刺繍部分が、うっすらと青緑に染まっている。


「何回か、右手を軽く握ってから緩めてみてください」


 男性に言われて手を動かす。指先で何か吸われる感じは相変わらずだった。指先を掃除機に突っ込んだか、あるいは自分の指先が、捨てられる直前の歯磨きチューブにでもなったような気分だ。

 しかし、何回か握って開く動きを繰り返すうちに不快感は収まり、腕から熱も引いていった。

 手の甲の薄かった光は、今ではくっきりした青緑に輝いて見える。


「もう大丈夫ですよ、お疲れさまでした」


 男性がそう言うと、顔に白い布が触れた。女の子がハンカチで拭いてくれている。

 気がつくと全身に汗が滲んでいた。息も少し上がっていた。

 目を閉じて深呼吸していると、手首の金具を外された。それと同時に、さっきまで感じていた体熱が少し去っていき、代わりに森の冷たい空気が右半身に染み込んでくる。

 男性の方を見やると、カバンから細長い棒状のものを取り出すところだった。彼がその棒状のものを横に軽く振ると扇になった。

 それが今まで見慣れた扇と違うのは、色だ。左端は赤、右端は紫、中心は緑で、きれいに七色のグラデーションになっている。つまりは扇状の色見本だった。


「失礼します」


 彼は俺の右手を取り、甲の光る部分に扇を当てた。身を乗り出すようにして、俺の手と扇を見比べている。そして彼は、女の子に話しかけた。


「青緑ですが、緑寄りの青というところですね……どう思われますか?」

「どう、とは?」

「世間的に緑か青か、です」

「青、だと思います」


 女の子がそう答えると、彼は俺の右手から手袋を脱がせ、扇子と一緒にカバンにしまった。


「調査は一通り終了です。ご協力ありがとうございました」


 彼は片膝をついて背筋を伸ばし、こちらに軽く頭を下げた。「いかがでしたか?」と女の子が聞くと、彼は答えた。


「質問への答えから、間違いなく異界から来られた方かと思われます。先の三つの答えのいずれも、知らない単語でしたから」

「後の質問は?」

「我々と比べて、学究面で優れた世界にいらっしゃったという印象ですね。幾何という概念が、どこでも通用するというのも、重要な知見です。それと」

「それと?」


 女の子の問いに、少し間をおいてから彼は言った。


「特に最後の質問は、寝起きの方にするものではないと思ってましたが、それでもご自分で考えてご返答いただけました。おそらく、閣下とは気が合うのではないでしょうか」

「そうですね、そう思います」


 そう言って、彼女はこちらに向き直って、柔らかく微笑んでみせた。


「では、これで私は失礼します」


 男性は立ち上がってそう言った。すると女の子は左の手のひらを上に向け、その上に薄く紫に輝く半球を作り出した。

 よく見ると、その半球の表面を、細かい波状の紫の線が、上端から下端へ往復している。

 半球の中の地平面には、中心に紫、青緑、藍色の点が一つずつ見えた。中心を離れたところには、小さな赤紫の点が、いくつか固まった群れが散在している。

 その半球は、おそらくレーダーみたいなものなのだろうと直感した。


「来た道をそのまま戻っていただければ、面倒はありません」


 指差して案内する女の子に、男性は一礼した。


「ありがとうございます。では、お元気で」

「あなたの方も」


 短い別れを済ませると、男性は長いマントをなびかせながら森の闇の向こうに消えていった。

 そして俺は女の子と二人っきりで、森の中に取り残された。

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