余年に一度

九十九

余年に一度

 四年に一度の閏年。それは平和の祭典が開かれる年。暦の辻褄を合わせるために二十八日までの二月に一日だけ日付が足される年。


 そうして、私達、蝶人の羽化の年であり、私達が人間として生きる年である。


 蝶人は人には見えない。蝶人は鏡には映らない。蝶人同士ですら互いの存在を感じ取る事は出来ても、姿を見る事は叶わない。

 蝶人とは、羽化をするその日まで、己の顔を見る事も誰かの目に映る事も出来ない存在なのである。


 私は今から丁度、四年前に生まれた蝶人である。

 人間で言えば五、六歳の幼子の姿に、星の輝きを宿した青色に真珠色をまぶした美しい蝶の羽を生やした姿で生まれた。

 私達蝶人は生まれた時から、自分が何者であるのか、どのように生きて行くのかを知っている。そのため、生きて行く上で不便な事は無い。

 花を食み、人間や獣の営みを眺めながら空に気儘に舞い、月の下で眠る。風に舞う花びらのように気紛れに、風の行くまま気の向くまま生を謳歌するのが蝶人である。

 蝶人の成長は早く、一年と半年も有れば人間の成人姿と変わらず、そこから先老いる事も無い。生まれたばかりの頃は上手く出来なかった事も、知らなかった事も、一年を過ぎれば殆どが手の中にある。

 鉄塔の上から何回転もしながら落下して地面に落ちる瞬間に上空に留まる事も出来るし、空の上で羽ばたきながら寝る事だって出来る。人の世界の知識も手に取る範囲で手に入れたし、獣の世界の掟も見つめ続けて理解した。

 それを特別、誰かの役立てるなんて事は出来ないけれど、気儘に生きるためには飽きないし、気紛れに生きるためには便利だったりする。


 そうして、生まれ育ってから丁度、四年目。閏年の二月二十八日の今日。私は羽化を迎える。


 普段であれば既に眠っている事が多い夜の時間帯、二十八日と二十九日の境目の時間。私は羽化の為に町外れの小さな家の中へと舞い込んだ。

 四年近く使われていない家の中は、それでも管理人の手によって閏年の二十八日には綺麗に整えられている。

 「町外れの家はきっと廃屋だ」と町の人間は言っているが、ここは蝶人が羽化を迎える為の巣の一つだ。

 昔。私も他の蝶人も何処かで覚えているだけのずっと昔。人間はとうの昔に忘れてしまったずっとずっと昔。羽化をした蝶人と人間が約束を交わして幾つか羽化の為の巣が作られた。

 巣はそれからずっと人間の子孫たちによって守られていると風の噂で聞いたが、実際どれ程の巣が残っているのかは分からない。もし全ての巣が無くなったのなら、これから生まれる蝶人は本当の廃屋にでも忍び込んで羽化をする事になるのだろうか。

 私はぼんやりと考えを巡らせながら、柔らかな絨毯が引かれた広間に身体を横たえた。

 天井を見上げながら羽化の為に羽を大きく広げる。大きく、大きく、身体全てを覆うほど大きく広げた羽はやがて私の意志を離れて、柔らかく私に巻き付いていく。

 微睡み入る心地良さの中で私は羽化を始めた。


 結晶が割れて反響し合う様な音が部屋の中に響き渡ると、私の羽だった物がゆっくりと綻び始める。

 根が大地から離れるように私の身体から羽が切り離されていくと、続いて皮膚を守っていた薄皮が粉々にひび割れ砕け散っていく。

 根元を切り離された羽は脆い鉱石の如く涼やかな音を響かせながら砕け、そうして消えて行った。

 後には人間と同じ姿をした私だけが残されて、蝶人だった私の欠片は何処にも無い。


 その日は二月二十九日、四年に一度の閏日。

 私達、蝶人が人に姿が見える日であり、蝶人が鏡に映る日であり、羽化後の蝶人同士であれば互いの姿を見る事が叶う日である。

 そして羽化を成した私達が、己の姿を認め、他人の目に姿を映し――そうしてそっと生を終える日である。


 小さな家の一室、大きな衣装部屋の中に備え付けられているのは全身を映す事の出来る大きな鏡と色鮮やかな洋服達だ。

私は、美しい細工を施された三面鏡の前で青空色のドレスを翻し、そうして踊るように回る。

 鏡の中では私と同じドレスの女性が、私と同じ動きで回っていた。それが楽しくて、またくるくると回る。

 初めて見た私の顔は何処までも穏やかな笑みを携えていて、自分の物だと言うのに何だか今まで見て来た人間達の表情を見ている様で面白い。鏡にも、硝子にも、水面にも、映らなかった私の顔が映っているのは何処かむず痒く、今までずっとそこに有ったものなのに新鮮な気分だ。

 私は鏡の前で一度、上から下まで、そうして最後に顔を眺めて、私と言う存在を確認する。鏡の中で目が合った己を見詰めて微笑むと、私は足取り軽く歩き出した。


 嗚呼、これから何をしようか。

 

 私と言う蝶人の生を書き連ねても良い。この間見つけた鳥の巣に雛鳥の様子を見に行くでも良い。何処かで羽化したかも知れない他の蝶人を探し回るでも良い。人間の中で歩いてみるでも良い。誰かと一日限りの縁を紡いでみるのも良い。

 きっと今日という一日は、四年に一度の一日は、羽化をした蝶人としての一日は、ほんの少し今までと違う一日になる。

 それが私にはとても嬉しく、楽しみなのだ。


 四年に一度。余年で一度。

 たった一日この日だけの、人間としての私の、何時もとはほんの少し違う何かを探しに私は歩き出した。

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余年に一度 九十九 @chimaira

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